17 あふれる愛
大会議室内の長テーブル席に座っているコンビニ男は、ナンパ男たちとは別の席でめんどくさそうに、でも真剣に講師の話を聴いていた。
「でね。最初に自分が崩れて、アダムとエバの夫婦が崩れて、それからカインとアベルの兄弟が崩れたでしょ。」
最初にアダムとエバが神との約束を破り、下部を覆って光から逃げた。
そして、兄は弟をねたんで殺し追放された。
命の木への道を守るため、神はエデンの園の東にケルビムときらめく炎の剣を置かれたのだった。
「『個々』が約束を破り、嘘をついて誰も謝らず、他人のせいにしたことかな。人類がそういう所から始まったんだよ。
でも、最初の祝福はそうじゃなかった。
まず最初にたくさんの万物が創造され、祝福され、一つだった神の内性が別れて女と男になったんだ。
そして、『男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となり夫婦となる。』」
「…。」
何人かが検索で、聖典を調べていた。
「でも、個が壊れ、夫婦が壊れ、兄弟が壊れただろ。兄はよくできる弟をねたんで、怒りのままに弟を殺したのかもな。詳細は書かれていないが。ま、弟も兄の癇に障ることを言っていたのかもしれない。細かい事情もきっとあるよ。聖典では一言や数行で、人生をまとめちゃってるからね。一言に人生のあれこれが詰まっている。
きっと親子関係もどこか壊れていたことがあったはずだ。
正しい愛の関係がなされなかったから、人類は彷徨って来たんだ。
だからね、良い世界を築きたいと、意識していないと人はいい方には進めないんだよ。
流されていく。最初の人類がそうだから、怒りや恐怖、欲望に負けることの方が多いよね。実際人類はそういう歴史だっただろ?」
先生は一息して手元の水を飲んだ。
「君たちは40%ほど、生活的新教や正道教と聞いているから簡単に説明するね。聖典の最初は知っているだろ。アダムとエバとか。」
一同静かに聞く。この時代は、子供の童話のように小さい頃から絵本やアニメなどで知っている者は多いはずだ。
「なぜ。聖典は旧約と新約があったと思う?」
新約と旧約の『約』は、神の約束のことである。古い約束と…、新しい約束。
「十字架は完成された救いだと思うか?」
救い主は人類の全ての罪を贖って、人を愛し、世を怨まず、私たちの罪のために死したのが最も最高の愛だという。その愛に触れて初めて個々人が贖われるのだ。
その愛がどれほど大きいかは分かる。
その愛が、西洋の自由民主主義に向かう、数千年の世界を導いてきたのだから。
現代では当たり前の学校や病院制度もその理念なしには築かれなかった。
「だがな、主の痛みで、全てが救われるなら、何かの悲惨な犠牲の上でしか…それでしか愛が分からないなら、神は慈悲ではないだろ?全能ですらない。延々と犠牲が必要となる。人に構成されるべき完璧な愛に、十字架が伴っているのだから。」
人類がもがいてきた数千年の旧約も、主を磔にしたその人たちも、茶番でしかない。
聖典歴史は、新約に至り、長々と系図を書き綴り、命を懸けて守って来た血統も、新約であっけなく捨ててしまった。実に無駄に思える四千年数百年に何があったと思う?
四千年近く、厳しい戒めの中で生き、時に打ち捨てられ、何千、何万、何億人も犠牲にし、神の民が他民族に戦争を仕掛けてまで一体何がしたかったんだ?疑問に思ったことはないか?
犠牲で救われるなら、しれが真理なら、四千年もかける前に、早く犠牲になる救世主を送ればよかっただろ。」
それ、蟹目の小学校の頃、先生にした質問だと思い出すファクト。今は答えが出ているが。
人類は初めからマイナスで夫婦関係を出発したのだ。だから、人類はマイナス歴史しか知らない。
旧約聖典では、『血統血統』と、とにかく血統や民族にこだわるのに、新約で突然先祖ではなく『個』で救われるとなってしまったのだ。
旧約信徒が混乱するのも分からなくない話だ。
最初その話を聞いた時、神様は四千年人を殺しに殺して何がしたかったんだ!と叫んでしまったファクト。基本、生贄や性の紊乱を犯し悪習をしていた宗教や民族が聖典血統に滅ぼされているのではあるが、それ以外にも多くの人が憎しみあい、飢え、そして洪水の中に消えていった。
「はい!」
「あ、じゃあそこの君。そっちにマイクある?」
部屋が広いので、マイクでないと大声を張り上げなければならない。
「本当は必要だったんだ。血統も、氏族も、夫婦も、親子も…兄弟も。
でも、もがいてももがいても、人類はそこまで辿りつけなかった…。
だから神様も、一度手を離すしかなかったんだ…。」
「そうだよ。神学で習ったのか?そういう言い方はおもしろいね。初めて聞くよ。」
「…なんとなくそう思ったんです。」
「神は何度か試行錯誤して、方法を変えるしかなかったんだよ。」
「…。」
「そう。一旦、『個』の救いまで立ち戻るしかなかったんだ。数千年かけても『個』が成熟しきれなかったから。
最初の本当の選民は、ヴェネレじゃなかっただろ。」
「…そうだっけ?」
新約教徒も疑問に思って考える。
「はい、皆さん。その辺は新教の子だね。」
先生が検索しているメンバー辺りを指す。
「一度は旧約も完読するように。読んだことある?
旧約と新約はね。すっっっごく『違和感』があるんだ。
違和感があるのに、統一性がある。
その違和感と統一性に気が付いたら、朝スッキリ起きれるよ。」
違和感に気が付いたのにスッキリするわけがないが先生はお構いなしだ。
「聖典は全部別個の書物を集めたようで、実は全部繋がっている。
王の詩で、預言者の詩で、神はずっと末の子ライナル族たちを呼んでいたんだ。戻って来いと…。
でも彼らは戻っては来なかった…。彼らは自分たちの基盤を築いた国で、多神教で性を重んじない他の強国の女性を妻に迎えてしまったから、信仰を貫けなかったんだ。妻たちがどうかは書かれていないが、文化が違った。それは天の望むものではなかった。」
一神教以外が良しとされないのは、性を重んじないことと、人間が自然以上に崇高であることに気が付けないことも一つの理由である。
それに、一神教の神は、『神』の概念が全く違う。
一神教という言い方自体、本来は間違っている。
神は火や雷を落としたり、力や神力で不思議な力を見せる限定されたものではない。
形はあるが形はないのだ。
神は全ての人の根源に、根本に存在するものだ。
そして、『世界』として愛を基に具現化された全てに存在するのだ。
一神教の言う『神』は、全てのエネルギーであり、最も愛なるものであり、あなたであり私なのだ。
全ての核であり、全ての親であり、全ての対になるもの。
そして、意思と心を持っている。だから人間にも心があるのだ。
『似た者』なのだから。
神は、人間を愛し、人間の為に世界をつくったのだ。世界が人間のためにあるのである。
ただ、人は人類のスタートで自制を失ってしまったが。
道を外れた多くの宗教は、信者は知らなくとも、高位神官や王が性と贅沢をむさぼる典型でもあり、それを良しとしている。正道の宗教も道を外れれば、同じように霊性が後退する。
神は本来なら祭壇に人間の生き血を必要としない。死んだ豪族や王の為に、動物の神の為に、自分の生ける子を捧げる親が現代にいるだろうか。ただの淫乱に飢えた性も必要ともしない。
岩を砕き、動かすほどの特殊な力も付属品に過ぎない。
加えて神の本質はお金も宝石も必要としない。
神が最後にほしいのは、砕かれた、人そのものの心とその器だからだ。
自然全ては、神という名ではあるが、大いなるものの部分であるにすぎない。そして人間の部分でもあるのだ。
その小さな自然がどれほど大きなものかは、万物万象を愛することにおいてしか知ることができないという事に、まだまだ人類は気が付いていない。
「旧約時代の次に現れた旧教が、最初に清貧を綱領としたのはなぜだと思う?旧約時代には正統血統は大いに祝福され、色とりどりの宝石や多くの財産を有していただろ?」
旧教は正道教の前前時代である、神父やシスターのいた時代だ。
「はい!
それも旧約時代で存在価値を見誤って失ったから?だからシスターや神父は本来清貧で、着飾ることもなく色もない服を着ている…。物質を手放してしまったから、科学の意味を知ることもできなかった…。」
「そうだね。栄華を失ったんだよ。聖典歴史は。でも、それが人間の本質であるべきなんだ。」
「…。」
「本来は全てを正しく収めていかなければないらない。人はね。だから、新しい時代は清貧の心を持ちながら…」
「…また『色を取り戻していく』!?」
ファクトは叫んだ。
「そう!その土台の上で、また色彩を取り戻していく民族に、人々に、世界は受け継がれていくんだ。学生からこの答えが出たのは初めてだ!君、楽しいね!」
一部生徒が頷いている。
「なるほど。」
「?」
人間の我欲によって失われた色彩を、本来喜びの為に作られた万物の世界を、正しく納めるために一旦白い清貧の心を備えてから、もう一度取り戻していくのだ。
この意味が分かる者と分らない者がいた。
「科学の飛躍的発展、それはすごいことだなどというが、人類は実に遠回りをしてきたんだよ。たくさんの時と生命を失いながら…。」
切なそうに言った講師が少し手を合わせて祈ると、合わせた手を何かすくい取るように開いた。
見える者にはそこに金と白の光が見え、講師はそれ越しに一同を眺める。
「君たちももう少し訓練をすれば、変われるよ。先言った、この人類の始めとは反対のことを努力して行けばいいんだ。」
ファクトにはそこにオレンジと黄緑の光も加わるのが見える。
「神は君たちにたくさんの課題を残した。
でも、神は君たちに何も強制はしないしできない。人間だけが…この物質の世界で選択ができる、神の唯一の創造物なんだ。
未来を選ぶのは君たちだ。」




