14 あの山の麓で
「すげー。自宅にヒノキ風呂だよ。半露天風呂!」
汚い男の後に入りたくないと変なところで潔癖なファイに言われ、先にお風呂に浸かった女性陣の後に続く。
「でも、キファなら響さんの後風呂、鼻血出して喜んでそう。」
「え?ヤダ何その変態。後風呂もやめて。第一響さんは入ってないよ。」
ジェイの余計な一言に引きまくる全員と、いないのに変態認定されるかわいそうなキファである。
「別のお風呂やシャワーもあるから。男の人には言ってなかったよね?」
そんな会話を知らない響が、男性陣にもアメニティーを持ってきた。
「大風呂のお湯は循環させていますから、よろしかったらまたお浸かり下さいね。」
おばさんもカゴに服など抱えてくる。
この別宅は香道のお弟子さんや知り合い、大切なお客様も泊まりに来ることがあるらしく、新品の下着や靴下、Tシャツなども備えてあり、来客用のバスローブやガウンもあった。
その後、座敷の1つに、御前が並べられる。
美しく並んだ前菜。そのまま食べられるレベルの和牛。刺身の盛り合わせ。ウニと蟹のグラタン。
もう旅館である。
「ごめんなさいね。私1人では準備しきれなくて知り合いの料亭でお願いしたんだけど、向こうもてんやわんやで、お手伝いまでさせちゃって。」
こんな山奥にいきなり6人も押しかけたのだから仕方ない。
「中華と和食で迷ったけど、私が和食をお願いしたの。よかった?好みがそれぞれあるだろうから、少し洋物も入れてって言っておいたから。」
シンシーが何気なく言っている。
「ものすごく高そうな肉だ…。」
「あの、私たちこんなにお代を…。」
「大丈夫ですわ。旦那様のご馳走です。お嬢様を心配して遠方から来てくださったのですから、最上のおもてなしをしろと言われまして!何も気にせず召し上がってください。」
山根のおばさんがニッコリ笑う。
「本当はコースなのに、一気に出してしまってごめんなさい。」
「好きなものから食べられるし、全然かまわないです!」
響だけこの1週間まともに食べていなかったので、肉そぼろの肉鬆や黒酢などかけて中華粥を食べている。幾つかの漬物もあって、コリコリ噛んでいた。
服は先の長Tとグレーのスエットのままだが、髪の毛だけはチキンと梳いて一つに縛っている。正直かわいい。
「好きにお代わりしてくださいね。ここの炊き込みご飯は評判なんです。」
「うまいっす!」
値段もヤバそうな肉を遠慮なく食べるのは、前髪をクリップで上げたファクト。ジェイは気が気でない。
「いいよ。いくらでも食べて。お肉とスイーツは余分に頼んでるから。」
少し気持ちが戻って来た響がみんなに言った。
しかし気になる。
明らかに、響とタラゼドの距離感がおかしい。最後に来たタラゼドと、一応お客様であるみんなの後に下座に座った響。響が不自然に離れている。
響はタラゼドと反対側の机の脚ギリギリまで身を寄せて、正座までして食べている。
「響さん。身内だけなんだし足崩しなよ…。」
「はい…。」
と言って崩さない。道場にでも通っていないと正座などしない下町ズは、見ているだけで大変に見える。
先に座った上座側にいるシンシーが隣のファイに話しかける。
「ねえ、なんなん?あの男?」
「友達だよ。」
「…あー!!響の研究室の入口で話してた男ね!!」
小声だが、顔が怖い。ベガスは長身、目で人が殺せそうタイプがそれなりにいるので、始め気が付かなかったシンシー。
「先生、最初に会った時より顔色よくなってよかった!」
リーブラが嬉しそうだ。
「なんか食べたい?」
こんなにご馳走があるのにお粥だけの響がかわいそうでファイが聞いてみる。
「ううん。いい。」
「これなら食べれるだろ。」
タラゼドが響のところに、海鮮のゼリー寄せをあげると、分かりやすく赤くなる。
ついでにデザートの果物とババロアもあげるというと、いいと言って譲り合っている。
皆さん、何かあったと悟る。
「ああ゛?」
怒りで乗り出しそうなシンシーを押さえる女子2人。
響はゼリーの中のエビと枝豆をフォークで潰して口に入れ、背筋を伸ばしたままモグモグしている。
と、タラゼドが立膝のまま少し笑った。
「は?!!!」
驚愕のファイとファクト。ファイに至っては10数年の付き合いがあるが、タラゼドがこんな日常で笑うことはほぼ見たことがない。顔だけ見れば、人生めんどくさそうに生きている男だ。話し掛ければ話すが、基本不愛想なのである。ファクトですら笑わせたことがあまりないのだ。
はい、これは何かありました。
一同、心が一致するが、詳細は分からない。
そして響がなぜかお別れの挨拶を始めた。
もう、みんな思考が飛びまくりである。
なんか接近した?と思ったら、お別れの辞である。
「あの、みなさん。本日は遠いところからお越しくださり、送別会まで開いてくださってありがとうございます…。」
「送別会?この前の?」
リーブラの結婚祝いを兼ねた研究室の飲み会の話かと思う。
「違う!今日のこと!」
「…。」
全員意味が分からない。開いてくださったって、響のおじい様のご馳走である。
「私はアンタレスに来て、初めてこんなにたくさんの知り合いができました。揉まれて人として少し成長したと思います、感謝です。」
「…はあ。」
それ以外言う事がない。何だその挨拶。
「私の力不足でいろいろダメにしましたが、できる限りの誠意は残していきたいです。」
事業に失敗した企業重役か、それとも謝罪会見なのか。
「漢方薬剤師をいう資格を取れましたので、今後は地道に西アジアのどこかで働こうと思います。」
ペコっとまた頭を下げる。
「皆様、今まで本当にありがとうございました。」
「……………。」
は?
みんな「は?」だ。何なんだ?何を言っているのだ。
「え~!響、こっちに戻ってくるの~?!!」
シンシー姉さんだけは笑顔で大興奮。
「蛍惑もさよならです。」
しかし、一瞬で落とす。
「…え?」
「さようなら!!そしてファイト!次なる人生!」
「え?!!!!」
シンシーの義弟リーオに会えそうな場所にも、家族の近くにもいたくない。西アジアは広いのだ。都市もいっぱいある。ここにいる必要はない。
「え?なんで?!響?結婚は?」
「まだしません!モテ期の残りカスでもいいので、もう少し後にします。」
「残りカスもなくなったらどうするの?!」
堂々とした響と泣きそうなシンシー、どっちにツッコんでいいのか分からないファクト。
ファイも泣きそうになってしまうので響が慌てる。
「ファイのせいじゃないってば。私、今、節目なの。変わるの。」
「そうじゃないよ!響さんは私といたくないの?」
「デバイスのある時代だよ。いつでも話せるよ。」
「それとこれとは全然違う!シンシー姉さんだって、いつでも話せるのに、響さんに近くにいてほしいって思ってるのに!全然違うよ…。」
「ファイ……」
女子たちはまだサイコスがなくなった話は知らない。ファクトとしては、少しベガスから身を離すのもありだと思う。心の整理もいるだろう。
「…響さん。」
その時、タラゼドが響の片手を掴んだ。
「一緒に帰ろう。ベガスに。」
「………。」
固まってしまう響…だけでなく全員。
「ひいいいいぃぃっっ!!!」
赤面…にもならず怯える響。むしろ青い。
「帰りません!もう帰れません!!!」
全面否定で、さらにあれこれ口走りやっぱり赤くなる。
「あれを言った後は去る予定だったんです!!」
「あれ?」
一同、何のことか分からない。先の謝罪会見か。
「あの事?」
タラゼドが、ああ!という感じで答える。
「『あの事』??」
「やめて!言わないで!!あれは私の中の締めだったの!!その先はないから!!!」
慌ててタラゼドの口を押えようとするが、どうしたらいいのか分からないので、近くにあった座布団でタラゼドを抑え込む。
「うぐっ!」
そう。響はもう、本気で「ベガスさようなら」のつもりだったのだ。
言って満足。その後などないのだ。
付き合うなんて想像すらできないのである。ここで綺麗に幕引き。気持ちを言ってさっぱりおしまい。
「もう先生!食事中だよ!埃が飛ぶよ!!こぼすよ!」
警察署の出来事を知るファクトとリーブラは、それ関連か?と予想を立てる。
「警察署の続き?」
「…っ!」
「終わり!おしまい!全部終了!!」
ファクトにも怒る。
「もういい!これ以上言わないで!!これ以上は本当にないから!私の中では全部終了なの!!」
一連の流れを一貫して冷めた目で見ているジェイであった。
この後、話の本筋は何もなし。
男女部屋を別れて布団を広げて寝る。
シンシーは、こんな旅行みたいなの学生ぶりだと喜んでいる。響は初めは自室で寝ると言っていたが結局みんなと座敷に。酒も飲んでいないのに、なぜか半泣きのシンシーとファイの愚痴を聞くことになってしまった。
響はそっとファイの体を包み込む。
「ファイ、ごめんね。」
「…私こそごめんね。私も…変えられる部分は変えていくから。」
「無理しないで…。」
「響さんこそ、いなくならないで………」
そして、サイコスがなくなったことはきちんとみんなに話した。シンシーはサイコスについては大枠だけは知っている。以前アンタレスで別れる前日に、ホテルできちんと話し合ったからだ。
男部屋の方は、ファクトがデバイスで「響さんの家に旅行に来た!風呂最高!!布団とか極上。」と、他の男子を煽って、タラゼドに叩かれていた。シフトで来れなかったラムダと話していたら、周りが乱入してきただけだが。
ラムダは『僧兵の蛍惑』に一度は行きたかったらしく悔しがっていた。
その翌朝。簡単な和食が用意される。
「みなさん、ごめんなさいね。また片付けまで。」
お金を払って泊ったわけでもなく、突然来た大人数。食器などは自分たちで下げ、シーツやまくらカバーなども外しておく。響の実家に持っていくつもりだった手土産は響と山根のご夫妻に渡しておいた。藤湾の農業科で作ったハムとジャム。それからティガの工場の、肉に漬け込む調味料と醤油2升。醤油1瓶と他数個、シンシーにもあげた。
敷地の奥にはお茶や香道をする西アジアの小さな建物もあり、山に掛かる庭がある。半分は野生のままだ。
午前11時ごろまでは、庭園内や近所を見学した。
「先生本当に一緒に帰らないの?」
「うん。」
「ここにお兄様たちが来たらどうするの?」
「逃げる。」
「……どこに?」
「響、ウチに来なよ。」
嬉しそうなシンシー。
「旦那様や義家族のいる家には泊まれません。」
「部屋が余ってるから大丈夫だよ!」
と言いながら、シンシーも帰らない。もう1日、響と一緒にいたいらしい。
そしてシンシーは優しく、ファイを抱く。
「ファイ、連絡をくれて、いろいろ話してくれてありがとうね。」
響とのことを説明するのに、結局自分のことも話さざる負えなかった。それに、シンシーには知っていてほしかった。前に何でも話して、頼りにしてほしいと言ってくれたから。
「うん。」
「またいつでも連絡を頂戴。」
ギュッと抱き合う。
そして、響は花嫁姿を見れなくてごめんねと、リーブラとジェイに高級な食用オリーブオイルなどの詰め合わせをプレゼントする。シンシーは昨日の料亭の肉や伊勢エビなど。そして少しのお金も贈る。少しというのはアーツや南海の仲間内では、出産や結婚する人が多すぎて、祝儀にしても会費として3千円以内と決めているからだ。
「おめでとう。もしかして2人の初旅行が団体旅行になっちゃった?」
「いいよ。楽しかった。先生こそ早くご飯をちゃんと食べられるようになってね。」
山根ご夫妻にお礼をいい、車に乗り込む。
「響さん帰ろうよ。」
ファクトがもう一度言っておく。
「うん、その内荷物の整理にいくよ。」
「…タラゼド、なんか言う事ない?」
「響さん。またね。」
「………。」
響はむっつりして無視である。
「…。」
端で聞いているファイが変な顔をしていたのをリーブラが見つける。
「ファイ、何で不貞腐れてんの?」
「なんか悔しい。タラゼドは、相手が行く道を決めたらあれこれ言うタイプじゃないのに。子供の時からのタラゼドを響さんに取られて、クールかわいい私の響さんをタラゼドに取られた…。」
「響さん否定してんでしょ。」
ジェイとしては、なんだこの曖昧さと、少し煮え切らない思いになる。
何はともあれ、一同はまた170キロでアンタレスに戻って行くのであった。




