12 私はどこに?
おじい様の邸宅の時間は静かに流れる。
慌ただしいベガスとは何もかもが違う。
両手を握ってくれているシンシーに、響は静かに言った。
「ファクトとタラゼドさんと少しお話がしたいの。」
「タラゼド?」
「あのデカい人。」
リーブラが教える。響が話したいことは、DPサイコスのことかファイのことか。
「分かった。シンシー姉さん、ファイ。一旦ウチらは引こ。」
リーブラは2人を下がらせて、すぐそこの座敷に落ち着く。
おばさんが座敷の4人にアイスティーとお菓子を出してくれた。こっちはこっちで話が始まる。
「さあ、ファイ。話してもらおうか。」
リーブラとシンシーが迫る。
「う、ううっ…。」
泣きそうなファイに、ジェイが気を利かせた。
「あ、なら俺は少し散歩して来るわ…。」
どっちにも混ざれないジェイは、お茶だけ持って外に出ることにした。
一方、中庭は、端に置いてあった布張りの美しい椅子にファクトとタラゼドが座り、響は先の寝椅子に姿勢を正して座った。
「私…私………」
2人は響が話せるまで待つ。
「サイコスがなくなったんです。」
「………」
しばらく反応できない。
「…。」
「サイコスが…なくなりました。」
「え?マジ?」
やっと反応するファクト。
「…。」
何も言わないタラゼド。
「力が消えてしまいました…。」
「…………」
「マッチ1本分も残っていません…………」
「…そうなんだ。それは大変だったね。」
本当に気の利いたことを言えない男ども。
「誰かに言った?」
「デネブ牧師しか…。なので多分エリス総長には伝わっていると思います。」
「それで落ち込んでたの?」
「…だって、たくさんの研究や責任を放棄することになるから……。研究室だって閉めたのに…、他のも全部中途半端で………」
「でもインターン始まるんでしょ?帰らないと。」
「倉鍵の病院も、多分私にサイコスなり霊性なりがあることでスカウトを受けたから、もうそこには行けない………」
「病院でサイコスがいるの?響さんなら他の病院でも大丈夫だよ。」
あの病院で、押しに押されて医師免許まで取ることに決めたのだ。インターン継続でなければ研究室は閉めなかった。簡単にそれを説明する。
「ベガスだって、サイコスを見込まれてチコに呼ばれたの。もう用無しだから…。」
「………」
サイコスがなくなったから「用無し」という極論に頭が追い付かない。確かに研究室を閉めてしまってすぐに復帰という訳にもいかないし、でもそれイコール、チコが用無しと片付けるようにも思えない。というか、しないだろう。
「え?響さん。力がなくなったことがショックなの?それで用無しになったことがショックなの?」
言葉選びの下手な男子との会話であるが、響は淡々と答える。
「たくさんの人と仕事をしていて、それで今さら力がなくなったなんて。」
「それに…。やっぱり私は出来損ないだった…。何をやってもダメなんだ……。」
「……え?」
唖然としてしまう。普通自分の事をここまで出来損ないなんて言わない。
しかも響はサイコスがなくても、研究室と並行で薬剤師試験に受かったのだ。それだけでいくらでも職があるだろう。響が出来損ないなら、下町ズはどうすればいいのだ。
「私、アーツに出禁を食らってたのに、出入りもしたからファイを傷付けたんだし…。アーツからも大学からも離れたい……」
「………」
「コンビニや公園で絡んできたあの大房の人たちをアーツに受け入れて…。会わないようにすれば大丈夫と思ってた…。」
「…。」
力がなくなったのと、その時が重なったから、ファイが自身を責めないか心配したのだろうとタラゼドは理解した。
ファクトは、ファイとあの男の間に何の関りがあったのかよく知らないが、おそらく男性絡みの話は、響は自分のせいだと思っている。大学でもやたら人が集まる研究室、モテる響を良く思っていない声はそこでもあったのだ。よく男性と食事に行く姿も目撃されている。
ずばり、タラゼドやファクトの事だ。
アンド、ラムダやリゲル。週1、2回の飯仲間たち。ファイやリーブラ、ライたちもいるし、総合すると女性との方が食事をしているのだが、色眼鏡が掛かっているせいか、傍から見るとどうしても男性ばかりが目に入ってしまうようだった。内実は妄想オタクチームなのだが、知らない人からすればそうは見えなかったらしい。
「響さん。アーツの話はさ。キファとウヌクたちが悪いんだから。」
注意されてもみんなの前でナンパする奴らが悪い。
「…私はベガスに来て疲れた…。自分の思いとは違う方に人生が流れていく…。もう一人で生きたい………」
教授や世界的バレエダンサーに見初められて、万々歳な人生だと思うのだが、虫を観察し薬草を育てて一人の世界に生きてきた響にとってはコントロールできない重荷であった。初めて関わった積極的な男性たちとの距離感が分からない。
向こうが詰めてくるので、コントロールできるはずがないのだが。
ただ、付き合ってみると分かるのだが、響の本質は非常に男っぽい。
理系、自然科学も好き。警備がいっぱいいるのに、自分でもハーネスやショートショックを習得する。守られるより守りたい。暴漢がいれば、そばにいる人を守ろうと自然に前に出る。性格はこんなんだが、物事にあまり執着しない。多少嫌なことを言われても悪く思わない。
そう、チコやムギと同じタイプなのだ。つまり、男性としても男友達と同じ枠として付き合いやすい。
「また大陸巡りしようかな…。」
「え?サイコスがない状態で、女性一人旅は危ないよ。」
「あってもだめだろ。」
「いいよ。いい場所を見付けたらどっかにしばらく落ち着けばいい。」
「蛍惑で休んだらいいよ。」
「…………お兄様にここが見付かったらあれこれ言われる…。」
そうだ。まだあのお兄様がいた。
しかも、お姉様、お母様、お父様もいて、響を甘やかしていたのは父方ではおじい様だけらしい。何かある度に、響はおじい様の元に逃げて来たのだ。ここもおじい様の別荘。
「精神的なものなら、サイコスも戻るかもしれないし。」
ファクトとタラゼドは、サイコス消滅の理由が疲れと混乱が原因な気がしてきた。子供の頃から積まれた、家族からのプレッシャーもあるだろう。上2人の出来がよかったのなら、グレるわけでもない自由な末っ子は放っておけばよかったのに、必要以上に構ってきたのだ。お兄様と一晩飲んだタラゼドは、今となっては親心がねじれただけどと知っているが、それはすぐには伝わらないだろう。
「事例では、戻らないこともあるって…。」
「でも、サイコスの知識自体はあるわけだし、なくなったらなくなったでそれも研究対象になるだろうし。急に必要なくなることなんてないよ。」
「…。」
響はだるそうに、ぼさぼさの髪を掻き揚げる。
「いい。私は一人で生きたい…。後で不要になるくらいなら、もうがんばらない。研究室も頑張ったのに失った意味がなくなった。もう、時長にも行けない。
……生まれて初めて家族に真っ向から楯突いた結果がこれで、…笑えない。」
寝椅子に丸くなって伏せてしまった。
「…………」
しばらく放置した方がいいのだろう。でも、この状態で一人旅をされても困る。
「響さん、少し休みな。俺ジェイ見てくる。ロディアさんも心配してたから、電話だけしてくるね。」
そう言ってファクトは席を立った。タラゼドも立ち上がるが、シンシーたちの話が終わるまで見ててあげてとファクトに言われたので、近くのテーブルに置いてあった大きなひざ掛けを掛けてあげる。
「…はあ…。」
そんなことがあっても、変な気を起こさないでいてよかったと安心する。考えてみれば、SR社や国、軍が必死になって確保したい力。こんな能力をなくしてしまえば、絶望する人間もいるだろう。でも、響は違うところでもがいていた。
しばらく窓側にある机でデバイスを見ていると、響が起き上がり、椅子のサイドにあったポケットティッシュを出してチンと鼻をかんで、寝椅子の横に置く。それからまた寝ようとして気が付く。
「………」
「うわ!」
タラゼドが見ていたのだ。




