100 私の荒野
「皆さんの今の位置はどこでしょうか。
何のためにこの偏差値の高い学校に来ましたか?先挨拶したように、今日は牧師としてお話ししましょう。」
サダルメリクが、ファクトたちが回った進学校の大講堂でスピーチをする。
その説教は、驚くほど面白くないものであった。
「聖典が旧約を手放し、途中から新約になった理由を知っていますか?
我々ユラスは、ヴェネレと共に旧約からの歴史を歩んできましたが、神が自分たちの王を自分たちのために送ってくれると思っていたのです。自分たちも王の一族になるのだと。
でも、違います。
神の選民とは…、神は他者のために自身を与える人を待っていたのです。」
数百人の生徒たちがじっと聞いている。
「ここには親が立派な職業の人も多いでしょう。天才や秀才と言われるレベルの人もちらほらいるようです。でも…聖典の言葉を知っていますね。彼らは神の宴がどこで行われているか、気が付くことができませんでした。」
ファクトは話を聞いている高校生たちを2階のギャラリーから見ている。
サダルメリク博士が講演に来るという事で、期待あふれるたくさんの浮き立った気をファクトは感じていた。おそらく、自分がスカウトされたい、されるのでは?という思いがあったのだろう。どこかの研究所などに推薦してもらえるのでは…と。
でもサダルは全くおもしろくない話をする。これでは本当に日曜牧師の説教だ。
「もし皆さんに…例えば…量子コンピューターの、それからさらに次の世代を迎えられるような世界を作ることができたとしても、生物の全てを解明したとしても……
それだけでは何の意味もありません。その偉業を果たしたとしても、それだけでは意味がないのです。」
「………。」
「地球や世界を握ることのできるような力を得たとしても、最強の能力で前人未到の強さを得たとしても………
『愛がないならば全ては無である………』
というのは聞いたことがあるでしょう。」
「………」
「アジアとユラスの山脈を消し去るほどの力を得ても、空間のねじれをコントロールすることができるようになっても、それ自体には何の意味もないのです。」
一部の学生たちが拍子抜けをした顔をしている。
「では何かというと、『神の愛』です。
人類はよくヒューマニズムを語りますが、私はヒューマニズムから物事は起こしません。それによって種火を付けることさえできないでしょう。
人の愛は変わってしまうものです。ヒューマニズムはすぐに限界を迎えるます。我々は過去でそれを学んでいるはずです。怒り、紊乱、性欲、憎しみ、殺意、嫉妬……。それらを越えられる力は人間の中にはありません。神の神性と愛にしかないのです。
ではなぜ、これまで神に関わる者たちですら、みっともなく生きてきたのでしょうか。」
聖職者たちの自堕落や自己判断が、無神論を作り、拡大させてきたともいえる。
「それは本当の愛を知らなかったか、『自分の愛』で生きてきたからです。
そして、『罪の意味』も知らなかった。
罪は他者の内でなく、あなた自身があなた自身の内性において見付け、乗り越えるものです。
世の道理は違いますが、高次な世界はそれを必要としています。
彼らは、あふれてあふれて、もう受け止められないほどの……
深い愛の体験をしたことがなかったのでしょう。もし、そういうものを一度でも体験していれば、人生は完全に転換します。
残念なことに、なかなか世界観が動かないこの世界では、我々はしばしそれを忘れてしまうこともありますが………
ただ、何かが変わることは確かです。」
サダルは何か思い出すように過去に向かって言う。
「どんなに立派なエクレシアを建てようと…どんなに謙虚であろうと、そこに排他主や欺瞞があるならば、それは歴史を乗り越えることができません。
歴史や国境が民族で分けられてきたのは、堕落の名残がある時代までです。今もそれが世に焦げ付いていますが、同時に新しい世界も芽吹いています。その気運を知らなければなりません。」
その運気は、意固地になっていたり呆けていれば、あっという間に訪れ、自分の傍らを過ぎていく。
一時代を逃せば、またしばらく凝り固まった世界に身を落とすであろう。
「科学技術において、人為的被害のセキュリティーや匿名が必要なのも今の時代までです。
あなた方は今の常識を全てひっくり返される時が来るでしょう。
本来それは全て、今の世界を切り抜ける方便でしかありません。神の青写真には無かった手間です。頭のいい大半の人間が変わるまでは、我々はその手間を生命線のように求めて、遠回りの人類歴史を描いていくのです。
本来は要らないものです。
今それが要らないの世界が実現していなくても、私たちはそれに向かって歩いていきます。
なので、防衛や技術の革新と共に次の世界を準備しなければなりません。時代は分かるようには切り替わりません。時代が完全に切り替わった時に変わる者は、追随者であり時代ごとに時勢に流される者です。先駆けて次の世界を知る事は、知識だけでなく謙虚さと柔和さが必要です。
今いる世界に固執している多くの人々にとって、最も難しいことでしょう。」
今の世の常とされることは、通過点でしかない。
悪い物もよい物も、本来のエデンに戻っていく時に、これまでの人類にとって全く新しい真理に全て覆われる。
天の真意を理解した時に、人はそれを見るであろう。
「これらの、山が大きければ大きいほど、反動も大きくなります。
世に何が起こっているかは、一旦問題でもありません。あなた自身を見るのです。神は他者を必要としていません。あなたただ一人と向き合いたいのです。
その反動の行きついたところが、前時代と新時代変わり目の革命でした。
でも、まだ、全てが洗い切れてはいません。これは人類の課題です。
自分が行動を起こす時、動機が自分の根底にあるものが、不満や反発、怨みではないか、それだけは確かめてください。」
ファクトはリゲルと上から眺めながら、フロアの生徒たちの様々な気を感じていた。ファクトは元々霊性における聴覚能力があったが、ベガスでトレーニングして『気』を感じたり読み取る能力も発展していた。
サダルの話を熱心に聞いている生徒もいれば、完全に小馬鹿にして聞いている者もいる。とくに、頭のいい生徒であればある程、この学校では後者の傾向があった。
多分サダルもそれは分かっているだろう。でも、敢えて難しい話はしない。
「この学校には…優れた頭脳の生徒たちがたくさんいますね。経済的にも恵まれたものが多いでしょう。高校全体が一般大学のレベルを超えています。プレイシアもたくさんいます。」
プレイシアは、標準教育を越える能力の持ち主だ。
「その能力は先人たちの努力の積み重ねであなたに譲り渡されたものです。
その蓄積がたまたま、あなたに集結したのです。でも、それは一部でしかありません。能力や位置を自分の物だとは思わずに、感謝と謙虚でこれからも努力してください。
誰かしら、あなたの代わりに、あなた方の負債を負って生まれて来た者たちもいるのです。」
ここと対極のスラム河漢は、生まれたことさえ認識されずに消えていく命がたくさんあって、大房民でも驚く状況だった。




