クッ殺さん緊密な関係と苗床をまぜこぜにする
チュンチュン小鳥が騒がしい。
斜めに射し込む朝日の、薄く尖った感触から逃げるように身をよじって、はらりとシーツが肌を滑り落ちた。無防備すぎる恰好を、溜息混じりで掛け布団をバサリと隠す。しばらくモゾモゾ動いていたが……
ポン! と、頭だけ出てきた。
恐怖で凍り付いた顔。
小刻みに震える、唇。
「これは……?」
「そうじゃない」
小首を傾げた。
「どうしたことだ?」
「なんにもしてない」
モゾモゾの理由は想像がついた。
自分が素っ裸なら、普通は驚く。
それが男の部屋で、ベッドの上なら、驚愕だろう。
「ホームシックで、ギャン泣きしたまま寝落ちして、今に至る」
「してない! ……ギャン泣きなどしていない」
「今更、気丈に振る舞ってどうする」
「なんたる失態だ」
「卓袱台のこと?」
「そうではない! ……これも失態だが」
今朝の受け身も見事だった。
朝の鍛練が終わり、一緒に朝食をとっていたクッコロさんは、生姜焼きを咥えたまま、卓袱台に深々と刻まれた2本目の傷を指でなぞった。
いじけてるなぁ。
「いいだろ、一回も二回も、同じだろ?」
「それを今晩言わせるつもりだったのに」
「どれ?」
「その……一回も二回も同じ」
昨夜、なにか計画があった?
今夜は2度目の予定だった。
目をそらしたまま生姜焼きをモソモソ咀嚼している。
いつも色白すぎるほどの顔が紅潮して、耳まで赤い。
一回も二回も同じ。
まさとは思うが……
「婚前交渉を狙ってたのか?」
「失敬な、苗床と言ってくれ」
「オレ、そこまでモンスターじゃないぞ」
「まずは既成事実と思ったが」
思わず天井を仰ぎ見る。
「あのなぁ」
「なんだ?」
「そんなに焦ってどうする。転移魔法の出口が東雲公園に固定されている現状で、御両親に挨拶して認められ入籍してから出社して、実は結婚でした、おめでとう。そんな御都合主義の超展開にはならないぞ?」
「……すまなかった」
いじけてるなぁ。
なんで襲われる計画が失敗して、説教されてるんだ?
あんまりこういうクッ殺女騎士様は見たことがない。
さすがだ、クッコロさん。
「そう気落ちするな……ん?」
玄関チャイムが、「ピンポ~ン♪」と鳴った。
すっと立ち上がり「ここは任せろ」と言った。
宅配の荷物を受け取り、上機嫌で戻ってくる。
「平民の服が届いた。これで敵の目をあざむく」
「でもその段ボール、昨日と同じショップだな」
「こちらが、本命だ」
「そのメイド服は?」
「こうした格好、男性は好きだろう?」
そんなことを真顔で聞かれても困る。
一般論は「好きだろ?」知らないが。
「オレは好きだけど」
「開けてみてもいいか?」
「クッコロさんのだから」
帰る帰ると大泣きしながらハーフプレートメイルを引っ張り出してきて、全裸になったあたりで電池が切れた。ベッドに突っ伏してグーグー寝ていたので、適当に布団をかけた。
こちらは床で横になった。
なかなか寝付けなかった。
体もあちこち痛くなった。
でも。
ホームシックも当然か。
突然、異世界だもんな。
「おぉ、これぞ平民の服!」
こうして新しい服に喜んでいると、ただの女の子だ。
……ん?
「あっ そ れ の こ と !? 」
「こちらで、よく見かけた」
生姜焼きをつまんだ箸が、卓袱台にカタリと落ちた。
・
・
・
.
.
クッコロさんの観察眼は鋭かった。
東雲公園への道すがら、この年頃の少女は、この服装。
精々背伸びして、髪を染めてる子が混じってることも。
クッコロさんは「変装は完璧だ!」見比べて自信満々。
「それ、どこの学校の制服なんだろ」
だからこそオレの社会的地位をおびやかしているのだ。
プラチナブロンドに緋色の瞳、完璧すぎる容姿。同じ服装になったことで顕著に違いが表れて異世界の住人とバレバレになったように思う。そのうえ他の生徒とは逆方向に向かって歩いていくのだから、物凄く悪目立ちしていた。
「校則違反なんだろうな」
「誰が拘束されるのだ?」
「そうだな、遠からずオレは国家権力に拘束されるのか」
同棲3日目にして将来を悲観した。
寂しくブランコを揺らす冴えないサラリーマン(現在、忌引き休暇中)の隣で、ブレザー姿のクッコロさんは、水筒からトポトポお茶を注ぎ「まぁ。一杯飲め」と差し出してきた。
「ん、ありがと」
「なんのなんの」
「あったかいな」
まずは一口、そう思った瞬間、それは起きた――――
目の前に発光現象、すでに見慣れた転移魔法陣の術式。
咄嗟に隣を見る。
クッコロさんに「ぽか~ぁん」と擬音が浮かんでいる。
ちっとも光ってない。
……じゃあ誰が?
「 「 誰かが転移魔法を起動した? 」 」
1人の青年が飛び出してきた。
グッタリ脱力した女性を、ブラブラ小脇に抱えている。
空間にぽっかり口を開けた穴に向かって「あばよ!」と叫び右手の短刀を一振りすると転移魔法陣を切り裂いた、それが霧散して空間のズレが収束していく様子を半笑いで見届けてから、ホッと一息ついて「危なかった」と呟いた。
見た目は二十歳ぐらい、そしてイケメン。
ただし顔色は青白く、唇は青紫色だった。
厳寒地から転移してきたというよりは……
ん……なんだ?
キョロキョロ、周囲を見回している。
こっちに向かって全力で走ってきた。
「おい! ここは、もしかして――」
「ここは東雲公園だ」
「日本なんだな?!」
「 「 そうだけど 」 」
青年は、乱暴に左腕の包帯を噛み千切って、振り解いた。
左手首を右手でギュッと握って、祈るように瞼を閉じる。
そして……深い、深い溜息を吐き出した。
「ダメだ、動いてねぇや」
「動いてない。なにが?」
「見てわからねぇのか? 心臓だよ!」
わからない。
「ひどく体調が悪そうだけどゾンビなのかな?」
「心臓が停まっているのなら、屍体なのだろう」
「ゾンビなんて、気安く呼ぶのはよしてくれ!」
「なんとお呼びすれば?」
青年は『 刃 渡 屍 狼 』と、砂場に書いた。
「我が名はシロウ。ハワタリ、シロウ――」
「で、本名は?」
「ヤマダタカシ」
自分の名前が嫌いなのか。
そういう人って結構いる。
転移魔法を使い、東雲公園へやってきた。
新たな異世界からの来訪者と思ったけど。
Tシャツ・Gパンに、単車乗りが好む黒のレザージャケット。
どれもダメージ加工にしてはワイルドすぎるほど破れている。
苦労人なのか長めの髪は若いのに総白髪。
でもジーンズは見覚えのあるメーカー製。
どうやら日本人のようだ。
「自転車をカッ飛ばしてよ、まともにトラックと正面衝突だぜ? 気付いた時にゃお決まりの、異世界転移ってヤツさ!」
「お約束だな、体験談は初めて聞いたけど」
「初耳だぞ? そんな決まりはないだろう」
「それクッコロさんが言うかなぁ」
「それもそうだな、すまなかった」
屍狼さんはポケットから取り出した干し肉を犬歯で食い千切ってから「別にさ、食わなくても死なないんだけどよォ」と苦笑いした。ゾンビは大抵、人間を噛む。噛み付いてこなかったので安心したが、空腹感はあるらしい。
「ただな! 少々問題があったがよォ」
「大抵なにか問題がある。テンプレだ」
「異世界転移以上の問題があるのか?」
ライダースジャケットの前裾を開いて、左胸を見せてきた。
「俺の心臓は、止まっちまったのさ!」
それは、トラックに正面衝突したからだろ――。
大抵の場合、異世界転移テンプレでは神様的な存在に出会って異世界へ行くが、どうやら単純に事故って転移したから、死んだ状態で到着したようだ。
「寺院の地下室で目覚めた、アンデッドってやつさ。丁度、盗みに入ってた泥棒猫が縫い合わせたから、今はこうして五体満足になって動けるってわけだ」
マフラーを外してから、親指で首を指し示した。
ぬいぐるみのように、横一文字に縫い目がある。
ペロンとTシャツをめくると、つぎはぎだらけ。
言われてみれば手足も包帯だらけだ……。
「バラバラだったのかー!?」
「心停止以前の問題だろうに」
異世界に行って、戻ってきただけのことはある。
感覚が浮世離れしている。
「ん? 泥棒猫、そこで新キャラの登場か」
「そこの猫獣人、タカシの連れなのだな?」
「コイツ? ペットのキナコ」
「キナコとはアストラットでは珍しい名だ」
「 バ リ バ リ の 日 本 語 名 だ な ?! 」
革グローブに革ブーツ。柄入りの短すぎるマントをかろうじて羽織っているが、布を何枚か巻き付けて、乳と下半身を覆っているだけ。露出が激しい。
猫の目、シッポ。
他はただの人間。
猫要素が少ない、少なすぎる。
ネコミミすらないのに猫獣人。
色鮮やかな、だいだい色の髪。
「しぃろ~ぉ!」
「刃渡様と呼べ」
「しろしろ~ぉ」
「ったく、何度言っても覚えねぇし。身軽な猫獣人はシーフが多かった。キナコも盗賊団のメンバーだったらしいがな? なんせコイツ、残念頭で不器用だからよ。失敗続きで、追放されたんだとさ」
「 「 追放された? 」 」
「仕方がねぇから命の恩人を俺様が拾ってやったんだ」
「 「 拾った……? 」 」
「しろぉ、だ~いしゅき♡」
「うっせえ、アッチ行け!」
口では邪険にしているが、まんざらでもないようだ。
おっぱいに顔を埋めたままで説明し、抵抗はしない。
「しっかし……まいったな」
「まだ、なにか問題がある」
「こうして戻ったはいいが、身分証明がな。まず、家が無ぇだろ?」
「今日もハンカチ少女は来ないみたい」
「あ、ああ。どうやら、そのようだな」
「そろそろ部屋に戻ろうか」
「よし、帰投するとしよう」
5時過ぎになった。
夕焼けが、綺麗だ。
「ひとつ聞いてもいいか?」
「どうした、クッコロさん」
「何故そんなに鍵をジャラジャラ持っているんだ?」
「両親を早くに亡くして、アパートは残ってたから」
両親も、交通事故だった。
異世界には行かなかった。
小松家の墓に、埋葬した。
「空き部屋があったのか?」
「うん。 ……あったけど」
空き部屋は、今日から盗賊のアジトになった。