クッ殺さん早朝から異世界流基本教練を始める
とても広いとは言えない「えい!」江戸間8畳ワンルームで女騎士が毎朝日課にしている鍛練が終わるのを「えい!」待っている。
異世界のトレーニングメニュー「えい!」も、あまりこちらの世界と「えい!」変わらないらしく、もっと魔法で「ふぇっ」なにかをするとか夢のある「ひゃぁ」ものを期待していたけれど、そういう内容はないようだ。
さっきまで細っこい足首を押さえて「ぴぇぃ」腹筋を手伝っていた。
その次は「ん、ぃっ」腕立て伏せだ。
「ぇ ぇぃ」
これ、素振りなのかなぁ。
なんにせよハーフプレートメイルのあちこちから零れた素肌は汗だくになって、最後の一撃はヘッピリ腰でスイカも割れないほど残念な高さだった。彼女にとって相当ハードな内容なのだろう。
そう……彼女に限っては。
「今日の特訓は終わった?」
「くっ、まだだ! 目標は素振り10回」
「レイピアとかにしたら?」
「あれは重くて、バランスが悪いからな」
「その両手剣より重いの?」
「持ち上がらなかったのだ」
ピシピシ突くのはフェンシング?
日本刀と竹刀みたいな違いかな?
まぁそこは枝葉末節に過ぎない。
腹筋5回、腕立て4回で「今日は調子が良い!」と言っていた。懸命に持ち上げようとしているが、体力的に素振りは9回でおしまいだろう。諦めてしまいそうな心の弱さと一騎打ちしているように見える。
これでは片手武器全般が無理と思える。
「あまり無理すると体に毒だぞ」
「決して無理などしていない!」
「今日はもう終わりにしたら?」
「 ま だ ま だ ぁ !! 」
渾身の力を振り絞って振り上げた両手剣。
その重さに全身を振り回されて、クッコロさんは宙を舞う。
「 ん ぐ わ ぁ あ あ ぁ ~ ぁ 」
卓袱台に刺さった両手剣を中心に一回転、受け身を取った。
その動作は格好良いんだけど。
それ相応の理由があったから、受け身が得意になったんだ。
「ほらな、言わんこっちゃない」
「こっ、ここ、こんなはずでは……すまん」
卓袱台の傷見て『悪いことした』って顔。
そんなに反省するなら無理しないでくれ。
「予定調和だったろ、まず、呼吸を整えろ」
「家具 弁償したい が 今 手持ち 無い」
「いいから。気を静めて、話を聞いてくれ」
クッコロ・セ・ハズカシーメ・ウケール。
その深紅の瞳と目が合った。
「話? わかった。 ……体で返済しよう」
「体? 自暴自棄になるな!」
「なんだ? ……違うのか?」
ルビーの赤い輝きは、女性の魅力を引き出す。
そんな話を思い出して、そっとに目をそらした。
「そんな破廉恥な話じゃない」
スマホのメッセージアプリを起動。
職場から届いた連絡内容を伝える。
それを黙って聞いていた同居人は、細くて白い首筋を傾げた。
「1週間の暇を与えられた?」
スローモーションでサラリとプラチナブロンドに隠れていく。
惚けたまま最後まで見届けて、ごくり、と唾液を飲み込んだ。
こんな綺麗な生き物と、ひとつ屋根の下。
それが1週間も続くらしい。
ちょっとした、生き地獄だ。
「忌引き休暇……と書いてある」
「それは、解雇ではないのか?」
異世界でオークの群れに捕まった女騎士。
あちこち防具を剥ぎ取られ、「クッ殺」としか表現できない格好で近所の公園に転移してきて、オレこと小松仁に保護された。
昼間は戻るに戻れずに何度も試していたが、夜になると転移の条件が揃ったのか都合4度の空間転移が連続起動した。
東雲公園と江戸間8畳ワンルームを行ったり来たり、半年ここに住んでもいいと確約したらハラハラ涙を流しながら縋り付いてきた瞬間、最後の空間転移。
そのまま動くに動けずタコ滑り台の中で朝を迎え、最初の動作「メール確認」で表示されたのが、上司からきていた、この内容だった。
冷静沈着がモットーの、オレとしたことが――
まだ昼休み中だったので時間を稼ごうと連絡し、その電話に出た社長に合わせて話すうちに、社長は『父が死んで葬儀をする』と思い違いをしたようだが、どこをどうしてそうなった?
異世界から転移してきた女騎士を、自宅に連れ込むための方便。こんな不誠実が会社に露呈したら、実際解雇になるだろう。
しかも、この格好だ。
半分壊れたハーフプレートメイル、クッコロスタイル。
この場を同僚に見られでもしたら、一発アウトだった。
「即時解雇、そうならないためにも相談がある」
「ふたりにとって天下分け目の大勝負のようだ」
「そうなのかも。収入源を断たれたら家計を直撃するし」
「 つ ま り こ れ は 求 婚 だ な ?! 」
「……どこをそう解釈した?」
「慶弔休暇を入れ替えれば帳尻は合うだろう、違うか?」
なるほど、一理ある。
忌引きとトレードか。
結 婚 を ―― ッ ?!
「 勇 み 足 だ ぞ ! そんなだから、オークに捕まる」
「それもそうか、まだ我々は出会って間もないからな」
「昨日の今日で24時間経過してない」
「さすがに押しかけ女房すぎたようだ」
異世界に、慶弔休暇や押しかけ女房という概念がある。
ちょっとした驚きだ。
ん?
考え込んで、どした?
「つまり1週間以内にハートを射止めろと。これは難題だな?」
「……どこをそう解釈したんだ」
「忌引き休暇は1週間なのだろう? すでに2日目に入っている。残り5日で決意させ入籍する必要があるということだ。 ……違うか?」
「それじゃクッコロさんの御両親に申し訳ないだろ。かと言って交通手段どころか連絡も碌にとれない現状、これはどうにもならない。無理なものは無理だ」
「ほかにも少々問題があるのだ」
「その前提で、まだあるのか?」
クッコロさん照れ笑い。
そのポーズ、なんだろ?
「ハートを射抜こうにも、弓は苦手でな?」
弓を引くポーズだったのか!
姿勢がぐちゃぐちゃすぎる。
得手・不得手以前の問題だ。
「忌引きの対象が本人になっちゃっただろ」
「だが、剣が届く間合いに来れて良かった」
「異世界じゃ、遠距離恋愛が物理攻撃か?」
居住まいを正して、深々と頭を下げた。
突然、日本人的な礼儀作法。
「ふつつかものだが、末永く宜しく頼む!」
美少女騎士だが元は貴族令嬢。
家事が一切合切できなかった。
謙遜を抜きにして、ふつつかものだろう。
だが「受け身が得意!」と胸を張るだけのことはある。
隣に立って見ていて、生姜焼きの作り方を覚えていた。
思考は柔軟だ。
遠からず、こちらの世界に馴染むことはできるだろう。
反面、女騎士として適性は皆無だったのかもしれない。
「そんなに気負わず……ん?」
玄関チャイムが「ピンポ~ン♪」と鳴った。
教えたとおり「はぁい」と返事をして扉を開けたクッコロさんを見て、宅配便の配達員は棒立ちになって「ドサリ」と荷物を落とした。
それはそうだろう。
ワンルームマンションへ、宅配の荷物を届けに来た。
受取人が「クッ、殺せ!」という服装とは思わない。
配達員はペコペコしながら、伝票にサインを求めた。
それを受け取って、クッコロさんの顔を二度見した。
アストラット文字、初めて目にする異国の文字だ……
パンツ貰って大喜び、昨日なんて壊れたハーフプレートメイル&パンツ姿から、普段着に着替えてくれ着替えないと大揉めに揉め「これは所有物の証なのだ!」と狂っているとしか思えない発言まで飛び出した。
しかし、パンツ丸出しのままでは外出できない。
妥協案としてお好みの服を選ばせてネット注文。
お気に入りのタブレットを上機嫌で叩いていた。
今日からは普段着になる。
最大の懸念が、一件落着。
…… っ と 思 い き や !
「騎兵隊長からメイドさんに転職するのかな?」
「使用人は皆このような服装をするものだろ?」
「使用人として雇い入れたわけじゃないんだよ」
「なんなりとお命じ下さい、旦那様」
「メイド服あてがったまま誤解を招く発言をするな」
「さて……」
おもむろに装備を外し、途中までパンツ下した。
「 待 て 待 て 、 待 っ て ?! 」
「どうした?」
「目に入らないところで着替えろ」
「この部屋で着替えるしかないが」
「それもそうか、ワンルームだし」
クッコロさんは無言で大きく頷いた。
とりあえず窓際へ移動して、腕組み。
窓の外を眺めながら待つことにした。
これ……角度次第でうっすら映ってるんだけど?
そうそう、それが頭飾りで、そっちは首元のスカーフ、あっ! ……違うって、それはスカートの中に「タブレットで確認してから着たら?」「そうだな」助言のタイミングを完全に失敗した。 ……どうして一旦全裸になった?!
「ジ、ジン!」
「どうした?」
「できれば手伝って欲しいのだが」
「全裸に頭飾りしかつけてないだろ、無茶言うな」
「どうしたらいいんだ」
「まず、自慢のパンティを履くところからだろう」
オレができる助言は現状これが精一杯。
ここでこうして半透明クッコロさんを見守ることしかできない。
そうじゃないよ、そっちを先に。
なんでそうなると思ったんだー?
よぉし、よし、よし、良い調子。
「どうだ?」
「あとは細かい付属品か」
似たようなものが多い。
フリルのついた布のベルトが何度も出てきた。
画像と見比べては、首をひねる。
「ひとつ、おまけしてくれたようだ。余ったぞ」
「それは、首かな?」
「なるほど、首にも」
クッコロメイドさん、無事完成。
ん……どした?
「今日はこの服で公園に行き、待ち伏せする予定だ」
「待ち伏せ、待ち合わせじゃなく?」
「ハンカチを借りたので返却したい」
「東雲公園に、徒歩でトンボ帰りか」
「準備する、決して見てはならん」
「了解した」
日本むかしばなしみたいになってきた。
台所からなにか持ってきたようだけど。
随分とまぁ慎重に、ソロリソロリと……
「なぁんだ、炊飯ジャーか」
「 背 後 が 見 え て い る の か ?! 」
クッコロさんは仰天して目を丸くした。
卓袱台にシャモジをカタンと落とした。
「着替え中に指摘してくれ」
「コッコパッドを参考に兵站を用意する」
「手弁当持参、長期戦の構えなのかな?」
・
・
・
.
.
東雲公園に遊びに来る心優しいハンカチ少女。
そのほか一切の情報が無い状況からスタート。
せめて苗字だけでも聞いておけば、町内会の個別案内図で絞り込めたものを……なにしろクッコロかわいいことしかしない、そればかりに気を取られていた。
冷静沈着を旨とするオレとしたことが。
後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
「まずは、持参した糧食を」
「おぉい、言い方」
クッコロさんは弁当を出して、引っ込める。
それを、3回繰り返した。
「……棄ててくる」
「早計すぎるだろ」
「しかし、これは」
ベンチを指差し「座って話を」と言うと、コクリと頷いた。
小声で「すまない」と呟いて、涙を浮かべた。
よたよた腰かけて、くにゃりと背中を丸める。
透き通るような金髪に顔が隠れた。
「ん……雨か?」
クッコロさんの足元が、ポタポタ濡れていく。
本格的に泣いてる――?!
天候は快晴だが、雲行きは怪しくなってきた。
「しょうが味と塩味しかできないのだ。別の調味料を探して、間違いなく手順通り調理したんだぞ? しかし、黒一色になってしまった。 ……真っ黒だ」
「黒くなった?」
「黒い、弁当だ」
「その説明、もう……絶望しか感じないな?」
金髪美少女が、メイド服を着て、楽しそうに調理していた。
誰もが『料理上手』と誤解してしまう姿だ。
肝心かなめを失念していた。
あくまで見た目だけの装備。
コスプレ衣装で、家事スキルは発動しない。
「こちらも迂闊だった、なんとか完食しよう」
「優しいな」
「そうか?」
「さっきもそうだ」
「見てない! ……着替えは、その。直接は」
「さっきもそうだった。無理のしすぎは体に毒だと言ってくれたろ? 入隊以来、叱られてばかりいた。あんなに優しい言葉をかけられたのは初めてだ」
「あ、そっち? 軍隊は体が資本だからなぁ」
「だから、体で返済すると申し出たが、許してくれただろう?」
「あっ! ……当たり前だろ?」
肉 体 労 働 と い う 意 味 だ っ た の か ?!
えっちなことばっかり考えてた。
「今だってそうだ。黒いのに、食べてくれる」
か わ い い 。
はにかみながら弁当箱をひとつ、手渡して来た。
この笑顔ひとつで、中身はどうでも良くなった。
昼日中の公園で、メイド服の女の子から、お弁当を受け取ってるサラリーマン、もうこれだけで通報されちゃうか? ……職場復帰、諦めたほうがいいかも。
「煮た米に、海苔を貼り、醤油という調味料を塗ったものだ?」
「その手順で完成するのは、なんだ……あっ! のり弁かな?」
ベンチに並んで腰かけた。
弁当箱なんて久しぶりに使う気がする。
蓋を開くとクッコロさんの手作り弁当。
のり弁だ、隅っこに、生姜焼きが少々。
「驚いた……弁当だ。おかずまで入って」
期待と不安が入り混じった表情。
ジ――ッっと見詰められている。
困った、食べにくい。
「食べないのか?」
「や、食べるよ?」
「味については、保証しかねるが」
……今、なんて言った?
「クッコロさん、食べてないの?」
「ああ。見様見真似で作ってみた」
レシピの手順をなぞった。
そのレシピも画像判断だ。
平仮名・片仮名・漢字、全部が読めない。
あちらとは、単位も違う。
それに加えて。
「味見してないのか」
「最初に食べてほしかったからな」
「じゃ、次回から味見しようか? 味見をカウントしないのは、調味料さしすせそ以前の料理の基本だから。でも、今のところ調味料は……」
「塩、しょうが、醤油」
クッコロさん、恥じらっても味は改善しないぞ?
カワイイで、なにもかも許されるわけじゃない。
最初に飛び出す一言を飲み込む自信が、ない――
えぇい。
ままよ!
「 美 味 い っ !! ……え? なんで?」
それにしても――
「あんな調子で、よくもまぁ兵隊さんを指揮してたもんだ」
「私はいつも勇み足だった、ドーンと後ろに控えて常に冷静に戦況を見極めるのが有能な指揮官だとよく言われたものだ。ジンは指揮官に適正があるぞ」
それは。
「足手纏いだから下がってろ……という意味だったかも?」
「それも、常より進言されていたが?」
「それこそ気持ちに余裕が無い時だな」
今日、ハンカチ少女は来ないようだ。
「これは長期戦になるかもな?」
「そうか! 毎日でも来よう、買い置きの海苔尽きるまで」
「添い遂げる気で満々な発言は控えてくれ、重すぎるから」
「重いか。 ……私は職業柄、筋肉質だからな」
「え? 筋肉質って、どの口が言ってるんだろ」