エピローグ・あれから2ヶ月…
「これが待望の、婚姻届かッ!」
「ここに、それぞれ名前を書く」
クッコロさんはボールペンをギュッと握り締めた。
が。
2マスの空欄を凝視して、ゴクリと喉を鳴らした。
「日本語で……そうなのだな?」
「カタカナの練習してただろ?」
「平仮名は、難しかったのでな」
楔形文字に慣れた指先は、曲線が苦手らしかった。
クッコロさんの平仮名は、現状カクカクしている。
それにしても……。
この用紙、わりと最初から、書き方がわからない。
まず、苗字と名前で分けてある。
「ちょっと待って。異世界人の名前って、どう書けばいいんだろ。ああ、これか。ミドルネームは名前のほうに書く? ……でも。これ、順番が逆なんだけど」
クッコロさんは立ち上がり、ガッツポーズをした。
「後先考えず、まずは行動だ!」
「いやぁ……そういうわけには」
「どの道、結婚すれば改名。 小 松 ~ ぅ、ク ッ コ ロ! 」
「ぉぃぉぃ、とんだ言い掛かり……みたいな名前だな?!」
身体能力は著しく低いのに、考え方は基本的に脳筋。
ほんとに困った異世界女騎士様だ。
しかし、なるほど、そうなるのか。
軽 く 由 々 し き 事 態 だ な ッ !!
あれから2ヶ月――――
御両親の同意も得られ、必要書類も揃った。
あとは市役所で貰ってきた婚姻届を書き上げるだけ、なのだが。
早朝から2時間、一進一退、こんな調子で繰り返し。
意気込みに反して、一向に完成する気配はなかった。
と。
大声を出してスッキリしたらしい。
フーッと一息ついて伏し目がちにかぶりを振り、興奮で少々乱れた金髪を左手で整えてから、卓袱台の向かい側に正座。右手に握ったボールペンを、一旦、書面の横へ置いた。
深紅の瞳が、やわらかく微笑んだ。
「あまり難しく考えることもないだろう。なにしろ証人は私の両親、身分証明書や戸籍謄本は実家が発行したものだ。これらは、こちらの役所の職員が読めない文字なのではないか? ……アストラットの文字なのだから」
そう、問題はそこなのだ。
揃えた書類は、異世界産。
はたして受理されるか、首を傾げたくなるものばかり。
サンプルの定型フォーマットから逸脱しまくっている。
難しいぞ、異世界間結婚。
「クッコロさんの地元では?」
「事実婚の夫婦も多い。国も種族も、多種多様だからな」
「まずは既成事実から、と。乱暴な発想になったわけだ」
「こちらとの違いは……夫婦別姓が多いぞ」
「そういえば義母さんも、ウレシ・ハズカシーメだった」
クッコロさんはメモ帳にサラサラとサインしていった。
そうは言っても、楔形文字。
筆運びはタテヨコにピピピ。
「結婚すれば、ウケール家を出る……父方の姓は表記が変わる」
「またか! 異世界文化は難しい。がんじがらめの命名規則だ」
「最後の一字を左右反転、鏡像にするのだ」
ハンカチ少女のロゼッタ・ストーンを取り出してみる。
数本の線で一文字を表す表音文字、アストラット文字。
丁度5行目から先、裏返しになっている。
「なるほど。『ル』の字が『ヌ』になった」
ら行と、な行が、入れ替わる。
全部覚えるのは難しそうだが。
なんとも、うまくできている。
感心していると、クッコロさんがポツリと呟いた。
「小松仁の妻、クッコロ・セ・ハズカシーメ・ウケーヌ」
新任の隊長が任命されるまでの間、共稼ぎ夫婦になる。
クッコロ・セ・ハズカシーメ・ウケーヌ軽竜騎兵隊長。
それが実家側、異世界での新しいクッコロさんの名前。
危険な任務もあるだろう。
不思議と心配していない。
そんな時は、小松荘に転移先を設定したマジックアイテムが、彼女の身を護ってくれるに違いない。もし失敗しても、東雲公園に転移しそうな気がする。
防具は、多少、ボロっちくなるのかもしれない。
クッコロさんは、大怪我なんて、しないと思う。
なによりも、受け身が得意な女騎士なんだから――――
ん?
あれ……れ?
「今、なんて言った?!」
「小松仁の妻♡」
「その後だよ!」
クッコロさんは目を丸くした。
その赤い瞳が記憶を探るように左上へ移動して、なにかを発見し、小さく一度、頷いて、小首を傾げるとサラサラと透明な髪が流れた。
確認するように、ゆっくりと。
1分前の言葉を、繰り返した。
「クッコロ・セ・ハズカシーメ・ウケーヌ?」
「そう、それっ! それだよ!」
「それが、どうしたというのだ」
「クッコロさん……夫婦別姓でいこうか!!」
綺麗に整った金髪が、ゆっくり左右へ踊る。
束ねられた絹糸のような、美しい、黄金色。
その繊維を茫然と目で追っていく……
「すまない。それだけは、できそうにないな」
「できない? ……え、なんで?」
少し思案顔をしたが、意を決したように頷いた。
「ジンと会った日、転移魔法が時間差で起動しただろう?」
「豚肉で、塩味のなにかを作ってた、あの夜のことかな?」
クッコロさんは、もう一度、頷いた。
「実を言うとアストラットへ帰ったのだ。ブジカエルは壊れていた。戻れる保証はなかったし、どこへ飛ぶのか、命がけかも知れなかったのだが。無理矢理、転移を繰り返して、なんとか、ここへ。というか……東雲公園へ戻ってきた」
……なんで?
「その様子、やはり気付いていなかったのだな」
……なにに?
「駄々っ子のように、泣いていたからだ」
オレ、泣いてた?
「私は自分自身に誓ったのだ。ジンを独りにしてはいけない。この世界へ戻って、小松仁の妻となり、一生、独りぼっちにしないと誓った!」
あれは、感動的な再開シーンだったのか!
……そうなのか?
ちょっと脳筋の戦略的思考わかんないな。
あんまりそういう感じじゃなかったけど。
「でも……美味そうに晩飯食ってただろ?」
「戻ったら、良い香りが漂ってきたからな」
「まぁ。オレも生姜焼き食ってたんだけど」
「そうだぞ? 平常運転はお互い様だった」
そっか……お互い様だったのか。
そういえば夜はホームシックでギャン泣きしてばかりいた。
お互い様の範囲が、案外広めだ。
「書類の体裁どうでもいいし、事実婚でもなんでもいい。一生、一緒にいてくれ。この際、名前だってどうでもいい。クッコロさんと一緒にいたいだけなんだ」
やや仰け反って、びっくりした顔で、「それは当然そうなるだろ?」と、静かに囁いたが、ちょっと意味がわからなかったので「え?」と聞き返した。
「私は小松仁の妻になる」
「そっか……そうだった」
クッコロさんはボールペンを手に取り、氏名を書く2マスの空欄を全部無視してアストラット文字を書き込んだので、かなり大胆にハミ出している。
住所、本籍地、どんどん楔形文字が並んでいく。
そのまま2分ほどして、うんうんと2度頷いて……
ぺらり、と持ち上げた。
「こうした書類、ジンは好きだろう?」
そんなことを真顔で聞かれても困る。
一般論は「好きだろ?」知らないが。
「オレは、こういうほうが好きだけど」
クッコロさんは嬉しそうに微笑んだ。
でも、これ。
役所に提出しても、これは受理されないだろう。
ほとんど異世界風になってしまった、婚姻届け。
……待てよ?
「これ、持ってって、実家に提出してくるのは?」
「領主が揃って証人だ。当然、認められるだろう」
「そうしようか?」
「それで良いなら」
革袋からコロリと取り出した、透明な塊。
生真面目な顔で、わきわき動作を始めた。
小さなカエルのマジックアイテムが、幻想的な光を拡げていく。
幾度となく、異界から出逢いを運んできた、転移魔法陣の現出。
今日この時に限っては、新たな門出を祝っているように見えた。
「眩しくって、綺麗に見える……やたら強烈に魔法陣が光ってるもんなぁ」
ぼんやりと、感想がこぼれた。
「まるで……魔法だ」
「転移魔法だからな」
薄っすら笑みを浮かべた口許。
「ジンは、本っ当~に魔法が好きなんだな」
「いや? クッコロさんが綺麗に見えてる」
「なっ…… な ぬ ぅ ?! 」
両親を早くに亡くして、天涯孤独だった。
こんなに安らかな気持ちになったのは、何年ぶりだろう。
不意に現れたクッ殺女騎士を自宅へ持ち帰り、もといた世界に戻るアテが無いと知って、嬉しかった。一緒に寝起きして、些細なことで言い争って、笑い合って。想像していたより、ずっと魅力的で、少しズレてて、とっても……楽しかった。
この、くっだらないやりとりを、ずっと続けたいと思った。
今になって、今さら気付いてしまった。
「そっちから先にグイグイ来たもんだから、ずーっと、言いそびれてた気がする。オレ、魔法とか、異世界よりも。 ……クッコロさんが、好きなんだ」
「なんだってぇ~?! 初耳だぞ……どんなタイミングだ!」
「一目惚れかな? それから、どんどん。今じゃ、すっかり」
「いや、そう言う意味ではなくてな」
「だから、忘れてたなぁと思ったの」
ギュッと瞼を閉じて、「私も」まで言った彼女の眦から溢れた涙が、光芒を放ちながら頬をつたい、唇を濡らしていく。魔法が発動する微かな駆動音が耳に響く。足裏の接地感を失い、たまゆらの浮遊のなかで、ゆるやかに離れていく細い身体を引き寄せた。
「クッコロさん、お願いがある」
「な、なんだ? あらたまって」
「 結 婚 し よ う ! 」
「 今 そ れ か ?! 」
今から丁度、2ヶ月前の昼休み。
異世界から東雲公園へ、転移魔法でやってきた。
ちっともクッ殺じゃなかった女騎士様の唇は……
どことなく異世界風の、うす塩味だった――――
【 クッコロさんがやってきた! 】
これにて終幕でございます。
最後までご清覧いただきましたこと、心より感謝申し上げます。