最終話・クッコロさんがやってきた
生姜焼きを咥えたまま、卓袱台に朝の鍛練で両手剣が刻んだ3本の傷を指で順になぞっていく。
クッ殺女騎士は突然帰省し、2日が過ぎた。
今日、6日目の朝も、ひとりで迎えている。
キナコちゃんは、初日の夜には要望が無かったのでなにも進展しなかったこと、騎兵隊の者が『女騎士の着替えを手伝うのは男の浪漫』と言っていたことを聞き、ハーフプレートメイルを修理してくれたらしい。
屍狼さんは、ウレシさんがハズカシーメ大森林に住むエルフの族長で、クッコロさんの母親と知って、来日の目的に薄々勘付いたのだそうだ。
知らぬは小松ばかりなり。
「言ってくれても……ん?」
玄関チャイムが「ピンポ~ン♪」と鳴った。
安アパートの住人は年寄りが多く、早朝から来る人も多い。
しかし時計は5時過ぎ、空は明るくなってきたが早すぎる。
「誰かな?」
カチャリと扉を開くと、小柄な少女が立っていた。
日曜朝にピッタリな奇抜な服を着ている。
番組名まではわからないが、魔法少女だ。
心当たりがあったので、驚きはなかった。
「アストラットの方ですか?」
「日本人ですが御推察どおり異世界から来ました」
「屍狼さんに素材採取を依頼していた方ですね?」
「それには、斟酌すべき様々な情状があるのです」
かわいらしい相貌に、満面の笑み。
しかし双眸は空疎で、がらんどう。
感情を伴っていない。
背筋に悪寒が走った。
「了解しました。 ……御用件は?」
「御二人は昨夜帰還しましたが、未払い分の家賃を預かりまして。それと、これは御相談なのですが。解約せずに継続したいそうです」
「自動的に契約は更新されますけど」
ニッコリ笑って「助かります」と大小2つの革袋を手渡してきた。小さいほうは屍狼さんの使っていたもの。シュルリと解くと4万円入っていたので苦笑した。
「確かに受け取りました。領収証を」
「いえ、私はこれでおいとまします」
目の前で雲散霧消し、あとかたもなく少女は消え去った。
「ぷふ――っ。 あんな相手とウレシさんが、共存共栄?」
合法ロリッ子に見えて凄いんだな。
エルフの長は臆病でも丹力がある。
魔法少女にしか見えないのに、尋常ならざる気配だった。
共に手をたずさえて、という発想は到底できない相手だ。
「屍狼さんたちも、帰ったのか」
大きな革袋には百万円の札束が入っていた。
8年4か月分、付き合いは続くことになる。
「でも……寂しくなるなぁ……」
独り言のように呟いた。
ガチャリ
返答するように音を立てたハーフプレートメイル。
部屋に戻ると、置きっぱなしになっていた。
これで痩せっぽちの身体を包み込んでいた。
「ショーガ持って、職場に行って、どうするんだ?」
返事は無かった。
独り言が増えた。
この部屋は静かすぎる。
だから今日こそ出勤すべきだと、頭では理解している。
でも、充電しなかったスマートフォンは電源が切れている。今日も炊飯ジャーで海苔弁を作り、ハンカチを返しに東雲公園へ向かうことにした。
ハンカチ少女と思い出話に花が咲いたりしないだろう。
ただ、これが最後に残った接点、そんな気がしていた。
「ん? ……こんなのがあるのか」
ハンカチを畳みなおしていて気付いた。
子供向けの、実用的で、少し珍しい柄。
わ ら や ま は な た さ か あ
り み ひ に ち し き い
を る ゆ む ふ ぬ つ す く う
れ め へ ね て せ け え
ん ろ よ も ほ の と そ こ お
「ハンカチの……あいうえお表なのか?」
タブレットで検索してみると、かるたのように『あり』『いぬ』『うさぎ』と、イラストを描いたもの。カラフルに色分けしたり、筆文字や、ローマ字を併記したもの。いろいろな種類があるが、同じ商品はネットショップに無いだろう。
楔形、アストラット文字の書き込みがある。
クッコロさんが書いたようだ。
平仮名・片仮名・漢字、全部読めなかった。
ぴらぴらのロゼッタ・ストーンを作成した。
これを使って、レシピを解読したのか?
「なんてことするんだよ、クッコロさん」
幸い、屍狼さんからの家賃収入がある。
このまま返却できないし、買い取ろう。
鞄に仕舞い込んで、公園へ。
・
・
・
.
.
白黒2色の小鳥が数羽。
飛んで逃げるわけでも、近づいてくるでもなくて。
度胸試しのように距離を保ちトコトコ歩いている。
キャー! キャッ キャッ!
子供がいる。
昼日中に公園に来て、いつも人影はまばらだった。
先客がいたので驚いたが、日曜日か。
どうしたものかと見回してから、ベンチに進んだ。
……ん?
ざわめきに埋もれそうな。
ささやくような小さな声。
さん おいでください
タコ滑り台から聞こえた。
吸い寄せられるように、そちらへ向かう。
くっころさん くっころさん おいでください
……なんだって?
くっころさん くっころさん おいでください
「ハンカチ少女――?」
「あ! あのときの?」
少し柄の違う、あいうえお表のハンカチ。
その上で、人差し指で押さえた10円玉。
……これは。
「こっくりさんか?」
「ナイショにして!」
少女の説明では、こうだ。
クラスで一時的に流行、仲の良い友達が「絶対に動いた」と言い張っていたが、嘘つき呼ばわりされて、ずっと学校を休んでいるらしい。
本当に動くのか、本当は嘘なのか、すぐ禁止されたのでコッソリ隠れて実験するため、証拠を残さないように、このハンカチを使っていた。
「それは、降霊術みたいな怖い話じゃなくて、潜在意識が無意識に筋肉を動かす、不覚筋動の結果だって言われてる」
「詳しい!」
「子供のころに流行ったからね」
形を変えて、周期的に流行するのか?
同様に孤立した子が、同級生にいた。
致命的なのは、元々この子は興味が無かったらしい。
そもそも、呼び出すための名前を覚え間違っていた。
……待てよ?
屍狼さんとキナコちゃんの素材採取で入口ができた。
エルフの森に、人為的要因が影響を与えたのだろう。
出口が東雲公園に固定された理由は、不明のままだ。
「もしかして、あの時も?」
「うん。 ここでやってた」
児戯にも等しい儀式が異界の空間転移に影響を与える。
それは、ありえない。
本当にそうだろうか?
オークの苗床になりかけた女騎士が、苦手な魔法のアイテムを使い損ねた挙句、道に迷って転移してくる先が、この「あいうえお表ハンカチ」という可能性なら、クッコロ・セ・ハズカシーメ・ウケール軽竜騎兵隊長なら、あるいは――
「降霊術じゃないけど、クッコロさんなら呼び出せる」
「え?」
「そうだ、ハンカチ。これでやってみて?」
「え? なにを? ……くっころさん?」
「そう。今日明日にも職場に復帰して、半年同棲して、伯爵夫妻にも認められて、結婚して小松荘に一緒に住む。毎朝卓袱台に傷が増えて毎日のり弁ばっかり持って仕事に行くんだ! だから! 今ここにクッコロさん呼び出して……
「わかった、わかった、わかったから!!」
少女はハンカチに10円玉を置いて指先で押さえ、目を閉じる。
一度、深く呼吸し、そのまま静かに唱えはじめた。
くっころさん くっころさん おいでください
それは、すぐに起きた。
鞄からハンカチを取り出したとき、足元に落ちた革袋が光った。
拾い上げて紐を緩めると、マジックアイテム『ブジカエル』が眩い光を放っているのが見えた。摘まみ出して「クッコロさん」と呟くと、何度も、何度も目にした転移魔法陣が足元から大きく広がっていった。
ハンカチ少女の小さな悲鳴。
それに続いて、もうひとつ。
「 ん ぐ わ ぁ あ あ ぁ ~ ぁ 」
懐かしい悲鳴が鼓膜を震わせた。
厨房で転んだ拍子に転移した女子高生――
制服だけなら、そうだろう。
突如として上空3mに現れ、くるくる回っていることを除けば。
シ ュ タ ッ !!
華麗な受け身で、砂場に降り立った。
深紅の瞳、見事なプラチナブロンド。
清楚で整った顔を歪めて睨んでいる。
間違い無い。
女 騎 士 だ 。
「クッコロさん」
雪平鍋と、生姜チューブを持っている。
被ダメージと違った、なにかがあった。
さしずめ、そう。
「クッコロさん、料理してて転んだの?」
「ジン、ジンなのか?」
「クッコロさん……!」
「修行中に突然呼び出すやつがあるか!」
……え?
「修行。 ……なんの、修行?」
「四則演算で料理をするな、そう言ったのは貴様だろう! コッコパッドは食材や単位がチンプンカンプン、塩加減しかわからない。半年一緒に生活できるように、花嫁修業をしろと言われたから、渋々母上に同行して実家へ帰宅したというのに。それをなんだ、ジンは少々身勝手がすぎるぞ!」
「うん。 ……それを、今、初めて聞いたから」
「この わ か ら ず 屋 め ! 」
「おねえちゃん! 大丈夫?」
「おお、いつぞやの少女か!」
「私のせいで転んじゃった?」
「なぁに転移してきただけだ、心配には及ばない。受け身は得意だしな!」
扱いが、全然、違う。
呼び出し方はわかったが、向こうに行く方法がわからない。
あまり状況は変わらなかった。
せめてスマホで連絡できたら!
でも、充電してないんだった。
「うちのアパートで一緒に修業しちゃダメか?」
「まさか後先考えずに異世界から呼び出したのではあるまいな?」
「忌引き休暇の残り時間を考えて呼び出した、帳尻を合わせたい」
「それは、どういう意味だ?」
「このまま役所に行って時間外窓口へ婚姻届を提出したい。御両親には事後承諾を得られるよう努力する。返事してくれ。 ……できれば、得意の受け身で」
細い小首を傾げた。
プラチナブロンドが余韻に揺れる。
綺麗に編み直して整っている金髪。
それが、ゆっくりと左右に踊った。
「すまない、それはできそうにない」
「できない……?」
「鍋を、火に、かけッパなのだ」
「鍋? タイミング悪かった?」
笑顔で頷くと、深紅の瞳から涙があふれた。
ポケットから見慣れない色のブジカエルを取り出すと「母上が魔者と共に作ったものだ」と簡単に説明して、グッと握った。
転移魔法陣が広がっていく。
それは、少しだけ見知った模様と違っていた。
「いくつかの行き先から、選べるようになったのだ」
「どういうこと?」
「火も消しておきたいし、事後承諾ではジンが納得できまい。まずは実家へ戻り、両親に許可を得るべきと思うが。それから会社へ事情を説明し、役所へ行っても、間に合うのではないか?」
「え? ……じゃ、返事は?」
「察してくれ!」
「わかんないよ」
なにかを確かめるように、口元に手を添えた。
「口に合えば、嬉しいのだが」
祈るように、五指を交互に組む。
そして、深紅の瞳を閉じていく。
「最初に言ったろう? ……受け身は、得意なのだと」
ガチガチだったので「ちからを抜いて?」と言うと、「今、まだ」とカサカサの声で応えた。首に手を回すと一層ギューっと目を閉じて硬くなった。『全然受け身じゃない』と思いながら素早く短く唇を押しあてると、鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くした。
フッと周囲が薄暗くなり、森の中へと転移していた。
「ど……どうだった?」
「まるで魔法みたいだ」
「それは、どういう意味だ?」
そっと耳打ちする。
みるみる紅潮して「味見しろと言ったのはジンだろう!」と猛抗議してきたが、「味見しろって言ったのはクッコロさんだよ」と返すと、くちをパクパクしながら茹でダコのように真っ赤な顔になっていく。
クッ殺女騎士との接吻は、塩加減ではなくなった。
うっすらと、生姜の味がした。