91話 本当に怖いのは人間です(人怖)。
廃墟の街レーゲンベルグまでは一日半ほどかかりました。
財産を没収されたセシルが馬車を借りるお金をケチったせいで、移動手段は徒歩。
私はお店の特需で財布の中身はホクホクでしたが、ここで出すのはなにか違うと思ってやめました。
それに行き先を告げると、御者がみんな嫌がって、値段をつりあげるんですよね。徒歩でもなんとかなる距離の往復で三百ペルって、馬鹿馬鹿しくて払っていられません。
おかげで、セシルやローゼリアと一晩を共にすることになりましたけど……。なかなかうんざりさせられる時間でした。幽霊が出ると噂の街へ行く前だというのに、ローゼリアは怪談まで始めますしね。
焚火を囲んで乾燥肉を頬張りながら、ローゼリアは嬉々として語るのです。
「せっかくだからぁ、今から行くレーゲンベルグにちなんだお話をするね☆」
なにがせっかくだから、なんでしょう。それが一番聞きたくないやつでしょ。
いえ、私は全然怖くないんですよ?
こういうの聞くと、気配を感じて振り返ってしまう人とかいると思いますが、背後の幽霊よりも気になったのは隣のセシルです。
「セシル、怖いんなら別に聞かなくていいと思いますよ」
「だ、誰が怖いって? 馬鹿にしてもらったらこ、困るな」
「奥歯がガタガタ震えてますけど」
「これは単に寒いだけだよ。あー、こんな夜には温かい飲み物でもほしいところだね!」
もう季節は夏にさしかかっています。おまけに火に当たっていて、寒いはずもありません。
どうも私に弱味を見せたくないと思っているようですね。ならばご自由に、です。
「ある古参パーティの体験談なんだけどさ……」
ローゼリアが教えてくれたのは、おおよそこのような話でした。
そのパーティは隣国ルプトに向かう途中、レーゲンベルグに立ち寄ったのだそうです。
建築物に興味のある魔術師が行きたいと主張し、他のメンバーも野宿よりはマシな寝床が見つかるのではと賛同。
噂は知っていても、彼らは幽霊なんて全然信じていませんでした。そんなものよりもっと恐ろしい魔物と何度も戦い、死線をくぐりぬけてきた猛者達です。レーゲンベルグの人達は、きっと集団ヒステリーにでもなったんだろう――そう思っていました。
建築好きの魔術師は、レーゲンベルグに入ると大興奮。礼拝堂や貴族の屋敷を見ては驚嘆したり、涙したり。学のない戦士や、金目のものにしか興味のない盗賊があきれても、お構いなしで建築様式のうんちくを垂れ流します。
が、街の中心部にある広場まで来たところで、ふいに魔術師のおしゃべりが止まりました。
『どうしたんだ?』
不思議に思い、戦士が訊ねます。
『いや……、今そこに子供がいなかったか?』
魔術師は朽ちかけた木製のベンチを指差し、妙なことを言うのです。
『おいおい。こんな廃墟の都市に、子供なんているわけないだろ』
大人ならまだしも、子供がひとりでやってこられるような距離に村も街もないのです。
『噂の幽霊でも見たんじゃねーか?』
ケラケラと笑う盗賊。しかし彼も途端に真顔になりました。
『今、俺のことを誰か笑ったか……?』
『は? 笑ってたのはお前だろ?』
『そうじゃなくて! 俺の声に合わせたみたいに、まわりで誰かが一斉に笑ったんだよ!』
盗賊の言葉が嘘や冗談でないことは、それまでなにも感じとれなかった戦士にも、すぐにわかりました。
なぜなら次の瞬間――彼らは雑踏のなかにいたのです。
在りし日の、まだ大勢の人で賑わっていた頃のレーゲンベルグの風景が、周囲に突如として拡がりました。
『な、なんだこれは……?』
『立ったままで、夢でも見ているのか……?』
夢にしては、どこからともなく現れた人々はやたらとリアルでした。過去にいきなり飛んでしまったのではないか、と思うほどにです。
けれど、異変の訪れはやはり唐突でした。
『ぐ……ががが……!』
広場に集まっていた人々が苦悶の表情を浮かべ、喉を掻きむしり始めたのです。顔は腫れ上がり、みるみるうちに醜く変色していきます。
血を吐く人、髪を引きちぎる人、地面をのたうち回る人……。どこか郷愁すら覚える平和な日常は、あっというまに阿鼻叫喚の地獄絵図と化したのです。
歴戦のパーティも、これにはさすがに震えました。
本当に起きていることなら心も落ち着けられますし、対処の仕様だってあります。
でも――全ては幻なのです。滅びた都市に未だ留まっている怨霊、あるいは絶望のうちに死んでいった人々の救われない思念が、そのおぞましい光景を見せているのでした。
すでにその時点でレーゲンベルグに来たことを激しく後悔していた彼らでしたが、さらに追いうちをかける出来事が待っていました。
背の低い少女の霊が、少しずつ、けれど確実に近づいてくるのです。
『生き人のみなさん、ようこそいらっしゃいました』
フードを目深に被った少女の霊は、小さく、抑揚のない声で言いました。
『ここは死人の街。生気とは相容れぬ世界。それを承知で留まるのなら、どうぞこの鏡をのぞいていってください』
よく見れば、彼女は古ぼけた鏡を抱えています。髑髏や骨を象ったフレームが、やたらと不気味な雰囲気を醸し出しています。
戦士はごくりと唾を飲み込み、彼女に訊ねました。
『のぞいたら、一体なにが見えるんだ……』
すると、少女は戦士を見上げました。ふいに吹いた突風がフードをめくり、その顔があらわになります。
『この鏡に映るのは……』
『うっ』
戦士は絶句しました。少女の落ちくぼんだ眼下には――本来そこにあるはずの目玉がなかったのです。
『鏡に映るのはぁぁぁ――』
「――あなたの死に顔だよッ!!」
「ぎゃあああああああ!!」
突然ローゼリアが大声を出すので、セシルが驚きのあまりバターンと後ろに倒れてしまいました。
「あはっ。そんなに怖がらなくていいのに。セシル、すごい顔してるよ?ほら、鏡見てみる?」
「やめて! こっちに鏡を近づけないでくれ!」
「えー、なんで? これは普通の鏡だよー?」
「そんなのわからないだろ!」
いや、どう考えても普通の手鏡でしょ……。
なにが怖いんでしょうかね、セシルは。恥も外聞もなく、目をぎゅっと閉じてローゼリアに抱きついちゃってます。
で、ローゼリアはセシルを甘やかしながらニヤニヤしているわけです。
なんだか私、ローゼリアのこと誤解してたみたいです。
彼女、鈍くさい子が嫌いで、だから学園で成績ドンケツだった私を馬鹿にして、いじめていたのかと思ってました。
でも、違いますねこれ。
彼女はとにかく、人が弱ったり、落ち込んだり、ネガティブな気分になったりしているのを見るのが大好きなんですよ。
だからその毒牙は、気に入っている相手にすら……、いいえ、気に入っている相手にこそ向けられるのです。
そこに悪気なんてありません。彼女にとっては愛情表現の一種なのです。
「セシル、私が言うのも変なんですが、この女と付き合うの、やめたほうがいいですよ……?」
セシル自身も大概ヤな性格してますが、まあ最初の関係性さえ違っていれば、まだ友達になれた可能性も、0.00001パーセントくらいはあったかもしれないです。
でも、ローゼリアはダメ。絶対にNo。
「彼女は友達なんかにしたら害悪。親しくなればなるほど幸せを奪い取っていく、ヒルみたいな存在です」
「ヤダヤダ、ヒッドーい☆ ヒルだなんて、いくらアタシでも傷ついちゃうよ?」
めそめそ、と目を拭うポーズ。はい、全く傷ついてません。
白々しいを通り越して、黒々しいというワードのほうがふさわしいのでは、と思ってしまうほどのわざとらしさです。
「なんてこと言うんだ! ソルトラーク家が潰されて、みんなが離れていっても、ローゼはただひとりだけ、ボクについていてくれたんだぞ!」
怪談の恐怖からまだ立ち直れず、顔をぐしゅぐしゅにしながらも、セシルが私に向き直って怒ります。
「お金も、名誉も、なにもかも失ってもそばにいてくれる……。それが真の友達。ボクの親友なんだ!」
涙目で熱弁するセシル。なんかいいこと言ってるとも思いますし、正しいとも感じますよ?
その相手が、あなたの後ろで薄気味悪い、ニチャニチャとまとわりつくような笑みを浮かべている悪女でなければ、ですが……。
「セシル……。あなた、騙されてるんですよ。ローゼリアはあなたを支えたくて一緒にいるんじゃないです。堕ちていく様を特等席で見るために、そばから離れないんですよ?」
「なにをバカな! そりゃ、ローゼはたまにひどいことする――いや、別に今の怪談が怖かったわけではないけれど、いつもは優しいんだよ!」
……なんか、暴力を振るうダメ男とばかり付き合ってしまう女みたいな答弁を始めちゃいました。
「そうそう、そーなの。アタシがセシルをいじめるのはね、ぜーんぶ愛情の裏返しなんだよ? あんな偽りの父親なんかより、アタシのほうが百万倍、セシルを愛してるんだから!」
ローゼリアに背中からぎゅっと抱きし められ、心底救われたような表情になるセシル。
……ダメですね、これ。なにを言っても通じないです。
まあ、そりゃそうですよね。父親に見捨てられたファザコンセシル。そんなの攻略するの超簡単。弱りきった人間が、ローゼリアという名の泥沼から抜け出せるわけもないのです。
よくよく考えてみれば、彼女はずっと前から機会を狙っていたのでしょう。
ことあるごとに彼女と私が競うよう仕向けていたのも、セシルが父親に呆れられ、見放されるための仕込み、計算だったのです。
このあいだの王宮での騒ぎ、そして顛末は、彼女にとっていい意味で計算を超えていたに違いありません。だからあのとき、ローゼリアはセシルに寄り添いながら笑っていたのです。
父親という絶対的支柱を失ったセシルが、新しい藁にすがるのは必然なのですから。
「すみません、それがふたりの友情だって言うのなら、もうなにも口ははさみませんよ」
私は早々に、説得を諦めることにしました。
だってそうでしょ? ミラさんやガレちゃん、自分の親しい人が悪いやつに騙されそうになってたら見過ごせませんけど、私、セシルの友達でもなんでもないですし。
今の忠告もなけなしの正義感から出たものですが、聞く耳持ってもらえないのなんて百も承知だったんです。
セシルが私の話を信じてくれたことなんて、これまでに一度だってなかったんですからね……!
あー、泥沼には踏み込むだけ損。首までどっぷりつかって気持ちよがってる人を助け出そうとか、無理にもほどがありますよ。
でも、それがわかっていても、やっぱりイライラするんです。見殺しにしてる気分というか、なにか自分にやれることがあるんじゃないかなとか、考えちゃうわけです。こんな気持ちになる自体が無駄で、さっさと切り替えなきゃなと思うんですけどね。
「あ、ハンナってば、アタシがセシルと仲良すぎて、ヤキモチやいてるー?アタシ、ちゃんとハンナのことも好きだからね?」
「近づいてこないでください。キモいので」
「ヤダヤダ、照れてる? かわいい☆」
「ローゼ、ハンナよりボクのほうが好きだよね……?」
「え? どっちも好きだよぉー?」
「どっちも……」
宙ぶらりんな回答に、納得いかない感じのセシル。
だから、それがこの女の手なんですってば――という心の叫びが届くはずもなく、そのあとも延々と炎を囲みながら茶番を見せられ続けたわけです。
同情してください。レーゲンベルグに着く前からげっそりですよ。身体から霊体が抜けかけている気がするので、今なら見れるかもしれないです、幽霊。




