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Night Barker Fox  作者: yuki
2/5

作られた怪物

愛憎怨塊


ゾーア

 西宇迦高校の昼休み開始のチャイムが鳴り響く。葉子は弁当箱のおにぎり三つを頬張ると、昇降口に向かう。

「ふふっ、さーて楽しませてもらおうか」

 鼻歌を歌いながら外へ出て、そのまま駐輪場に向かう。そこでは上級生が下級生相手に暴行を働いていた。

「はいは~い」

「あ? なんだお前」

 右頬に傷跡のある上級生が、葉子に睨み付ける。

「一年が何の用だ? 怪我したくなきゃ帰れよ」

 丸い眼鏡をかけた上級生が、鬱陶しそうに手を振る。

「おっと、チクろうなんて考えるなよ? 殴られるだけじゃ済まなくなるぜ?」

 そしてリーダー格の銀のネックレスをぶら下げた上級生が、下卑た笑みを浮かべる。

 しかし、葉子は気圧される様子も無く、制服の名札を観察する。

「うんうん、まずほっぺたに汚いタトゥー付けてるのが羽田祐二(はねだゆうじ)、インテリ気取りのイキってる眼鏡が池田浩(いけだひろし)、ダサいアクセサリーと粗末なイチモツぶら下げてんのが太田隆(おおたりゅう)ね。いずれも三年生っと、メモメモ……」

 葉子はメモ帳を取り出し、上級生の名前を書く。しかし、あからさまにバカにしたような身元確認をされた上級生は、顔を真っ赤にした。

「おまっ、これ偽物だって知ってたのか!?」

「インテリ気取りってなんだ!! 俺の頭悪いとでも言いたいのか!!」

「おいコラァ!! 何勝手に短小呼ばわりしてんだ!!」

「ああ、カービン(短小)か弾切れの方が良かった?」

「いや意味変わってねえっていうか、不能呼ばわりか!! ふざけやがって!!」

「あ、意味分かっちゃった? よくできました!」

「こいつ、三年舐めると痛い目――」

――ゴッ!!

「あだぁっ!!」

 太田は駐輪場の柱に頭をぶつけた。突っ込んできたところを避けて、後ろの柱目がけて背中を突き飛ばしたのだ。

「見ちゃったね、アンタが」

「うぐぐ……」

 倒れ込んだ太田が立ち上がろうとした時、葉子のスカートが視界に映った。その顔面を思い切り踏みつけた。

「おいどさくさに紛れてどこ見ようとしてんだテメェ」

 もっともスカートの中は体操着のハーフパンツなので、それほど恥ずかしいものでもない。

「あがぁっ!!」

「おい!!」

「調子に乗るんじゃねえ!!」

 羽田と池田の二人が後ろから取り押さえようとするがあっさり振り払い、羽田には裏拳を、池田にはローキックの後に顔面に飛び膝を食らわす。

「一年舐めんじゃねえよ。面子どころか大事なタマタマも潰してやろうかおん!?」

 そう言って太田の股間を掴む。

「うごぉっ!!」

お遊び(イジメ)ならアタシが相手になってやる。そんな雑魚共を殴っても面白くないだろう。一発殴ってベソかくような奴いじめて何が楽しいのさ?」

 太田達は腰を抜かし、後退りをしてしまう。それを見て葉子は笑う。

「あーこれこれ!! 自分が狩る側だと思っている奴を泣かす瞬間ほど面白いのはないわー!!」

 高らかに笑った後踵を返すが、太田達には仕返しをする気力も無かった。


 教室に戻る途中、一年三組の教室で笑い声とすすり泣く声がした。葉子のクラスではないが、興味本位で中を覗く。中では、クラスのリーダー格と思しき女子とその取り巻きの女子の三人組が、泣いている女子を囲んで笑っていた。

「ふふっ、面白そう」

 葉子は早速、リーダー格の女子に近付く。

「よう、楽しそうなことしてんじゃん」

 リーダー格の女子は、怪訝そうに睨む。名札には「佐々木(ささき)」と書かれていた。

「誰よ?」

「まあ分からんだろう。クラスは別だし」

「余所のクラスの奴が何の用?」

「それより今何してんの? その子苛めてるようだけど?」

 葉子は視線を、うずくまって泣いている女子に移す。名札には「伊藤(いとう)」と書かれていた。

「苛めてる? 人聞き悪いわねぇ、ただクラスで一番トロい子は命令に従わなきゃダメ、そういう決まりなの――中学からの伝統よ、ね?」

 佐々木は伊藤に笑いかけるが、伊藤は怯えたように仰け反る。

「ほ~、決まりなら仕方ない。ところでその命令、アタシも出して良いかい?」

「え?」

「一番トロい奴になら何でも命令出しても良いのよね?」

「ええ、まあ、良いわよ?」

 佐々木は一瞬困惑したものの、葉子の要求を呑んだ。そして伊藤の怯えは一層強くなった。

「それじゃあ、この中で一番トロい奴をぶっ飛ばさせろ」

「ふ、ふふ、良いわよ。伊藤さん、立ちなさい」

 佐々木が促すも、伊藤は立たない。

「立てって言ってんだろう!!」

 痺れを切らした取り巻きは、伊藤を無理矢理立たせる。

「OK、それじゃあ遠慮無く」

 伊藤は指を鳴らしながら近付く葉子に恐怖し、大量の涙と鼻水を垂れ流す。

「ははっ、汚い顔だねえ、良いよ良いよ」

 葉子は拳を握りしめ、右腕を大きく振りかぶった。伊藤は固く目を閉じる。しかし、葉子の拳は伊藤ではなく、後ろから笑って見ていた佐々木の顔面を捉えた。

「いったあ!! ちょっとアンタどこ狙ってんのよ!?」

 憤る佐々木に対し、葉子はせせら笑う。

「おいおい、まるでアタシの腕が下手くそみたいじゃん。アタシの狙いは正確だよ」

「はあ!? どこがよ、一週廻って私に当ててんじゃない!!」

「ああ、そうだね。アンタを狙ったからそりゃそうだろう。何を今更」

 周りの生徒も、取り巻きの女子も、訳が分からないと言わんばかりに口をポカンと開けている。しかし一番状況を理解していなかったのは伊藤だった。

「言ったはずだ、一番トロい奴をぶっ飛ばすってさ」

「ちょっと待って。私がトロいってこと!? どこがよ!?」

 詰め寄る佐々木だが、意にも介さず葉子は下顎を掴み持ち上げる。

「アタシの右ストレートをかわせなかったし、何より『自分は絶対やられない』っていうそのお花畑な頭がよ。アタシのような存在を、全く予測してなかったみたいだしね」

 持ち上げたまま、葉子は佐々木を力任せに投げた。しかも投げた先には机や椅子が置かれており、背もたれや角に頭や背中を打ち付けることになった。

「うがぁっ!! いった!!」

「もうさ、そのルールだとアンタが不利でしょう? この際『学年で一番ビビりな奴を一日に一回以上リンチにする』って変えたら? ちなみにアタシが一番の臆病者でーす」

「……はっ?」

 またもや頓珍漢な発言に目を丸くする。これでは自分を苛めて下さいと言っているようなものだからだ。

「ちょっ、アンタ正気なの!? その条件だと――」

「分かってるさ、このルールならアタシから出向かずとも、アタシに遊ばれに玩具が自分からやってきてくれる。ちょっと激しく遊んでも良いような玩具がね」

 葉子は倒れている佐々木に対し、見下すように笑った。その笑顔に、クラス中の生徒が凍り付いた。伊藤だけは、安堵の表情を浮かべていたが。

「アンタにとっても良かっただろう?」

 突然話を振られ、伊藤は困惑した。

「アンタはもう悪い虫に纏わり付かれずに済む。アタシは玩具が手に入る。まさにWINWINってやつよ」

「いやこっちがLOSE(大損)なんだけど!?」

「知るかバカ。まあ良いや、アンタが勝手に敷いたルールは今日まで付き合ってやる。だから」

 葉子は佐々木の足を掴み、廊下へ引きずり出した。

「いだだだだ、どこ連れて行く気!?」

「地獄の底だよ。アタシがアンタに課す命令は……」

 葉子は階段の踊り場に到着し、佐々木の足を掴んで下り階段の上に吊り上げる。

「アンタに死んでもらうことだ、死ぬといい」

「え、ちょっとマジで!?」

 佐々木の顔が焦りで青ざめる。

「命令は絶対なんだろう? 死ねといわれたら、首を釣るなり手首切るなりしなきゃな。ああ、自分の四肢を切断するという壮大な死に方もあるな」

「いやそれ最後の腕一本切れない奴!! つーかそれなんていう理解すると怖い話!?」

「まあ良い、転落死が嫌なら他の死に方が良いかい? 入水、窒息、焼身、人間の体はいくらでも些細なことで簡単に死ねるぞ」

「い、嫌だ、止めて!! 死にたくない!!」

 ついに佐々木は泣き出した。

「じゃあ十秒以内に千回命乞いすれば――」

「助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて!!!!」

 狂ったように連呼する佐々木に対し、葉子は冷酷にカウントダウンを進める。

「3、2、1――」

「いやああああああああっ!!」

 佐々木が絶叫すると同時に、葉子は廊下の壁に向かって投げつけた。佐々木は打ち付けられた衝撃と恐怖で失禁し、気絶した。

「あーそうそう、アンタに死ねっていう命令だが、ありゃ嘘だ」

 葉子は涙と鼻水と涎と尿を垂れ流す佐々木の顔を写メに納めると、自分の教室に戻っていった。一連の様子を覗き見ていた三組と、隣の四組の生徒は微かに震えていた。

 葉子はそんな彼らのことなど歯牙にもかけず、自分のクラスである二組の教室に戻っていった。


 当然、あれだけの騒ぎを起こせば先生達の耳にも入ることになる。午後の授業が始まる前に、職員室に呼び出されることになった。

「信田さん……、貴女はこれほど怪我人出して、何のつもり?」

 眼鏡をかけた女性教師が、睨み付けながら質問する。

「えー、そりゃ喧嘩をすりゃ怪我もするでしょう」

「度を越しているのよ貴女は!! 入学してから一ヶ月経つけど、その間にどれだけ怪我人や登校拒否を出してると思っているの!!」

「うるさいなぁ、喧しいのが悪いのよ。アタシはデリケートなんでね、うるさいとストレスでついああしちゃうのよ」

「そんなの理由になりますか!!」

「ならんね普通なら。アタシは論理観イカれてるんでね」

 女性教師は呆れるように顔を覆う。

「それ自分で言って悲しくならない?」

「全然。むしろおたくが悲しむ理由が全く分からん」

「貴女、それ自分からサイコパスか何かだって言ってるようなもんよ?」

「あーそうかい、それがどうした? 周りがなんと言おうがアタシはアタシさ。誰の価値観にも染まらんし、同調もせん。要らん同調は破滅を招く。ましてやそれで共倒れなんて死んでもゴメンだ」

「言い方が無駄に大げさね……」

「話は終わりかい? あたしゃ帰るよ」

 教師に遠慮せず、勝手に席を立つ葉子。

「待ちなさい!! まだ話は終わってないわよ!!」

「何、まだあるのか?」

 教師は少し黙り込み、少し考えた後に言った。

「貴女が大けがを負わせた生徒の素性は聞いているわ」

「ああ、あっちはあっちでロクな奴じゃなかったろうな」

「正直な話、ああなるのは自業自得とすら思っている。ただ一つだけ忠告しておくわ」

「何?」

「そんな方法で力を誇示するのは感心しないわよ。四面楚歌な状態に陥るかもしれないからね」

 葉子は鼻で笑った。

「誇示しているつもりはないけどねえ。でも四面楚歌? それはそれで都合が良いね、アタシは時々暴力振るわないと落ち着かなくなることがあってな。まあ安心しなよ、必要以上にはやらないから。少なくとも死人は出さない」

「……余計不安よ――ってちょっと!!」

「もう終わりでしょう? じゃあ授業に戻るねえ~」

 教師の制止を振り切り、葉子は職員室を出て行った。

「はぁ……」

(はやし)先生、いつも大変そうですね」

 後ろでやり取りを見ていた若い男性教師が苦笑いしながら言った。

小川(おがわ)先生、笑い事じゃありませんよ……」

「しかし林先生もあながち、信田さんがやっていることにそれほど否定的な意見を持っているようではないみたいで」

「まあね、確かにあの子のおかげで、苛めに対する抑止力として働いているとは思っているけど……」

「そういう子は、いずれ目を付けられてしっぺ返しを食らうと?」

「勉強自体は出来る子だし、授業態度そのものは悪くないんだけどね? ただ、やり過ぎている感が否めなくてね……」

 葉子は入学してから早々、学校内外で起こる喧噪に首を突っ込んでは、かなり暴力的な手段で無理矢理鎮めてきた。

 彼女の制裁を食らった者は大抵、拷問とも揶揄されるような責めを受けるため、人間恐怖症の一歩手前まで精神的にも肉体的にも追い込まれており、登校拒否をする者も多い。

 しかし、自分より弱い者に危害を加えたりしない。大抵酷い目に遭うのは弱い者苛めをする方である。要は、いじめっ子を苛めるのを楽しんでいるのだ。

 そのため彼女に対する評価は賛否両論といった状態で、教師も完全否定は出来ないのだ。

 葉子自身は、自分の評価についてはそれほど気にしてはいない。しかし、自分が苛めた相手があっという間にボロボロに追い詰められるため、結果的に自分が弱い者苛めしているような構図になる。そのことについて葉子は「自分が強いと思い込んでるアホのせいで、こっちが不当な評価を受ける」とやや身勝手なことを思っている。


 午後の授業の途中、葉子は戻ってきた。

「戻ったわよ」

「信田、お前隣の奴と一悶着起こしたらしいな? あと三年生にも」

 歴史の授業を担当する白髪交じりの教師は苦笑いしながら迎え入れた。

「だったらアタシが手を出す口実を、もっと早く潰してもらいたかったね。あんた達が職務怠慢してっからこうなんだ」

「耳が痛いねえ……」」

 悪びれる様子も無く、葉子は席に座る。

「葉子、今回の怪我人に包帯は要る?」

 隣に座っていた若干の茶髪が混じった長髪の少女が話しかける。彼女は篠原真理(しのはらまり)、葉子が小学生時代からの友人で、両親が病院関係者なこともあり、その影響で医療にまつわる知識も多少は持っている。

「いや、包帯じゃ足りんな。暴れないように拘束具も頼むわ」

「ああ、頑丈な檻も付けてか?」

「出来ればな」

 真理とは反対側の席で薄ら笑いを浮かべる眼鏡をかけたボサボサ髪の男子は、黒川武志(くろかわたけし)、機械工作が得意だが、若干マッドサイエンティストな一面がある。以前にも葉子が捕まえた不良を使い、自作した拷問器具で発狂寸前まで追い込んだ。

 とはいえ、その内容は体中の敏感な部分をくすぐるというもの。流石に出血を引き起こすようなものではない。

「全く無茶するわねえ……」

 後ろからロバータが呆れるように笑った。

「良いじゃねえか、見ててありゃなかなかスカッとするぜ。ザマァ見ろって感じ」

 武志は愉快そうに笑う。

「葉子はちゃんと選んでいるからね~、偉い偉い」

 真理は葉子の頭を撫でながら言う。しかし葉子は渋い顔をしている。

「褒められることじゃないでしょ……」

「そうだね」

 前の席で、中性的かつ幼い顔立ちで、未だ声変わりしていない男子が話しかけてきた。彼は泉晴(いずみはる)。葉子とは幼馴染みであり、現在は学級委員を務めている。家事が得意で、実は葉子が昼食に摂ったおにぎりは彼の手製だ。

 葉子曰く、「まるで恋愛ゲーム(ギャルゲー)のメインヒロインが性別変えて画面から飛び出したような奴」とのこと。

「お前があまりにあちこちで負傷者量産するから、色んなとこから苦情が来てるんだよ」

 葉子は面倒くさそうに目を伏せた。

「どうせ苦情出してる奴も碌な奴じゃあるまいに。そいつには辞書で、『自業自得』と『因果応報』を学ぶことをオススメする」

「冗談言ってる場合か! やり過ぎだって言ってるの! 対人恐怖症通り越して廃人寸前になってる奴もいるんだぞ!?」

「殺しはしねえから安心しろ」

「当たり前だ!」

「てか、そもそも委員こそ真面目に取り組んだら? アタシが手を出すまでもないようにしてさ」

「うっ……」

 晴は言葉を詰まらせた。葉子は涼しい顔でノートと教科書を取り出し、今授業で進めているページを開く。内容は弥生時代だった。

「今更だけど日本って、もうこの頃から水田で栽培してたのね? 灌漑なんて手間ばかりかかりそうなんだけど」

 教室の最後列の窓際の席で、ロバータが呟いた。

「全く、アメリカ人は面倒くさがりなんだから」

 その隣には、晴と同様中性的な、しかし幾分か妖艶な雰囲気を持つ男子が返した。彼は和木明(わぎあきら)、ロバータとは小学三年生時代からの馴染みだ。

「アメリカじゃ、稲作は陸稲が中心で、こんな水田は見ないもの。もっとも、今はどうなっているか知らないけどね」

「陸稲の方が生産量高いんでしたっけ?」

「いや、大規模な農園を構築しやすいってだけ。プランテーションにはうってつけね。むしろ水稲の方が生産量・品質共に上よ」

「へー」

「――って葉子が言ってた」

 明は首をガクッと傾けた。実は葉子とロバータの学力は、比べると葉子の方が上だったりする。一週前の数学や英語の小テストでは、葉子とは五十点差を付けられ負けた。特に英語のテストで負けたことは、クラスではいつもネタにされている。

「まあ何にせよ、この水田って、アジアの風物詩というか名物というか、なんだか見ていて癒やされるような安らぎを感じるわね」

「まあ、コンクリートジャングルなんて、見ていて忙しない疲れる光景ですけど」

「ええ、ブラック企業で生気の抜けたサラリーマンが亡者のように彷徨っているのが想像できるわね」

「ひ、否定は出来ません……」

「保名さん、和木君、お静かに」

 他愛のない会話をしていると、教師に注意された。


 一方、保健室では太田と池田と羽田が、ベッドの上でふて腐れていた。

「本物の傷が出来ちまったな、羽田」

 太田が千切れかかったネックレスを弄りながら、茶化すように言った。

「皮肉のつもりかよ? あーいてえ……」

 顔や腕に付けられたガーゼに手を当てながら、羽田は天井をボンヤリと眺めた。

「くそ、治療費と眼鏡の弁償代請求してやる!!」

 池田はレンズの割れた眼鏡を握りしめながら憤る。しかし、やはり一方的にかつ容赦なく攻められたのが精神的に相当堪えたのか、握る手は大きく震えており、それは羽田や太田にも知られていた。

「震えてるぞ……」

「強がんな……」

「ちっ、あいつの弱みでも掴めりゃな……」

「やめた方が良いですよ……」

 弱々しい女子の声がした。池田が隣のベッドの仕切りを捲ると、気絶した佐々木の隣で座る伊藤がいた。

「一年? そいつも葉子(あいつ)にやられたのか?」

「ご名答……」

「それよりやめた方が良いってどういう意味だ?」

 池田が訝しげに聞くと、伊藤は震えた声で言った。

「以前捕まった、入浴を盗撮して強請りしていた盗撮魔は知ってます……?」

「ああ、流されたくなきゃ言うこと聞けって脅す陰険野郎か?」

 太田が相槌を打つと、羽田も喋り出す。

「精神崩壊した状態で、倒壊しかけている廃ビルで磔にされてたってニュースでやってたからな。しかも足下には、強請の証拠がぎっしり詰まったスマホ。自力での脱出は不可能、でも助けを呼べば脅迫の証拠が入ったそれを見られて病院から出た後は刑務所だ」

「だが脱出しなきゃ崩壊に巻き込まれて死ぬ。どちらにせよ破滅だ」

 伊藤は頷きながら続きを語る。

「だけど、結局見回りに来た警備員に発見された」

「警備員?」

「そこ取り壊す予定だったそうで。現場に異常が無いか、業者に雇われた警備会社のスタッフが見つけたんです」

 太田が顔を青くして口を開いた。

「おーコワ……。で、そんな磔の刑やってた奴が信田ってわけか?」

「証拠は無いですけどね」

「だがエグい手口が似てるって?」

「それだけならともかく、自分がやったかのように、はっきり言ったわけじゃないけどほのめかしてたみたいで。でも佐々木さんがこうなるのを見ると、本当かも知れない……」

「言いたいことが分かったよ……」

 羽田は半分疑いつつも、葉子にあるのは弱みでは無く逆鱗しか無いことを理解した。そもそも性格からして、脅せば屈するどころか脅されたこと以上の報復を仕掛けてことは容易に想像がついた。

「しかしこのままじゃ腹の虫が治まらん! あいつ絶対に仕返ししてやるからな!」

 しかし池田だけは苛々した様子で、拳をシーツに叩き付けた。

「よせよ、今度は下手すりゃ殺されるぞ……」

 羽田が宥めると、伊藤が苦笑いして言った。

「いや殺しはしないでしょう。佐々木さんもついさっき階段から投げ落とされかけたんですけど、結局はそうしないで壁に叩き付けられただけで済んで。ただ、失禁しちゃいましたけど……」

 羽田は鼻を摘まんだ。

「げぇ、臭いと思ったら漏らしてんのかそいつ?」

 葉子の容赦のなさに戦慄を覚えた太田は戒めるように呟いた。

「とにかく俺たちはあいつに関わらないようにしなきゃな。しばらく喝上げとか控えようかね……」

 そう言いつつも、羽田はもう一悶着ありそうな気がした。その時が来たら自分たちはどうなるか、考えただけで脂汗がにじみ出た。

「そうだな……」

 太田も同意した。と言うより、もう二度とあんなバカな真似はしないことにした。因果応報というものを身をもって思い知ったからだ。だが池田だけは未だに憤慨している。

 これには太田も困り果てた。この三人組の中では太田がリーダー格なのだが、池田は頭に血が上ると太田でも抑えられないことが多々あったのだ。

「池田、悪いことは言わん。ただ、あいつに目を付けられることは慎んだ方が良い」

「太田、一年風情にやられっぱなしで良いと思ってんのか!?」

「相手が悪すぎる、色んな意味でな。実力もそうだが性質もヤバい、下手なことすりゃどんなしっぺ返し食らうか分かったもんじゃ無い――」

 その時だった。視界の端、窓の外から誰かが覗いていることに気付く。それは、恨めしそうな目つきで睨み付ける男の顔だった。

「うっ!?」

「どうした太田!?」

「なんだ、あいつがいたのか?」

「あそこ……」

 太田が指さす先を見る。

「うわっ!」

杉田(すぎた)かよ、驚かせんな……」

 杉田は太田達と同じ学年で、一年の頃から苛めていた。しかし、ここで羽田に疑問が浮かんだ。

「お前、いつ来たんだ? 今朝いなかったよな?」

 杉田は去年の冬休み前までは登校していたのだが、三学期の途中から登校拒否をするようになっていた。今日もそうだった。

 しかし、そんな疑問を余所に杉田は去ってしまった。

「どうしたんです?」

 伊藤が興味本位で尋ねた。

「いや、同級生が見てただけだ。もっとも今朝いなかった筈なんだが……」

「それにしてもなんか、杉田の奴おかしくなかったか? 元から暗い奴だったけどさ、さっきのは禍々しいというか、雰囲気ヤバいっつーか……」

 狼狽する太田と羽田だったが、池田は一蹴した。

「何弱気になってんだ? あんな根暗野郎にビビってんじゃねえよ。一年にどやされたのまだ引き摺ってんのか?」

「やめとけって……。そんな強がらなくていい……」

 太田は池田が、やたら杉田に絡んでいるのを思い出した。確かに機嫌が悪いときなどは太田や羽田も八つ当たり同然に取っ組み合いをしたことはあったが、池田だけは些細なことでも異様に因縁付けていた。

「強がってねえよ!! からかってんのか!?」

「落ち着け!! こいつは忠告だ!!」

「何が忠告だ!! ああもういい、今日あいつの家にカチコミしようぜ!! いや今からで良い!!」

「おい、待てって!!」

 二人の制止を聞かず、池田は引き摺るように保健室を出て行った。太田らは止めようとしたものの、得体の知れない不気味さを感じ、手を引っ込めてしまった。


「葉子ー、ここよく分かんなーい!!」

 六時間目の授業中、ロバータが英語のノートとドリルを持って葉子に泣きついてきた。

「おいおい、アンタ本当にアメリカ人か……?」

「いいえ、日本人です」

「そりゃ今の国籍上はそうだろうけど、生まれはアメリカだろうが……。ふー、やれやれ……」

 葉子はロバータの苦手な部分を分析した。ロバータは聞き取ることと英文を読むことが出来ても、筆記が出来ないことが分かった。

「まああれだ、アタシらもムズい漢字は何度も練習してるし、アンタも繰り返せばどうにかなるっしょ。とりあえず、アンタは記憶力を養いな」

「記憶力……ですか」 

「そうよ、幸い読解力はあるし、次は自分で書けるようにすること。そのために、単語を完璧に覚えること、ね」

「はぁーい」

「やれやれ……」

 そのやりとりを見ていた英語の教師が苦笑した。

「一体、向こう(アメリカ)じゃどう過ごしていたんだ?」

「先生、コイツをフォローするつもりは無いが、海外には――とりわけ発展途上国なんかじゃ自国の文字や文章の読み書きが出来ない奴って多いんだぞ? というか第二次大戦以前はアメリカ含む列強諸国でも、字が読めない奴は多かったそうだし」

 葉子が言うと、ロバータが顔を引きつらせながら言った。

「待って待って、フォローってか蔑んでない? 気のせい? さりげなく私まで文盲扱いされてません?」

「コホン、事実を言っただけです」

 咳払いをすると、葉子は中年男性風の声で言った。葉子は声真似が得意で、アニメや映画の名台詞を声優の声に似せて喋ることも出来る。

 だがこの言い方が癪に障ったのか、ロバータは葉子に詰め寄る。

「言っておくけど、英文が読めないだけで日本語や漢字は読めるからね? 別に文盲じゃないからね?」

「とか言って、この前の漢字の小テスト50点だったじゃない、100点満点中」

「あ、あれちょっとど忘れしただけですし」

「言い訳するなんて、ただの案山子ですな」

「誰が案山子ですって!?」

 ロバータと葉子が口論している最中、終わりのチャイムが鳴った。

「よし、今日はこれで終わりだ!」

「あー、やっと終わったなー」

 晴は背伸びをして、教材を片付ける。

「まあどこかの誰かさんは、ここからが本番なのでしょうけど……」

 明は悪戯っぽく、葉子を見て笑った。

「葉子、ヤンキー狩りは程々にね」

 晴は葉子を睨み付けながら言った。

「心配するな、全て『正当防衛』で片付ける」

「不安しか感じないんだけど」

「大体、大抵喧嘩売ってくるの向こうの方じゃん? むしろこっちが責められる理由が分からん」

「だからって廃人みたいにする?」

「二度とバカな真似が出来ないようにしただけ」

 担任の話も終わり、正門に差し掛かる葉子達。そこには、奇妙な集団が待ち構えていた。

「まあ、懲りないバカもいるが……」

「あら、あの人達は……」

 葉子は彼女らを湿っぽい目で見据え、ロバータ引きつった笑みを浮かべていた。

「待っていたぞ信田葉子! 我々は――」

「はいはい、晴君(HaruKun)先鋒防衛隊(Vangaurd)ことHKVっすね。今日も出兵ご苦労さんです」

「保名ロバータ! 私達を忘れてはいまいな!!」

「え、ええ、確か明君(AkiraKun)特殊攻撃(Command)部隊(Team)こと、ACTの方ですよね……」

 晴と明には、その容姿から惹かれるファンが学校内外に存在し、その中で過激な集団が親衛隊や防衛隊を自称する彼女達である。もっとも葉子やロバータからしてみれば、常に一緒にいわれる自分たちに嫉妬しているだけにしか見られないのだが。

 いつから結成されていたかは正確には不明だが、中学時代から存在していたらしい。

「我々の晴君を独占し、このまま帰れると思ったら大間違いだぞ!!」

「こいつは公共物か。たく面倒な奴ら……」

「ロバータ! まさか貴様明君のスキャンダル握って一緒にいるのではなかろうな!? CIAみたいに!」

「そんなわけないでしょう! 人をマスゴミみたいに言わないで!」

 憤りつつも、ロバータは応戦の構えを見せる。だが、それは不要となった。

「信田様に……何さらしとんのじゃあああああっ!!」

「ぐふあっ!!」

 親衛隊の横から、女子の乗った自転車が突っ込んだ。乗っていた女子は転倒したが、すぐ起き上がり竹刀を振り回して親衛隊に攻撃を仕掛ける。

「た、退避ー!! 退避ーっ!!」

 この奇襲にはたまらず、親衛隊は逃走した。それを見届けた女子は、すぐ葉子に駆け寄り、手を握った。

「信田様!! お怪我は!?」

「稲垣、別にあれくらい一人で始末出来るんだが……」

 葉子に心酔しているこの女子は稲垣麗(いながきれい)。葉子に好意を抱いており、彼女に害するものは何者であろうと排除しようとする、親衛隊とはまた方向性が異なる過激な人物。何故か葉子に対してだけ様付けで呼ぶ。

「いいえ、あんな輩に信田様が手を煩わせる必要はありません!」

「アンタが手を汚す必要も無いがな、というか……」

 麗は握っていた手を、今度は葉子の腕を掴み組んでいた。

「なーに恋人みたいにくっついてんだ?」

「この方が、信田様をいつでもお守りできます!」

 その様子を見ていた晴は、反対側の腕を掴んだ。

「うおっ! 晴、何すんの!?」

「葉子はな、同性愛の趣味はねえから! さっさと離れろクレイジーサイコレズ!」

「はぁ!? 貴方のような男とすら見られていない未熟者が、信田様の横に立つなど百年早いわ!」

「またこれだ……」

 葉子は項垂れた。入学当初から晴と麗は葉子を巡り争い、三角関係になっていた。

「こんな三角関係ってのも珍しいな……」

「確かに」

 武志と真理は笑った。

「笑ってねえでどうにかしろぃ。こっちは腕が重たくて仕方ねえ」

「両手に花だろう」

「こんな雑草要らんわ!!」

 葉子は振りほどこうとするも、二人はしっかりと組み付いてなかなか離れない。やっとの思いで振り払うと、一人先に前進した。

「……」

 しかし胸騒ぎがして、後ろに振り返り、保健室の方を見た。それに気付いたロバータも、釣られて同じ所を見る。

「どうしました?」

 明が怪訝そうに訊いた。

「葉子が振り返ったから何かあるのかなって思って」

 ロバータが保健室前を凝視すると、異形の者がいた痕跡が黒い靄のように見えた。

「……ヤンキー狩りはお預けだな。今日、いや今宵はモンスターハントにしようかね」

 葉子は嬉しそうに不敵に笑い、昇降口へ戻っていった。


「おいどうすんだよ?」

「何が?」

 周りが次々と、下校や部活で教室を去って行く中、羽田と太田は頭を抱え残っていた。

池田(あいつ)はなんか妙に苛立っているし、薄気味悪い杉田は覗いてやがったし、おまけにあいつが無断早退するから先生からは白い目で見られるし」

「だからってどうする? ありゃ俺たちの手に負えねえだろう」

「ああ確かに、ありゃ普通じゃない。池田も、杉田も……」

「ほう、ちょっと興味あるな~、お姉さんに教えてくれない?」

「へ?」

 羽田が俯き気味の顔を上げ、太田が振り返るとそこには葉子がいた。

「うわぁ!?」

「おまっ、いつの間にいたんだよ!?」

「失敬な、人を化け物か幽霊みたいに言うんじゃないよ、たく」

 葉子は断りもなく、太田の隣の席に座る。

「おいおいおい、勝手に座るなよ。てか、いきなりなんだってんだよ?」

「だってぇ~、面白そうな話聞いて、黙ってられないし~」

「うざ、言い方めっちゃうざい……」

「は?」

 葉子は凄みを効かせ睨み付けた。昼休みにやられた恐怖を思い出し、太田と羽田は背筋を張り詰めた。

「わわわ分かった言う! 白状する!」

 太田は慌てて、保健室で起こったことを洗いざらいに白状した。

「その杉田って奴が、エセインテリに苛められまくって登校拒否。……してたのが急にフラッと保健室にやってきた、と」

「変な呼び方すんなよ……」

「で、それで何故か勝手に怒って杉田(そいつ)の家に向かったと。なんでそんなやたら執着してんだあの偽インテリ」

「それは分からん、ただ入学してから何故かずっと粘着質に攻撃していたんだ」

「アンタ達と杉田は中学時代は一緒だったんじゃないの?」

「いや別々だ。だから尚更分からん」

 しかし、太田が頬杖をして考え込むと、何かを思い出したように喋り出す。

「そういえば、俺たちが入学の前に、池田の奴が杉田っぽい奴となんか一悶着起こしてたような……」

「一悶着?」

「待て待て、俺も初耳なんだが」

 羽田も身を乗り出し、興味を示す。

「中学二年の時だったかな、どこだったかは細かいとこは覚えてねえけど、あいつレジャー施設で杉田と言い合ってたんだよ」

「なんて?」

「遠くだったしよく分かんなかったが、なんか迷惑かけんなとか、嫌がってんだろうとか。あー、そういや物陰から隠れて覗き見してる女の子がいたような……、それ関係してるのかな」

 それを聞いて、羽田が顔を青くした。

「羽田?」

「その子ってさ俺たちより三つくらい年下の子じゃないか?」

「うーんまあ確かに俺たちよりは年下だったかな。どれくらいか分かんねえけど」

「じゃ、じゃあその子、左目に泣きぼくろ無かったか?」

「遠目でよく見えなかったが、なんかほくろっぽいのはあったな。いやさっきからどうしたんだよ?」

 羽田は震える声で、零すように言った。

「ちょうど杉田が登校拒否起こしたのとほぼ同じ時期にさ、中学二年の女子生徒が自分の家で手首切って死んでたんだ」

「あー、あったわねそんなこと。でも正確には、運ばれた病院で死亡したんでしょ」

「あ、ああ……」

「そいつがどうしたんだ?」

「俺、野次馬感覚でさ、現場に行ったんだよ。今まさに救急車に運ばれるとこでさ、一瞬見えちゃったんだよ……、顔」

 すると、太田はもう一つ何か思い出し、顔を青くする。

「そういやさ、覚えてるか? 去年の冬休み、池田が妙に息巻いていたよな?」

「ああ、まさにそのこと考えると、合点がいく。まさか本当に……」

 ここまで聞くと、葉子も大体の話は読めた。それでもあえて二人に答えを聞いた。

「あの変態、まさかとは思うけど、ヤりやがった? しかもロリコン?」

「憶測に過ぎねえけどな、今のところ。でもよ、『今年中に童貞卒業する』って言われて、あれが起きたらさ……」

「ロリコンかどうかは知らんけどな。ただあいつに一泡吹かせるためだけにヤっただけって可能性も……」

 葉子は大きく溜息を吐き、懐から紙切れを取り出した。

「杉田の住所を教えてくれ」

「はっ?」

「あの変態眼鏡をぶちのめす。あいつ杉田のとこに行ったんだろう?」

「いや待て、池田はともかく、杉田は……」

「何?」

「奴は何故か、保健室に来ていた。今朝いなかったのにも拘らずだ。様子がおかしかった、まるで幽霊みたいにな。信じられんかもしれないが……」

 しかし葉子はつまらなさそうにまた溜息を吐く。

「そういう手合いには慣れている、だから教えろ。余計な口は閉じてな」

 太田達は葉子の刺すような視線に恐れ、杉田の住所を吐いた。

「どうも」

 葉子は紙切れをポケットに無造作に突っ込むと、ベランダに向かった。そして手すりに両手を着けると、そのまま身を乗り出した。

「はっ!?」

「待て待て待て!! 二階でも危ねえぞ!!」

 しかし、二人の制止を無視し、葉子はベランダから飛び降りた。慌てて下を覗き込むと、下には片手を地面に着けた形で着地した葉子と、白い運動靴を二人分の鞄を持ったロバータがいた。よく見ると葉子の足は靴を履いていなかった。

「さ、行きましょう」

「あいよ~」

 鞄を受け取り靴を履き終えると、葉子は太田達に妖しげな笑みを向けると、今度こそ学校から去って行った。


 メモを頼りに杉田の住所に辿り着いた。杉田の家は周囲を壁で囲われた、白い壁をした二階建て、小さな庭付きの建物だった。

「うわ、こいつはひどい」

「あらあら~、相当怨恨は大きいみたいねえ~……」

 教えられた住所一帯は、禍々しい空気に満ちていた。まだ日は高いのだが、夕暮れ時のように暗く感じた。また、残暑を過ぎた秋を彷彿させる寒さだった。

「あの眼鏡はどこ?」

「うーん、以外とこっちに来てなかったり?」

「でもあいつらの口ぶりだとこっちに行った感じだったんだけどねえ」

「どうする? お邪魔する?」

「そりゃするさ。えーと、すみませーん!!」

 葉子は杉田宅に向かって大声で呼びかける。しかし、返事は無い。

「あれ?」

「おかしいわね……」

 玄関前の門に手を掛けると、鍵は閉まっていた。

「裏口が無いか探してみる?」

「そうしましょうか」

 裏口は門から見て左側の壁で見つかった。しかし、こちらは開けっ放しになっていた。

「池田はここから入った? いや……」

 裏口は何か大きな物が無理矢理通ったかのように、形が変形していた。

「葉子、上……」

「うわーお、こいつは凄いことになってるな……」

 二階の窓が破られており、そこから下に沿って何かを引き摺ったような跡が壁にあった。

「『何か』があそこから飛び出して、この裏口を出て行ったと、まあ大雑把に推測すんならそんなとこか」

「それより中はどうなっているの……?」

「それは入ってみてのお楽しみってな」

 回り込んで玄関のドアを開く。こちらは開けっ放しになっていた。二階に上がると、部屋の前でへたり込んでいる中年女性がいた。

「杉田のお袋さんか? 何があった?」

 女性はずっと放心状態だったが、葉子に呼ばれて我に返り、部屋の中を指さした。

「ゆ、優弥(ゆうや)が……」

「優弥? ああ、多分アタシらが追ってる奴な」

「う、葉子、これ……」

「おいおい、正気の沙汰じゃねえぞおい……」

 床には複数枚の白紙を糊付けし、その上に魔方陣が描かれた物が置かれていた。

「葉子、これって降霊術の類いじゃ? 小さな女の子の残り香を感じるのだけど……」

「ああ、アタシもそれは感じていたよ。しかもこの世の者じゃない」

 その残り香は自殺したという女子中学生のものだということは想像がついた。葉子は部屋に置いてある机に飾ってある写真立てに視線を移した。

「……仲良かったんだねえ」

 そこには二人並んで写っている杉田と泣きぼくろのある少女の姿があった。杉田は照れくさそうに視線を逸らしているが、少女は抱きつくようにくっついている。

 しばらく眺めていると、ポケットに入れてあったスマートフォンが振動した。武志からのメールだった。動画が添付されている。

『ラジコン使ってグルグル見て回ってみたらヤベーもん撮れた。見てくれねえか?』

 動画には自分の住んでいる町の様子が映っていた。だが所々に形や姿が朧気な人影が通行人に混じっており、通行人の中には池田の姿もあった。だが何かから隠れ、逃げているようだった。

「杉田!?」

「どうしたの?」

 ロバータも動画を覗き見る。池田を追うような挙動をする、杉田の姿も確認出来た。こちらは姿や形がはっきり映っているが、黒い靄が纏わり付いている。そしてその靄には見覚えのある顔が見え隠れしていた。

「あいつ、杉田に憑いているのか?」

 動画を一時停止し、写真立ての写真と見比べる。靄の中に浮かぶ顔は、あの泣きぼくろの少女だった。

「あの様子からすると、これただの降霊術じゃねえぞ!?」

 床に散らかっている物の中に、古い紙切れを見つけた。

「なんてこった……」

「どうしたの? てか、それ何?」

「化け物の作り方を書いた書物――の一部だな。どこから流れ着いたんだ? まあそれは良い、杉田は自分の体を生け贄に憎愛(ゾーア)を作り出したんだ」

「ゾーア?」

「強い愛情に由来する、同等の憎しみを持つ魂で作られた(あやかし)。人工的に作られたところは、式神とか、西洋のゴーレムなんかに通ずる所はあるわね」

「愛情に由来する憎しみって、言われてもよく分からないんだけど……」

「ここで言うなら、杉田はあの写真の子が好きだった。だけど池田の行動がきっかけで命を奪われた。そいつに向けた愛情が強い分、奪った奴への憎悪も大きくなるのは当然でしょう?」

「ああ、そういうこと……」

 葉子は紙切れを畳んでポケットにねじ込み、廊下へ出た。階段に差し掛かった時、杉田の母親と顔を合わせないまま言った。

「おばさん、アンタの息子さん、生きて返せる保証は出来ん。代わりに、落とし前はしっかりつけるよ」

 杉田の母親は呆然としながら、葉子が階段を下っていく背中を見ているしか出来なかった。

「葉子、もうちょっと言い方気を遣いなよ……」

 玄関で追いついたロバータが咎めるように言った。

「これからやることは自己満足だ、正義もへったくれもないさ。所詮アタシらは悪党だしねえ、ワルの食い合いだよ、ただの」

「そりゃそうだけど……」

「まあ勿論、池田の野郎が気に入らんってのもある。残り二人はまだ自制心があるみたいだが、あの屍人はゾーア共々始末せにゃならん。三年だからってちぃとばかし調子乗ってやがるから頭冷やしてやらんとね」

「頭どころか全身冷たくなって発見されそうね……」

「そこんとこはわきまえてるよ、大体殺す価値も無い」

 靴を履き終えたところで、葉子はメールの内容をもう一度確認した。添付されていたのは、動画撮影した位置を示す地図も入っていた。

「へへ、本当に気が利くねえアイツ。よし、それじゃ現場へ直行――の前に」

「前に?」

「着替えだ。流石に制服のままだと目立つ」

「はーい」

 葉子とロバータは周囲に通行人や、自分のいる道路に視線を向けている人がいないことを確認すると、消えてしまった。


「はあはあ、どうなってんだよこりゃ!?」

 池田は焦っていた。殴り込みに乗り込んだ結果、二階から得体の知れない塊が下りてきたかと思うと、複数の杉田に分裂した。皆虚な表情をしており、しかし確かな殺気を放っており、本能的に逃げ出した。だがどれだけ離れても、行く先行く先で先回りされ、池田の体力は限界に達していた。

「どこまで付いてくるんだこいつらは!! いい加減にしろよ!! ネチネチ付いて来やがって、さっさと消えろよ!! うわ!!」

 逃げてるうちにガードレールに足を引っ掛け、しかも運が悪いことに勢い余って身を乗り出して転落した。幸い下は河原だったものの、全身を強打してまともに動き回れる状態では無くなった。おまけに周辺は背丈の高い草が生い茂って視界が悪く、流木や大きめの石も転がって足場も悪い。

「はあ、はあ、やっと……あっ!?」

 開けた場所に出られ安心したのも束の間だった。既に目の前には杉田が先回りしていた。

「嘘だろう……!? マジでどうなって……」

 後退りすると、背中がひやりと湿った。思わず振り返ると、後ろには半分凝固した血液の塊のような物体が、そこで蠢いていた。

「なんじゃこりゃああああ!?」

 絶叫と共に、池田は完全に腰が抜けてしまった。

「あーあ、随分と憎まれてますねえ。まあ、助ける義務なんか無いんですが、放っておくのもねえ」

 だが現場には既に面を被ったロバータが到着していた。ロバータは射撃位置に着くと、杉田の分身体を自動小銃で一体ずつ狙撃した。

「ふん!」

 続いて草むらに潜んでいた葉子が姿を現し、塊に刀を振り下ろし、粉砕する。

「ズィルバー、その血痰みたいなのがゾーア?」

 河原に滑り降りたロバータが葉子に近付き尋ねる。

「血痰って……、まあそうだよ」

「うーん、なんか想像してたのと違う……」

「ゾンビとかスケルトンみたいなの想像した? 残念、ゾーアには決まった形が無い」

「え、そうなの?」

「攻撃対象の精神を揺さぶる姿をした、分身体を作るんだ。本気出せば、もっと色んな姿になれるし、作れる。しかし……」

「しかし?」

 どろどろに崩れたゾーアを見て、葉子は首を傾げる。

「コイツは基本、命令を出す者がいないと、まともに動けない。いや、最悪無差別に殺す殺戮兵器と化す。なのに池田だけを狙った。正確にな」

「杉田さんが動かしてるのでは?」

「いや、材料となった肉体と魂の人格は消えてしまう。操縦者として機能しなくなるんだよ。だとすると、コイツを動かす第三者がいることになるが……」

「杉田さんが操縦できるように、術に細工を施した? それとも杉田さんのお母さんか……」

「それはあり得ねえよ、二つ目なんかあってたまるか」

 葉子はゾーアを操縦できる人物が誰か、推理してみる。だがここで、一つの可能性を見出した。

「操縦者が生者とは限らないとすれば?」

「まさか、幽霊が操っているってこと?」

「このバカを恨んでいて、尚且つ復讐したいって意志を持っていればな」

 葉子は伸びている池田を、つま先で突きながら言った。

「思い出してみろ、杉田が可愛がっていた少女の死因を。いや厳密には、自殺した原因だな」

「憶測とはいえ、確か池田先輩に無理矢理……、まさか!!」

 ロバータは何かに気付き、狼狽えた。そして葉子は、飛び散ったゾーアの破片に触れる。心を読み取るために。

「うぐ!」

 慌てて葉子は破片を振り払う。

「どうだった!?」

「予測通りだよ……。ゾーアの操縦者は、水子だった。勿論池田と、あの子の間に出来た、な……」

 心を読んだ結果、池田に向けられた殺意を詳細に知ることが出来た。印象的だったのが父親に対する憎しみ、母親に対する憐れみ、そして杉田に対する望みだった。

「さて、向こうも第二ラウンドの準備が出来たらしい」

 飛び散った破片は一箇所に集まり、再び不定形の塊になった。しかし最初とはうって変わって、刀や鞭を彷彿させる触手を無数に生やしてきた。

「あらあら~、これ捕まったら破廉恥なことされるんじゃないですか?」

 ロバータが顔を赤らめて冗談を言うが、葉子は深い溜息を吐く。

「そんなエロ同人みたいなことそうそう起こるか。それとも期待してんのか、この痴女め。ありゃ捕まったら、絞殺かバラバラになる未来しか無いからな?」

 触手を展開したゾーアは、早速刀剣状の触手で突いてきた。二人はそれをかわし、ついでにカウンターで2,3本切断する。だが相手はスライムのような化物、決まった形を持たないが故に武器を切断されたくらいでは決定打とはならない。

「千切ろうが引き抜こうが、いくらでも再生しますねアレ。正直鬱陶しいです」

「核となる物があると良いんだけどねえ、無くなると存在の維持が出来なくなるような」

「そんな都合の良い物あるんですかね? あ」

 二人が攻撃を避け続けていると、隙とみたのか失神している池田に触手を束ねて突き刺そうと迫る。だが葉子はそれを防御する。

「坊ちゃん、アタシはねえ、コイツがここで死のうがどうなろうが構わないのよ。だけどね」

 続いてロバータが触手の束を撃って切断する。

「こんな人のために、貴方の手を汚してしまうのは、見ていられないんですよ」

 ゾーアは一度後退する。ここで二人は面の力を解放する。葉子は全身を黒い鎧で身を包み、巨大なハンマーを構える。一方ロバータは、紺色の鎧に二挺のベルト給弾機関銃という装いだ。

「ゴルト、ここは面制圧が一番だと思わないか?」

「ええ、ここまでしぶといと、その方が手っ取り早そうですしね」

「何より向こうも本気みたいだしな」

 ゾーアは管状の触手を展開、そこから針を連射し始めた。しかし、ロバータの弾幕射撃により発射口ごと針は撃ち落とされた。敵の防御に隙が出来たところで、葉子が急接近しハンマーを何度も叩き込む。そして動きが鈍った所でゾーア本体に手を突っ込んだ。

「核は……、コイツか」

 葉子が掴んだのは、大きさの異なる二つの球体だった。それを引き摺りだした途端、ゾーアの破片は一箇所に戻ったかと思うと、元の杉田の姿に戻った。

「ズィルバー、それは?」

 ロバータが駆け寄ってきて尋ねた。

「ゾーアの材料の一つ、魂だよ。大きいのは少女の方、小さいのは……言わんでも分かるでしょ」

「大体想像着いた」

「さて、もう成仏しな。いや自殺者は簡単に成仏しないんだったか、気の毒だけど……」

 葉子はチラリと杉田の顔を見た。

美代子(みよこ)……」

 少女の名前をうわごとのように呟いた。目には涙を浮かべている。喋れると言うことは生きているということで、葉子は目配せでロバータに指示を出す。

 ロバータは杉田を担いで河原から引き上げ、葉子は留まり池田の頬を引っぱたき起こす。

「よう、元気か?」

「ひぇっ!!」

 池田は勢いよく飛び起きた。周りを見渡し、ゾーアがいなくなっていることを確認すると、葉子に深く頭を下げた。

「ま、まさかあの化物を退治してくれたのか!! ありがとよー、本当に!! しかしすげーや、本物のナイトバーカーだぜ!!」

 礼を言われるも、葉子は冷たい視線をずっと向けている。それもその筈、目の前の『屍人』を助けるつもりで来たわけでは無いからだ。

「しかし杉田もバカだよなあ、あんな気色悪いカッコしてこれからどうするんだろうな? いい気味だぜあのロリコン、惚気まくってた幼女をよりによってバカにしやがってた野郎に盗られたんだからなあ!!」

 自分の犯罪自慢を聞いて苛立ちが頂点に上り、ここで葉子が口を開く。

「堕ちた『人間』は、二つの内どちらかに成り下がる」

「は?」

 雰囲気の変わった葉子に(おのの)き、池田は数歩下がる。

「一つは、自身の持つ力を乱雑に振り乱す『化物』。もう一つは――」

 葉子は静かに、池田に指さして冷たく言い放った。 

「アンタのように、他者を堕落の道連れにし彷徨う『屍人』だ。ああ、それともう一つ言っておこう」

 今度は声を押し殺したような笑い声を出しながら、静かに池田に詰め寄る。既に池田は汗を全身から噴き出し、心臓の鼓動を高鳴らし、手足は激しく痙攣している。

「『屍人』はアタシのような『化物』の温床……、言い方を変えるなら――『エサ』だ」

「ひぁあああああああああ!!」

 相手が命の恩人では無く、自分を獲物と捉える狩人と知ると、池田は逃げ出した。葉子はハンマーを握りしめ、ゆっくりと後を追う。

「あああああ!! 今日は厄日だ!! いや厄日なんてもんじゃねえ!!」

 河原に転がり落ちた影響で上手く走れず、何度も転倒しかけた。

「無駄な抵抗はやめなさ~い」

 そのせいで徒歩でゆっくり近付いてくる葉子との距離を引き離すことが出来ず、焦りが募っていく。

「隠れていれば助かると思っているの~? 逃げ道なんて無いのよ~?」

「ああクソ!! どこかに階段は……、あああああ何でさっきから誰もいないんだよー!!」

 池田は土手の上を見上げてみたものの、通行人が一人としていない。車も一台も走っていない。従ってどれだけ声を荒げたところで、ここで起こっていることは誰にも気付かれることはない。

「や、やっとだ!!」

 池田はとうとう上に続く坂道を見つけた。道は細い上に雑草が生い茂って舗装も荒れているが、蜘蛛の糸にでも縋りたい今の池田にとっては、大きな希望に見えた――が、それは幻だった。

「はっ!!」

 駆け上がると、葉子が先回りしていた。姿は白になって武器は太刀に変わっているが、相変わらず強い敵意を放っている。

「年下の女の子をヤるのが好きなんだろう、アンタ?」

 後ずさって後ろのガードレールに背中をぶつける池田。だがその瞬間、背中に何かが触れた――いや触れられた。

「ぎゃああああああ!!」

 振り返った池田は恐怖のあまり絶叫した。後ろには美代子と同い年ぐらいの少女が、それも目が落ちくぼんで肌が土気色になっているのが、土手に引きずり下ろそうとしているのだ。

 それだけでも正気を失いそうな光景だというのに、その引きずり下ろそうとする先にも同じような出で立ちの少女が、真っ赤な水溜まりに浸かって腕を伸ばしたり手招きをしているのだ。

「おーおー、モテモテじゃないか色男」

「やだ、助けてくれ!! 死にたくない!!」

「あはは、アンタ絶倫そうだし大丈夫。ゆっくり、楽しんでイきなさい」

「ひっ……」

 池田はそのままガードレールを乗り越え、そのまま土手を滑り落ちていった。

「ああああああ!! 誰か助けてー!! 触るな、俺に触るなああああっ!!」

 池田は血の池の中で少女の怪物に弄ばれ、葉子に助けを求め叫ぶ――が、彼の見ている光景は全て幻に過ぎない。もし他の通行人に見られれば、浅い水溜まりでずぶ濡れになり、大げさに騒いでいるだけにしか見えないだろう。非常に滑稽だ。

「あらもう枯れちゃった? だらしないわねえ」

 段々池田の声が弱っていき、完全に意識を失ったところで土手を下りる。池田は水溜まりで気道が塞がっており、放置すれば溺死してしまう。それを防ぐため河原に引き上げた。助ける義理などないが見捨てる理由も無いし、死体になってしまえばかなり騒がしいことになってしまう。加虐嗜好から簡単に死なせたらつまらないというのもある。

「杉田を侮辱した言葉、そっくりそのまんま返すわ。アンタもバカよねえ、そんなザマになっちゃってこれからどうなるんでしょうね? いい気味だわロリコン、バカにした男から女を寝取ったら、よりによって干からびるまで搾り取られちゃってさ」

 生気を失った池田からスマホを取り出して操作し、ニヤリと笑うと葉子は河原を離れていった。


「おはよーっす佐々木さーん!!」

「ひいいいいいいっ!!」

「あらま」

 朝、学校の廊下ですれ違った佐々木に挨拶しながら肩を叩いた葉子だったが、悲鳴を上げながら全力疾走で逃げられてしまった。逃げながら「人殺し!」というのが聞こえた。

「大袈裟ね、流石に殺ったりしないってーの」

「階段から投げ落とそうとしたら、ああも言われるわよ」

 隣でロバータが苦笑しながら言う。そして三年の下駄箱を見た。

「池田先輩……、来てませんね」

「だろうね、ホレ」

 葉子はスマホの画面を見せた。そこに映っていたニュースサイトによれば、男子高生が精神に異常を来した状態で発見され、所持していたスマホから女子中学生暴行の証拠となる画像データが入っており、警察は退院後に再逮捕する方針、という旨の記事が載せられていた。

「入院生活と少刑生活、どっちが長くなるかしらねえ~?」

 葉子は薄気味悪い笑みを浮かべ、自分のクラスに進もうとする。しかし途中で、太田と羽田に遭遇した。

「あら、この人達は?」

「昨日ボコった奴の同級生だよ」

 葉子が紹介すると、太田達は気まずそうに目を逸らし、廊下の端に身を寄せて道を譲った。

「そんな気を遣わなくなって良いんだぞー?」

 葉子は手をヒラヒラさせ、ロバータは軽く会釈をして通り過ぎていった。

「なあ羽田……」

「言わなくて良い……、今後池田とは関わらないようにしよう。見舞いもだ」

 羽田は葉子が見ていたのと同じニュースサイトを見ていた。

「こんな、あからさまなことしてたんじゃな……」

 疑惑が確信に変わり、池田とは金輪際付き合いを止めることを誓った。振り返れば暴力も喝上げも、池田に誘われたのがきっかけだった。しかし昨日葉子に完膚なきまでに叩きのめされ目が覚めたからか、冷静に考えればこれらは犯罪に該当する行為であることを思い知った。

 もし池田とこのまま付き合い続けていたら、いずれ同じ末路を辿るのではないかと考えるとゾッとした。

「てかあれ太田、ネックレスはどうした?」

 羽田は太田の胸にいつもぶら下げていた、銀のネックレスが無くなっていたことに気付いた。

「あれか、あれはもう売っちまった。下級生から強奪()った金で買った物だから、なんか嫌になってさ……」

「そうか……、実は俺もシール捨てちまったんだ」

「やっぱ喝上げの金で買った物は気が引けるか?」

「ああ、何でだろうな、急に……」

 これが罪悪感というものなのだろうかと、二人は思った。これまで抱いたことの無い感情に違和感を抱きつつも、自分達のクラスに進むのだった。


「よう、化物は始末出来たかい?」

 葉子達が教室に入るなり、武志が話しかけてきた。

「屍人共々な」

 葉子はつまらなそうに言い、席に座った。そしてロバータの顔を見た。

「杉田先輩は、あの後どうしたの?」

「勿論、病院に運んでいきましたよ」

「担いで行ったのか? どうりでサイレン聞こえなかったわけだ……。て言うか、あの格好で入ったの?」

「ええ、まあすぐに帰りましたけど」

「ナースさん達ドン引きだろうな……」

 担ぎ込まれた杉田は著しい衰弱が見られたものの、命に別状は無かった。とはいえ精神的な傷は大きく、このまま元の生活に戻れるのかという懸念は残った。

「それにしても、どこから入手したんだこんなもの?」

 葉子は杉田の家に散らばっていた、ゾーアの書物を鞄から取り出した。池田に制裁を加えた後、もう一度入ってまとめてきたのだ。

「どうするの、それ?」

「燃やしちまおう。灰にしちまえばもう誰の手にも渡らない、誰の目にも触れない」

「ですね……」

 葉子は無造作に書物を丸めて、鞄に突っ込んだ。

「ところで、池田先輩と一緒だったあの二人は放っておいて良いの?」

 ロバータは葉子の机に両手を付いて尋ねた。

「さあね、またやらかしたら問答無用でぶっ飛ばすけど。あの眼鏡はちょいと悪質だったからねえ、少ーしきつめのお灸据えてやろうかと」

「……確かに女の敵みたいな奴でしたし」

「でしょー? ……実際あいつ、超ムカつく奴だったからねー。話聞けば聞くほど」

 葉子は先日の制裁を行う前から、三人に纏わる情報収集をしていた。その中でも特に池田の悪行が目立った。恐喝や暴行に加え、外に出ては女子生徒に盗撮や痴漢紛いなことをしていた他、スーパーやコンビニで理不尽なクレームを入れたりとかなり問題を引き起こしていた。その上小賢しくも、自分がどこの学生か分からないようにして学校に連絡が行かないようにしていた。

「アタシ、ああいう奴大嫌いなんだよ、ふらふら放浪しては害を振りまく屑が。まさに病原菌の温床、近くにいるだけで心が腐っていくよ。あの二人もそんな感じだったしね」

「だから二人は放置したの?」

「勘違いするな、またなんかやらかしたらさっき言ったとおりボコる」

 そう言って葉子は、脚を伸ばして背もたれに頭をかける姿勢になった。天井を見つめる目は、どこか虚ろだった。そんな葉子にロバータは尋ねた。

「ねえ葉子、あの水子はなんで池田先輩だけ狙ったんでしょう?」

 葉子は軽く目を瞑り、しばらくの沈黙の後に言った。

「許せなかったんじゃない? 自分が生まれることが出来なかった事実が。その原因を作った父親が。父親に対する怨みと、父親としたかった杉田の怨みが同調した結果……、なのかもしれないな」

「父親としたかった?」

「あの水子はな、杉田を父親だと思っているんだよ。だからこそ仇討ちに協力したんだ。もっとも、あっちの方はそんな自覚無かっただろうが。美代子が妊娠してることも知らなかったはずだろうから」

 ロバータはやるせなそうに溜息を吐いた。

「仇、討てましたかね?」

「いーや、アタシらが邪魔したから出来てねえな。少なくとも自分の手では」

「そんな……」

「だがあいつらがわざわざ手を汚すまでもない、ゴミ屑だ。それに杉田が怪物のまま人生終わらせたら、屍人に人生をぶち壊されたままになっちまう」

「でも、あれほど状態から立ち直れますか……?」

「さあね、出来れば立ち直って新しい彼女作れることを祈りたいがな。まあ人生は長いからな、いくらでもやり直せるさ。『人間』である限りな」

 朝礼を知らせるチャイムが鳴り、一日が始まる。朝礼では早速池田の話題が持ち上がった。だが葉子とロバータは他人事のように、担任の話を聞き流した。

 葉子もロバータも、自分が正義の味方だという意識は微塵も持ち合わせていない。何故なら彼女達は、己の美学に反する屍人を食らうためだけに力を奮う「化物」だからだ。

~トラブル~


晴「はぁ~……」

武志「どうした? 溜息なんか吐いて」

晴「言わんでも分かるだろう……? 葉子が校内外でトラブル起こす度に胃が痛くなるんだよ……」

武志「だが基本的に正当防衛でお咎め無しだし、相手が基本悪いわけで大目に見られてるから構わないだろう?」

晴「でもそのうちデカい事件に発展しそうだし、逆恨みでもされてしかもガラの悪い男だったらどうするんだー!?」

武志「なんだ、そっちの心配か?」

晴「え?」

武志「そりゃ惚れた幼馴染みが変な男に襲われたりしたら、落ち着かないよな~?」

晴「ちちちちち違うし!! 別にそんなことないし!? ただ逆襲がきっかけで学校に二次被害出たら怖いだけだし!!」

武志「だが~?」

晴「……これ以上余計な口叩いたら、はっ倒すぞ!!」


~水田~

明「水田って見飽きないんですよね~、夏場は格別です」

ロバータ「そういえば貴方、毎年夏休みには必ず郊外の田んぼに行ってますよね」

明「癒やされるっていうのもあるんですけど、思いもがけない発見があるから面白いんですよね~」

ロバータ「例えば?」

明「なかなか珍しい小動物を見かけたりしてね。去年なんか、タガメをたくさん見つけちゃって」

ロバータ「タガメ?」

明「水の中に住む水生昆虫です。カメムシの仲間で、前足で使えた獲物の体液を吸い尽くしてしまうんですよ。特にタガメは、自分より大きな蛇にすら襲いかかるくらい獰猛かつ食欲旺盛なんです」

ロバータ「あの臭い生き物の仲間かー……」

明「と言っても臭い匂いは出しませんし、それどころか雄の方は果物みたいな香りがして、東南アジアでは隠し味に使われているそうです」

ロバータ「それでも食べられる気がしないわ……」

明「タガメ以外にも、タイコウチとかコオイムシ・マツモムシ・ミズカマキリもちょくちょく見かけましたね。水生昆虫って絶滅が危惧されているのが多いんですけど、どうやらあそこは環境が良いようで」

ロバータ「へ、へー……」

明「あとそれから」

ロバータ「まだいるの?」

明「トンボの幼虫のヤゴでしょう、それとミズスマシと、あーそうだ!!」

ロバータ「今度は何?」

明「忘れてた!! 去年はとてもレアな生き物が見られたんですよ。ゲンゴロウとガムシ、もう見られないんじゃないかと思ってたんですよねー!!」

ロバータ「そんなに珍しいの、それ?」

明「場所によっては、タガメ以上のレア生物ですよ!!」

ロバータ「へ、へーそうなんですか……。あーダメだ、これ以上はついていけない……」


~識字~

武志「ロバータ、一つ気になることがあるんだがな」

ロバータ「なんですか?」

武志「英語が苦手って言ったが、日本語はなんで大丈夫なんだ?」

ロバータ「日本に来る前に猛勉強しましたから。おかげで、人並みには……」

武志「だからって、英語が出来なくなる理由にはならねえだろう?」

ロバータ「元々、口下手なんです私」

武志「人と話すのが苦手なのか?」

ロバータ「まあそんな感じです。喋るのが苦手で、向こうでのコミュニケーションを疎かにして、気付けば喋ることも書くことも出来なくなっていた……。英単語の意味は朧気に理解出来ても、自分で言葉を組み立てることが出来なくなっていたって感じでしょうか。気付けば、ほぼ家に引き籠もるようになってましたし」

武志「要するに、喋りたくなくなっていくうちに喋れなくなったと?」

ロバータ「かな~、まあ家族は日系人が多かったし、時折日本語で話すから、自然にそっちを覚えるようになったっていうのもありますけど。両親と祖父母には、基本日本語で喋ってましたし」

武志「なんか生まれる国間違えた感あるな……」

ロバータ「本当にね……」


~ファンと書き、狂信者と読む~

真理「麗ちゃん相変わらずねー……」

葉子「一体どこで間違えばああなるんだ? 理解に苦しむ」

晴「あいつ、葉子と同じ中学らしいけど、どういう関係なの?」

葉子「中学の頃、麗を中心にちょっとしたゴタゴタがあってな……」

晴「ゴタゴタ?」

葉子「まあ早い話、揉め事だ。アタシは気紛れでちょっと手を貸してやったんだが、それでえらく懐かれてしまってな……」

晴「葉子ってお人好しだもんねー」

真理「本当、何だかんだ言ってほっとけない性格だもんねー。不良に絡まれまくった結果、凶悪になっちゃったけど」

葉子「ただのエゴだ。気に入らねえからぶっ潰す、それ以外はほっとく、それだけのことだ」


~逆恨み~

葉子「はぁ……」

ロバータ「どうしました?」

葉子「あの三年生の話聞いてきたんだよ。あの池田って野郎、相当な曲者、いや屑だな」

ロバータ「何の話ですか?」

葉子「アンタも感じたでしょう、禍々しい何かがここにやってきた痕跡を」

ロバータ「朧気ながらね」

葉子「痕跡だけでもかなりの怨念を感じたが……、怨まれている当の本人もそいつを怨んで……というより怒りを感じている。完全に逆恨みだろうがな」

ロバータ「どういうことですか?」

葉子「ここにやってきた何かの正体は恐らく、二人の話から察するに杉田って先輩だ。池田は恐らく昔、無理矢理ナンパしようとしたのを杉田に止められた。それで逆恨みしてんだろう。話を聞いた限りじゃ、それ以来ずっと嫌がらせを繰り返していたらしい」

ロバータ「それでどうなったんですか?」

葉子「杉田に対する直接攻撃は全くと言って良いほど効果無し。だが、さっきのナンパした女が杉田にとってかけがえのない存在だとしたら話は変わってくる」

ロバータ「え?」

葉子「あんまり聞いてて気分の良い話ではないだろうがな。あのクソ眼鏡、杉田を精神的に痛めつける為に――いやそれだけの為に女を襲った」

ロバ―タ「っ!!」

葉子「その女はそのショックの為に自殺した。杉田は精神的に大きなダメージを負ったのは想像に難くない」

ロバータ「酷い……、一方的な逆恨みで女性の尊厳を傷付けるなんて!!」

葉子「そうだな、それも酷い話だが……、逆恨みする屑の心情が全然理解出来んな」

ロバータ「それでどうするんですか?」

葉子「池田は杉田の家に向かったそうだ。あの二人から住所も聞き出せた。杉田がどうなっているかも気になるが、池田を野放しには出来ないからな」


~ゾーアについて~

ロバータ「葉子、ゾーアって何なの?」

葉子「一言で言うなら、蠱毒の廉価版といったところか」

ロバータ「と言うと?」

葉子「だが内容のおぞましさで言うなら、蠱毒よりヤバいかもしれん。なにせ材料となった生き物の強い怨念をそのまま力に変換しているわけだからな。と言うのも、使われる材料は番いなんだ」

ロバータ「番いというと、カップルとか夫婦とか?」

葉子「その通り。まず作り方だが、術式を施した空間に番いを閉じ込めておく。この時目隠しや猿ぐつわなどをしておいて、お互いの素性が分からないようにしておく。その上で殺し合いを……蠱毒で言うところの共食いをさせるわけだ」

ロバータ「うっ……」

葉子「何となく想像つくだろうが、殺した側は殺された相手の正体を知って深く後悔と絶望、そしてこの状況を作り出した術者に大きな怨みを抱く。怨念が最高潮に達した瞬間、術者は仕上げにかかる。それで完成だ」

ロバータ「でもこの説明だと、材料は人間のように複雑な感情を持った生き物じゃないと出来ないんじゃ……」

葉子「そうね、実際使われる材料は人間である場合がほとんどだ。昔は村八分にされた夫婦が術者に売られた結果、作られるケースがあったそうよ」

ロバータ「……あれ、でも杉田先輩は殺し合いなんてしてませんよね?」

葉子「術式を施した空間に、番いの死者の魂が揃えば作れるんだ。あの部屋はゾーアの術式以外に、降霊の術式も施されていた。だがあの一帯の澱み具合からして、かなりの試行錯誤があったことが予想される」

ロバータ「試行錯誤?」

葉子「本命ではない霊も、連れ込んでしまったってことだよ。素人の降霊術にはこういうトラブルがつきものだからな。もっとも術の完成に伴って引っ込んだのか、他の霊体はいないようだが。それがせめてもの救いだな……」


~バレてる?~

ロバータ「あの二人、私達の正体気付いてます?」

葉子「察してるだろう。だが拡散する気は無いだろうな」

ロバータ「どうしてそう言い切れるんですか?」

葉子「危険な秘密を知った奴は、二つの行動を取る。一つは、弱みとして強請りのネタに使おうとするクズ。以前アタシが廃墟で磔にしたボケが良い例だ。わざと撮らせたことすら気付かんとは間抜けな奴だったよ」

ロバータ「あそこ、倒壊の恐れがあったんでしょう? 流石に放置して崩落でもしたら……」

葉子「『未必の故意』って奴だな。だけどあそこは警備員が定期的に見回っているし、大地震でも起きない限り今日明後日で崩れるような物でも無い。まあ、不安を煽ってやっただけだがな。で、話を戻すが二つが知らんふりする奴だ。強請ろうにも相手が悪すぎる、あるいは下手に拡散すると自身に何らかの不利益が起きる。だから沈黙を通そうとするんだ」

ロバータ「でもそれ、拡散される前に消されるパターンもありますよね?」

葉子「アタシはやらんぞ? そこはわきまえてるよ」

ロバータ「でも、仮にも友人を病院送りにされてるんですよ?」

葉子「昨日の様子から察するに、見切りを付け始めたんじゃないか? 犯罪者と友達になりたくないと。まあ、苛めだって内容によっちゃ暴行・脅迫・窃盗・名誉毀損・わいせつ行為にだって該当する立派な『犯罪』なんだがな。『苛め』という言葉にすり替え、さも大したことのないように濁しているだけだ」

ロバータ「ですよね……」

葉子「まあ拡散して発信元がバレたらどんな目に遭うか、分かっているから引っ込んだと見るべきだろうね」

ロバータ「殴り飛ばすどころか、過去の悪行掘り返して社会的抹殺謀る気だったんじゃないですか?」

葉子「かもねー」

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