狐は群れない
切り裂き獣人
グレンバ
日が落ちて間もない頃、金曜日の繁華街の大通りでは大勢の人達が、動揺と蔑視の視線を一人の男に向けていた。その男は大声で喚きながら、地べたを転げ回っていたのだ。そして近くには刃物が無造作に置かれている。
「ああああああ!! いてえ、いてえよおおお!! あいつが、あいつがああああ!!」
目は血走り、脂汗を吹き出し、自分を見下ろす大衆に憎悪の眼差しを向けるも、体中を駆け巡る激痛のせいで自らの得物を向けることは出来ない。
「あいつ、中坊殴って捕まった奴じゃないか?」
野次馬の一人が呟いた。
「あ、本当だ。もう十年経ってたんだな」
「けっ、あんな傍迷惑な野郎が十年ちょっとで娑婆に出られるとか、本当に嫌な世の中だぜ」
「ああ、警察が役立たずで殺人が溢れかえった社会とどっちがマシだろうな」
「法治国家の弱みだよなあ、どんなふざけた奴でも、法令で決まってるからさ。傷害罪って、十五年以下の懲役っていったっけ?」
「五十万以下の罰金とも聞いたぞ」
「その程度で『許される』んだから、胸糞悪いよな。やったことも、何よりそいつの『人格』までもな」
転げ回っている男は、十二年前に下校中の男子中学生に対し腹を殴った上、倒れ込んだところで脇腹や顔面に蹴りを複数入れ、全治二ヶ月の怪我を負わせ、逮捕された。
元々、近隣住民の間でも評判が悪く、度々トラブルを起こしていた。薬の斡旋をしている、女性に暴行を働いたなどの噂もあった。
故に野次馬達はこの男に対する同情も哀れみも無く、廃人寸前になっていることに安堵と蔑みを持っていた。
「今度は病院に死ぬまで投獄かな?」
野次馬の一人が放った言葉に、複数人の吹き出す声がした。刑ならば死刑や終身刑でもない限り、時間が経てば出ることが出来る。だが病院からは、治るまで出ることは出来ないからだ。もっとも、素行の悪い男の入院費や治療費を工面する人物がいるのかすら怪しいのだが。
誰かが通報したのか、パトカーと救急車がやってきた。男があまりにも暴れるため、救急隊員は拘束せざるを得なかった。警察は野次馬から事情聴取を行い、ことの成り行きを聞き出した。
「これ、今回も『あいつ』じゃない?」
現場を遠くから眺めていた、赤いヘアピンを付けた女子中学生がそっと耳打ちした。
「あいつ?」
その友人であるお下げ髪の少女が怪訝そうに聞き返した。
「『NB』だよ」
「NB?」
「ナイトバーカー。知らない?」
「まーたアンタ変な略語作って……。まあ知ってるよ、最近有名になっている怪人物でしょ?」
「そうそう、そいつに襲われると、大した怪我でもないのに滅茶苦茶痛くなったり、ヤバい幻覚見るようになったり」
「あれ、そうだっけ? 私は単に闇討ちが得意な通り魔みたいな奴だと。何でも気配を感じて後ろ振り返っても誰もいなかったのに、前向いたら襲われるとか」
「普通の怪談みたいじゃんそれ」
「いや、透明人間みたいな奴なんだって。緩く風が横切ったと思ったら、いきなり目の前に現れたなんて話もあるよ」
「ふーん、まあ私らには関係無いか。そいつ、煽り運転とかするようなDQNばかり相手してるって話だし」
「だよねー、それより早く行こ。折角巻き上げたんだから、今日は朝まで歌いまくるよー!」
「イエーイ!」
どうもこの二人は、汚い手を使って手に入れた金でカラオケに行くようだ。大通りを離れ、人通りの少ない路地に差し掛かった時だった。
「……ねえ、なんか変じゃない?」
「え、何が?」
二人が周囲を見回すと、電柱の陰に誰かが立っていた。
「あいつのこと? 別に普通じゃ……」
お下げ髪の少女は言いかけて絶句した。その「何か」は陰からゆっくりと姿を現した。ややすり切れた古いジーンズに、フードの付いた黒いパーカー、そして顔には白い狐の面を付けていた。
「うっそ……」
「それ」は二人に問いかける。
「アンタが懐に持っているそれ、盗品だろう? 返しな」
女性の、それも十代後半の子供の声だった。
「……は? 何を言ってんの、おかしなカッコしてさ。変質者? だいたい、証拠はあんの?」
ヘアピンの少女は凄んでみたものの、「それ」は嗤いながら続ける。
「『悪銭身につかず』って言葉を知らんのか。あーあ、最近節度も知らんバカが増えて困るわ」
言いつつ、両手を前にかざす。すると、何も無いところから小刀の鞘が現れる。
「!?」
二人は目の前に起こった現象に、目を疑った。
「汚い手は消毒しましょうねー」
「それ」は鞘を抜かず、二人との距離を一気に詰め、手の甲を叩く。
「いたっ!」
「てめっ、何すん……!」
叩かれた自分の手を見て二人は再び絶句した。手の甲に、目玉が浮かび上がり、こちらを睨み付けていた。
「ぎゃあああああ!!」
「何これえええええ!?」
「あらら~、百々目鬼に憑かれちゃったのね~」
「はぁっ!?」
「手癖の悪い子はそれに憑かれやすいのよ~、知らないの? 都市伝説以外は興味ない感じ?」
「うわあああああっ!!」
恐怖のあまり、二人は脱兎のごとく逃げ出した。
気付けば二人は公園に来ていた。目玉は消えていたが、叩かれた手の甲はまだ痛んだ。
「なんなのよ、あいつ……」
「まさか、あれが……?」
「え、まさか姿知らないの?」
「てことはアンタも?」
脱力し、二人はベンチに座り込む。
「ねえ、今日は帰らない?」
「うん、今日はヤバいよ……」
「はぁー」
ため息を吐きながら、一人が仰け反る。
「ん?」
その時、お下げ髪の少女の後頭部に何かが触れた。そして何故かヘアピンの少女は顔を青くしている。恐る恐る後ろを振り返った。
「ぎゃあ!!」
後ろには黒いミニスカートに紺色のフード付きパーカー、顔には黄色い狐の面をした「それ」が立っていた。手元には、銃剣を装着したライフルを持っている。
「ダメですよ~、逃げられませんよ~、逃げてはいけませんよ~」
「それ」は銃を掲げながら、二人に詰め寄る。二人は腰が抜けてしまったらしく、ベンチから転げ落ちて後退りするしか出来ない。
「さあ、盗んだお金を返しなさい」
それが手を差し出すと、二人は一万円札五枚を渡した。しかし、「それ」は不満げに言った。
「……足りないわ」
「はぁっ!?」
「まだ絞る気か!!」
「まだ分からない?」
後ろから声がした。
「ひっ!!」
後ろには、ついさっき撒いたと思っていた白い「それ」が立っていた。
「返すだけじゃ足りないんだな~、それだけじゃ。それだけで済んだら、まーた知らないところで繰り返すだろうから」
白い「それ」はしゃがみ込んで、今度は掌に鞘を押し付ける。
「いたっ!! 今度は何!?」
掌を見つめると、押し付けられた箇所が壊死したように紫色になっていた。
「いやああああっ!!」
「痛い痛い痛い!!」
同時に手が引きちぎれそうな激痛に襲われる。
「手癖の悪い、自制心の無いお馬鹿さんは口で言っても分からんからねえ」
「だからこそ抑止力が必要なの。道徳が分からなくても痛みなら分かるでしょう?」
「お願い助けて!! 元に戻して!! もう盗んだりしないから!!」
二人は必死に懇願するが、「それ」は応じなかった。
「どうでしょう、常習犯は信用できないので。まあ、盗みさえしなければ良いだけだから、問題無いでしょう」
「まあ本当は、こうして間引いた方が手っ取り早いのだけど」
白い「それ」は、拳銃を出現させ、二人に向けた。
「……!!」
「さようなら」
そう言うと同時に発砲した。だがそれは空砲だった。二人は涙と涎を垂れ流して気絶してしまった。
「なんてな、本気で殺るわけないでしょう。死体の処理は面倒なんだ」
「葉子、この二人どうする?」
「公衆トイレにでも突っ込んでおけ、流石にこの状態でほっといたら別の事件に発展しそうだからな」
葉子と呼ばれた白い「それ」は、公衆トイレに入ろうとしたが、足を止めた。
「ロバータ、そいつらを一旦どこかに隠しとけ。問題が発生した」
「分かった」
黄色の「それ」はロバータという。彼女は倒れている二人を担ぎ、遊具の陰に隠した。
「全く、盗人へのお仕置きの次は化け物退治かよ……」
葉子は左手に小刀を持ち、右手に小刀の倍の長さを持つ刀を出現させる。そしてトイレの入り口で構える。
「出てきなさい、『赤いちゃんちゃんこ』さんよ」
彼女の挑発に呼応するように、左右に四つ並んだ個室のうち、入り口から見て左側の四番目のドアが勢いよく開く。すると赤黒い鎌が回転しながら、葉子に向かって飛んできた。
葉子はそれを全て空中へ弾き上げる
「おや、『ジャックザリッパー』の方だったか?」
呑気に言ってみせると、開いたドアから赤みがかった影が突進してきた。
「おっと」
葉子は入り口から離れ、それを躱した。
「ロバータ!」
「OK!」
ロバータは手に持ったライフルを、影に向かって撃ちまくった。影は倒れ込み、徐々にその正体を露わにしていく。
血が染みこんだような赤黒い頭巾を被り、鋭い牙を剥きだし、真っ赤な目を見開き、細く黒い手足と細い鎌のような爪を持つ化け物だった。
「紅蓮刃、どうやら異界のお客さんらしい」
「以前この公園で起きた、殺人事件の犯人かしら?」
「ああ、こんなのが犯人じゃ捕まらんはずだ」
グレンバは弾かれた鎌を呼び戻すと、再び葉子とロバータに飛ばした。
「ふん!」
ロバータは拳銃を、鎌に向かって撃ち、砕いた。グレンバは命令しているのか吠えていたが、砕けた鎌はピクリとも動かなかった。
鎌は柄の部分に血管のような管が脈打っていたが、それはやがて止まった。
「お友達は死んだぞ、後はアンタだけ」
葉子は刀を向け挑発すると、グレンバは爪を突き出し突進してきた。それを小刀で受け止め、もう片方の腕は刀で切り落とす。
「キシャアアアア!!」
グレンバは悲鳴を上げながら離れた。しかし、葉子は怯もうが恐れようが容赦しなかった。
「さあ、悪戯に縄張りに入り込んだ報いを受けな」
葉子は素早く懐に入り込み、小刀でもう片方の腕を切り落とした。
「これでFINISH!!」
だめ押しとばかりに足払いをし、背中を思い切り蹴り上げる。そして宙に上がった体を両方の刀で切り刻んだ。あまりの激しさに、出血した血が霧のように散った。
「葉子、それはやり過ぎよ~?」
「うるさい、猛獣にやり過ぎへったくれもあるか」
葉子は悪態をつきながら刀をしまった。しかし、グレンバは細切れになって死んだものの、生き残っていた鎌が二本あった。それは遙か上空から葉子とロバータ目がけて降ってきた。
だが二人は残心を怠らず、拳銃を鎌に向けた。
「これで」
「THE・END」
土曜日の繁華街の路地裏、男子中学生三人と白髪ツインテールの少女が集まっていた。
「ほれ、盗られた金だ」
男子中学生三人は、受け取った万札を確かめた。
「うん、ありがとうございました!」
「……ところで、お礼とかは?」
「いらん、ぶっちゃけ掲示板見て首突っ込んでみただけだし」
少女はまだ四月中旬とは言え、日差しが強い中パーカーを被って立ち去った。彼女こそ、昨日の女子中学生二人に鉄槌を下し、同時に異界の化け物を切り捨てた張本人、信田葉子。「ナイトバーカー」の異名を持つ一人である。
「ロバータ、そっちの首尾はどう?」
葉子は旧式モデルのタブレットを取り出し、ロバータと連絡を取った。
「はーい、特に問題なしよ。あの二人は無事帰ったみたいよ」
葉子からの電話に、昨日の公園に佇むブロンズがかった金髪の少女が応じた。彼女こそもう一人の「ナイトバーカー」、保名ロバータ。公園のトイレに隠していた女子中学生二人が、それぞれの両親と思しき夫婦二人に車に乗せられているのを見届けて言った。
「ちゃんと返した? ちょろまかしてないよねえ?」
「誰があんな端金のために手を汚すかっつーの。あんな小遣い、バイトして稼ぐわ」
「……闇の?」
「どんなバイトだそれ!? やらねえぞ、悪戯に敵増やしまくるのはな!!」
ロバータはクスクス笑いながら、付近を見回す。
「あのグレンバはどうする?」
「ああ、あいつか。……この際だ、徹底的に調査するぞ。あれは凶暴だが、自ら異世界に干渉するような奴じゃない。誰かが餌を撒いたんだろう」
「何の目的で?」
「さあな。最近、この手の事件が多くなっている。明らかに人の手じゃ出来んような殺人・傷害事件がな」
「何、愉快犯みたいな奴でもいるっていうの?」
「なんせ適当に召喚してやれば、後は本能に従って人を殺しまくるお手軽な生物兵器だしねえ。放っておくとこっちの生活にも影響出かねない」
「あくまで貴女は自分本位なのね……」
「てめーの身も守れずこれ以上何を守れる?」
「そりゃそうだけどさぁ、まあ良いか。私はこの近く調べてみるね」
「了解だ、こっちも調べてみるよ」
ロバータは電話を切ると、公園を立ち去った。
ロバータとの電話を終えた葉子は、「徹底的」と言いながらも呑気にゲームセンターで遊び始めた。彼女が目を付けたのは、新しく稼働し始めたガンシューティングゲームで、サブマシンガンを模したガンコントローラーを使う。
「うーん、なんというかこれじゃない感じがするな……」
シリーズ最新作故に、グラフィックは綺麗だったものの、肝心のゲームとしての楽しさが以前と比べ落ちていることに不満を感じていた。
一番の不満は、敵が少ないことだ。コンボは繋がらないし、次々と倒していく爽快感が無い。
「ゾンビゲーならより的が溢れかえっているんだけどねえ……」
葉子は失望したようにコントローラーを戻し、ゲームセンターを出て行った。
「あーあ、つまんねーの」
大きくため息を吐き、裏道に出る。そこには改修途中で放棄されたホテルがあり、バリケードが設置されていたが、葉子は乗り越え侵入した。ここは最初こそ改修工事で進めていたものの、柱や基礎の腐食が激しく、改修程度では使い物にならないと判断されてしまった。
人の手から離れて風化・損傷は激しさを増し、何時倒壊するか分からない状態なのだが、そんなこと知ったことかと不良達の溜り場となったり、人目を避けられるからか違法取引の現場となっている。
もっとも、彼女が色んな意味で危険な現場に足を運んだ理由はそれが目当てのようなものだが。葉子は口元を歪ませながら、指を鳴らしながら入り口を潜る。受付を通り過ぎ、足下に散らばったゴミや破片をつま先でどけながら進んでいくと、男数人のささやき声が聞こえてきた。
(あら、先客がいたの?)
どうも男の声は何かに怯えきったような震えた声で、必死に息を殺しているようだった。しかし人間というのは過度な緊張状態にある状態に限って、上手くいかないもので、漏れる吐息、カチカチ鳴る歯で葉子に居場所を掴ませてしまう。
「見ーつけた」
「ひぃっ!!」
男子トイレに足を踏み入れると、個室の一つに耳にピアスを付けた男がいた。男の肩には血だらけになった金髪の男が背負われており、意識が無い。
「てめ、どこからやってきた!?」
「普通に外からだよ……。いやあ、催し物でもやってないか顔を突っ込んでみたんだが、終わっちゃったかな?」
葉子がこういう廃墟に足を踏み入れるときは、大抵不良やチンピラからの喧嘩を買うためだ。トラブルにわざわざ首を突っ込み、自分の破壊衝動を解放するために。
「バカかお前は! ここにやべえ化け物がいるんだ!!」
ピアスの男は肩を震わせながら、必死に訴える。葉子は目の色を変えて尋ねた。
「ほう……、どんな?」
「赤いフードみたいなのを被って、小さい鎌を持ってた奴だ! いきなり切りつけられてコイツは死にかけてる!」
「なーるほど、つまりは雑魚か」
「はぁ!?」
緊張感の無い葉子の発言に、男は呆れ返った。
「おいおい、止めとけ! ありゃ人間じゃねえ、比喩でも何でもなくな! 行くなよ!? フリじゃないからな!?」
「そこまで言われちゃ行かなくちゃねえ~」
「バカか! 死にてえのかお前は!」
「こんなバカがいるおかげで、アンタは脱出する好機を得る。そうだろ?」
「え……?」
「心配してるのか? 全く、他人の心配して良いのは自分の命を自力で救える奴だけだ。アタシのこと、知らぬフリしてでもさっさと離れろ」
「……くそっ」
男は複雑な思いを抱きながら、友人を背負って廃墟を出て行った。それを見届けると、葉子は刀を手元に出現させ、螺旋階段で二階に上がる。
階段を上がると、三つの個室のドアが目の前にあった。その内左側のドアが破壊されており、血痕が残っている。
(ここか……)
部屋は建物周囲が高層ビルで囲まれているためか、窓があるにもかかわらず薄暗く、奥の方はほとんど見えない状態だった。しかも複数種類の異様な臭いを放っていた。一つは人間の血の臭い、もう一つは人ならざるものの臭い。
警戒しつつ、葉子は部屋に歩みを進めた。そして中央に差し掛かった時だった。
――ドンッ
葉子の首目がけて鎌が飛び、その首を切り落とした。首の離れた胴は前のめりに倒れ込み、血だまりを作る。そして「それ」は天井から降りてきた。
「キシャアアアアア!」
勝ち誇るように吠えるそれは、公園で戦ったものとは別個体のグレンバだった。自分の元に戻ってきた鎌を掴むと、葉子の死体を調べ始めた。
しかし、腕を伸ばしても指先は対象に触れることが出来ない。というよりは触れた感覚が無い。すり抜けているような感じだ。しまいに死体は消えてしまい、グレンバは混乱した。その時、背後からせせら笑う声がした。
「気が早いぞお~、ド素人ちゃん」
グレンバは後ろに向かって鎌を投げるも、そこには誰もいない。
「違う、ここだ」
グレンバの下顎を、刃に撫でられた。痛みは感じなかったが、刃を伝って血が流れていく。その先にあったのは――
「よお」
首を落とされた筈の葉子だった。グレンバが反撃しようとしたときには遅く、喉を切り裂かれてしまった。
うつ伏せに倒れたグレンバの死体を観察し、葉子は呟いた。
「黒幕見つけ出して、何匹飼ってるのか吐かせんとな」
グレンバの死体はその後、「幽界」の入り口を開きそこに隠した。葉子も警察に介入される前に幽界を通り離脱した。
一方ロバ―タは公園を離れ、小さい雑木林に来ていた。そこそこ手入れはされているのか、背の高い雑草は刈り取られて歩くのに苦労はしない。
(ふーん、頻繁に出入りがあるみたいね。草が何度も踏まれてしおれている)
背の低い雑草は残されており、中には不自然に倒れているものもいた。そしてそれは、「道」を形成していた。
辿っていく内に、変化が見られた。
(ん?)
道は細くなり、複数に分かれた。数は三体分。ロバ―タは二挺拳銃を取り出し、身構えた。そしてゆっくりと歩みを進める。
草は粗方刈り取られていたために身を隠せる物はほとんど無かったが、しゃがみながら進む。
(いた!)
前方に、二体のグレンバが徘徊していた。まだロバータには気付いていない。二体の距離が縮まった瞬間、銃の引き金を引く。
――プシュップシュッ
消音器を付けていたため、銃声はほとんど出なかった。倒れたグレンバの死体を確認しに近寄った――その時だった。
「ふん!!」
ロバータは振り返り連射する。後ろには三体目のグレンバが鎌を振り上げたまま制止していたが、やがて前のめりに倒れ絶命した。
「おっと、忘れ物ね」
最初に撃ったグレンバの内一体が立ち上がろうとしていたので、躊躇わずに引き金を引いた。
銃口から立ち上る硝煙を吹き飛ばすと、ポツリと呟いた。
「厄介ね……」
夕方頃、ロバータと葉子は小さな喫茶店で合流した。
「かなりの数呼び出されているわ……」
「ああ、昼間こそ人目を避けて廃墟なんかに身を潜めて居るみたいだが、こいつらを一匹づつ始末するのは面倒くさい」
「どうするの!?」
やや憤るロバータに対し、葉子は呑気に緑茶を啜り、一服すると答える。
「呼び出された物は、『返さないと』ね。魔方陣の類いが、どこかにあるはずだ。それを見つけていじれば良い」
「どうやって? てか、そんな都合良く行く?」
「グレンバは意外と、視力は宜しくない。逆に聴覚を頼っている。奴の気を引く音楽でも、魔方陣の近くで盛大に鳴らせば……」
「そうなの? てかどこで知ったの?」
「アンタも教えてもらったでしょ、忘れたの?」
葉子に指摘され、ロバータは視線を逸らし誤魔化した。
「とにかく、奴らを呼び出すには、『魔方陣』と『音楽』が関わってくる。勿論、返す儀式もちゃんとある。異界から召還するための魔方陣ってのは、異界から現世に一方的に呼び出す物と、こっちからも異界に行ける物がある。異界に行けて戻れなくなるタイプもあるが、これは召還用とは言えないね」
「で、方法は?」
「魔方陣を異界に行って帰れないようにするよう設定し直す必要がある。理屈自体はベルトコンベアの向きを変えるのと大差ない」
「ちょっとちょっと、スイッチ切り替えるのと訳が違うのよ」
「まあ、確かに同じやり方で出来る物じゃ無いけど……」
葉子は笑いながら、残った緑茶を氷ごと一気に飲み込んだ。
「ちょっとちょっと! 氷ごと!」
「……冷たい」
「でしょうね……」
「まあ良いや」
葉子は頬張った氷を噛み砕くと、一足早くレジで会計を済ませた。それに続いて、ロバータも会計を済ませ、店を出た。
夜十時過ぎ、葉子達は面を付けた状態で、古びた一軒家を訪れた。木造の壁は端が腐食しており、屋根も一部剥がれ落ちている。
物干し竿には洗濯物がかかっているが、干からびて布地が傷んでしかも汚れている。
「ねえ、ここで合ってるの?」
ロバータは怪訝そうに尋ねる。
「こういうのはな、まず人気の無いとこを中心に捜すんだよ。考えてみなさいよ、野生動物ですら危ないってのに、得体の知れない化け物が現れたら、近くにいた召還者はどうなる?」
「……死ぬね」
「だろう? そして人がいなくなれば、その建物からは生活感がなくなる。見てみろ、この辺り木造の中古物件ばかりだが、ここだけやたら寂れてる。不自然と思わないか?」
「ああ、確かに……」
「アンタの地元も、こんなゴーストタウンだったのか?」
「んなわけないでしょ、むしろ鬱陶しい不良共が闊歩していたわよ!!」
ロバータはアメリカにいた頃の話をすると、極端に不機嫌になる。
「だろうね、アメリカはタイプライターでやかましい国だから」
「いや何年前の話よそれ……」
「まあ、それより中に入るわよ」
葉子は庭に足を踏み入れる。雑草は伸びきっており、駐車場から玄関に続く石畳は砂埃が濃く被っている。
「ひどい荒れ様だわ……」
「ああ、住人の生存はほぼ絶望的だといって良いな……」
葉子は玄関の扉をそっと開けた。開けた瞬間、血生臭さが鼻を突いた。
「うえ、やっぱもうこれ……」
ロバータは鼻を押さえ、顔をしかめた。
「行くぞ、臭いの元は多分こっちだ」
葉子はそれに怯みもせず、靴を脱ぎ躊躇無く玄関を上がる。
「え、脱ぐの?」
「廃墟とはいえ一応な」
葉子が向かった先は、十二畳ほどの広さの居間だった。そこでの光景は異様なものだった。
「これは……」
「まー、予想的中ってやつだな」
テーブルや椅子などの家具は部屋の隅にどかされており、中央には赤い塗料で描かれた魔方陣、そして極めつけが無残に食い散らかされたような女性の死体。半ば腐敗しており、ハエが飛んでいる。
「よし、魔方陣の再設定を行う。ロバータは見張りを頼む」
「ら、ラジャー……」
腐乱死体に若干引き気味のロバータとは正反対に、葉子は全く気にも留めず魔方陣を書き直す。
「ふむ、塗料はこいつを使ったのか。まだ中身は残っている、か」
死体の近くに落ちていた赤いスプレー缶を手に取ると、葉子は軽く振った。
「えっとまずは、ここだな」
そして魔方陣の一番内側の文字を持ち込んだ溶剤で消し、消した部分を残っていたスプレー缶で新たに描き直す。
「くっさ……」
ロバータが溶剤の臭いに対し、手で扇いで振り払おうとする。
「我慢しろ、まあ確かに頭がクラクラするが」
「それシンナー系じゃ無いでしょうね!?」
「少なくともそれじゃない。面にガスマスクの機能持たせりゃ良かったな……」
「頭が縮まなきゃ良いけどね……」
「アメリカじゃドラッグなんて酒と同じようなもんでしょ?」
「いや、それは一部の州の話であって、全部がそうじゃないよ……」
雑談を交えつつ、葉子は魔方陣を描き直し終えた。
「よし、後は呼び戻すだけだ」
「前音楽がどうとか言ってたけど、どうやるの?」
「こいつはどうやらこれで呼び出したようね」
葉子はスプレー缶同様、死体の近くに落ちていた陶器製の細長く小さな笛をロバータに見せた。
「何これ、犬笛?」
「見た目もそうだが、用途もまるで同じだ。グレンバの調教用の物だが、今回は呼び出すことだけに使われたみたいね」
「呼び出すだけっていうか……、呼び出した瞬間殺られただけじゃ……」
「だろうねー、うん。見りゃ分かる」
「で、それ吹けば呼べるの?」
「連中は特定の周波数の音に敏感だからな、その周波数の音なら、大きさにもよるが半径五キロ以内の奴なら確実にやって来る」
「うーん、だけど呼んでも入ってくれる?」
「奴らにも帰巣本能はある。奴らがあちこちに分散していたのは、帰り道を探していたからだろう。そして潜伏していた場所に人が入り込んで、身の危険を感じ殺人を行った。まあ正当防衛だな。それとここ、よーく見てみろ」
部屋の中央付近に、生乾きの血痕が残っていた。それは足跡のようにも見えた。
「これ、以前にも誰か入って……」
「ああ、定期的に訪れているんだ。魔方陣が、帰り道だって事は分かっているが、設定のせいで帰れない。この世界でずっと立ち往生状態だ」
「そう考えると、ちょっと可哀想ね……」
「よし、感傷に浸るのはそこまで。早速呼ぶぞ」
葉子は笛を吹いた。だが、人には聞こえない音域なのか、静かだった。
しばらくして、一軒家にはグレンバの群れがやってきた。
「こちらゴルト、エリア『ネスト』にターゲットが侵入、オーバー」
古びた火の見櫓で、ロバータがトランシーバーで葉子に通信する。
「こちらズィルバー、感度良好。こっちでも確認出来た、オーバー」
葉子は危険は承知で、庭の低木の陰に身を潜めた。
「ねえ、葉子。なんでこんなコードネーム多用するの? 軍隊じゃあるまいし」
「気分よ、きーぶーんー。まあアタシがミリタリーゲーマーってのもあるけど。一度で良いからシカゴでぶっ放してみたいわー」
「あなたはアメリカンマフィアか!! グアムの射撃場で我慢しなさい!!」
「どうせ撃つならトンプソンよりAKが良いなー」
「なら中東にでも逝ってきなさい、今ならテロリストから十割引で買えるわよ」
「えー、連中が使ってるの海賊版で質が低いんでしょ? 私は純正品が良いんだけど」
「無理無理、製造元がとっくの昔に製造打ち切ったんだから。ってそれより、中に入ったターゲットはどうなってるの?」
「ああ、それな」
葉子はタブレットのディスプレイを見る。魔方陣の部屋には小型カメラを設置しており、無線でその映像が映る仕組みだ。ただ、無線の出力が弱く、近くにいないと受信できないため、接近戦が得意の葉子が危険を冒し、庭に残っている状態だ。
そしてディスプレイには、グレンバ達が次々と魔方陣に入っていくのが見えた。心なしか、彼らは喜んでいるように見えた。
「今のところ順調だ」
「うん、こっちの方でも異常は無いよ。付近に通行人も無し」
しかし二十分程経過したところで変化があった。
「待って葉子、問題が発生した」
「ズィルバーな。で、何?」
「一際大型の個体を発見した。二メートル近くある」
「……ああ、見える。かなり荒っぽい」
その大型個体は、他の小型個体を無理矢理どかしながら、庭に侵入する。
「ズィルバー、これはどうする?」
「もうしばらく監視続行だ、黙って帰るならそれでよし。もし障害となるなら……」
「射殺?」
「折角帰る手段見つけられたんだ。わざわざ死体処理の手間増やすことは無い」
「……分かった」
「面倒くさそうに言わない」
「は~い……」
しかし次の瞬間に状況が一変する。大型個体が、進路上の小型個体を吹っ飛ばしたのだ。そしてそれは葉子の潜んでいる低木をへし折った。
「あ」
「え」
当然大型個体はもちろん、他の小型個体の注目は自然とそちらに集中する。
「あ~、気にしないで気にしないで。お帰りでしたらそのお家に……」
葉子が身振り手振りで敵意が無いことをアピールするが、当然言葉など通じないため、大型個体を中心に小型のグレンバが五体襲ってきた。
「ゴルト、問題発生!! 脅威の排除を優先!!」
「ラジャー!!」
葉子は刀を出現させると同時に、服装にも変化が現れる。面から下に垂れ下がるように、白い鎧が出現したのだ。それはロバータも同様で、黄色い鎧が現れる。
「それじゃ、本気でかかるとしますか! ゴルト、援護頼むよー!」
「了解!」
『変身』が終わったところで、グレンバが一匹鎌を振り上げ襲ってきた。それを刀で受け流すと、続いて二体、三体と攻撃してくる。
「あーもう、チョロチョロ鬱陶しいねえ……。うおっ!!」
葉子が連続攻撃を捌いたところで、大型のグレンバが殴りつけてきた。それを躱すと、大型の鎌で斬り付けてきた。それを避けるついでにカウンターを食らわしたが、その巨体故にあまり通じていないようだった。
「ちっ、しょうがないね。言っておくがな、黙って帰れば苦しむことは無かったんだからな!!」
葉子は刀を消すと、二本の小刀を出現させる。それと同時に、鎧全体が真っ赤に変わる。
「そうね、引き際をわきまえずただ暴れ回ろうとするからこうなるのよ」
ロバータもまた、鎧の色を黄色から緑色に変え、得物も大口径の狙撃銃に変わる。
「ふん!!」
葉子は先程よりも機敏な動きで、取り巻きの小型グレンバを斬り付けた。傷は浅いものの、痛そうに転げ回っている。
「これで帰る? それとも続ける?」
小型のグレンバは痛みのあまり戦意喪失してしまったようで、体を震わせながら後退りしている。それを許せなかったのか、逃げようとする彼らを大型グレンバが鎌で斬り殺そうとする。しかしその鎌は砕ける。
「そっちは友達、敵はあっち、でしょう?」
鎌を砕いたのはロバータの狙撃銃だった。続けて鎌を持っていた腕を撃ち抜く。対物ライフルクラスの大口径の銃弾を食らい、太い腕が千切られる。たまらずその巨体が大きく仰け反るが、葉子は容赦なく胴体にドロップキックをお見舞いする。
仰向けに倒されたグレンバだったが、本当の地獄はこれからだった。葉子はのし掛かると、二本の小刀を連続で突き刺す。悲鳴を上げようとも、身をよじろうとも、手足をばたつかせても、その手は止まらなかった。むしろ苦しめば苦しむほど、その反応を楽しむようにその手をより激しく動かした。
時折臓物を抉り出そうとしたり、暴れる手足の筋を切って大人しくさせたり、挙句の果てには顔面に切っ先を浮かべてわざと揺らして恐怖を煽ったりした。
「どうやらアンタ、相当嫌われてるみたいだねえ」
葉子が言うとおり、周囲の小型グレンバは助けに入ろうとしなかった。むしろ葉子達に関わりたくないと言わんばかりに我先に家の魔方陣に駆け寄る。
「アンタもバカだねえ、要らん寄り道するから、こんな目に遭うのさ。命がけの寄り道なんてするもんじゃないよ」
歯茎に切っ先を当て、牙を一本切り取る。いくら凶悪な形相をした怪物でも、歯を抜き取られるのは痛いらしく、目に涙を浮かべていた。
「ふう、もう飽きたな……。ゴルト、トドメよろしく」
「全く、そのまま仕留めれば良いのに、弾の無駄でしょう……」
「いやあ、アタシはいたぶる方が好きだからさあ。生殺与奪はそっちに任せるよ」
「いや、昨日も火の粉は普通に払ってたでしょあなた……」
「あれはノーカンよノーカン」
汚れ役を押し付けられたような気がしつつも、ロバータ大型グレンバの眉間に銃弾を叩き込む。死亡を確認すると、葉子は一連の戦い――というより虐殺劇を見ていた小型グレンバを睨み付けた。
「アンタらもこうなりたいか?」
言葉など通じるはずも無いが、身の危険を感じたグレンバ達は次々と魔方陣へと消えていった。最後の一体が消えた後、ロバータに周辺に残存する個体が残っていないか確認を取ると、魔方陣を踏み消した。
「これで全部帰ったわね。ゴルト、合流して」
「了解」
ロバータと合流した葉子は、部屋の隅にどかされたテーブルの上に置かれた写真立てを見た。生前の死体の女性と、小学六年生くらいの男の子が並んで写っていた。男の子の顔には、二人とも見覚えがあった。
「あれこの子、昨日病院送りにしたクソ野郎に大怪我負わされた子じゃない?」
「あー、ネットの写真で見たことあるわ~」
気になった葉子は、女性の死体に手を伸ばす。
「何となく、予想はつくが……」
葉子は人に触れることで、記憶や感情を自分の脳内に写し取ることができる。しかし、本人の感覚までも写し取ってしまう。そのため、普段の葉子ならなんともないような傷の痛みさえも、読み取る相手の感覚次第では発狂する恐れもある。
脳内に写し取られた映像、白一色の廊下、ベッドが並んだ部屋、ぶら下がった点滴、病院の記憶らしい。さらに読み込むと、ベッドに横たわる白い布を被せられた遺体、「ご臨終」と言い放つ医者、泣き叫ぶ女性の声。
場面が変わり、今自分たちのいる部屋。召還前のためまだ綺麗だが、後に並んでいる家具は乱暴にどかされ、床に件の魔方陣を書き殴られ、最期は現れた怪物に殺される――。
「ふう……」
頭を軽く振るい、葉子は立ち上がる。
「葉子、大丈夫? 何か見えた?」
「……十二年前の中学生だけど、あの子は確かに怪我は治った。でも……」
「でも?」
「後遺症が残ったんだ。暴行を受けた時には頭部を手酷くやられてたからな、三半規管にもダメージ、つまり平衡感覚が以前よりも悪くなってね」
「ふらつきやすいってこと?」
「そうだ。そしてつい最近、それが原因で事故死したんだ。見なよ」
葉子はタブレットを操作し、その事件が載ってあるページを見せる。見出しは「十二年前の少年、転落死」。歩道橋の階段を下りている最中、足下をふらつかせ滑らせ、そのまま落ちてしまい意識不明の重体。そのまま搬送先の病院で亡くなった。奇しくも、この事故は加害者の男が出所した半年後のことだった。
「この人はな、自分の息子があんな後遺症を残していなかったらこんな事故で死ななかったと思っている。まあ確かに早死にするリスクは減らせただろうね。だから息子を早死にさせる原因を作ったあの男を殺そうとした。だが召還を誤った、ターゲットの刷り込みがされてなかったんだ。どこかで聞きかじった魔術を試そうとして、失敗してこうなったというわけだ」
「肝心の標的を殺せず、無関係な人を巻き込んだだけで、成果無しか……。なんか釈然としないね」
「ああ、釈然としないって言うか、気に入らんな……」
葉子は死体に群がる虫に殺虫剤をふりまき、どこかに連絡した。
「あー、私だ。そうフォックスだ。宇迦町の中古物件、木造の家が建ち並んでるとこだ。その一軒家で女性が一人死んでいる。以上だ。――ああ今すぐだ、このまま放置はいただけないだろう、それじゃ」
「どうだった?」
「お巡りさんがやって来るよ。ずらかるぞ」
葉子が行ったのは、警察への匿名のタレコミである。しかし、事情聴取などは受けず到着する頃には現場を離れてしまう。廃墟とはいえ、やっていることは不法侵入だからだ。
「ところでこの後どうするの?」
ロバータは葉子に尋ねる。
「ああ、見舞いだ」
「……見舞い?」
ロバータは面を外したが、葉子は未だに外さず、夜の闇に何処へと消えた。
葉子の手により病院に送られた男は、厳重に鍵をかけられた病室に入院させられた。既に鎮痛剤を投与されていたが、全く効果が無かった。そのためドクササコの誤食の可能性も考えられたが、中毒症状の一つである手足の腫れなどは認められず、そもそも都会でそんなものにお目にかかる可能性は低く、原因不明という扱いになった。
しかし激痛のあまり暴れ回るために、閉鎖病棟への入院を余儀なくされた。収容の際には病院スタッフが数人怪我を負わせている。
「クソ、クソ……!! あのクソガキ、絶対にぶっ殺してやる……!!」
痛みにのたうち回りながらも、葉子を呪う男。しかし、突如自分を閉じ込めていたドアの鍵が開く音がした。
「やあやあ管さーん、お加減はどう~? まあ良いわけないよね」
自分の名字を言われ、全身の毛が逆立つ男。
「てててて、てめえは!?」
「おやおや、さっきの威勢の良さはどこにいったのかな~? さっきまであんなにアタシを恨んでいたクセに。壁に耳あり障子に目ありだよー、あんまり陰口は叩かないことだね小物っぽいから」
ドアがゆっくり開けられ、現れたそれに管は痛みも忘れ、ただ震えるしか出来なかった。
「まさか、今度こそ殺しに……!?」
「おいおい、アタシは殺しが嫌いなんだ。だって殺したら一瞬で終わっちゃうじゃない」
葉子は菅の顔を掴み、自分の顔に近付ける。
「ムカつく奴は面白おかしく苦しんでくれなきゃ楽しくないじゃない。地獄なんて、死後に堕ちる保証もないのに。そもそも実在するかも怪しいしね」
葉子の目が面の奥で銀色に妖しく光り、管を乱暴に投げ飛ばす。
「何をした?」
管は自分の体から痛みが消えたことに気付いた。
「さあね、だが勘違いは良くない。アタシはアンタを許したわけじゃない。むしろ今夜は機嫌が悪い。アンタの軽率さには呆れて物も言えんよ」
「何を言ってやがる?」
「すぐに、身をもって思い知ることになるさ」
管は廊下から複数人の足音がすることに気付いた。
「おい助けてくれ!! 殺され……っ!!」
途中で声が途切れる。というより声が出せなくなった。それと同時に気付いたことがあった。見回りが来たかと思い助けを呼んだが、足音は十人近くあった。
「アンタを恨んでいる奴が腐るほどいる。そいつをここに呼んだ。見ろよ」
やがて病室に二十人近くの赤黒い頭巾を被った人達が、鎌を持って入ってきた。グレンバそっくりだが、頭巾の中身は普通の人間だった。
彼らはグレンバによって殺された犠牲者達だったが、別に葉子は死人を呼び寄せ仮装させた訳ではない。管が見る幻覚だ。
「こいつらはな、アンタのせいで死んだ犠牲者だ」
「バッィェ、ォェ……ォシェ……ェェォ……!」
「いや、アンタがやったことがきっかけでこんな犠牲が出た。十二年前にあんなことしなけりゃこんなに死人が出ることもなかったんだよ。つまり、アンタが殺したも同然だ」
「ィ、ィァィァ!」
「だが引き金になったのは事実なんだよ、だよなあ?」
葉子は一際大きな鎌を持った人の頭巾を外す。管が怪我を負わせた少年の、母親だった。
「ダレぁ……、ソぃぅぁ……?」
かすれた声で管は尋ねた。嗤って葉子は母親に耳打ちをする。
「……だとさ。分からせてやれ」
母親は管に対し殴りつけてきた。
「……ぁ!」
それが引き金になったのか、他の犠牲者達も取り囲んで管に暴行を加え始めた。
「……ぉ、……ぇ」
管は必死で止めるよう訴えるが、声が出ない。いや、出せても止めないことは薄々分かっていた。
「ぁ……!!」
犠牲者の一人が鎌を振り上げた。流石にこれを食らえば死ぬ。それは分かっていたが、今度は体も動けなくなっていた。
「じゃあな、社会の害獣。他の患者やお医者さんの迷惑になるんで、これから先は喚くことも暴れることも出来ないようにしておいたよ。だが安心しろ、簡単には死なない。――いや、死なさないから」
それだけ言い残すと、葉子は部屋を出て、鍵をかけた。
管にかけられた幻術は、グレンバに殺された犠牲者に集団で暴行を受け続けるというものだった。犠牲者がグレンバの格好をしているのは、母親がグレンバに殺させたかったから、呼び出したは良いものの肝心の標的がのうのうと生き延びている上要らぬ犠牲を生んだことへの腹いせでもあった。
また、幻覚とはいえ暴行を受けた箇所は痛むよう、痛覚にも幻術をかけた。鎌で致命傷を受ける瞬間は意識が落ち、目が覚めたら再び声を出すことも動けるようにもなるが、襲われる瞬間は再び助けを呼ぶことも逃げることも出来なくなる。その繰り返しだ。本当の死が訪れる、その日まで。
葉子が立ち去った後の病院は、一室で惨い拷問が行われているとは思えないくらい静かだった。やりたいことを全てやった葉子はここでようやく面を外し、タブレットの画面を見た。
「零時か……、もう寝よう。小腹空いたし、帰りに肉まんでも買おうかな~」
独り言を呟き、帰路につく。こうして葉子の長い夜は、終わりを告げた。
オマケ
~ナイトバーカーの由来~
ロバータ「私達のこと、すっかり都市伝説として語られているみたいね」
葉子「そりゃ精神異常者を量産すりゃ、そうなるよ」
ロバータ「……ところで、なんでこんな名前に?」
葉子「ああ、日本語で訳すると、『夜に吼える者』って意味になる。まあ確かにあたし達は夜や暗闇での活動が主だし、分かるけどさ」
ロバータ「うーん、もっと捻った格好いい名前が良かったな~」
葉子「例えば?」
ロバータ「獣面の暗黒戦士とか、幻影の魔術師とか」
葉子「いやそれも捻りない、ってか接続詞付けるとただの二つ名」
ロバータ「じゃあ、ダークネス・アビス・インヴィンシブル・ビーストファイター」
葉子「長い、ややこしい、くどい。0点!!」
ロバータ「酷い!」
~戦闘スタイル・葉子~
ロバータ「葉子は接近戦が好きなのね」
葉子「ああ、小さい頃から剣道の稽古してたんだ。小学生の頃県大会に出たこともあったね」
ロバータ「飛び道具もそれなりに使っているけど、拳銃かショットガンが主みたいね」
葉子「狙い撃ちとかはあんまり柄じゃなくてな。狙ってるときに限って外したり」
ロバータ「でも早撃ちのセンスは見事なものよね」
葉子「山猫の真似はせんよ。どっかで聞きかじった技術を使ってヘマするなんてダサいし」
ロバータ「それが一番よね」
~戦闘スタイル・ロバータ~
葉子「アンタはアメリカ人らしく、銃がメインか」
ロバータ「貴女よりも種類は多いわよ。拳銃、ショットガン、アサルトライフル、狙撃銃、マシンガン色々よ」
葉子「流石銃大国出身者は違う。やっぱ撃ちまくってトリガーハッピーになるのは気持ち良いのか」
ロバータ「そんなルーキーみたいなことしないわよ。私は狙い撃ちするのが好き。好機を窺い、有効打を叩き込む。無駄弾は使わず、少ない弾薬で効率よく戦う。これが私のやり方よ」
葉子「ナイフは使わないのか?」
ロバータ「ナイフ~? なんでそんな物」
葉子「バックアップは必要だろう?」
ロバータ「分けるくらいなら銃剣よ銃剣」
葉子「意外ね。接近戦は銃剣でやるんだ」
ロバータ「米軍は訓練を止めちゃったらしいけど、私は関係無いし、持ち替えるのは面倒くさい。取り回しは持ち方で対処すれば良いし」
葉子「なるほど」
ロバータ「何より格好いいでしょう?」
葉子「結局趣味かよ……」