マイ・リトル・モンスター
カクヨムの「モンスターへ乾杯」を改題し、移送しました。
「なろう」での投稿は初めてなので、受け入れられるかちょっと心配しております。
感想等ありましたら、よろしくお願いします!
☆☆☆
何処へ行っても「モンスター」という言葉が離れない……。
職場では仕事の捌き具合から「モンスター」と呼ばれ、飲みに行けば酒量から「モンスター」、たまには女子会でデザートビュッフェと洒落こんでも「モンスター」……。
大体、誰がわたしを「モンスター」なんてうれしくない呼び方で呼び始めたんだか。
「別にいいじゃん、モンスターでも」
膝を叩きながら大笑いしているのがわたしの今カレ。そんなにウケなくていいと思う。
「全然、良くないよぉ。だって絶対かわいくないし」
「尚更いいじゃん。柚希のかわいいところは全部、オレだけが知ってればいいんだし」
よしよし、しながら頬に軽くキスされる。わたしを女の子扱いしてくれる唯一の人、それが大樹だ。今日は彼の家にお泊まりなので、お気に入りのルームウェアと下着。……つき合って1年以上にもなると、下着なんて大して重要ではないのかもしれないけど……。
「柚希ぃ、お風呂の水、抜いておいてくれる?」
「はぁい」
大樹はやさしい。大樹の部屋に来たときは大樹、わたしの部屋に来たときはわたしが基本、ご飯を作る。今はちょうど手が離せないところなんだろう。
お風呂の水なんて、すぐに抜いちゃえばいいのにと思うけど、大樹はそうしない。彼によると《《もしも》》の災害に備えているらしい。そして、入る前に抜くことになるわけだ。
洗面所の明かりをまず点ける。彼の洗濯機はドラム式なので中がよく見える。何気なしに中身が目に入る。洗濯機の中に何か入れっぱなし……赤いものと白いTシャツ、大樹の青いトランクス。すぐに干さないと色移りしちゃうじゃない。
ガタン、と開閉ボタンを開けて、中をのぞき込む。なんだ、まだ洗ってないのか。それなら色移りも……。
いやーな感じがして、怖々と親指と人差し指で持ち上げる。それは。
真っ赤な「勝負下着」だった。
ぺたぺたぺた……とリビングに戻る。頭の中がぐらぐらと沸騰してる。大樹が今、茹でているパスタの鍋と同じ。
「柚希?」
リビングのど真ん中で、とにかく服を着替える。恥じらいも何もない。勝負下着? 上等じゃない。わたしだって今日は総レースの、白地にパープルの花柄。赤なんて下品な色、下心見え見えじゃない!
「柚希?」
ぶわっと涙が溢れてくる。なんであんたは平気な顔してんのよ。まだ洗ってないってことは、その子を連れ込んだのは昨日? 一昨日?洗い物に出てたってことは連泊?
……わたしが今夜、大樹と一緒に入るはずだったベッドにふたりで入ったんだ。それで何食わぬ顔をして、今日はわたしとそこに寝るつもりだったんだ。
キッ、と彼を睨む。
「わたしだって伊達に『モンスター』呼ばわりされてるわけじゃないんだから! 浮気されて平気じゃいられない。バカっ!」
逃げるようにパンプスを履いてエレベーターに向かう。追いかけてきて欲しいけれど、スゥェット姿の彼はすぐには部屋から出られない。悔しいけど、追いつかれないようにタクシーに乗り込む。スゥェットだってサンダルつっかけて追いかけてくればいいじゃない……。
まるで、ドラマの主人公みたい。もっともドラマなら、後ろから彼が名前を叫びながら走ってくるものだけれど……。
「先輩、それで逃げてきちゃったんですかぁ?」
「逃げた? わたしが逃げたことになるの?」
「はい、明らかに……」
後輩の真緒ちゃんがうつむきながらも上目づかいにぼそぼそと言う。彼女の食べるポッキーが、パリン、と折れる音がする。真緒ちゃんは部内のお持ち帰り率ナンバーワンらしい。でもわたしにはかわいい後輩だ。
「先輩って、あだ名のわりには打たれ弱いんですからぁ」
ぽたぽたと涙がスカートに染みを作り始める。まるで雨が降り始めたかのようにそれは数を増やして止みそうにない。
「やっぱり、浮気だよねぇ?」
「はい、わたしの『浮気』経験から言っても、明らかに浮気かつ挑戦状ですね」
「赤ってあんまりだと思うのよ……」
「趣味は悪いですねぇ。せめて黒なら」
浮気か……。
ここで別れてしまえばスッキリするのかな?
それとも浮気は許してやり直せばいいのかな?
迷う……。
一度、浮気をした男は二度目の浮気をするというのが世の中の定説だ。そんな疑いながらの毎日で、これからも彼と過ごすことに意味があるんだろうか?
大樹は体育会系でさっぱりした性格なのに、昨日のあの後から何度も、「話がしたい」、「とりあえず会いたい」、「ただの出来心だ」と連絡が入ってる。スマホを見るのがイヤになるくらい、着信とメッセージの通知が溢れている。
だって無理だよ。大樹の前でだけ、気を許して女の子でいられるのに。大樹はわたし以外の女の子も「女の子」として扱うなんて……。
「なんだ、沢木。暇なのか? うちの部署イチ働くお前が暇してるな。ほら、新しい仕事、今月もがんばってくれよ」
「はーい……」
がんばれないでしょ。今日は《《女の子》》の日、なんだもの。
「沢木先輩」
「あー、堂本くん、どうしたの?」
「今日、合コンどうですか? ……よかったら、途中で一緒に抜けませんか? 嫌々誘われて途中で抜けたいんで。ボク、その書類手伝いますし、愚痴でもなんでも聞きます」
「ありがとう、誘ってくれて……あーでも、合コンは」
大樹の顔が目に浮かぶ。彼はいつも、「他の男と飲むくらいなら、オレの家で飲もう」とやんわりとわたしを牽制する。
思えば大樹と知り合ったのは合コンだった。まだグラスでちびちびビールを飲んでいたわたしに、「今日は奢るからもっと遠慮しなくていいよ」と声をかけてくれたのが、取引先の大樹だった。
「知ってます。沢木先輩が合コン、出ないこと。でも、今日だけ」
「……いいよ。今日だけね」
女だてらに大ジョッキでビールをあおる。日本酒だってお冷でいただいちゃう。美味しいワインは大好物。ちゃんぽんでなんでもアリ。そもそも出会いを求める合コンなんてどうでもいいんだから、浴びるほど飲んで、また「モンスター」の称号を増やそう。
「……先輩、沢木先輩」
「はいー」
「みんな次に行くって言ってるんですけど、約束通り、ここで一緒に抜けませんか?」
ドキリとする。酔いがさぁっと瞬間、醒める。合コンも避けて、「モンスター」と男どもに避けられてきたから、こういうのに慣れていない。
「お会計してる今なら……」
思いもよらず強い力で手を引かれて店を出る。堂本くんの手、思ってたより骨ばってしっかりしている。車がヘッドライトを灯して街を走っていく。冷たい空気が頬にひんやりして、頭が少しましになる。
「先輩、頬がほんのり上気してキレイです……」
「だ、誰にでも言ってるんじゃないの?」
「誰でも誘うなら、彼氏のいない人にしますよ」
歩けないでしょう、と言われ、今日もタクシーに乗る。促されてうちの住所をドライバーに伝える。このままうちに帰るだけなのかな? 飲み直したりしないのかな、と思う。……堂本くんの気持ちがわからない。
タクシーに乗っている間、ずっと堂本くんが手を握っている。長いこと大樹としかそういうことはなかったから、緊張する。
「ありがとう、送ってくれて」
「……送りオオカミ、1匹、いりませんか?」
やけになっているのだと自分でも思う。だって、大輝だってしていることだもの、わたしにできないことはない。狭いマンションに堂本くんを入れて、カギをかける。カチャン、と小さな音が反響する。
「先輩の、今日の下着は勝負下着?」
「! 堂本くん、聞いてたの?」
「大きな声で話してたじゃないですか? ボクは赤はごめんだな。今日は……ピンクですね」
上着を脱がされ、ブラウスのボタンが上から外れていく。こういうときって、妙にゆっくり時間が流れる。意地悪して、焦らされてるような気になる。こんなに近くにいると心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかって、中学生のように緊張する。だって本当に、大樹だけしかずっといなかった。
どんどん!
ひっ、となる。
どんどん!
堂本くんと顔を見合わせる。ドアフォンをつけて、相手を確かめる。
「どなたですか?」
「オレ、大樹。柚希、なんで浮気するんだよ? 下のコンビニで見たんだからな」
「……浮気したのはそっちじゃない。どのみち別れるなら、わたしのは浮気に入らないでしょう?
赤い下着の女によろしく伝えて 」
「柚希ぃ」
「先輩、夜中だし入っていただけばいいじゃないですか?」
確かに廊下で大きな声を出されてもご近所迷惑だ。渋々ドアを開ける。大樹は見るからに情けない男だった。
「お前かよ、柚希を食おうってやつは」
「失礼ですが、赤い下着の女性と浮気はされたんですよね?」
それはいいんだよ、と堂本くんのワイシャツの袖を引っ張る。いえ、こういうことははっきりさせないと、と彼も引かない。肝心の大樹は下を向いて何も言わない。
「上下、真っ赤な下着で迫られたら、何もしないわけにはいかないと思わない? 同じ男として」
「思いません。この際、はっきり言っておきますが、ボクは先輩が着けていない限り、赤い下着では反応しません。もっとも先輩の下着の趣味はもっといいと思いますが」
「……堂本くん?」
「彼氏さん、浮気してくれてありがとうございます。合コンも出ない先輩に、アプローチするチャンスがなかったんです。おまけに破局となれば、願ったり叶ったりですよ。先輩、こんな浅はかな男はやめてボクにしませんか?」
ぺこり、と堂本くんは正座をして頭を下げた。
わたしのあまり広いとは言えない部屋には沈黙と、わたしと彼の脱いだ上着が横たわっていた。
「こいつ、束縛ひどいぞ」
「上等です」
「何事にも男に負けまいって勝気だし」
「隣でいつも見ていますから」
「こいつのあだ名、知ってるの?」
「『モンスター』? かわいいじゃないですか。いつも傍に置いておきたいんですけど」
堂本くんはこちらをちらっと見て、微笑んだ。今までただの年下くんだと思って目の端にも入っていなかったのに、今、わたしのコンプレックスをさらっと流してくれた。
「赤い下着の女性と仲良くして下さい。ご心配なく、ボクが先輩をこれからは公私共にサポートします」
大樹は何やらブツブツ言いながら、帰って行った。
「それにしても、赤い下着ってインパクト強すぎですよね? せめてTシャツで包んでおけばバレなかったのに。雑すぎますよ」
ふふっと堂本くんが笑った。言われてみればそうだ。大樹はどこか抜けている。そんな男に浮気は上手くできないんだろう。
「先輩。ボクは本気ですよ。さっきの続きを……」
「待って! 『モンスター』なんて呼ばれるガサツな女でいいの?」
彼は首を傾げた。
「褒め言葉ですよ? みんな、先輩ががんばっているの知ってるし」
彼はごそごそと手帳を出し、ボールペンでかわいい絵を描き始めた。
それは、小さなドラゴンの絵で、チョロっと炎を吐き出していた。
「ボクから見たらこんな感じ。あ、炎は先輩が仕事に追われてるときにたまに吹くブレスですね。まぁ、誰だって息抜きするでしょう」
ふたりでフローリングの床に腹ばいになって、絵を眺めた。見れば見るほどかわいくて顔が熱くなる。こんな風に、わたしを見てくれる人がいたんだなぁ……。
「ボクのポケットに入りませんか? 隣の席だし、疲れた時はポケットで休めばいいんですよ」
「え !? 」
「ほら、そうやって恥ずかしいとうつむくところ、いつもかわいいと思ってました。先輩は隣にいるだけの頼りない年下男だと思っていたかもしれませんが、そんな先輩を横からずっと見てたんですよ?」
モンスターだってキスをする。
上手にモンスターを手なずけてくれるマスターがいれば、モンスターはかわいくいられるんだ。
もう一度仕切り直して、彼がネクタイを解くと、わたしのブラウスのボタンをひとつひとつ……。
「上下おそろいでピンク、すごくかわいい」
わたしは恥ずかしさのあまり、照れくさくてうつむいた。
「顔を見せて」
彼が見逃さずに顎を上に向けてキスをする。わたしは彼のポケットの中のモンスターに、今日からなるみたいだ。
(了)
短編ですがいかがだったでしょうか?楽しんでいただけたら幸いです。