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クリスマス企画 第3弾

とくべつ

作者: 秀人

必要最低限の家具だけを詰め込んだような小さな部屋。中央にコタツをおくだけで急に苦しくなるほど手狭な空間。それが私の家だった。

「ふんふんふーん」

 上機嫌に鼻歌を歌う私は、コタツと壁に挟まれた窮屈な空間に体をすっぽり埋めて寝転がっている。コタツの温度が熱すぎて、足を外へ出してパタパタさせる。

「おい」

「んー?」

「スカートの中が見えてる」

 そう気怠げに私を咎めるのはここの家主である。私が身を起こして声のした方向を見れば、コタツ机にだらしなく体を預けていた。そんな彼はどうみても20代も前半にしか見えないが、私と彼に血縁関係ない。

 私は即座に彼の視野を把握すると、ピンクのパンツが僅かに見えるぐらいまでスカートの裾をまくり上げて誘惑してみる。

「んふっ! どう、こーふんする?」

「あほか、十年早ぇよ」

 私の精一杯の誘惑に対して彼の反応は素っ気なかった。厚着の上に毛布まで羽織って、コタツに足を突っ込んだまま身動ぎ一つしない。

「むーっ。女の子に対してその反応はゼロ点だよぉ!」

 後ろに回って背中を押したり引っ張ったり。それに彼はされるがまま、ぐらぐら揺れる。ぽてっと一緒に倒れて彼の背中に押し潰される。バタバタともがくと彼は体を起こしてまた元の体勢に戻ってしまった。

「いーけーずー!!」

「どうとでも言ってくれ。……というか、今日はやけに絡んでくるな?」

 今度は正面に回って彼の前で腕組みをする私に、怪訝な表情をみせる。これはまずい。彼は普段から素っ気ないが、今日がこれでは困るのだ。

「あーっ、もーっ! わたしにいじわるするのは、この口かーっ!!」

 べちっ。両手で彼の頬を優しく潰す。唇が蛸みたいになる。そのままカレンダーの方向へ視線を向けさせた。

「もんだいです! きょうはなんの日でしょーか?」

 なぜなら。

「あん? あー……」

 カレンダーの方を向いた彼は、ある一ヶ所で視線を止める。私がハートやマルを大量に書き込んだ日。

「クリスマス、か」

 彼から満足のいく反応を得られた私は、右目から頬にかけて刻まれた顔で、笑みを作った。

 私が一年前のこの日に、優しい彼に拾われたこと。

 果たして彼は覚えているのだろうか?


 ☆


 肌を刺すようないやらしい気温。積雪で歩きにくくなった地面。辺り一面の雪景色。吐き気がするほど眩しい光。白いキャンバスを毒々しく染める真っ赤な蛍光色。うざったいほどしつこい青、紫、緑、黄、その他多様な光源のデコレーション。息が詰まりそうなほどの人口密度。陽気で耳障りな音楽が町全体を包み込み、彼の心をかき乱す。

 足を取る忌々しい地面の雪を睨みながら彼は自宅への帰路を歩んだ。ザクザクと雪を刻みながら、揺れてずり落ちたマフラーを手で首へかけ直す。チクチクと痛みにすら感じる寒さから逃れるように、再びコンビニ袋を下げた手を冬物のジャケットのポケットに手をねじ込み、更に身を縮み込ませた。

 ふと、視線が上がる。何か、違和感があった。

 人に酔いそうになる程の人通りは、何より男女の組み合わせが異常に多い。目に付く赤は、コスプレをした店員の衣装や商店街の看板。等間隔に植えられた木はグラデーションが豊富な輝きを放っていた。

 自動車すら行き交ういつもの商店街の中央道路は、今日ばかりは通行禁止で町行くカップルたちが我が物顔で車道を闊歩している。

「今年は100年に一度の大積雪らしいね」

「やっぱり? バカみたいに降ると思ったら!」

 街中の光景も以前の記憶より様変わりしていた。

 立ち止まり、しばし思案した。答えはすぐに見つかった。

「あぁ、今日はクリスマスか」

 そのように商店街の看板に書いてあったし、音楽にたいして興味のない彼でも今まさに流れている曲が、クリスマスソングであること程度なら理解出来る。

 道端で立ち尽くす彼の近くを通ったカップルが、何がおかしいのか背後で笑った。「クリスマスなのに1人とか、可哀想だよねー」とか、「こんな特別な日に何しに来たんだ」とか、そんな適当なことを言われた。恐らくバカにされたのだろう。

 だからといって、わざわざ後を追いかけて殴りかかるような真似はせず、再び手に刺さる寒さ特有の痛みから逃げるためにポケットへ避難させる。幸福に満ちた空間は、彼をせせら笑うようだった。

 彼は無気力に、歩みを再開した。

「クリスマスだから。それがなんだ、って話だろうが」

 他者にしてみれば負け惜しみ以外のなんでもないそれは、しかし彼にとってみればこれ以上に代弁しようもない真実である。

 クリスマスだから。だから? それ以上もそれ以下もあるのだろうか?

 ある人の誕生日が誰かにとってどうでもいいように、誰かの誕生日はある人にとってどうでもいいことなのだ。

「……」

 ふと、普段は使わない近道にさしかかった。繁華街の光は真夜中にも関わらず近辺を明るく照らしている。だが彼が近道と呼ぶ路地はその恩恵を受けられず、薄暗く先は闇があった。

 彼は理由もなく、近道を選んだ。強いてあげるならば、繁華街の光を嫌ったか。ザクザクと雪を踏み潰しながら、彼は足を進める。そんな彼の目の前に、1人の少女が現れた。

「あの……」

 髪はボロボロ、肌は泥臭く汚れ、目に光がなく、今にも凍え死にそうだ。顔には「人間ではない証」が右目から頬に掛けて刻まれていた。彼は無視をするようにその脇を通り過ぎたが、服の裾に微かな抵抗を感じた。しかし霜焼けで真っ赤になった少女の指は布にこすれ、ほとんどの摩擦なくするりと解けてしまう。

「あの!」

 声は震えていた。寒さからか、あるいは「人間」に話し掛けることへの恐怖からか。彼は足を止め、振り向いた。

「これ……買ってくれませんか?」

 差し出されたのは、彼の裾を掴んだ手と反対の手。霜焼けによって赤くなるどころか腫れあがった手には、小さくて不格好な雪だるまがちょこんと乗っていた。

「……」

「……」

 そこで、お互いに硬直。ただ少女の白い吐息が漏れ出るのを彼は呆然と見つめた。一秒にも満たないか、そして少女の小さな体は寒さを思い出したように震え出す。

「こんな寒い夜に、何をしてるんだ?」

 彼の率直な疑問だった。これに対して少女の答えは至極単純だった。

「お腹が空いてるんです」

 それは答えになっていない、だが少女を表す全てだった。

 彼の視線は、少女が見せる雪だるまへ注がれる。そして再び彼女へ戻り、忌々しげに小さく舌打ちをした。

「……今日はクリスマスなんだろうが」

 彼はこの世の誰でもない、存在するかもあやふやな存在に向かって歯軋りする。それが自分へ向けられたものと勘違いした少女はきょとんとした顔でこう問い返す。

「クリスマスだから、どうしたんですか……?」

 その言葉に何故か、彼の心は動揺した。それほどの衝撃が、彼にはあった。だからこそ、彼は迷いもなくこう言えた。

「俺の家に来るか? 風呂にも入れてやるし、部屋は暖かいぞ」

「…………んは……」

 顔色の悪い少女は虚ろな瞳で彼を見た。

「ごはんは食べられますか?」

 膝を折って少女と同じ視線に立った彼は、強く頷いて手を差し伸べた。


 ☆


 街のイルミネーションを見に行きたいと言うと彼は初めは渋ったが、結局は彼も一緒に来てくれた。煌びやかな電飾、華やかな繁華街、大きく綺麗なクリスマスツリー、赤と白のサンタクロースの衣装を身にまとった店員さん。それを冷たく美しい雪化粧が世界を彩る。私にとって初めてのクリスマスは、今まで見た中で最も素敵な一夜だった。

 街を歩く私への反応は様々だ。驚いたような顔、訝しむ顔、難しい顔。それは陰口、ヒソヒソ話、後ろ指へと派生していき、最終的に彼に向けられた。

「なんで『奴隷』が人間の街に来てるんだよ」

 声高にそんなことを言う人もいる。

「不潔だわ、不快だわ。誰がこんなものを連れてきたのよ」

 影でそんなことを言う人もいる。

 しかし彼は何も気にした様子は無かった。私と共に当たり前のように街を歩き、当然のように買い物をする。そんな姿を見るたびに私は彼の言葉を思い出すのだ。

 『ある人の誕生日が誰かにとってどうでもいいように、誰かの誕生日はある人にとってどうでもいいことなのだ』と。

 2時間ほどの散歩や買い出しを済ませ、帰路に着く。そうして2人はあの近道へ通り掛かる。はぐれないように、と繋いだ彼の手を無意識にも強く握ってしまう。

 足を止めた私に、彼が問う。

「どうした?」

 不思議そうに覗き込む彼に、ふと今まで考えたコトもなかった疑問が浮かんでくる。

「一つ、きいてもいいですか?」

 彼は無言のまま首肯した。だから聞いた。

「どうして私を拾ってくれたんですか?」

 それに対する回答はシンプルで、いかにも彼らしかった。

「特に理由なんて無いよ」

 彼はいつもの無気力な笑みでそう言うのだった。ああでも、と思い出したように次の言葉を付け足す。

「ただ『クリスマスなのに』とは、思ったな。どうしてクリスマスなのに子供は家もなく、サンタが来ることを楽しみに出来ず、食べるものに困っているんだろうって。だからほら」

 ガサゴソとレジ袋の中を漁って、ある小箱を取り出す。

「ほら、ケーキ。お腹いっぱい食べよう?」

 しばし呆気に取られた私は、そして全てを理解した。彼は自身にとってクリスマスをどうでもいいと切り捨てながらも、私のクリスマスを守ろうとしてくれているのだ。

 その矛盾した心遣いに、私の胸は熱くなる。


 再び歩みを再開する。彼に手を繋がれたまま私は思った。

 きっと彼には特別なものがないのだろう。逆に言えば彼には全てがどうでも良いのだろう。クリスマスだろうが、バレンタインだろうが、ハロウィンだろうが。それは何一つ関係が無くて、例えば寒さに震える少女がいたから拾っただけに過ぎない。少女が「人間ではない証」があるかどうかは関係がないから、周りになんと言われようとも気にしないのだろう。

 そんな彼に、私は救われていたのだ。最初だけでなく、この一年間で何度も。それも数え切れないほどに。そう思うと感謝で胸がいっぱいになる。

 だが、しかし。これは障害だ。

 『クリスマス』が彼にとってただの1日で済まされては困る。世間にとってクリスマスが特別であるように、私にとってもクリスマスは特別なのだ。

 ぎゅっと、彼の手を握る手に力を込める。

 一年前の今日。彼に救われた日であり。

 そして一年後の今日。この無気力で不器用な彼に恋した日になったのだから。

「それが特別じゃないって、なんだか悔しいじゃないですか」

 ぽつりと漏らした少女の呟きが風に乗る。

「ん? どうした、なにかあったか?」

 顔をのぞき込んでくる彼に、にひひと私は悪戯っぽく笑う。

「きょうはクリスマスですっ! 家に帰ったらでもう二度と忘れられないような『とくべつなよる』にしますよーっ!!」


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