来訪者2
片付けもあらかた終わり、そろそろ上がろうかという時になって、またまた来訪者が現れた。
「めぐみちゃん!今あんたのお母さん来たよ!?」
陽子さんが小走りで厨房までやって来て教えてくれた。
「え!?お母さんですか!?」
確かに以前、一度ご挨拶に伺うみたいなことは言ってたけど、まさかいきなり来るなんて思いもよらなかった。
「何かご挨拶に来てくれたみたいで、良かったらあんたも食事していきなよ!ちっとはサービスさせてもらうよ?」
「おう。椎名ちゃん!厨房ももう大丈夫だから、上がっていいぞ!」
チーフもそう言ってくれた。
「は、はい。じゃあお言葉に甘えて。」
とにかく一度ホールに顔を出すことにした。
「綺麗なお母さんね!」
志穂姉。
「あれがめぐみのお母さん?なんか雰囲気違くない!?」
芽以さん。
「確かにちょっと落ち着いた雰囲気っスね!」
健さん。
口々に声をかけられながらお母さんの所に向かおうとして私はハッとなった。
工藤くん待たせてるんだ!
私は一旦事務所に戻って、携帯を手に取りLINEを打つことにした。
『今お母さん来てるから一緒に食事することになった。そこで待機せよ!決して話しかけて来ないように!』
LINEを打つとすぐ既読になったので、私はお母さんの所に向かった。
ホールに出ると、工藤くんと目が合った。その後ろの席に背中を向けてお母さんが座っていた。
工藤くんはニヤリとしたが、別に話しかけてはこなかった。
「お母さん。」
「あら、めぐみ。出てきて大丈夫なの?」
「うん。もう上がりだから。着替えてくるから待ってて。せっかくだから2人で食べていってって言ってくれたから。」
「そうなの。あんまり時間もないから早くしてちょうだい。」
「・・・はいはい、わかりました。」
私はもっと余裕ある時に来てよとも思ったけど、いつも働きづめのお母さんにそんなことは難しいのだと思い、着替えに戻った。
事務所に戻ると、志穂姉と芽以さんがいた。
「めぐみちゃん!あーしは上がりだけど、楽しんでいってね!」
「私は休憩だから。」
「自分も休憩っス!」
「あ、お構いなく!なんか照れ臭いですし!」
志穂姉と健さんは今日は通しなのでアイドルタイムは休憩に入る。基本的にチーフと陽子さんが対応してくれるらしい。
携帯を見ると、LINEの返事が来ていた。
『りょーかい!お前のお母さん初めて見たわー。美人なのな。』
・・・そんな一言いらないんだってば。
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「お待たせー!」
私は席に着いた。同時に陽子さんが来た。
「いらっしゃい!ご注文はお決まりですかい?」
「・・・じゃあこのカルビとハラミを二人前ずつとライスを2つ、キムチと烏龍茶を2ついただけるかしら?あなたは何か食べたいものある?」
お母さんはこんな所でもテキパキと注文をしていく。
「あ、それで大丈夫だよ。」
「はい。じゃあすぐにお持ちしますね!」
そう言って陽子さんは私にウインクして厨房の方へ行ってしまった。
「・・・ここのお店大丈夫かしら。」
「え?」
お母さんがお店を見回しながら呟いた。
「アルバイトの子も金髪の女の子がいたり、さっきの方も言葉使いが荒っぽいし。」
私は胸が苦しくなった。
「いや、でも皆いい人ばっかりだよ?それに悪い接客だったらきっとクレームとかに発展すると思うんだ。私が来てからそんなこと一度もないし。」
「・・・そう。」
あまり興味なさそうに一言だけ呟く。
お母さん。
何だか偵察にでも来たみたい。
私は苦しみを通り越して、心がズキズキしてしまった。
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「へいおまち!」
しばらくして陽子さんが注文したお肉を持ってきてくれた。
「こっちがカルビでこっちがハラミだよ!」
陽子さんはお肉を指しながら教えてくれた。
「・・・二人前にしては随分と多いのね。」
確かに一人前100グラムのはずだから、どう見ても合計600グラムはありそうだ。
「あー。これはサービスさね!あと、肉のランクも一ついい奴だから。遠慮しないで食べとくれ!」
「え!?そんなにしてもらっていいんですか?」
上カルビと上ハラミだと値段が倍近く変わる。金額で3倍くらいの物を出してくれたことになる。
「当たり前だよ!めぐみちゃんには短いとはいえすごく助けられてるからね!これでも足りないくらいさ!」
「・・・そうですか。うちの娘なんて、がさつだし、不器用だし、飲食店で働いたら食べ物の鮮度が見きれなかったり、お皿を割ったりと迷惑かけるんじゃないかって心配で。」
う。確かに野菜は傷んだ物を出したことはある。お皿はまだ割ってはいないけど、私は本当に役立てているのかな。
「お母さん。めぐみちゃんは良くやってくれてますから!最早この店には欠かせない存在さね!」
陽子さんの屈託のない笑みで私は心がすっと軽くなった。
「・・・そうですか。でもこの子、要領だけは良くやってしまう子だから、来月くらいになって慣れてきたら失敗をやらかすんじゃないかしら。その辺しっかり気を引き締めさせてあげて下さいね?」
お母さん。何もそんなしつこく言わなくても・・・。
私はまた言葉を発する気力がなくなっていく。
「はあ。まあ大丈夫だと思うけどねえ。」
「いえ。この子をあんまり甘やかさないでやって下さい。まだまだ子供なので。」
何で・・・。何でいつもそんな事ばっかり言うの?
私・・・そんなにダメかな。
「おかあっ・・・!」
私がいよいよ堪えきれなくなりそうな時。
私の言葉とほぼ同時に、ガタッと後ろの椅子が動いた。
「何だってんだよ!あんた椎名の母親だろ!?子供のダメ出しばっかしてんなよ!」
「・・・っ!?」
一部始終後ろの席で聞いていた工藤くんが口を出してきた。
「もうちょっと椎名の気持ち考えてやれよな!母親に自分のダメな所ばっか言われて、いい気しないだろーがよ!」
「工藤くん!別に私は大丈夫だから!」
慌てて止めようとしてしまう私。
「何大人ぶってんだよ!バカ野郎!大丈夫ってな!大丈夫じゃねーやつのセリフだろーがよ!」
「・・・っ!」
完全に言葉に詰まってしまった。手も震えてきちゃって、予想以上に狼狽えているのが自分でもわかる。
「だ・・・大丈夫なはずなのに・・・。あれ?・・・おかしいな?」
不意にお母さんと目が合って、それを気にもっと手が震えてきちゃって。
止めようとして手を強く握ったら、手の甲に水滴が落ちてきて。
「めぐみ・・・?」
呼ばれてまたお母さんの方を向いたらお母さんの顔がもうぼやけて見えなかった。
それで始めて自分が泣いてるのを自覚して。
自覚したらすごく恥ずかしくなって、私はそこから逃げ出した。
「めぐみっ!待ちなさいっ!」
待てと言われて待つくらいなら、最初からここから逃げ出したりしない。
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私は自分が恥ずかしくて、恥ずかしくて。
夢中で走った。
陸上部を辞めてから初めての全力疾走じゃないかな。
思った以上に息が切れて、涙も止めどなく溢れて、すれ違う人たちが、何人か私を見て振り返った。
それがまた恥ずかしくて。
そんな事、本当はどうでもいいはずなのに。
どうして私はそんなこと気にかけちゃうんだろう。
他人なんてどうだっていいじゃない。
家族が大事なんでしょう?
その大事な家族のことをおざなりにして、今置き去りにして逃げ出してるんだけどね。
ホントバカみたい・・・。
この後どうしよう・・・。
もうヤダ。
気がついたら私は暗闇の中にいた。
暗闇といっても夜って訳じゃない。
この場所を私は知っている。
ここは公園だ。
公園のお山の遊具の土管の中。
小さい頃よく遊んだ近所の公園。
物心つく頃、お母さんによく連れてきてもらっていた。
ここのお山に登ったり、土管の中で秘密基地みたいにして過ごすことが好きだった。
そしてあの頃のお母さんの笑顔も好きだった。
いつからこうなってしまったんだろう。
あの頃みたいに、笑い合えたら。
・・・。
笑い合えたら?
私だって笑っていないのに?
そんなこと出来るわけないじゃない。
「めぐみ・・・。そこにいるんでしょう?」
不意に声がかけられた。
姿は見えないけれど、声はお母さんだった。
まだそんなに時間は経っていないはず。そして私は全力疾走でここまで来た。
つまり、お母さんは真っ直ぐここへ来たんだ。
「・・・うん。」
「あなたが小さい頃にお父さんを病気でなくしてね。」
「・・・うん。」
お母さんの声はさっきまでとは少し違っていた。
「女手1つであなたを育てなきゃならないって思うと・・・不安だったわ。」
「うん。」
まあそんなの、私だってそう思うよ。
「私はあなたの母親であると同時に、父親としても頑張らなきゃって思った。母親として時に優しく、父親として時に厳しく。そう思ってはいたけれど、気がついたらどちらでもなくなって、あなたに親として接することすら出来なくなっていたのかしらね。」
「お母さん?」
お母さんが私に弱気な発言をするなんて初めてのことだった。
「あなたとまともに話す時間もとってないくせに、自分の都合のいい時だけ母親面して、何を偉そうにしてるんだって思うでしょう?」
「・・・お母さん。」
否定はしない。しちゃいけない。
取り繕ってもまた同じ結果になるだけだ。
「ごめんなさい。・・・ただ、あなたのことを大切に想ってない訳じゃないの。お母さんもどうすればいいのかよくわからないのよ。」
お母さんの声が震えていた。さっきの私みたいに。
まさか?
私は土管の外へと飛び出した。
そこには普段のお母さんとは違う、自信がなくて、弱そうで、俯いて涙を流す女性が立っていて。
「お母さんごめん!」
私はその姿を見て、さっきとは比べ物にならないくらい、胸が苦しくて、胸がズキズキして、体が勝手に動いて、駆け寄って抱き締めていた。
「めぐみ・・・私の方こそごめんなさい。いつも苦しませて。」
「ううん。それは私。私なのっ!」
そっか。
親子2人、抱き締め合って、私の心の中のお母さんに対するわだかまりみたいなものが、全部氷が溶けていくみたいに無くなっていくのを感じていた。
「・・・お母さん。不器用すぎ。」
「・・・否定はしないわ。」
2人の声色は優しかった。
まだ真夏だっていうのに、新しい春の訪れみたいに。




