僕が書き専である理由
前回のエッセイでちょっと触れていた、需要のなさそうなエッセイです。
突然ですが、僕は書き専です。ほとんど他のなろう小説は読んでいません。一部、詩や短編などの短いやつは読んだりしますが。実は、なろうに限らず、普通に書店に並んでいるやつも読んでいません。さらには、漫画やアニメなども全く見てません。
でも、ちょっと前までよく読んでたんですよ。
アニメも好きで、よく友達とアニメの話してました。今期のアニメはどうとか、あれが名作だとか。共通の話題っていいですよね。漫画も読んでましたよ、主にWeb漫画を。なろう発の漫画もあったかも知れないですね。
『能力は平均値でって言ったよね』でしたっけ?あれ読んでました(笑)
小説に至ってはもう小学生の時から好きでしたね。『つよくてごめんね』とか知ってます?あとあの、居眠りしたら7年たってたやつ。タイトル何だったかなぁ、めちゃくちゃいい話なんですよ。川で遊ぶやつもありましたね、給食にめちゃ酸っぱいみかんを忍び込ませるやつ。ああー、タイトルが思い出せない(笑)
まあ挙げだしたらきりがないのでここで止めますけども。
とにかく、そんなに好きだった小説も読まなくなってしまったんです。しかも、読みかけの小説を残したまま。それはなぜか。
自分自身よく分かっていない節があるんですが、たぶん『妄想』だと思うんです。僕の詞やエッセイにも何度か登場したことがあるかも知れない、僕の人生のキーワードになる言葉。
昔からよく妄想はしてたんですよ。それこそ本を読んだりするとその本の世界だったりキャラクターを思い浮かべて、自分で考えたキャラとかこんな奴いて欲しいってキャラを登場させてみたり。物語のその後を妄想したり。自分を登場させるってのは良くやりましたね(笑)みんなもよくやったんじゃないかな?
でもいつからか、そういうのが辛くなってきて。小説の主人公達が、僕にとってもう戻れない時を生きるようになったからなのか、僕が大人になったからなのか。でも妄想することは止められなくて。主にアニメと漫画と小説ですね。そういうのを見る度に心臓がバクバクして、頭がチカチカするようになりました。
それだけではなく、
その手の創作物を見るとアイデアが溢れて止まらないようになってしまって。自分ならこういう世界を作るとか、こんな主人公にするとか。そんなのが溢れて止まらなくて。映像が流れたりもしますね。ちなみに僕が今書いている小説、『雨音と晴太のワンダーランド』は(風に吹かれる主人公とヒロイン)と(路面電車に乗る主人公)、あと(提灯)の映像から作りました。色で言うと藍色になります。
まあそんな感じで、見ると頭がパンクしそうになるので今は見たり読んだり出来なくなってしまったんです。だから小説と漫画とアニメはもちろんのこと、ドラマとかアニメ映画の宣伝とか、最近多いアニメ風のCMも見るのはきついですね。カップヌードルのCMですかね?あの魔女の宅急便のやつ。あれが流れ出すと逃げます、僕(笑)
小説はまだいいかも。アニメですね、やっぱり。あれは本当にやばいんですよ。もうウワァーって感じで。
だから、僕が小説を書こうと思ったきっかけっていうのが、そういった妄想を書き出すためなんですよね。書き出さないと頭がいっぱいいっぱいになるから。あと、もともと物書きになりたいってぼんやり思ってたのもありますが。
そうすると今度はアクセス数の問題にぶち当たってしまって(笑)ただアクセス数が伸びないだけなのにすごく悲しいんですよね-。なろう作家なら誰もがぶち当たる問題かと思います。
と、まあこんなわけで、僕は書き専なのです。
どうしてこんなことを書こうと思ったのかというと、本当はもっと色んな作家さんの小説を読んで、感想を書いたりしたいんですが、それが出来ず何だか申し訳ない気持ちになってしまったので。僕、アクセス数がどうとかTwitterがどうとか言ってる割にほとんど他の作家さんの作品を見てないんですよ。
でもそういうことを言うと感想くれたり励ましてくれたりする方がいるので、そういう方々の作品もほとんど見られてないのが申し訳なくて。弁明の意味も込めてエッセイとして書いたしだいです。
さいごに
このエッセイはここで終わらせていただきますが、同じように妄想が止まらなくて困っている人、アニメとか見られなくなってしまった人、あるいはアクセス数でもいいです。僕と同じように感じている人がいたら嬉しいです。
人と違う自分でありたいという気持ちと誰かに共感して欲しいという気持ちは意外と共存できるのかも知れないと思いつつ、最後のエンターキーを押したいと思います。
ありがとうございました。