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 どうせ誰もいない、と高を括ったのは間違いだった。

 一晩のうちに仕事こなし、昼まで寝るつもりで宿に戻った。が、中に入った瞬間に、「よお」と野太い声を掛けられる。

 目の前には、何度か顔を合わせたことのある同業者と、宿の女主人、そして――連れがいた。

「……」

 いっそ無視して通り過ぎようかと埒なく考えたが、すぐに不可能になった。

子供が、駆け寄ってきたせいで。

 立ち上がりざまによろけ、さらには近づくわずかな間にもう一度ふらつく。いつでも、危なっかしい。脇をすり抜けて行けば、付いて来られずその時こそ倒れる。予想は簡単に付く。

 だから、じっと立っているより他なかった。

「……お、おか」

「……」

「お、お帰り、なさ……」

 尻すぼみに語尾が消える。いらない入れ知恵をしたらしい男が、後ろでにやにやと笑っているのが、野兎にしてみればとみに気に食わない。いっそ全力で一発ぶん殴ってやろうかと、徹夜明けの短気な思考が解決法を弾きだす。

 しなかったのは、余計なことをしでかして、小うるさい女主人に文句を言われるのが嫌だったからだ。

 子供がいた席には、食べかけの器が残されていた。顎で示せば、大人しく戻る。大きすぎる匙の先の方だけを使いながら、食事を再開した。

 仕方なく、やや離れた位置に腰を掛け――拒絶を示したはずが、相手の男はわざわざ席を立ち、目の前に陣取ってきた。

「あんた、野兎だろ」

「……」

「俺はハレ。一年と三月くらい前に、あんたと同じ護衛の仕事を請け負ったんだが、覚えてねえか?」

 自分でさえ忘れていた事実をさらりと隠して、さも顔見知りのようにハレが口を開いた。

「……」

 憮然としたまま、野兎はただ机に目を落とす。

 答える義理はなかった。

 それでも引く気配のない相手に、だからどうしたと睨み付ければ、ひるんだ様子もなく唇の端が上がる。ちらちらと野兎と子供を交互に見やってから……馴れ馴れしく、顔を寄せて声を潜めた。

「……隠し子か?」

 右腕を振った。惜しいところで空振る。反射で身を引いたハレはと言えば、さすがに若干表情が引きつっていた。

「失せろ」

「……口悪いってのも、噂以上だな」

「だからどうした。俺は失せろと言った。三度目はない」

「邪険にしねえでくれって。別に取って食おうって訳じゃない。あんた相手じゃ、咬みつかれるのは俺の方なんだからよ」

 笑いながら両手を振って、笑み崩れた。

 実力の差、だ。一度間近で戦い、肌で感じたからこそ、ハレには分かる。相対すれば、負けるのは自分だと。

 野兎にしてみれば、そんな態度はどうにも対応がしづらい。

 突っかかってくるなら相手をする。酒の勢いで絡まれれば無視だ。用件があるならさっさと済ませればいい。

 が、世間話――有体に言えば、どうでもいい中身のない会話――を、野兎相手に持ちかける物好きはいなかった。少なくとも、これまでは。

「別に詮索しようって訳じゃないが……子供をこんな場所に連れてくるもんじゃねえって。あんたなら、真っ当な宿に泊まれるだけの稼ぎがあるだろう?」

 害はあっても毒はない。実力行使で黙らせるほどではない。

 したり顔で説教が始まっても、だから? としか感想はなかった。

「なんで連れ歩いてんのかは知らねえけど、ふらふらしてて危なっかしい。今日だって朝方に一人歩きだ。赤ん坊じゃねえ、二本の足で歩けんだから余計に危ない。性根の腐った奴らに、攫われてたってここじゃ文句も言えねえんだ。知ってんだろ」

「……」

 そういえば、昨日は疲労のために早々に寝入ってしまったせいで、担いで宿に入った。その後は早々に出かけたため、部屋から出るなと言い渡せなかった。

 ハレの話はまだまだ続きそうだったが、野兎は頃合いになったために無言で立ち上がった。

「おいっ」

「セマム、行くぞ」

 呼べば、パッと顔を上げてすぐに付いてくる。ハレのことは、背を向けた瞬間には、どうでもいい存在になり下がっていた。

「おいって……」

 取り残されそうになって、ハレは腕を伸ばすが、するりと躱される。振り返りもせずに廊下の向こう、そして階段を上って行った野兎に、やれやれと舌打ちをした。

 礼儀がなっちゃいない。そんな奴は珍しくもないが、あれほど他人をひどく拒絶する人間は中々いない。結局、まともに口をきいてすらもらえなかった。

 がしがしと髪をかきむしる。忌々しいのではない。どちらかと言えば……同情に近い。案じている、でもいい。あの小さな子供も、独りになろうとする野兎も。

 危うい気がして、ならない。

 やや長く生きている分、それは確信に近い予感だった。

 振り返れば、宿の女将も苦い顔つきだった。目が合うと、さらに眉間にしわが寄る。なぜか、嫌われているようだった。それ見たことか、と目が告げている。

「……バカだね。余計なお世話ってんだよ」

「分かっている」

 それでも、暗い気分なのは変わらない。分かっていた。それでもやったのだから、これは半分、自業自得だ。

「でも、無駄じゃない」

 まるで励ますような一言に、驚いて顔を上げる。背後を顎で示されて、振り返った。

 後ろには……小さな人影。

 扉の枠から、肩から上だけをのぞかせている。

「あ、の……」

「……」

「あの、ありがとぅ……」

 ぺこり、と下げた顔が、真っ赤だった。パッとすぐに身をひるがえし、とたとたと階段を上がる音がした。

 やや呆然としたまま、何気なく子供の座っていた席を見下ろす。

 そこでもう一度、目を見張った。

 置かれていたのは……空になった、器。

 底の方に少しだけ、茶色いスープが残っていた。

「……」

 戻ってきた子供、残っていた空の椀――分かりにくい。なんとも、ひどく分かりにくい。

 がちゃり、と裏口の開く音がした。昼まで起きない連中ばかりがいるこの場所で、今出て行くとすれば一人――ではなく、一組だ。

 慌てて、自分の荷物を引っ掴む。財布にあった一番高い硬貨を無造作に放ると、違わずに女の手の中に収まった。ため息が背中にかかる。

「止めとけって言ったところで、無駄かね」

「言ってもいいぜ。とりあえず、それでも俺は行くがな」

 返事はなかった。ただ、儀礼的な「もう来んな」と半ば吐き捨てるように呟かれた――これが彼女流の「毎度あり」兼「またのお越しを」になる。

 あの子供の足は遅いだろう。恐らく、簡単に追いつける。

 辿りそうな道をいくつか思い浮かべながら、ハレは宿の扉を押し開いた。




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