瞳の中の赤き竜
○
「ということだレイリュー、大変なんだ」
《……事態は把握した》
シュラウド内蔵型骨伝導スピーカーからは、つかれた声が返ってきた。
《お前の判断の正しさは私が保証しよう。その子どもは――まず間違いなく『ガイア主義者』と見ていい》
「ガイア主義者?」
《ああ。指揮官適正を持つものだけに伝えられる二級秘匿義務情報だ。実のところ、人類側というのも一枚岩というわけではない。裏切り者がいるのさ》
「そんなことが……?」
《可能、なんだな。人類にとっては都合が悪いことに。その少女は、自然繊維の服を着て、機械を見て激昂したんだったな? AB支配地域において自然が復興することも踏まえて、ABの真の目的を推察してみろ、そこから導ける寝返りの条件も》
難題、というわけでもない。バラバラに配置されていたピースが嵌っていくような感覚が、頭の中にあった。
「ABの目的は人類の抹殺ではなく、自然の復興……? だとすれば、文明を捨て去れば……」
《うん、概ね宜しい》ふっと軽い微笑。《それは一級秘匿義務情報だ。私から口にすることはできないのでな。頭の周りが良くて助かる》
いつのまにか通信回線が通常モードから、秘匿モードになっていた。
《ABというのは「アンチ・ボディ」の略称。地球が「ガン細胞」を掃除するために送り出した「抗体反応」なんだよ彼らは。その例えで言うなら「ガイア主義者」は正常に復帰した細胞とも言えようか》
なるほど。
「だったら……、人類全員がガイア主義者になるというのも手じゃないか? どうして戦う?」
ふっと小さく息を吐く音が聞こえた。
《そんなこと、できるわけがないさ。聞く所によれば、ABは農耕すら許さないらしいぞ? そんな生産力で、どうして十億の人口を維持できる? 結局は、殺されるか餓死するかの違いでしか無い》
「なるほどな。同じ死ぬなら、戦うべきだと」
《そう思ったのが私達、そうは思わなかったのが彼ら……『ガイア主義者』だ。さて、話を戻すぞ。彼らに居場所を知られた以上、一刻も早くその場を離れた方がいい》
……それができたら苦労はしない。
「分かっているとは思うがリーダー。この暗闇の中森を行くのは不可能だ。あまり高く飛んだらオキナワの中華軍に補足されて国際問題になるし、術がない」
ヘッドセットから帰ってきたのは硬い声。
《分かっていないようだなアマツ。ガイア主義者に発見されたんだ。そんなお題目を守っている余裕は、もうない》
視界中央にせり出した仮想モニタからは、真剣な表情のレイリューがこちらを睨む。
《即時撤収。森を飛び越えて構わん。私達1stセルと合流しろ……アマツ?》
その時。
――からんころん、と森から金属の缶が転がる音がした。まずい。事態がそう切迫しているとは露知らず、レイリューに連絡する前にブービートラップなどをしかけてしまっていた。……時間。アイツが逃げてから、優に二時間は経っている。引き攣る俺の表情を読んで、レイリューの顔が青ざめる。
《まさかもう――来たのか!? いつも報告はすぐに行なえと!》
「お前もそういうことは早く言えったら! しかし言い訳じゃないが、少し来るのが早すぎやしないか? 夜の森を、こんな速度で――」
《地球は奴らの味方だよ》向こうでもいそいそと動き始めながらレイリューは。
『環境条件など、問題じゃない!』
そういう情報は共有しなきゃ――! と思ったが、そうか、部隊長は知っているのだから、通常では問題にならない。おかしいのは、このツーマンセルの部隊編か……。
一体ファナ、お前は何を考えている?
そんなことを考えている余裕なんて勿論ない。
暴れ疲れて眠っているエーリエルを起こそうと、テントに戻ると、途端にヒュン、ヒュンとかぼそく鳥の鳴くような音が聞こえ、天幕に穴が開いた。突きたったそれをみて、初めて気づく。矢だ
――なんて、原始的な。
しかしそれだけではない。網膜を灼くオレンジの光が、矢の周囲から迸り、炎が回る。火矢なのだ。ビニールのテントは瞬く間に溶けだしてゆく。いいのかこれ! 地球的に!
起こしている暇なんてない。小脇にエーリエルを抱え一躍、飛翔する。重力バリアが展開された時特有の虚脱感に、流石の眠り姫も目を覚ました。
「……アマツさん、これは……?」
「敵襲だ! 起きたなら早いとこ自力飛行してくれ」
「す、すいません!」
慌てて煌めく光子を纏い、エーリエルは俺の腕を離れた。
《マスター、二時方向より飛来する物体……数三十五、続々来る》
飛来する物体……矢か!
「回避運動、任せる!」
《祈っていてください》
二時方向、東の空は、まるで火のついたハリネズミの集団が突っ込んでくるような有様だった。くそっ! シュラウドが吐き出す噴射光がいい的になっている。洗濯機の中にでも放り込まれたように目まぐるしく変わる景色の中、俺は悪態をつくことしかできなかった。
「もっと上へ、アマツさん!」いち早く高度に逃れたエーリエルが叫ぶ。
「分かってる!」
弓には射程限界がある。この一群さえ乗り越えれば、高度を取って――
「いゃあっ!」
夥しい数の矢群をかわしながら、ふとエーリエルの声が聞こえた。安全なはずの、高度で。
まさか――。
《来た。切れ間ですマスター。上昇します》
矢の集中豪雨から抜けた先、空の上には。
「やぁ、怖いお兄さん」
先刻の少女が、余裕の笑みを湛えて待ちかまえていた。得体の知れない、巨大な獣の背に乗って。
その獣は、まるでドラゴンだった。
巨大な翼、背、手足には鋭い鉤爪が付いている。真紅の体躯は飛行船一隻より更に一回りほど大きく、牛だって片手で運べるようなその手の中に今、エーリエルが鷲掴みにされている……。
実際には初めて見る。これがAB、人類の、敵。
今俺は……真実、俺の幻想兵器が欠陥品であることを理解した。こんな化け物に、こんなちっぽけなナイフで、ははっ、どう対抗しろというのか。
呑まれずにはいられない。その圧倒的な質量から来る、どうしようもない絶対性。対照的に俺はなんと小さく、矮小な存在だろうか。考えまいとしても考えずにはいられない。こんなもの、到底人がどうこうできるものではない――。
俺は、敵の巨大さに、立場も忘れて呆けていた。だから初撃をかわせたのは、偏にニースのおかげだった。しかし――なぜか。飛来したABの、鉤爪による一撃はかわせたはずなのに、電気ショックが全身を襲う。
「うがぁ! 何か当たったのか!?」戦慄する俺に。
《いいえ、私です》とニースの素っ気ない返答。そういえば、このシュラウドには救命用の電気ショツク装置が搭載されていたな!
「冗談やってる場合かよ!」
《冗談ではありませんよ、マスター》冷たく硬質なマシンボイス。《私はこんなところで消えたくない。シャキっとしてください》
「――! すまん!」
《――来ますよ》
悠々としたターンを終え、竜の爪牙が再び俺に向けられる。しかし、どうする? あの巨体に比したら俺のナイフなんて、爪楊枝にも満たない。真っ向きっての勝負じゃまず敵いはしないだろう。
しかしそんなこと、俺にとってはいつもそうだった。
弱点を突かせてもらう!
《――なるほど》神経接続を通して漏れた思考を読んで、ニースが反応する。《流石は悪党》
「正義の味方だ!」
《しかし、正義の味方にそんな発想は出ませんよ。乗っている少女の方を刺し殺してしまおう――なんて》
そんな気もするが――今は!
機動性ならこちらが有利だった。うるさく集る蠅のように巨大な竜を幻惑し、隙を見て、頭上へ――。
龍の角にしがみつく少女と、目線があった。
お互いに、ニヤリと笑みを交わす。
「逃げたら殺すと言ったはず――だ」
逆手にナイフを握って後は、駆け抜けた。
少女の白くか細い頸動脈へ至る、直線を。
ただ、疾く。
「か、かはっ」首筋にできた裂傷から空気が入り、苦しむ声。
やった! そう思ったのも、束の間。
「なぁーんてね♪」
振り返ると、皮一枚で繋がっている少女の首が、愉快そうに笑っていた。なんで、なんで。
「お兄さん案外と間抜けだなぁ」そんな俺を嘲って、首なし騎士は。「幻想生物のABに、実体のある人間が乗れる訳ないじゃない。イメージ映像だよイメージ映像、きゃはっ」
《呆けてないで!》
その言葉にはっとして振り返ると、竜の巨大な尻尾が眼前に迫っていた。その赤錆た鱗の一つ一つが、見えるくらいに。これは……。
《……お覚悟を》
沈痛な声が頭に響く。
《これまでです》
嘘だろ? お前がかわし損なうわけないよな? いままでの攻撃全部、かすりもしなかったじゃないか。俺が気を取られていたって、シードユニットのセンサーアイで状況は把握できてたはずだよな?
――いや。
そこで、自分の間違いに気づいた。
ABは幻想生物だ。機械のセンサーアイには映るはずがないし、音だって捉えられない。
この竜は、人の心の中にしかいない魔物なんだから。
俺が肉眼で見なけりゃ――ニースに確認のしようがない……。
つまり、もう。
マニアワナイ。
「うぉおおおおおおおおおおおおおッ!」
断末魔の叫びは、自然に体の奥からふきだしてきた。そうでもしなければ、恐怖で気が変になりそうで。




