ザナドゥシステム
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薬品の臭いがたちこめる白い部屋。濃い霧が下りているような……そんな朦朧とした意識の中、誰かが近づいてきたのを感じた。こいつは何だ。医者か……死神か。
柔らかな手の感触がした。
続いて、上から音が降ってくる。
「ほりいゆう じえにつくすど らごくえす とだよ」
なんだその怪しい呪文は。呪いでもかけてるのか。そう思った瞬間、俺は体の異常に気づいた。
いや、正常に気づいた、と言うべきか。
何といえばいいのか……中々言葉にしづらい感覚だが、敢えて言えば、無くし物を見つけた時の感覚に近い。それも、一度探した所を三日後にそれとなく見ていると、実はそこにあったことに気づいた時のような。
体が治ったのではなく、体は、『最初からなんでもなかった』。俺は今、それに気づけたのだ。
そして、この声は……。
「ふん。上司をボケ殺すとは不遜極まる行いね、この愚物」
ファナはなぜかご機嫌ななめだった。どこに? どこにボケがあったというのか。そう尋ね返すと、ファナは思い切りため息をつき。
「あったでしょうが……。のっけから昔なつかしの復活の呪文を唱えるという割と狭いボケが。はっ、もしかして……今の子には通じないのかしら。いえ、例え通じなくても、つっこみ次第でいくらでも化けたはずよ。それをお前は完スルーとは何事なの。そんなことじゃ、もう一度カバン持ちからやり直しやで太郎」
誰が太郎だ。それはともかく。
「なんだ。あの呪文を唱えたから治ったわけじゃなかったのか」
そう言うと、そんなんで治るわけないでしょう、このゲーム脳が。と憐れむような目線を向けられた。何か腑に落ちない。
「これは御私様の力、その名も『ザナドゥシステム』。ゲーム脳のお前に分かりやすく解説してあげると、要は精神のセーブシステムね」
ファナは、どこか自慢げに語り出した。
「私はお前たちの脳が生み出す神経パルス信号を逐一収集、保存しているの。だから精神にどんな異常が発生した所で、『ザナドゥシステム』からバックアップを取り出して、『ダウンロード』することで、健康な状態に戻すことができるというわけ。ああ但し、脳死していない限りの限定付きで、データダウンロードには直接接触の必要があるから、実戦ではあまり使えないけれどね」
癪だから口には出さないけれど。
といってもそれは……かなり便利だ。こんな小娘が“元帥”なんて何かの冗談だと思っていたけれど、そんな便利な力を持っているとなれば、頷ける。国連軍としては、どうしても手放したくない人材だろうから。
「しかしどうして、反応が薄いわね。この力の説明をすると、皆不安げに自分の体を見るのが定番の反応なのだけど」?
「何故だ、それは?」
「アイデンティティがクライシスするのよ」
ふふーんと意地悪気な顔をファナは浮かべた。いや平常通りだけど。
「世界は実は、五分前に始まったばかり。しかし悪魔が偽の『いままであったことの記憶』をお前に埋め込んだので、お前はそれを知らない。世界はずっと六十億年前から続いてきたと思い込んでいる。そしてこれは、『反証できない』。『決してそうじゃないと証明することなんてできない』。有名な仮説ね。これと似たようなことが、ザナドゥシステムにも言えるのよ。つまりお前は元のままのお前かどうか、お前自身には『分かり得ない』」
得意げな顔。
「お前は今治ったと思っているけれど、実は『産まれた』のかもしれない」
こういう話をする奴は、決まってこういう顔をするよな。
「例えば本当のお前はどっかで死んでて、実はお前は、二人目なのかもしれない。クローンで肉体を複製するのなんて、今の技術だと容易いわ。お前はクローニングで作られた肉体に、私が今までの記憶をダウンロードさせただけの存在かもしれない。これは世界五分前仮説と同様、お前自身には分かり得ないわ」なるほど。
「理解は出来るな」
「ふふふ、どうよ怖いでしょう?」
正直全然そんなことないのだけど、どうしよう。凄まじい期待の眼差しで見られているので、多少迷う。なんだこれ。裏切っていいのかこの純真な面持ち。無駄にしていいのかこの長台詞。
いいや、ファナだし。
「俺にとっては、凄まじくどうでもいい話だな」
正直に告げると、ちっ、とすごい顔で舌打ちされた。
「はぁ、これだから無学な奴って嫌なのよ。ロマンを解さない人間なんて人間の名に値しないわ。エテ公で十分よエテ公で。けどまぁ――」
表情を微妙に変化させて、ファナは遠くを見る。
「お前はその方が、いいかもしれないわね」
「どういう意味だ?」
ふっ――と嫌味な微笑を浮かべ、ファナは視線を戻す。
「いえね。馬鹿の方が人生楽しめるわよねーって話よ。しんそこうらやましいわぁ」
「棒読みじゃねーか」
全く。生きている内に一回は殴りたい奴ランキング一位は、不動のものになりそうだ。もう殿堂入りでいいかもしれない。
ふと、ファナは思い出したように邪笑する。
「ああそうそう。今回の件について罰を与えるわ」
「え?」
「何よ、その不服そうな顔は。へい……じゃなかった。学生同士の私闘は禁止って軍ぽ……じゃない、校則に書いてあるでしょうが。まぁ、そんな規則はどうでもよいけれど、御私様の御手をわずらわせるなんて万死、いや億死相当の大罪なのだわ」
くそ。場の雰囲気的にやってもいいもんだと思ってた。罰あるのか……。
「ここへ、行きなさい。しっかし、紙に地図書いたのなんて何年ぶりかしら」
渡された紙切れには、下手くそな絵……もとい地図が書いてあった。地図と言ってくれなければ、子供が書いた絵にしか見えないので、助かった。
「ここへ行ってどうすればいいんだ?」
「行きさえすればいいわ」
なんだそれは。それは罰になるんだろうか。
しかし。
「了解」
軽い以上、受ける身としては文句はない。
けれど。
それだけで済むはずがなかったのだ。
これは、『罰』なのだから。
つづく。




