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Paintit,white 2



 気付けば少し感傷的な気分になっていた自分に気付き、少なからず驚いた。そんなセンチメンタルな感情が生じるほど、今の自分に余裕があるとは。言うまでもない事だが、毎日がそのまま生きるか死ぬかの我らが下層民には、情緒を感じる機能なんてほぼ失われている。そんなものを感じている劣等種はすぐに淘汰されるから、生きている奴は自然にそういうものを感じない奴らだけになっていく。だから、俺がそういう人間的な反応を示すのは、自分が絶対的に優位であり、多少慢心したところで事態に影響がない場合に限られる。そのはずだった。しかし、今は八年間お世話になった職場を焼き打ちにあわせているところだから、そんな余裕が生じるのはおかしいはずなのだ。本当にどうかしてる。

 さて、明日からどう生活していこう。無論俺とて無計画というわけではない。なにしろ俺は、今日この日こうなることを、誰よりも先に知っていた人間なのだから。

 けれども、悪の道には精通している俺だったが、恥ずかしい話、真っ当に生きるのは今日が初めてなのだ。例えるなら、勤続三十年のベテラン会社員が、急にお笑い芸人になるようなものだろうか。今までの経験が活きないどころか、寧ろ邪魔になる新天地。果たして俺は真人間のみなさんに溶け込み、一条の法律をも犯すことなく生きてゆくことができるのか、甚だ不安で仕方ない。スラムでは犯罪を犯したところでどうということはないが、聞くところによると、大きな都市には“ケーサツ”という犯罪を犯した奴をその場で処刑する法の番人がいるとか。息をするように罪を犯してきた俺が、はたしてケーサツに殺されずにすむのか……。

 漠然とした不安を頭に展開させながらも、俺はとりあえず姉の待つセーフハウスに帰ろうと、汚い路地裏を走る。姉と合流した後は、そのまま統治領域に抜け、シャトルで辺境を目指す予定だ。なんでも聞くところによると、都市部はどこもこんなありさまだけど、田舎の方はまだ治安も良く、なんと信じられないことに、玄関先にキルモード設定の自動機械を置かなくても安心して寝れるほどだとか。まぁさすがにそれは脚色がはいっているにしても、占領の旨みが無く、ゲリラが活動しやすい山間部に、米中軍が進んで入ろうとするはずはないから、ここよりは多少マシなはずだ……。

 などと、意味のない思考に頭を遊ばせていられる状態ではない!

 詰めが甘いせいで死んだ人間を、お前はいったい何人見てきたんだ。

 俺は強く自分の頬を叩いて、目の前を見据える。

 万一を考え、なるべく人通りの少ない道を選んでいると、自然狭苦しく、汚い道を行くことになる。普段ならどんなに急いでいても、絶対に避けて通るところだ。人が少ないと言う事はそのまま、それだけ危険度が高いということになる。道に捨ててある生ゴミらしきもの、たぶん良く見ればその中にはできたての死体も入っているはずだ。悪魔でも無傷じゃ通り抜けられない、それが隔離領域の中の隔離領域たるこの路地だった。正直に言おう。スラムで生まれ育ったこの俺でも、今は夜中に外出する処女みたいにビビっている。いくら人目を避けたいと言っても、懐に銃が入っていなければ、絶対に通りはしない。こんなところを丸腰で歩いている奴がいたとしたら、そいつは間違いなく気が狂っているか、或いは度を超したバカか。どっちにせよすぐ死ぬ奴等だ。


 しかし馬鹿者というのは、いるものなのだった。


 大人二人がギリギリ横に並べない、ビルとビルの間の路地。今は昼間だと言うのに、一条の光も射し込まない地獄の一丁目で、女がこちらを向いて仁王立ちしていた。

 若い女。

「……」

 俺は女からきっかり十メートルの距離を保って足を止める。少し近いが、俺の射撃の腕だとこのくらいじゃないと当たらない。内ポケットから拳銃を取り出し、制音装置を銃口に取り付けて、構える。俺の射撃の腕ははっきりいって悪い。だから頭を狙わず、的の大きい腹を狙う。そして無力化したところを、近づいて止めを刺す。初弾を外してしまうと敵を勢いづかせることになるので、最初だけは必中を目指さなければならない。

 両の目で敵を見据え、当たると確信したら、撃つ――いつもどおりに。

 って待てよ?

 いつもどおりではいけない。俺は今日から、正義の味方だった。殺すこと前提で考えるのではなく、一応ポーズだけでも、対話を試みんといけないかもしれない。

 仕方なしに、俺はにっこりと女に笑いかける。

「お嬢さん、ここは危ないですよ。命と貞操が少しでも惜しいなら、こんなところに来てはいけない」

 慈愛溢れる声で言った。初めてにしてはいい正義っぷりだと我ながら思う。

 しかし女は、それを鼻で笑って、

「それはギャグなのかしら? 撃つ気満々で銃を構えて、言うセリフではないわね」

 と流暢な英語で応答した。

 いやこちらから話掛けておいて何なのだが、俺は女がマトモに会話できることに驚いた。どうやら、梅毒で頭が腐り果ててしまった可哀想な売春婦という、最もありえそうな予想は外れていたようだ。狂人でないとすれば、じゃあ……

「お前、ここの人間じゃないな? どこから来た売春婦だ」

「……どうして決めてかかるのかしら。まず売春婦では、ない」

「嘘つけ。ここらへんに売春婦じゃない若い女がいるわけないだろ」

「……」

 女は鋭い目つきで睨んできた。俺も大分修羅場をくぐってきているはずだが、こんな恐ろしい目ができる人間には初めてあったと断言できる。そんな目だった。

「……本来なら、万死に値する言動。しかし神のごとき寛大さを持つ御私様の特別の計らいをもって、異例中の異例ではあるけれども、宇宙開闢以来最大の奇跡であるけれども、特別に許してあげましょう。死ね」

「……」

 やっぱりこいつ、イカレてるかもしれない。

 しかし聞いていて思ったのだが、この女大した英語力だ。このくらいの年の若者が話す、英語と日本語の合いの子である混合語(クレオール)とは品位が違う。傭兵が話す俗流英語バーストイングリッシュでも無いし、売春婦で無いというのはあながち嘘でもないのかもしれない。そういえば、よく注意を向けて見るとこいつ、ブロンドの髪に赤い瞳、透けるような白色の肌をしている。白色人種の若い女。もしかしてこいつは、統治領域から誘拐されてきた貴族の子女なのかもしれない。それなら、この気位の高さも納得だ。

 本人に確認してみようと、俺は口を開く。

「もしかして、貴族様であらせられる?」 

「愚問。見て分かりなさい下郎が」


つづく。


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