平和を知らない子供たち 6
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その後、学内の施設を一通り案内して貰い、日が落ちる頃、フラタニティ:ヨスガの面々と別れた。と言っても、宿舎は各フラタニティで分かれているので、壁一つ隔てればそこはアダミヤの部屋だ。距離的にはあまり離れていない。
俺に与えられた部屋は、八畳ほどのワンルームだった。シャワー、トイレ、クローゼット、『端末』とおよそ生活するのに必要なものは、全て整っている。それに、一人部屋だ。軍隊の宿舎生活というものに付き纏う、あのむさ苦しいイメージとは、軽く数光年は離れた豪華さ……
まるで高級ホテル。
まさに別天地というべきだった。
俺は今日、何度驚いたのかしれない。しかも豪華なのは部屋だけでなく、学内の施設の一つ一つも、俺が慣れ親しんだ荒廃と汚濁とは対蹠の位置にある。それはもう、やりすぎだと思ってしまうくらいに。
まっとうに考えて、こんなに設備を整える意味が分からない。
苛酷な環境で集団生活を送る事で、厳しい実戦にも耐えうる精神と身体を涵養するのが、軍隊生活というものではないのか。こんな環境では、堕落するだけ堕落してしまい、戦争どころではないんじゃないか。
納得がいかないのだった。思えば、核心に触れた質問はいつもはぐらかされている気がする。意図の分からない高待遇に、俺は幸福より寧ろ不安を感じていた。当然だろう。肥えていく豚は、実際のところ幸福ではないのだ。
そんな折。
トントン、と樫の扉を叩く音がした。ノックだ。したことはあっても、されたのは初めてだった。
扉を開けると、そこには。
「あ、こんばんわ」
笑顔の、ヤシロ・ユリカが立っていた。
「一体何の用だ?」
「いや、用って訳じゃないんだけどね。これ」
そう言ってユリカは、引いていたルームサービスを運ぶのに使う台車、そのテーブルの上を指さす。そこには、急騰器と、ポット、カップと……一通りのティーセットが並んでいた。
「どうかなって思って。紅茶なんだけど」
「紅茶とは……また珍しい物を」
紅茶は、世界首位の生産国であるインドが政情不安に陥り、そして次点の中国が嗜好用作物の栽培に制限をかけてから、めっきり市場に顔を出さなくなったと聞いている。出たとしても、需要の割りに供給がそんな風にか細いものだから、驚くほどの高値がつく。
「……いいのか?」
「いいんだよ。お茶は、一人で飲むものじゃないしね」
ユリカはその大人しそうな見た目とは裏腹に、豪気な性格をしているようだった。ここの信じられない高給を考えても、『紅茶』は人に振舞うには値が張りすぎるものだ。正直気後れするが……折角の申し出を断るわけにもいかない。えてして、こういうイベントは一度断ると二度とは誘って貰えないものだからだ。今後の学園生活の為にも、ここで断るという選択は絶対にありえない。
「その車、俺が引こう」
「おお、男の子だぁね。じぇんとるめん!」
「それは違うな」
寧ろその対極に位置する存在だろう。これはただ、先輩に車を引かせるわけにはいかないという染み付いた下っ端根性の表れだ。同学年でも、ユリカの方が先任だからな。
しかしユリカには、当然の事ながら俺のそんな心情は分からないようで。
「ふっふー、照れちゃって」
「照れてなどいない」
「じゃあ、そういうことにしといたげるっ」
ニマニマと笑うユリカ。俺は構わず、口を開く。
「この車、どこに引いて行けばいい?」
「談話室まで~」
「了解」
厚い絨毯の上を、ガラゴロと台車を転がして移動する。談話室があるのは、各自の部屋がある二階ではなく一階だ。階下に降りるには大ホールの、まるで魔法使いのババァの力を借りて王宮に潜入した灰かぶり女が、ガラスの靴でも落としていきそうな荘厳なる階段を下らねばならず、思いのほか神経を削った。お茶を零してしまうのもそうだが、この絨毯、シミをつけただけでいくら取られるか分からない。
正面玄関から向かって左にある、ガラス張りの部屋が談話室だった。中には、木目の美しい背の低いテーブルに、クッション性の高い椅子が据えられていて、書棚に入っているのがマンガでさえなければ、上流階級の社交場といった風情だ。
台車を乗り入れると、ユリカは慣れた手つきで紅茶を用意しだした。
「温度――これ大事」
「ふむ」
「紅茶の茶葉が開く温度は摂氏九十八度。だからって、急騰器の温度を九十八度に設定しておけばいいってものじゃないんだよ? 急騰器からポットに湯を移すとき、どうしても八度から九度温度が低下しちゃう」
「ほう」
「だからね、急騰器の温度は減少分を加味して百七度が正解なの。これ――テストに出るっ!」
「何の教科で出るんだ」
「ぶ、物理」
「せめて家庭科と答えるべきだったな」
「あぅ……」
まぁしっかり覚えてしまったが。しかし、俺が紅茶を入れる機会なんて一生ないだろうな。
すっとカップを差し出して、ユリカはぽつりと漏らした。
「アマツ君は冷静なんだね。いきなり、こんなところに連れてこられたのに」
あたしとは大違いだ――と照れ笑いを浮かべる。
「誰でも、こんな強引に連れてくるのかアイツは」
「あいつ――って閣下のことだよね? ううん、アヴァイル閣下御自らのスカウトなんて、アマツ君だけだよ。あたしは普通に、WHOの防疫検査に引っかかってね」
「防疫検査?」
「そ、学校で一年に一回やらされるアレ……」
いや知らないのだけれど。字面からどういうことをするのかは大体わかるので、俺は黙っていた。
「アレね、実はあたし達みたいな子供を探すためにやってるんだよ。検査に引っかかったーって検査官が言うから、あたし何か病気なのかな? って心配して研究所に出向いて見たら、兵隊にさせられましたとさ」
めでたくなし、めでたくなし、とユリカは言葉を結ぶ。なるほど、その方法なら最悪、伝染病に感染しているから『隔離』しますと言って、強制的に連れてくることができるのか。まさか、国連の保健機関であるWHOが嘘を吐くとも思わないだろうし、やりたい放題だな。
と、すると、豪華な宿舎は人さらいのせめてもの罪滅ぼしというわけか?
ユリカは声を落として語る。
「そんな風に連れてこられたから、来たばかりの時はひどくてね。毎日毎日、不安でしょうがなかったんだよ。多分フラタニティがなかったら、心を壊していたと思う」
なるほど。
「だから新入りの俺に、気を遣ってくれたのか」
「あたしは、それで救われたから」
ユリカは恥じ入るように、俯く。
「でも、ごめんね。アマツ君には、余計なおせっかいだったね」
「そんなこともない」
「でも、そんなこともないこともない顔、してる」
冷静沈着だよ、とユリカはカップをかき混ぜた。
「感情表現が苦手なんだ」
身の上話は――仲を深めるのに有効だ。俺は、少しばかり踏み込んでみた。
「クイズだ。乳児院で育てられる赤子は、どうしても家庭で育てられる赤子より死亡率が高くなる。ああ、断っておくけど、衛生状態が悪いとか看護婦の腕が悪いわけじゃない。寧ろ、院の方が衛生管理は徹底しているし、せいぜい三人か四人を育てた経験しかない主婦より、看護婦の方がずっと手馴れている。なのに死亡率は段違い。大体風邪を引いて、そのまま死んでしまう。どうしてだと思う?」
「うーん……」
ユリカは思案げに小首をかしげて。
「どうしてだろう。いっぱい赤ちゃんがいると、ストレスになる、とか?」
「不正解。惜しいけれど」
「正解は?」
「正解は、自立なんだ」
ん? と言う風に、ユリカは目を点にした。思考が追い付いていないようだ。俺は丁寧に説明することにした。
「赤ん坊は、泣くことが仕事だ。なんでもないのに四六時中泣いている。世話に慣れた看護婦はそれを知っているから、泣いていたところで気にも留めず、黙々と仕事をこなす。するとだな、泣いても何もしてもらえない事を知った赤子は、泣かなくなるんだ。誰もいない部屋で喋る人間がいないように、誰にも届かない表現をあえてする奴はいない。だから、本当に病気になっても、声を挙げない。黙ったまま一人で病気と闘って、いつのまにか死んでいる。そんな奴らが大量発生するから、乳児院は万全の設備でも死亡率が高い」
むむむ、とユリカは眉間にしわを寄せて言った。
「つまり、アマツ君もそんな赤ちゃんの一人だった……ってこと?」
「あんまり人に頼れる環境にいなかったという点では、そうだな。だから、ありがたい時に、うまくありがたがることができなくて、申し訳ない」
「大変……だったんだねぇ……」
今にも泣きそうなかすれ声で、ユリカは言う。――のみならず、両手を広げて抱き付いて来た。座っているので、自然胸の間に頭を挟まれる格好になる。なんだこれ。
「赤ちゃんの時の分、あたしに甘えて良いから」
「いやさっきのは例え話であって別に俺は……とりあえず離してくれ」
談話室はガラス張りで、外から丸見えだ。こんな状態を見られれば変な誤解を招く。一刻も早く逃れる必要があった。
しかし意外にも、強い力で抱かれているので、離れられない。
「アマツ君がなんと言おうと、五分はこのままだから」
「五分は長すぎる」
「これは、フラタニティの先輩としての命令だからね」
「……了解」
そう言われると、どうしようもない。俺にできるのは、ただ五分間誰もこの光景を目撃してくれるなと、祈るだけだった。
つづく。
確かユリカは「オカン可愛い」キャラ、ということを意識して書いたのでした。オカン可愛い……? その挑戦意欲は買いたい!




