Paintit,white1 ■
地球は皮膚を持っている。そしてその皮膚は様々な病気を持っていて、その病気のうちの一つが人間である。 ――ニーチェ
一章ペイントイットホワイト
恥の多い人生を送ってまいりました、というべきだろう。
けどこの人生以外に僕達が生きる道があったかというと、とてもそんなことはなく、選択肢がなかったのだから、悪で敷き詰められた裏街道を爆進して生き残ってきた僕でも、少しくらいは情状酌量の余地がある。そう思いたい。
本当に仕方が無かった。
なにせ僕が産まれたのは米・中連合に実質占領され、民間軍事会社と反移民テロリストが、『街道にビデオを置いておくだけで、自動的に一本戦争映画が取れている』と言われるほど、飽きも知らず血で血を洗う争いを続ける地獄、こと……
この日本だったのだから。
しかも親もなく、唯一の肉親である姉は職場だった研究施設を襲ったテロのせいで両足を失ったという、エクストリームハードモード。
だから、しつこいようだけど、しょうがないことだった。
僕は、物心ついた時から盗みを働いていた。それは生きるために。板壁一枚下は地獄、という底辺中の底辺では、そんなことでもしなければノータイムで死んでしまう。もしも僕が子供でないか、もしくは女として産まれていたならもう少し他の方法もあったのだろうけど、生憎この僕には盗みぐらいしかできることがなく、命懸けの百メートル走を毎日こなさざるをえなかった。思えば、あの時ほど大変な時期も無かった。我ながら良く生き残れたものだと振り返って思う。というか、後少しでも盗人を続けていれば、まず間違い無く僕は肉屋で百グラム二百円くらいのクズ肉として売られていただろう。僕だけでなく、あの界隈、進駐軍にD級隔離領域として指定されたこの世の掃き溜めでは、誰もが生きる事に必死だったから。子供と言えど、盗人に情けなんかかけてくれる余裕を持った人間は、どこにもいない。
僕が盗みの次ぎに覚えたのが、詐欺だった。
「隔離領域」の住民がこんな小僧に騙されるはずはないけれど、少し足を伸ばして進駐軍の統治領域に入れば――と言葉では簡単に言えるけれど、隔離地域と統治領域の境は別名『サンズリバー』。国境を超える位警備が厳重なので、隔離領域から統治領域に入るのはとても難しい。なにせ境界警備の自動機械は見敵必殺の設定で放たれているのだから。しかし一旦侵入してしまえば、そこはもうパラダイスだ。米国人や日本人のセレブレティ達が、僕の身なりを見ただけでお金を恵んでくれる。そんな環境だから、少し口が回れば大卒初任給ぐらいのお金は一日で稼げた。天国と地獄は、距離的には近いのだ。境に厄介な門番はいるけれど。
まぁしかし、当時の僕は七八歳のがきんちょだったから、成功すると調子に乗るわけだ。 詐欺の金額も規模も、向こう見ずに拡大させていく。これがいけなかった。多分統治領域の貴族様方は、騙されたと知ったときでも相手は憐れな子供であるわけだし、まぁあの程度のはした金恵んでやるかという涙が出そうな高邁なお心で僕を見逃してくれていたのだろうが、その仏心にも当然限度があった。
数千、数万ならともかく、僕が最終的に騙し取る額は数十万、数百万の単位になっていたから、さすがにお目こぼし頂けなくなったようだ。
僕は、僕の被害者団体に雇われたヤクザ屋さんにとっつかまった。
本当なら、ここで僕の短い人生にエンドロールが流れるところだったのだが、なんとヤクザ屋さんは僕に見所をお感じになられたようで、なんとかロスタイムを得ることに成功した。
ヤクザ屋さんがそうまでして注目したのは、僕の詐欺師としての手練手管では勿論なく、僕がなぜか国境――サンズリバーを超えて自由に統治領域と隔離領域を行き来できているということだった。まぁそれも当然の事だ。三途之川の異名は伊達ではない。十四ミリ機関砲を携えた自動機械がひしめくように配置されていて、『正規の手続きを踏まなければ、神様だって渡り切れない』ともっぱらの評判だった。
しかし僕は、そんな自動機械共に少し細工をすることができたのだ。
元情報工学の研究者である姉から、寝物語の代わりにシステム理論を教わった僕は、齢七歳にして一線級の知識を蓄えていた。なので端末さえあれば、一流のハッカーとしてのお仕事も出来たのだ。まぁしかし、知識はともかく、端末を組み上げるのは苦労した。なにせ、“思う”だけでネットに接続できるのが当たり前という時代、外部型端末なんてとっくに旧世代の遺物で、そうそう部品が回ってこなかったから。
つまりは、芸は身を助くということで。僕はその情報技術を供するのを代償に、ヤクザ屋さんの庇護を受けるようになった。
僕が企業、軍、時には政府にハッキングをかけ、その機密情報を抜き取り、その情報を得たヤクザ屋さんが、それを横流ししたり、それをネタに強請ったりして富を得る。その代償として、僕はスラムに一軒家を与えられ、平和に姉と一緒に暮らす。ギブ・アンド・テイクという、この世で最も信頼できる人間関係が確立されたのだった。
それによって、僕の明日をも知れぬ生活は、一気に安定した。
法の光が届かないスラムと言っても、そこは人間の集団だから、秩序が全く無い訳では無論ない。スラムにはスラムの道理があり、それは複雑に入り組んだ法治社会のそれより徹底されていた。
そこでは、力が秩序を作っていた。
いや、力そのものが、そのままの形で法だった。
だからバックに組がついているというのは、スラムではある種の特権階級を意味する。もうなんでもやりたい放題だけど、自分がやりたい放題される事はない。お前のものは俺の物で、カエサルのものはカエサルに返せ……だったっけ? なんか違う気もするが、僕は真っ当な教育なんて受けていないので、一般教養には疎いのだ。とにかく、ジャイアニズムが支配する世界で、スネヲ的ポジションに首尾よく収まる事が出来た僕ら姉弟は、下の上の生活を安定して営み、着実に暗黒街のエリートとして日々成長を遂げていくのでした。
めでたしめでたし。
いや、断じて。
めでたくなしめでたくなし、か。
そして、そんな生活を続けに続けて。
僕は今日、十六歳になった。
安定した生活では確かにあった。一旦仲間に入ってしまえば、ヤクザ屋さん達はとても優しい人達で、憐れな僕ら姉弟は何度お恵みを頂いたか分からない。足が動かない姉のために、若い衆のみなさん総出でボロ家をバリアフリーに改造してくれたことがあった。若頭は僕達の両親を探す為に奔走してくれたし、組長は僕達を実の子供のように可愛がってくれた。
今日まで生きてこれたのは、組のみなさんのおかげだった。これは何の躊躇も無く断言できる。僕らにとって組とは、普通の人で言う家族だった。
けれど、今更何を言うのかと言われるのは承知の上だが、僕はどうしても厭なのだ。
悪い事が。
今までは、それしか生きる道がなかったのだという弁解の余地があった。だからなんとかやっていけた。だけど僕はもう十六歳、真っ当に働こうと思えば働ける年齢になってしまった。故に、ここから悪を成すのは僕個人の選択、意思によって、ということになる。自動的になってしまう。
そして僕はそんなことに、決して耐えられない。
今まで悪しか成してこなかった僕だが、それでも人並みの倫理観は持ち合わせている。僕にとって悪とは、他に食料がない環境で泣く泣く食べる人の肉のようなものだった。今まではしょうがなかったとしても、僕は、僕を今まで生かしてくれたその肉を忌み嫌っている。
僕は十六歳になった。
『僕』という一人称もそろそろ『俺』に変えないと恥ずかしくなってくる、そんな年頃。
もう、子供じゃない。
だから――
俺は、正義の味方になると決めたのだ。
グォン、と、くぐもった腹に響く低い音が聞こえてきた。恐らく、対物無反動砲の砲声だろう。そういう音が聞こえる事は、日常茶飯事とはいかないまでも、まぁここでは珍しいことじゃない。
けれど――
「ううっ!」
ババババッ! でありガガガガ! でもあるような。もはや擬音では表記不可能な、大気を割るような衝撃音が灰色の街をあまねく覆いつくした。反射的に両手がぱっと動いて、耳を塞ぐ。これはさすがに初めて聞く音。空を見ると、百二十ミリキャノンを構えた巨大な拠点制圧用戦闘ヘリがホバリングしていた。カタログでしか見た事が無い、国連軍の最新兵器だ。
まさか、あんなものまで出してくるとは。
対物無反動砲では、ヤクザがその本拠の周囲を固めていている強化防護塀は破れない、と進言したのは俺だけど、それでも、これには驚かずにいられなかった。国連軍は機密保持の為なら手段を選ばないという噂は、本当だったのだ。
思わず、口元が安堵で緩む。
ヤクザ達も馬鹿じゃない。生きていられたら、誰が自分達を売ったのかには遠からず気付く。だから、皆殺しが望ましかった。
その点を考慮し、日本政府でも米軍でも中華軍でもなく、国連に情報をリークしたのは、どうやら正解だったようだ。執拗に加えられる重火器の全力射撃は、丹念に丹念に、銃手の神経質な性格を表すかのように屋敷を舐め尽くしていく。あれでは猫の子一匹だって逃げられやしないだろう。軍がもし撃ち漏らしたら俺が掃除しなければと思って今まで見張っていたのだが、これなら、その必要もなさそうだ。
ふぅ。
天を仰ぐと、こういう時に限って厚い雲が全天を覆っていた。神も気が利かないと言わざるを得ないだろう。
なにせ、俺は人生で初めて善を成したのだ。街に巣食う害悪、ヤクザを国連軍にあることないこと吹き込んで焚付け、駆逐させたんだ。ここは景気良く爽快な青空を用意してくれてもいいんじゃないのか?
これじゃ、肩透かしもいいところ。だって普段と何も変わらない。
人生で初めて成した善行は、
なぜか、身に付いた悪と同じ臭いがするのだ。