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0話 憧れをくれた少女

再開します。一章は書き終えましたので、是非とも。

 ――絶体絶命ぜったいぜつめい

 

 この状況を一言で表すなら、それしかない。


 私――神崎光かんざきひかりの目の前には、全長十メートルを超える骨格恐竜が佇んでいた。


 氷柱のような牙。


 鞭のようにしなやかな尻尾。

 

 カチ、カチ、と顎を鳴らすその仕草は、妙に自然で、()()()()()()()()()()()()()()()


「ぎしし!」


 骨格恐竜は、虫のさざめきにも似た乾いた嗤いを漏らしながら、私の方へとじわり、じわりとにじり寄ってくる。


「こ、こないで……」


 私は震え声を上げて、一歩、後ずさる。


 その一歩を埋めるように、骨格恐竜もまた一歩。私が離れた分だけ、静かに距離を詰めてきた。


 一歩、後ずさる。


 一歩、迫られる。


 また一歩、後ずさる。


 また一歩、迫られる。


 そして、もう一歩――


「きゃっ!?」


 後ずさろうとした足がもつれた私は、無様に尻もちを着いてしまった。強く打った尻に、遅れて痛みが走り、逃げるどころではない私。


「ぎしゃああああ!!!」


 爪で黒板を引き裂いたような、耳を裂く金切り声。


 背中を、無数の虫が這い回るような悪寒が私に襲う。


「……っ!?」


 声にならない悲鳴が漏れた。


 尻の痛みも、もはや意識の外。


 私の意識は、骨格恐竜だけに囚われてしまう。

 

 ドン! ドン! ドン!


 咆哮の余韻を引き裂くように、骨格恐竜が走り出す。


 一歩踏み出すたびに、地面が大きく揺れ、博物館そのものが悲鳴を上げる。


 ――に、逃げなきゃ……!


 ――逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ!


 逃走本能に突き動かされ、立ち上がろうとする私。


 ――しかし。


「きゃっ……!」

 

 激しい揺れに足を取られ、身体は簡単にバランスを崩す。


 ――やばい!

 

 ――やばいやばいやばいやばいやばい!


 ――本気でやばい!


 思うように身体の融通ゆうずうが利かず、焦燥だけが、私の心を焼き尽くしていく。


 ――早く早く早く早く!


 ――はや……く?


 視界が、急に落ちたように暗くなる。


 あれだけうるさかった頭の中は、すーっと波が引いたように静かになった。


 ゆっくりと首を動かす私。


 視界に映るのは、口が裂けそうなほどにあんぐりと開ける骨格恐竜の姿が。


 ――終わるんだ


 ――ここで終わるんだ


 ――私の人生がここで……終わるんだ。


 人間、死の間際になると走馬灯を見るらしいが、残念ながら私にはそのような現象は一切起きない。


 代わりにあるのは、目の前の“終わり”だけだった。


 死刑囚のように死を待っていた私は、骨格恐竜の鍾乳洞しょうにゅうどうのような鋭利な歯を見て、自身が食われる瞬間を想像し――










 身震いした。









「いや……いやいやいやいやいや! 死にたくない死にたくない死にたくない。死にたくないよおおおおおおおお!」


 私は喉が裂けるほどの声で、生への執着を叫んだ。


 だが、私の心の底からの願いは、骨格恐竜に届くことなく、ただ無慈悲に霧散する。

 

 骨格恐竜は私の叫びなど意にも介さず、ただ私を捕食するために口を近づけていき、


 ――ついに、それは私を捉えた。


「っ……!」


 私は怖くなり、無意識に目を瞑った。


 そして――


 






 ドゴォォォォォォン!!!!!!









 音だけが、世界を満たした。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






――死んだ


――私、死んだんだ


――死ぬ瞬間って、もっと痛くて苦しいものだと思っていたのに……案外、何もないんだ。


 私はその“無”に、妙な安堵すら覚えていた。このまま意識が沈んでいくのを待っていた私。


 しかし――


 いくら待てども、意識は途切れない。


 むしろ、肌に伝わる感触に、違和感があった。


 ――風……? いや、それだけじゃない。誰かに抱えられているような……?


 その違和感が限界を超えた瞬間、私は無意識に目を開けていた。






 ――天使。






 暗闇から顔を覗かせたのは、思わず天使と形容してしまうほどに可憐で美しい少女だった。


 その整った容姿に見惚れ、私は目を離せない。


 私の視線に気づいたのか、少女はそっとこちらへ顔を向け、微笑んだ。まるで大丈夫だよ、と語りかけるような、やわらかな慈愛の笑み。


 その神々しさに私の心は奪われてしまう。




 ――しかし。




「え……?」


 突如として、体の内側がふわりと浮くような感覚が襲い掛かる。私は身体に循環する血液が失ったように、血の気がサーっと引く。


 ぎぎぎ、と首を機械のようにぎこちなく動かし、私は下を覗き込んだ。


 視界に映っていたのは、博物館四階フロアの全景だった。


 展示品の配置、床の広さ、柱の本数――そのすべてが、手に取るように見える。


 そして先ほどまで私を捕食しようとしていた骨格恐竜でさえ、今は米粒ほどの大きさになっていた。


「きゃあああああああああ!!!」


 私は死ぬ寸前の声量にも匹敵する悲鳴を上げ、反射的に少女へとしがみつくと、そのまま固く目を瞑った。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇







 一秒、二秒と時が過ぎれど、落下の衝撃は訪れない。もしかして、今度こそ死んだ? そう思うや否や。


「もう、大丈夫よ」


 川のせせらぎのような透き通った声が私の鼓膜を優しく揺らす。


 その声にうながされるように、私はゆっくりと瞳を開ける。そこには目を閉じる前と変らぬ美しい少女の顔が映っていた。


「ごめんね。あなたを助けたい一心だったから、手荒な真似になってしまって」


 少女は申し訳なさそうにそう言うと、私をそっと壁際に座らせた。


「きしゃああああああああああ!!!!!」


「っ!?」


 夢うつつだった私は、骨格恐竜の怒りに満ちた咆哮により現実へと引き戻される。


「ちょっと待っててね。今、あの『ゴースト』をやっつけてくるから」


 少女は安心させるように微笑むと、私の頭を優しく一撫で。


 それだけで、私の胸を締め付けていた恐怖はきれいさっぱり拭き取られた。


 少女は私が安心したのを確認してから、土埃から顔を出した骨格恐竜――もとい、ゴーストへと歩み出す。


 その途中。


 少女は腰に携えている鞘に手をかけると、すーっと刀を引き抜く。


 現れた刀身は彼女が身に纏う制服の白と近しい色を示していた。


 コツ。


 立ち止まる一拍。


 少女のローファーが響かせる澄んだ音は、揺るがない自信そのものだった。


 刀を構える少女に、ゴーストは警戒を強めながら、真正面から向き合う。


 館内は静まり返り、張り詰めた空気だけが支配していた。


 その緊張に当てられた私は、思わず……

 

 ――ごくり。


「きしゃああああああああ!!!」


 私の鳴らした喉の音がゴーストの闘争心を刺激させたのか、少女に雄叫びをまき散らす。


 少女の腰まで届く黒髪が大きく靡くほどの音圧。


 だが、それに対し本人は微動だにせず、流麗な佇まいのままそこに立っていた。

 

 雄叫びの余韻が霧散しきる前に、ゴーストは臨戦態勢に移行し、少女へと猪突猛進。


 脚が地面を踏みつけるたびに、ドン、ドン、と地響きが響く。


 その二つの音の間は長く、それは足を交互に繰り出す速さに比例していた。


 にもかかわらず、少女との距離を縮める速さは反比例していて、到達速度は、車の速度(時速五十キロ)と同等、いや、それ以上の速度に達していた。


 十メートル近い巨体がその速度で突っ込んでくる状況。私だったら怖すぎて、絶対に尻尾巻いて逃げる。


 少なくとも、正気ではいられない。


 でも、目の前の少女は違う。


 こんな状況下でも、恐怖で取り乱すことなく毅然きぜんとした佇まいを崩さず、自分の間合いに来るのをじっと待っていた。


「きしゃあああああああ!!!」


 ゴーストは仕留めたと言わんばかりの歓喜の咆哮を上げながら、少女を頭からかぶりつこうとする。


 その瞬間。


 ゴーストの足元に綺羅星の如き輝きが横一直線の軌跡を描く。

 

「きしゃあああああああああああああ!!!!」


 ゴーストは大きくのけ反り、天に痛みを訴える。


 そのとどろきが空気を震わせる中、ぱたん、と乾いた音が響く。

 

 音の方向に視線を向けると、先ほどの少女の一閃によって断ち切られた片足が、力なく地にせていた。


 それは暗に、いずれお前もこうなるぞと、ゴーストの運命の行方を示唆しさしているような気がした。

 

 痛みの引いたゴーストは、ゆっくりと体を捻り、少女の位置を捉える。


 今度こそ仕留める――その意志を宿すように、尻尾を持ち上げた。狙いを定めたゴーストは、それを、少女に叩きつける。

 






 ドゴォォォォォォォン!!!!!!







 凄まじい衝撃とともに、地面がぜ、土煙が一気に噴き上がる。


 尾の一撃はゴースト周辺の展示物を巻き込み、雪崩のように崩壊させた。


 崩れ落ちたそれらは瞬く間に塵へと還り、抉れた床の上へ雨のようにぱらぱらと降り注ぐ。


 少女はというと、尾の一撃が生んだ爆風をたくみに利用し、その身を高く宙へとおどらせていた。


 空中でくるりと、体を捻って、間近の円柱へと軽やかに着地。そのまま流れるように壁を蹴り、骨格恐竜の尻尾を目指す。


「はあ!」


 少女は勇敢な叫びを上げながら、尻尾を一刀両断。


「ぎしゃああああ!!」


 ゴーストは、走った激痛に耐えきれず、低く歪んだ悲鳴を漏らした。それでもなお、苦悶くもんを振り払うようにして、反撃へと転じる。


 少女はゴーストの反撃をひらりとかわすと、次の瞬間には、攻めに転じ、鋭い一撃を叩きこむ。


 まさしく、ちょうのように舞い、はちのように刺すような戦い方だった。


 見ているこちらがれするほどに美しく、そして……





 ――かっこよかった。





 「凄い……」


 気付けば私は目の前の戦いに夢中になってしまい、感嘆を漏らしていた。


 同時に――


 胸の奥が柔らかな温かさで満たされていく。


 その優しい温かさは次第に苛烈かれつさを極め、やがて――





 圧倒的な『熱』に進化していた。





「き、しゃああ………」


 少女の攻撃の応酬おうしゅうにより、ゴーストは満身創痍まんしんそうい

 戦う前に轟かせた咆哮の凶悪さは、今は見る影もなく、弱弱しい悲鳴へと退化していた。


 ゴーストは少女の強さを垣間かいま見て、自分じゃかなわないと骨のずいまで分からされたのか、炎のように燃えていた闘争心は、消えかけていた。


 ――それでも。


「きしゃあああああああああああああああああ!!!」


 ゴーストは今までで一番の咆哮を上げて自身をふるい立たせ、消えかかった闘争心を再燃さいねんさせる。

 

 奮い立たせた勢いのまま、ゴーストは脚を踏み込み、少女へと跳びかかる。


 あっという間に陰に包み込まれていく少女。淡い影は徐々に濃くなり――






 ドッゴォォォォォォォォォン!!!






 爆ぜる音が、空間そのものを打ちくだいたかのように響き渡った。


 衝撃は目に見えぬ波となって広がり、世界の輪郭りんかくをわずかにゆがませた。


 少女はまたもやゴーストの攻撃の爆風を利用して宙へ舞い、円柱を蹴り、ゴーストへと駆ける。


「きしゃ!」


 ゴーストは、避けられることも、抗われることも、すべてり込み済みだと言わんばかりに、静かに、少女を見据えている。


 ゴーストはしっかりと少女が落下する軌道を予測して口を開けた。


 この状況は、最悪だった。


 少女の身体は宙に浮いており、蹴るべき地もなく、掴むべきものもなく、もはや自分の意思だけで、軌道を変える手段は無いに等しい。


 完全に詰んでいた。


 誰がどう見ても、終わりの形だった。


 ――しかし。


「きしゃ!?」


 少女はあろうことか、身体をわずかに捻り、ゴーストの捕食を間一髪で回避した。

 

「はああああああ!!」


 裂帛れっぱくの気合いとともに、少女の振るう刃は骨格恐竜の背中を断ちく。


 ただ、刃はここで止まることなく、さらに深くへ侵食。


  刃が向かう先――青い水晶玉のようなものが腹部の骨骨に厳重に守られていた。


 通称『コア』と呼ばれるそれは、ゴーストにとっての生命線で、それを破壊されたゴーストはもれなく消滅――人間でいうところの死を意味する。


 刃は抵抗なくお腹へと侵入し、ついにコアを捉えるとそのまま――







 一刀両断。





「きしゃあ、ああ……」


 ゴーストの断末魔が響く。


 両断されたコアは、青い燐光りんこうを輝かせながらいくつもの破片となって空へと溶けてゆく。


 その情景はまるでダイヤモンドダストの如く幻想的で神秘的であった。


 少女は戦いが終わった余韻も味わうことなく、ポケットから黒い端末を取り出して、どこかに連絡していた。

 

 戦いは終わったというのに、私の胸の奥の『熱』は冷めあらぬままだった。むしろ、その『熱』は天井知らずに熱くなっていくようで……


「あ、もしかして、これが……」


 私はこの『熱』の正体に心当たりがあった。


 それは私がずっと探し求めていたもの。


 何度願っても、


 何度望んでも、


 それでも手に入らなかったもの。


 それが今、私の中に『熱』となって存在していた。


 この『熱』の正体、それは――


 「憧れ……」


 その言葉は不思議なくらいに違和感なく胸の奥にすっと溶けていったのだった。

感想とかあればぜひぜひ〜

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