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端原年鑑  作者: 犬法良
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【序章~反乱への道~】


2023年12月17日 #端原 にて、#姫岡国俊 なる無頼が端原 #被官 の #長池怜 を私刑・暴行。端原の自警団が改めたところ、主犯国俊は #我氏 傘下の有力氏族 #麻霧洋範、#妹尾和元 の #所従 であり、また端原監察使 #姉賀久繁 にも両属していた。彼らは久繁の放った刺客であった。国俊は、怜を庇った#上大年一成 を殺害。一成は端原家の #武術指南役 であり、人々から慕われていた。また、この監察使久繁という男は自身の立場を利用して専横な振る舞いをしていた。例えば、先祖代々の #惣墓 を暴いて自分の屋敷地にしようとした。 このような我氏勢力の横暴を憂いた端原頭領の #端原壮真 は決起に向けて行動する。

#端原壮真 はまず、息子 #端原豪政 を始め、領内の勇士を参集させた。(#御殿結集。) 集った面々は以下の通り。 #端原豪政 #端原奈央弥 #端原谷春 #長池怜 #上大年勝実 #犬当年 #培良時久 #培良昌航 #長池暠 #霊殿敬達 #犬当倖 #長池聡 #安念修身 #木帋翔吾 #丑詰久彦 #上大年和政

#木帋恒興 #犬猛則 #沖沼速詰 #霊殿珠回 #杉波亮廣  以上、21名。 #下条寔 から決起の陰謀が告げられ、皆は歓喜した。翌日、放蕩の身であった #犬法良 (端原元執事)が決起に参加するため帰還した。

翌23日、我氏の有力政治家で最近政策上の行違から冷遇されていた #霊殿廣実 に調略を行った。

調略に応じた廣実は、#寺下晴光 と共に公爵 #赤丑照安 を新王と担いで挙兵した(#照安王の乱)。しかし、東方観察府の戦いで #麻生廣頼、廣俊に敗北。 #法印 #尊俊 の捨身で何とか監察府役員の #奧知呂頼致 を討ち取るも、軍勢は大幅に削られる。 廣実は体勢を立て直す為、照安・晴光と別行動を取る。

照安らと別れた廣実は、#神征軍 の拠点を目指すが、途中で #長縄和斉 に討たれた。#寺下晴光 は照安を #境山 に匿い、#西村武博、#緑川秀忠 ら官軍と戦うが、力尽き、#堂坂則興 に討ち取られた。照安王は自害。 かくして乱は平定されたが、これが端原反乱への端緒となる。

照安の乱より幾月、東方監察府において役員代行・ #麻生廣頼 を首魁とする武断派閥の反乱が勃発する。(#東方反乱) 麻生派は監察府総督・ #奧知呂頼春 を殺害し、中央の #大館氏 に宣戦布告する。端原大鎮はこれを好機と麻生討伐を名目に挙兵し、麻生に与した疑で端原監察役の、#姉賀久繁 を誅殺した。

東方反乱は、反乱軍が王朝方の奸臣とみなした人々を討つ戦いに始まる。監察府の奧知呂家は此で族滅した。#氷嶋頼茂、#奧知呂正員 は反乱軍の #寺下晴臣、#麻生廣俊 と戦い、重傷を負わせるが敗死。総督の #奧知呂頼春 は、#光村隆昭 に重傷を負わせるが、#霊殿瓜鷹 に討ち取られた。奸臣退治の名目を果たした反乱軍は、#四寺邦臣 らに王宮警察襲撃を、#東府宗伸、#寺地為臣、#葉村瓜臣、に旧市民警察の占拠を実行させるが、それぞれ 、#堂坂則興 #霊殿瓜時、#鳴田弘貴、#長縄晴政 に鎮圧された。

旧市民警察を占拠した軍勢は、20:07、鎮圧された。#葉村瓜臣 は討死、#寺地為臣、#東府真幸 は捕えられて梟首となった。 この東方反乱鎮圧の名目で、端原は中央への遠征を開始する。最初に、監察府反乱軍の与党・ #姉賀久能、#姉賀久綱 の一族である端原監察役の #姉賀久繁 を誅殺した。



#元日事件 我氏政権末期に発生した内閣府乱入事件。#大宮武宏 #大宮富宏 #霊殿瓜良 #堂坂峰行 #武垣有実 #西国濱氏  黒幕として #武垣 一門が浮上したが、武垣氏の首領、#武垣有彦 は孫有実らの独断として無関係を主張。証明のため端原軍と共闘して監察府反乱軍討伐に加わる意思を示した。

【端武同盟の締結】 #武垣 氏は #元日事件 の後、#端原 と監察府麻生派、どちらに与するか選択を迫られていた。1月7日、#武垣有彦 は #麻生廣和、#霊殿瓜鷹、#寺下教晴 ら麻生の使者を殺害し、端原方として同盟を結ぶ姿勢を示した。 ここに、端原と武垣が賊軍麻生派と戦う戦局と相成った。

1/20(土)、#東方監察府 を占拠した #麻生廣頼 らが腹心ら( #霊殿瓜顕、#寺下晴臣、#麻生廣俊、#政鶴実景)と中央政府簒奪の謀議を企てている様子を、非反乱派の #大宮元宣、#政鶴文景 が穏健派代表の #寺地篤彦 に密告する。

1/24(水)、#麻生派 が支配する東方監察府へ密偵を派遣。#端原谷春、#端原豪政、#犬当年、#上大年数也、らが派遣された。#内神、#二志 地域の豪族、#尾賀瀬諸澄、息子の #尾賀瀬稙澄 、#政鶴実澄、が道案内を勤めた。#端原 の密偵は、 #武綱氏頼、#大宮元宣、#政鶴文景 ら穏健派の協力で、武綱ら自警団に捕縛された悪党を装って府内に潜入することに成功した。 隙をついて監視の #姉賀久綱 を騙し討ちにし、#寺地篤彦 ら穏健派の奪取に成功した。#寺地篤彦、#東府宗勝 ら穏健派幹部は脱出の決行日を明後日の明方にする方針であった。しかし、それでは遅すぎると密偵側は反論した。#端原谷春 が進み出て言った。「既に我々は #麻生廣俊 を拘禁し、#姉賀久綱 を騙し討ちにしました。#寺下晴臣、#光村隆昭 なども勘づいています。何故今すぐに脱出しない事がありましょうか」この進言に #寺地篤彦 ら幹部は動揺した。#奥知呂圭頼、#武綱氏頼 らも谷春に賛同し、決行は明朝と決まった。

密偵は穏健派 #寺地篤彦 らを連れて東府を脱出した。外で待機していた #端原豪政 が代理 #東府宗勝、#武綱氏頼 と対面し、本人と確認できた。 その帰途で、在地の賊徒 #伊河頼季、#廁数為(かわやのかずため)らの襲撃にあったが、辛くも撃退し、#端原 に帰還した。


1/28(日) #麻生廣頼 は腹心 #霊殿瓜顕 らに#端原 与党が潜伏しているとの一方的な嫌疑で港湾都市 #広館 の焼討を命じた。多くの民間人が虐殺され、港湾は死骸で横溢した。#寺下晴臣、#政鶴実景 も殺戮に荷担したが、#姉賀久臣 は罪悪感からか、軍勢に居たが殺戮には荷担しなかった。辛うじて #広館 を脱出した民間人の訴えにより、事態は、#王宮警察 の知る所となったが、派遣できる軍事力に乏しく、#端原 に #麻生廣頼 らの #追討命令 が下った。#広館 を脱出し、#王宮警察 に事態を #訴えた 民間人の名前を、#氷見蕩介 という。#氷見蕩介 ほか2名の民間人の訴えは、#長縄文政、#長縄文実、#霊殿瓜康 の取次で #皇宮警察 幹部の #葉村瓜親 に進言された。#広館 の惨事について、#堂坂順臣、#政鶴厚景、#幸端頼月 が審議した結果、#初村廣兼、#葉村瓜氏 ら #実検使 を派遣した後、#端原 に #麻生廣頼 追討命令を出すと決議された。

1/28(日)麻生派の広館焼討の最中、#端原 では正式に #武綱氏頼 を #東府 役員代に任ずる儀礼が執行われた。#端原壮真 が御殿の南面に出御し、#犬法良、#湾内八海、#上大年諫 が祇候した。#下条寔 が宣旨を朗読した。介添は #政鶴氏景 #政鶴文景。#武綱氏頼 の任官は誉れ高い事だが、一方不服な者も居た。#武綱 ら東府穏健派の統率役、#寺地篤彦 である。彼は腹心の #東府宗勝 に、「何故自分でなく武綱なのか」と、部下の超越に愚痴を溢していた。


2/2(金) #犬法良、#木帋恒興、私撰歴史書「#上書年鑑」の編纂を開始する。これは既成の #端原 歴史書 #年鑑 の散逸に備えたバックアップである。#武垣 の #武垣有彦 は、#麻霧 の #麻霧槻彦 に #大宮恒広、#堂坂濱澄 を派遣した。観察府反乱軍の #麻生 の要請に応えず、#端原 の援軍派遣要請に応じる説得である。#澤尾十年 が使者を取次、#妹尾和元 ( #麻霧和元)、#飛渡真繁 が対応した。麻霧は端原の要請に応じる所存。


2/11(日) #端原 軍勢が #麻霧 領内に入った。#杉波智尋、#培良昌之 が催促の使者に立った。#麻霧槻彦 は #端原壮真 に謁見するか思案した。譜代家臣 #妹尾和元、#澤尾親通 は槻彦本人が行くべきと主張した。一方 #昌原宗景、#習師辺行保 新参は、息子の #麻霧槻盛 か #麻霧槻臣 が行くべきと主張した。#澤尾親通 の妥協と #蒼佐繁為 の提言で #麻霧槻盛 が #端原 謁見に臨む決定がされた。#習師辺保経、#蒼佐繁行、#蒼佐繁秀、#余所連勝俊 が随伴した。それぞれ #習師辺刻保、#蒼佐繁為、#蒼佐繁俊、#光村家俊 ( #余所連家俊)の子息である。#蒼佐繁行、#蒼佐繁秀 #端原 謁見で #麻霧槻盛 に随伴する。繁行 は #蒼佐繁為 の息子で #蒼佐繁俊、#蒼佐繁宗 の父、#蒼佐繁秀 は繁俊の息子で #蒼佐繁勝 の弟である。

#麻霧槻盛 ら謁見使が #端原 の陣に参陣する直前、使者に 兄弟の #麻霧洋範 が加わった。#家督 #眼代 としての義務を主張してである。しかし、いざ #端原壮真 に謁見すると、畏怖により歯を小刻みに打ち鳴らすばかりで、交渉は槻盛と #蒼佐繁行 が行い #麻生廣頼 追討に加わる意思を改めて示した。なお、この時洋範は謹慎の身であったが、家督の一大事として禁を破って参じた。戦きぶりに端原の兵どもは「此の如きが #麻霧 の長老か」と嘲笑したという。#蒼佐繁行 は端原壮真の御前に進み出て謂った。 「 #端原 様、遅参した上お見苦しいところを御見せして申し訳ありません。眼代殿( #麻霧洋範 )は体調が優れませぬ故、私が代わって進行を担当いたします。ついては、先月 #麻生廣頼 より届いた援軍要請は破却しました。此より正式に端原軍として #麻生派 の追討に加わります」

一方、#麻霧槻彦 の庶子、#麻霧継春 は離反の陰謀を企てていた。#飛渡真繁、#内東高頼 #光村親俊( #余所連親俊 )と図り、槻彦に #伝家の宝刀、 #日国丸 を #余所連家俊 に預ける事を勧めた。#澤尾親通 は #澤尾寛念 にそうするよう命じたが、それを怪しんだ #蒼佐繁為 が預かった。#麻霧継春 の差し金で、#余所連勝俊 は #端原 の #培良時久 と内通した。彼の情報により、#麻霧 の恭順は #面従腹背 であることが暴露され、壮真は麻霧攻めを決断する。

#端原壮真 は #麻霧 攻めを決定したが、#端原豪政、#端原谷春、#犬当年 の諫言により、#最後通告 を行うことにした。左翼の陣を割き、#安念修身、#犬当倖 を 前線攻撃の待機部隊として派遣。#上大年和政、#木帋翔吾 を最後通告の使者として派遣した。#上大年和政、#木帋翔吾 の交渉により #麻霧 と和睦が成立した。条件として、#麻霧槻彦 の自害、#澤尾親通 の処刑、#麻霧槻臣 を人質とする事が申し付けられた。人質は、#麻霧槻臣 の予定であったが、まだ未熟のためため、哀れんで家督である父の #麻霧槻盛 が差し出された。

【#瓜生合戦①】 #端原壮真 は #麻生廣頼 ら追討の為、恭順した #麻霧継春、人質の #麻霧槻盛 の連署で #麻生派 の援軍要請に応じる旨の返書を出し、廣頼を呼び出す作戦を決行。#飛渡真繁 が施行した。継春と #余所連勝俊 は壮真の猶子となった。

【#瓜生合戦②】#紙人形 #ペーパーアート #麻生廣頼 は #麻霧 の返書を怪しんだが、施行者 #飛渡真繁 を知る #姉賀久能 が信用できると進言、瓜生に呼び出されたところ、左右 #培良時久 率いる #端原 の軍勢に襲われた。久能は #広館 以来 #麻生派 に不審を抱いており進言は彼の罪悪感によるものか。

【#瓜生合戦③】陣頭は以下通。 #左翼の陣 総督:#培良時久 総督補:#培良昌航 #長池暠 司令官:#培良佳興、#安念聡佐、#培良泰仁 #右翼の陣 総督:#霊殿珠回 総督補:#犬猛則、#霊殿為春 司令官:#安念幹宏、#湾内久澄 複座:#麻霧継春、#飛渡真繁 #内東高頼 #余所連勝俊 22時半に開戦し23時前には決着した。

【#瓜生合戦④】#培良時久 率いる #端原 の大勝に終わった。#麻生廣俊、#寺下晴臣、#政鶴実景 は戦死。#姉賀久能 は逮捕。#霊殿瓜顕 は逃亡。#麻生廣頼 は #麻霧洋範 を頼って #麻霧 に亡命し、麻霧攻めの火種となる。

2/12(月) #培良時久 の率いる瓜生合戦官軍は、#端原丈晴 を推戴して空所となった #東方観察府 に凱旋した。#湾内久澄、#安念幹宏 が沙汰を勤め、#培良泰仁 が先駆役を務めた。 #培良昌航 が登壇し、#東方反乱 の鎮定を宣言した。


2/12(月)観察府の #培良時久 に勅使 #野寺瓜治、#長縄文実( #久倉文実) が到来。本日の閣議で #新庄実伸 ら重臣の総意として、#端原丈晴 を臨時東方観察府役員代、東方をその補佐に任命(総督は #新庄國伸 だが #遥任)する旨が伝えられた。#長池暠 が取り次いだ。本日の #東方観察府 役員決議閣議の議席は以下通。総括: #新庄実伸、議長: #天竜朝昌、上院: #大宮正通( #典雅一得斎)、#折永成久、#管理局倫春、#真槻澄正( #甘泉澄正)、#政鶴晴景 #下院:#葉村瓜親、#蒼佐厚繁、#堂坂順臣、#政鶴厚景、#幸端頼月#端原丈晴 の東府役員代就任に際し、#端原 では #端原壮真 から役員代に任じられた #武綱氏頼 が、副総督に昇進を望み、#大宮國宣、#奥知呂圭頼 を代弁使として #端原豪政 に、壮真へ取次いでもらうよう頼み込んだ。副総督には任じれないが東方に帰還し、#培良時久 の差配の下役員として再任が決定した。#武綱氏頼 は不遜にも #端原 へ不服を抱いていた。彼は #東府宗勝 と #大宮國宣 に悲歎を漏した「苟も自分は #奥知呂 一門であり、中央の損亡に際し仕方なく端原軍に従ったが、何故その下臈である #培良時久 に頭を垂れねばならんのか。彼ら祝宴中に虜囚 #姉賀久能 を監視していたのは我々ではないか」とはいえ、#東方観察府 に帰還できるのは嬉しいため、氏頼らはそれ以上文句は言わなかった。なお、#姉賀久能 は #瓜生合戦 で降伏し #寺地篤彦 らが監視していたが、この度かつて穏健派の彼らと共に、観察府役員として再任されることになった。


2/14(水) 逃亡中の #麻生廣頼 が #麻霧 に潜伏したとの報を受け、#端原壮真 は、#端原豪政、#犬当年、#木帋翔吾 を密偵として派遣した。道案内を土地勘のある #麻霧継春、#内東高頼 が務めた。結果、潜伏は事実であると判明したため、壮真は #麻霧洋範 に廣頼追討への協力を要請する旨を申し付けた。#飛渡真繁 の目撃により、#麻霧洋範 が #麻霧 の要害を武装兵で囲っているとの報が、#長池恭、#培良悟通 よりもたらされた。いよいよ戦争の気配ありと、#下条達範 が #端原壮真 に進言した。#麻霧洋範 が協力する素振が見えぬ事に業を煮やした #端原壮真 は、#武垣有彦 と子息 #武垣起直、#武垣地縁 宛に #麻生廣頼 追討目的の #麻霧 征伐に協力する様に要請した。#上大年和政、#上大年徹也 が派遣され、#大宮恒宏、#西国國陽、#西国陽光 が応対した。#端原 の #麻霧 征討に、#武垣有彦、#武垣地縁、#武垣起直 が協力する旨を、応接使の #西国陽光 が代表して申した。

#麻霧洋範、#麻生廣頼 討伐の援軍として、#武垣有彦、#武垣有頼 の陣が #天上山 の麓に設られた。隊長は #西国陽友、副隊長は #大宮豊晴 参戦者 #平場俊晴 #平場俊光 #西国陽英 #堂坂濱俊 #堂坂有行 #西国範英 #西国在寄 #西国什壱 #和津教彦(#堂坂教彦) #西国陽宏(#西国陽広) #西国為兼

#端原 の #麻霧 攻の軍勢が着到した。隊長は #林原政文 副隊長は #培良宏時 #上大年和鷹 その他 #犬武朝 #安念光寿 #杉波崇英 #霊殿省壱郎 政文は、#林原時文 の末裔である。 #麻霧洋範 は無謀にも #端原 の #麻生廣頼 追討要請を無視し、対抗の姿勢を現した。講和を勧めた #麻霧頼郷 は殺され、#麻霧 は対端原の姿勢が固まった。#麻霧 との和睦を望む #端原豪政 は父 #端原壮真 に訴えた。「確かに #麻霧洋範、#妹尾和元 は畏れ多くも父の命に背き、逆賊 #麻生廣頼 を匿いました。しかし、麻霧の民に罪はありません。罪の無い老人や子供を何故殺す必要がありましょうか」壮真は冷然と応えた「罪が無いからこそ殺すのだ」

21:51 開戦。直後、予て調略していた #余所連家俊 #習師辺刻保 が降伏した。一方、#習師辺行保 #昌原宗景 は新参だが #麻霧 への恩から彼らに味方した。#林原政文 軍、 #西国陽友 軍が進軍。 #麻霧 方は押されるが、#蒼佐繁為 が果敢に抵抗し、#西国陽英 #西国什壱 #平場俊晴 を討取った。21:51 開戦。直後、予て調略していた #余所連家俊 #習師辺刻保 が降伏した。一方、#習師辺行保 #昌原宗景 は新参だが #麻霧 への恩から彼らに味方した。#林原政文 軍、 #西国陽友 軍が進軍。 #麻霧 方は押されるが、#蒼佐繁為 が果敢に抵抗し、#西国陽英 #西国什壱 #平場俊晴 を討取った。

#蒼佐繁行 は当初参謀として残ったが、父祖 #蒼佐繁為 の勇猛さに感銘し、前線に出て戦うが、#平場俊晴 に討取れた。#蒼佐繁秀 #蒼佐繁宗 はその訃報を聞いてその後を追い討死した。この戦いを、蒼佐一族の勇猛さを称えて「#蒼佐合戦」という。#蒼佐合戦 の最後には、#蒼佐繁為 が孤軍奮闘し、#霊殿省壱郎 を討取るが、力尽き、#安念光寿、#杉波崇英 に討取れた。遺言は「嗚呼、もう充分」

#瀬原田の戦い では #習師辺行保 #習師辺保経 #昌原宗景 が #西国陽友 #犬武朝 両軍と戦い、#西国陽友、#西国在寄 #西国敦頼 を討ち取るも、行保、保経は戦死、宗景は退却した。

#澤尾十年 #澤尾寛念 は #西国陽光 #大宮恒宏 と戦い戦死した。#昌原宗景 は、#培良宏時 と戦い戦死した。#麻霧洋範、#妹尾和元、#麻霧槻臣 は #林原政文 に捕縛され処刑された。#麻生廣頼 は再び逃亡したが、途中で観察府掃討使の #武綱氏頼 に捕まり処刑された。

#西国陽光 #大宮豊晴 など手柄を挙げた #武垣 軍人には #端原壮真 から恩賞が下賜された。#麻霧洋範 が誅され空所となった #麻霧 総督には #林原政文 が任じられた。#杉波崇英 #培良宏時 #上大年和鷹 #安念光寿 #犬武朝 も随伴した。


2/16(金) #麻霧槻臣 #妹尾和元 の処刑が執行された。#執行人 は #長池璟 #丑詰久彦 #杉波智茂 。監督は #沖沼速詰 #木帋恒興 。同日、人質だった #麻霧槻盛 も処刑された。執行人は #長池恭 #霊殿幹宏 #林原俊文 。監督は上に同様。

同日、謀反の嫌疑により #星崎継春 (#麻霧継春)が #端原壮真 に召し出され、#木帋翔吾 #犬当倖 に誅された。また #麻霧 では、帰順していた #飛渡真繁 が、謀反の咎により子息 #飛渡智繁 と共に、総督 #林原政文 に誅された。#端原 では #余所連親俊 #内東高頼 が一連の陰謀に荷担したとして誅された。


2/16(金) #星崎継春 (#麻霧継春)の謀反に連座したとして、#余所連親俊 #内東高頼 が討伐された。討手は #安念修身 #霊殿幹故 #培良重数 #上大年雅也 。最初に親俊が討ち取られ、高頼は逃亡したが、後に #培良重数 に討ち取られた。


2/17(土)中央で皇警長官 #葉村瓜親 が側近 #堂坂順臣 と共に暗殺される事件が起こった。護衛 #長縄和斉 #霊殿瓜時 #霊殿瓜家 の調べによると、4名の実行犯には #端原 氏族の #上大年 氏出身 #上大年多岐也 が居り、端原が事件の黒幕と疑われて追討が決議された。新しい長官には #堂坂則興 が就任した。


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