11
神楽木命子は摩訶辺高校で知らぬ者がいないほど有名な女子生徒だった。
彼女の名が知れ渡っている理由は、その人並み外れて美しく整った容姿にほかならない。
艷やかな長い黒髪とは対照的な透き通るように白い肌は、柔らかな陽光が射し込む教室の窓際の席に座っている姿を見てもなお、これまでに一度も陽の光を浴びたことがないのではと思ってしまうほどだった。
どこかつまらなさげに頬杖をついて窓の外を眺めている物憂げな表情は人生を達観しているようで、高校生にしては随分と大人びている。
「あの女が地球人の体を乗っ取った宇宙人の仲間で間違いないのだな?」
廊下から三年四組の教室を覗き込んだクラウが訊いた。
「だと思うんだけど……」
同じく教室を覗き込む日郎が答える。
「なんだ心許ないな」
「伝わってくる感覚は因幡詩苑とよく似てるんだけど、少し違うような……」
「あの女が宇宙人であろうがなかろうがワシにはどっちでも構わんのだ。喰えさえすればな」
「クラウがよくても僕が困るんだよ。とにかく確かめないと」
「どうやって確かめるのだ?」
「単刀直入に訊くしかない」
「危険ではないか? 正体を見破られて暴れ出すかもしれん」
「それは……大丈夫だと思う」
日郎にはそんな確信めいた思いがあった。
教室のドア近くにいた女子生徒に神楽木命子を呼び出してもらう。
廊下に出てきた神楽木命子は日郎とクラウを見て、きょとんとした顔をしている。それはそうだろう。まったく面識のない男子生徒と奇異な身なりをした少女に突然呼び出されればそんな顔にもなる。
「私に何か用かしら?」
「お訊きしたいことがあるのですが……すみません、他の人に聞かれたくないので別の場所に移動してもいいですか?」
日郎が神楽木命子を連れてきたのは、特別教室棟の屋上だった。
「あなたは地球人ではないですよね?」
まさかこんなバカげた台詞を口にする日が来るとは想像もしていなかった。
問いかけに対して神楽木命子は怪訝な顔をするでも、鼻で笑うでも、狼狽えるでもなく、ほんのわずかに目を見開いただけだった。それは肌に触れた一滴の雫で雨が降りはじめたことに気づいたときのような、かすかな表情の変化だった。
地球人かどうかを確かめられたときの一般的な反応としてそれが妥当なものなのか日郎にはわからなかった。
「二年三組の因幡詩苑という女子生徒のことはご存知ですよね?」
「……誰かしら。ごめんなさい、存じあげないわ」
神楽木命子の落ち着き払った態度からは、しらばっくれているのか、本当に知らないのか判断がつかなかった。
「因幡詩苑は地球外生命体──いわゆる宇宙人でした。正確に言うと、宇宙人に寄生されて体を乗っ取られていたんです。因幡詩苑の本当の姿は、全身が真っ黒な泥をかぶったようにドロドロとしていて、手足が細長く、顔には目も鼻も口もなかった。その因幡詩苑から感じたものととてもよく似た感覚をあなたからも感じるんです」
日郎の話を聞くうちに、神楽木命子の目がどんどん大きく見開かれていった。彼女の顔に初めてあらわれたわかりやすい変化だった。
「……驚いたわ」
「それは認めるということですか?」
「ええ……。たしかにあなたの言う通り、私は地球人ではないわ」
神楽木命子は意外なほどあっさりと事実を認めた。
「でも、私が驚いたのは、この学校に私以外にも同種族のファフラ人がいたということよ」
「知らなかったんですか?」
「ええ。今、初めて知ったわ」
「嘘を言うな」クラウが口を挟んでくる。「これほど近くに同種族がいて知らないというのは不自然だ。地球侵略が目的なら、仲間同士で密に連絡を取り合うのが当然だろう。それにそもそも地球のような、宇宙の僻地にあって近くの衛星に行くことですら四苦八苦している文明レベルの惑星を侵略するのは腑に落ちん。何を隠しているのだ?」
神楽木命子がクラウを見て意外そうに目を瞬かせた。
「どうやらあなたも地球人ではないようね」
そして肩をすくめて続けた。
「今さら何も隠すつもりはないわ。僻地にあるから地球が選ばれたのよ。ただ……侵略が目的ではないけどね」
「侵略でなければ、なぜ地球に来たんですか?」
「別に望んで来たわけじゃないわ。連れてこられたのよ。罪を犯した刑罰としてね。地球は私たちファフラ人にとって、罪人を追放する流刑星の一つだから」
「え……」
あまりの衝撃に日郎は言葉を失った。
地球が……罪人の流刑星……!?
「恒星間航行の技術を持たない地球は他の星への逃亡手段がないから流刑先としては最適なのよ。それなりに文明レベルの高い知的生命体である地球人に成り代わることもできるしね。さっき因幡詩苑って女子生徒が寄生されて体を乗っ取られていたって言ってたけど、正確には寄生して体を乗っ取っているのではなくて、地球人の体を取り込んで変身しているのよ」
「取り込んで……変身……?」
「そう。ファフラ星には、上位種族である私たちファフラ人と、下位種族である家畜のソブラ人という二種族の知的生命体がいるの──」
神楽木命子はファフラ人の奇妙な生態について話した。
いわく、目や鼻や耳や舌といった感覚器官も、子を作るための生殖器官も持たずに生まれてくるファフラ人は生まれた元の姿のままでは生きていくことができないため、生まれるとすぐに感覚器官、生殖器官を持つソブラ人を吸収して個体情報を体に取り込み、その姿に変身して生きていくのだという。
「地球に流刑になったファフラ人は地球人の体を吸収して取り込んで、その地球人の姿に形態を変えて生きていくのよ。ソブラ人の容姿は地球人とよく似ているから違和感なく生きていけるの。それが流刑星に地球が選ばれた理由の一つなんでしょうね。どの地球人に変身するかの選択権は受刑者にはないから、なぜ神楽木命子が選ばれたのかは私も知らないわ。受刑者同士が繋がりを持たないように、誰がどの地球人に変身しているかも知らされていないから因幡詩苑って子が同じファフラ人だということは知らなかったのよ」
神楽木命子は、おわかりいただけたかしらとばかりにクラウを見た。
「私に唯一わかることといえば、変身する個体の性別に女が選ばれたのはなぜかってことくらいね。ファフラ人には性別がないから、性別はソブラ人を吸収したときに決まる……息子が欲しければ生まれた赤ん坊に男のソブラ人を、娘が欲しければ女のソブラ人を吸収させるの。私の場合は生まれたときに女のソブラ人を吸収して女として育ったから、地球でも女の神楽木命子を吸収させられたってわけ」
そこで日郎は恐ろしいことに気づいた。地球人を体に取り込んで姿を変えることができるということは、つまり──
「もしあなたが僕の体を取り込めば、僕の姿にもなれるということですか?」
神楽木命子は妖しい笑みを浮かべて日郎を見据えると、すぐに真面目な顔つきに戻って言った。
「それは無理ね。変身できるのは一つの種族につき一つの個体までだから。だから私は地球人としては神楽木命子として生きていくことしかできない」
それを聞いて日郎は安心した。
「そちらのあなたは地球人ではないみたいだから、取り込むことができるけどね」とクラウを見る。「でも、あなたに変身しても何のメリットもなさそうね。個体情報を上書きしてしまうと、もう神楽木命子の姿には戻れないし」
「そんな企てを実行するより先にワシがおまえを喰ってやるわ」
「まぁ、恐ろしい」
「流刑に処されるほどの極悪人に言われたくはないわ」
クラウと神楽木命子がバチバチと睨み合う。
体を取り込まれる心配がなくなり一度は安心した日郎だったが、クラウの一言で安心している場合ではないことに気づいた。神楽木命子は流刑になった罪人なのだ。
「……あなたはいったいどんな罪を犯したんですか?」
日郎が訊ねると、神楽木命子が答えるより先にクラウが口を挟んだ。
「流刑はどの種族でも相当な重罪のはずだ」
神楽木命子は言い淀むようにして目を伏せ、押し黙った。そして、ややあって重い口を開く。
「……そうね。死刑が禁じられているファフラ星では、流刑が最も重い刑罰よ。最低でも同種族のファフラ人を五人は殺害しないと流刑にはならないわ」
「じゃあ、あなたも……」
「私は──」
神楽木命子は真っ直ぐな目を日郎に向けた。
「……私は冤罪よ」
「え……」
「無実の罪を着せられて流刑に処されたの」
「嘘を言うな」
クラウが喰ってかかる。
「別に信じてほしいなんて言うつもりはないわ」
クラウは端から信じる気などないようだったが、日郎は「信じますよ」と即座に言った。
神楽木命子は意想外の答えに驚いたのか目を見張る。
「僕もさっき知ったばかりなんですけど、どうやら僕には地球外生命体を感知する力があるみたいなんです。あなたから伝わってくるのは因幡詩苑とよく似た感覚なんだけど少し違う。因幡詩苑から感じた危険を知らせるような近づきたくないという感覚とは違って、あなたから感じるのは近づきたくないというよりも、近づきたいけど近寄りがたいというか……上手く言えないけど、敵ではないという感覚なんです。だから僕は……あなたを信じます」
その感覚は、クラウを保護したときに感じた自分にとっては害をなす危険な存在ではないという確信めいた直感と同じだった。
神楽木命子に地球人ではないことを単刀直入に訊けたのもその直感があったからだ。
神楽木命子は信じがたいといった顔で口をぽかんと開けている。
「だからクラウ、この人は食べちゃダメだよ」
クラウは不服げに唇をとがらせた。
「こんな毒素もなく栄養素が豊富な食い物をただ指をくわえて見ていろというのか」
「ダメだからね」と日郎は言い聞かせるようにクラウを睨む。
クラウはため息をついて言った。
「仕方がない。喰わずにいてやるわ。別にそいつを喰わずとも、他にもファフラ人とやらが地球に来ているようだからな」
神楽木命子がフフッと笑いをもらす。
「物騒な宇宙人をよく飼い慣らしているのね」
「飼われてなどおらんわ!」
クラウが神楽木命子を睨みつける。
日郎はやれやれと首を振った。最初からこの調子では先が思いやられる。
「ワシはもう帰るぞ。満腹にもなったし、もうこんなところに用はない。いざというときの非常食も手に入ったしな」
クラウがにやりと笑う。
「もしかして非常食って私のこと?」と神楽木命子。
「日郎と交わした約束では、腹が減るまでに日郎がワシの喰い物を用意できなければ、こちらで好きに選んでもよいことになっているからな。そのときはおまえを真っ先に喰ってやるわ」
そう言うと、ご満悦の様子でクラウは帰っていった。
あとに残された日郎と神楽木命子は顔を見合わせる。
「あなたたちって、よくわからない関係ね」
「自分でもそう思います」
「私たちはどういう関係になるのかしら。あなたは私の秘密を握っているわけだけど」
「あなたのことは誰にも言うつもりはありませんから」
「そう……。それは助かるわ。地球に連れてこられて二年……やっと地球の環境にも慣れてきたのに、今の生活を失いたくはないから」
そう言って、神楽木命子は少し寂しそうな顔を見せた。
冤罪で故郷の星から遠く離れた地球に連れてこられた彼女の心の裡を思うと胸が痛む。
「それにしても……地球外生命体を感知できるなんて、不思議な力を持っていたものね。地球に来てからずっと目立たないように生きてきたから、まさかバレる日が来るとは思ってもみなかったわ」
「その見た目で目立たないなんて無理ですよ」
「美しすぎるというのも困ったものね」
冗談めかして微笑むその笑顔も、思わず見惚れてしまうほどの神々しいまでの美しさだった。
「一つあなたの不思議な力を頼って訊いておきたいのだけれど、私と因幡詩苑って子以外にも、近くにファフラ人はいるのかしら?」
「いえ……少なくとも僕がこの学校で一度でも目にしたことのある生徒や教師の中にはいないと思います。町を歩いているときに嫌な感覚を覚える人はごく稀にいますけど、それがファフラ人だったのか確証は持てません」
「もしかしたらファフラ人ではない、他の惑星から来た宇宙人かもしれないわね」
「そ、そうですね……」
クラウやファフラ人が地球に来ていることを知った今となっては否定できるはずもない。
「いったい何人のファフラ人が流刑で地球に送られてきているんですか?」
「さぁ、知らないわ。私は昏睡状態にされて地球に連れてこられたから、同時に何人が移送されてきたのかわからないし、過去に何人のファフラ人が地球に流刑されているのかも私にはわからない。……だけど、こんな近くに二人いたってことは、案外たくさんのファフラ人受刑者がいるのかもしれないわね」
重罪を犯した数多くの凶悪な宇宙人が地球人に成り済まして生活している……。考えただけで背筋が寒くなる話だ。
しかし──
それと同時に、多くの宇宙人が当たり前に地球に来ているという新しい価値観に彩られた世界の訪れに、日郎は胸の高鳴りを抑えることができなかった。
※
高校の昼休みに起きた因幡詩苑の失踪は、クラスの人気者だった美少女が忽然と姿を消した現代の神隠しとして世間の注目を集めた。
中学生の頃までは親思いで優しかった因幡詩苑が高校入学を境に人が変わったように反抗的で乱暴な態度を取るようになったという両親の証言や、陰でいじめを受けていたというとある女子生徒の告発により、因幡詩苑が学校で見せていた天真爛漫な優等生の姿とは異なる粗暴な二面性が明るみとなったこともあって、しばらくの間は学校でも彼女の話題で持ち切りだった。
警察による懸命な捜査が行われたが因幡詩苑の行方は杳として知れず、家庭や学校に不満を持ったことによる家出であろうとの見方がなされているようである。
今回の出来事の真実が明らかにされることは永遠にないだろう。
すべての真相を知る地球人はただ一人──
紗塔日郎しかいない。