陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず。
過干渉な「善意」ほど、悪意のあるものもない。
光と影。
善と悪。
快と不快。
陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず。
なぜ現代社会は、これほどまでにササクレ立っているのか?
それはもう「情報過多」のひと言に尽きる。
メディアは「悪いニュース」が視聴率やPV数が取れるので、良いニュースを流すのを忘れた(いや投げ捨てた)。
悪いニュースに長く浸かると、人々の「過剰な善性」が輝きだす。
失敗者への罵詈雑言の嵐。
大したミスじゃなくても「一歩間違えれば」とひとつのスキも許さない。
それはひょっとすると「悪いニュース」への拒絶感から来る過剰反応なのだろうか?
その割に、みな悪いニュースばかりをわざわざ自分たちで探しに行く。
一説には「ネガティブな情報はポジティブな情報よりも7倍伝播しやすい」などという研究結果もあるくらいだ。
ひとはなぜ、そうまでして、ネガティブな情報を求めるのか?
それはおそらく「過剰な防衛本能」から来る、悪いことに対する「事前収集」の意味合いもあるのかもしれない。とにかく何としてでも「現状を保守する」ための行動(=変化に対する拒絶反応)。
防衛のための先制攻撃。
メディアがバカみたいに「悪い情報」ばかりを流し、それに対し、常にストレスと恐怖心にさらされ続けている人々。
彼らは、その防衛本能から、非常に「攻撃的」な態度を無意識に取るようになった。それがネット社会における、いわゆる「罵詈雑言の嵐」の正体とも言える。
さらに、その「一部の集団」が引き起こしている「ヒステリー」ともいえる罵詈雑言を「社会の意見」として、メディアが取り上げることにより「悪意の雪だるま式増幅」が繰り返され続ける。
恐怖心の大半は、未知なるものに対する「無知」が原因である。
知らないから怖い。
だから悪いニュースにも目をやる。
しかし、メディアに出てくる自称専門家のクズどもは、そこにさらに「悪意の味付け」を施す。それによって、さらなる恐怖心を覚えた人々が引き起こす、ヒステリーの拡散作業。これはもう「自家中毒も、ここに極まれり」といった社会現象といえる状況だ。
―― さて、そうなってくると、どうするのが正解か?
答えは実にシンプル。
「過剰摂取」をやめる。ただそれだけ。
今は、情報に接続できる端末を皆が手に持つ時代である。
この期に及んで「ネットを見るな」などと規制をかけるのはナンセンス。
だとすれば、どうするのが良いのか?
わざわざ悪い情報しか垂れ流さない「毒にしかならないサイト」へのアクセスをやめれば良いだけの話である。
5ちゃんにしろ、ヤフコメにしろ、「集団ヒステリーの下水処理場」のような罵詈雑言(稀に品のあるウ○コもあるが、ウン○は所詮○ンコである)しか書き込まれていないのだから、そんなものを見てニッコリするという、奇妙な性癖でもない限りは、シンプルに見ないのが正解といえる。
そんなものは、あまりに自分が「緩み過ぎかな?」と感じる時に「気付け薬」程度に覗き見すればよいのである。そういう利用の仕方をしていれば「自分はまだウ○コよりはマシ」と安心できる可能性もあるので、有用かもしれない。
だが、こういった悪意は、基本的には「ジャンクフード」でしかなく、それゆえに「中毒性」もあるので、やはり週に1度も摂取する必要はない、と個人的には考えている。
わざわざ悲惨な連中を見に行って「世の中ここまできたか」なんて感じる必要はまったくない。
街を歩けば、まともな人間なんていくらでもいる。
だから街を歩く時くらいは、スマホから意識を離し、街をもう少し「生身」で感じればいいと思うよ、実際のとこ。
いいわけ)
書き始める時に持っていたテーマに全くたどり着けず、いつもどおり、迷子のまま、フィニッシュ。