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隣国の魔術師

 ネイトとカルラが去ってしばらくしてから、アマリリスのいる牢に再び足音が近付いてきた。ランタンの灯りに目を細めたアマリリスの耳に、気遣わしげな声が届く。


「アマリリス様!」

「ラッセル様、来てくださったのですね」


 ほっと表情を緩めたアマリリスに、ラッセルの方が泣きそうな顔を向けた。


「アマリリス様は何も悪くないということは、僕にはわかっています。貴女様のような方が、妹君を殺そうとするはずがない。それなのに……僕の力では何もできず、申し訳ありません」


 ラッセルは、アマリリスに魔法を教える中で、彼女がひたむきで素直な努力家であることに驚き、見た目とは裏腹に、優しく穏やかな性格も好ましく思っていた。そして、聖女の杖を使わなければまだ発展途上ではあるものの、彼女の魔法の才能にも十分な可能性を感じていた。ただ、アマリリスの魔法には、一言では説明が難しいような、不思議な違和感を覚えることもあった。

 悔しそうに唇を噛んで項垂れたラッセルに向かって、アマリリスが首を横に振る。


「いいえ、ラッセル様。こうして私のことを気にかけてくださって、ありがとうございます」


 アマリリスは、ラッセルにも彼の妻にも、とても親切にしてもらっていた。アマリリスに王妃教育を施した教師たちが、淡々と彼女に知識を詰め込んでいくだけだったのに対して、ラッセルは、彼女を一人の血の通った人間として扱ってくれていた。表情の乏しい彼女の話を聞いて、不憫に思ったラッセルの妻が、手作りの焼き菓子を差し入れてくれたこともある。自分のためだけに作られた菓子に、アマリリスは上手く笑えないながらも、目に涙を浮かべて彼女に礼を伝えた。彼らと過ごした時間は、アマリリスにとっては、実母と過ごした幼い頃以来の、優しく穏やかなひとときだった。

 アマリリスに魔法を教えた日々を思い出して寂しげに笑ったラッセルは、彼女をじっと見つめると、少し声を落とした。


「これから貴女様にどのような運命が待ち受けているのか、僕にもわかりませんが。この国を出ることになるのであれば、できることなら、ライズ王国の僕の友人を頼ってください」

「ラッセル様のご友人ですか……?」


 目を瞬いたアマリリスに、ラッセルが頷く。


「はい。彼は年の近い友人でもありますが、僕が最も尊敬する魔術師でもあります。昔、第三国に留学していた時に、彼と共に魔法を学んだことがあるのですが、彼ほど優れた魔術師を、僕はほかに知りません。……アマリリス様は、先日王宮で開催されたパーティーで、ライズ王国の王太子様たちに会われましたね?」

「ええ。王太子のルキウス様と、その婚約者様にご挨拶しました。お二人に付き従っていた、護衛の魔術師様と毒見役の少年にも」

「僕の友人というのは、王太子の護衛を務めていたヴィクター様です」

「まあ」


 アマリリスの白い頬が微かに染まる。ヴィクターの顔を、彼女は今でもはっきりと思い出すことができた。夜明けの空を思わせる群青の髪に、神秘的な青緑色の瞳をした美しい彼は、柔らかな物腰をした、不思議な魅力のある青年だった。

 当時、毒見役の少年の顔色が悪いことに気付いたアマリリスは、心配になって、そっと少年に近寄って声を掛けた。ネイトがパーティーの途中からアマリリスを放置していたため、あまり注目を浴びることなく動けていたのだ。もしも毒見役がパーティーの最中に体調を崩したなら、事と次第によっては、両国の関係に大きなひびが入る可能性があった。


 少年に回復魔法を掛けようかとも考えたアマリリスだったけれど、その時、自分が聖女の杖を手にしていないことに、はたと思い至った。パーティーの間は、武器にもなり得る杖をさすがに持ち歩く訳にはいかなかったからだ。


(困ったわ……)


 シュヴァール王国聖女の冠を拝している立場にもかかわらず、公の場で半人前の回復魔法を披露するような真似をしてはならないということは、彼女も理解していた。

 けれど、その時、アマリリスを見上げた少年が、嬉しそうにぱっと顔を輝かせた。


「わあっ……!」


 何をした訳でもないアマリリスは、それまで青い顔をしていた少年の頬に血の気が戻ってきたことには安堵していたものの、いったい何が起こったのだろうと困惑していた。

 その時、少年の隣にいたヴィクターが彼女に笑い掛けた。


「ありがとうございます、アマリリス様」

「いえ、私は何も……」


 ヴィクターは少年の頭をぽんと撫でた。


「彼は繊細なところがあって、少し具合が悪くなっていたのです。でも、お蔭様で随分と良くなったようですね」

「そう、なのでしょうか……?」


 むしろ、硬い表情から冷たく見られがちなアマリリスは、少年を怖がらせてしまわないかと心配していたくらいだった。きょとんとしていた彼女を、ヴィクターは真っ直ぐに見つめると、再び微笑んだ。


「貴女様のような方がいるなんて、シュヴァール王国が羨ましい。もし気が向いたら、いつでも我が国にいらしてくださいね」


 彼の横で、可愛らしい少年も大きく頷いていた。


「はい、そのうちに是非」


 アマリリスが改めて少年を見ると、彼の耳の先が少しだけ尖っていることに気が付いた。彼はにっこりと大きな笑みを浮かべると、ぴょこんと頭を下げてから、ヴィクターと一緒にルキウス王太子の側に戻って行った。

 親しみを込めて笑い掛けてくれたヴィクターの後ろ姿を、アマリリスは後ろ髪を引かれるような思いで見つめていた。


(何だか、不思議な方だったわ)


 アマリリスは、まだ狐につままれたような気分を拭えずにいたけれど、彼の言葉はなぜか、単なるお世辞には聞こえずに、すうっと彼女の心に染みていた。

 もっと彼と話したいと思っている自分に気付いて、アマリリスの頬が仄かに染まる。ネイトには、これまで自分を認めてくれる言葉など言われたことがなかった。それだけに、初めて会った彼の言葉が、なおさら彼女の心を温めていた。

 私は王太子の婚約者なのだからと、そう自分に言い聞かせてはいたけれど、男性に対して、アマリリスの胸が初めて弾んだ瞬間だった。

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