報い
「カルラ!」
カルラの母であり、アマリリスの義母でもある女性が、牢にいるカルラの面会に訪れていた。
「お母様。私、家に帰りたい……」
以前よりもやつれた娘を前にして、カルラの母はいきり立っていた。カルラとの面会に立ち会っていたラッセルに、彼女が食い付く。
「どうして、カルラが牢に入らなくちゃならないの!?」
ラッセルが、カルラが真の聖女であるアマリリスを陥れたことを説明しても、彼女はまったく納得していない様子だった。
「きっと、カルラはあのネイト前王太子の口車に乗せられただけよ。そうに違いないわ」
シュヴァール王国では、再び民の前に姿を現した国王によって、ネイトの廃嫡とライズ王国との和睦の締結が公にされていた。国王を謀ったネイトは、既に投獄され、廃嫡止むなしという目で見られている。国王の後は、優秀と評判で、平和を重んじるところが国王にもよく似た、彼の甥が王位を継ぐ予定で調整されている。
国内は、混乱が生じるよりもむしろ、ライズ王国との和睦を歓迎するムードに包まれていた。聖女アマリリスが身分を隠してライズ王国から訪れ、婚約者である同国の天才魔術師と共に、魔物の被害に苦しむ村々を救ったことも、いつしかシュヴァール王国中に知れ渡っていた。そのことが、ライズ王国と手を結ぶことに対する民の支持を、より強固なものにしていたのだ。また、聖女の加護が自国にまで及んで欲しいという切実な願いも、民の心には存在していた。
そんな現状に我慢がならなかったのが、アマリリスの義母だった。
(どうして、あんな子が聖女に祀り上げられて、カルラがこんなことに……)
ぎりぎりと歯噛みするような思いを抱えて、彼女はラッセルに突っかかった。
「ネイト前王太子が、アマリリスを偽聖女だと断罪して、カルラを聖女だと主張したのでしょう。カルラが何をしたって言うの?」
「繰り返しますが、カルラ様はアマリリス様に殺されかけたと彼女に濡れ衣を着せて、危険な魔物の巣窟前に追放させたのです」
「でも、アマリリスは隣国でピンピンしているそうじゃないですか」
激しい口調の彼女をじっと見つめたラッセルの瞳が、鋭くなる。
「アマリリス様の背中には、古い傷痕がたくさん残っているそうです。……何かご存知ありませんか?」
急に雰囲気が変わったラッセルと、彼の口から出た予想外の言葉に、彼女も、そして牢の中にいたカルラも一瞬口を噤んだ。
「……さあ? あの子の背中のことなんて、私は知りませんわ」
「おかしいですね。傷ができたのは、アマリリス様がご実家にいた時期と見られるのですが」
「カルラより出来が悪かったので、彼女に必要な躾はしましたが、それだけです」
冷や汗をかいていた彼女に向かって、ラッセルが続ける。
「もう一つ、お伺いしたいのですが」
「何でしょうか?」
「アマリリス様の実の母君の死因が、毒殺だったことをご存知ですか?」
さあっと顔から血の気が引いた彼女は、動揺のあまり思わず呟いていた。
「どうして、それを……」
アマリリスの父に横恋慕し、友人の夫だった彼を寝取った上に、アマリリスの母に、人目を盗んで劇薬を盛ったことは、彼女だけしか知らないはずだったからだ。
自らの失言に気付いた彼女は、はっと口元を押さえたけれど、もう後の祭りだった。
「アマリリス様の母君の遺髪から、劇薬の成分が検出されました」
ラッセルが淡々と続ける。
「彼女が天に召されたのと重なる時期に、貴女が同じ薬を手に入れていたことも確認済みです。あとは貴女の言質を取るだけでしたので、これでもう十分です」
彼女がアマリリスの母の死因を知っていたというその事実自体が、彼女が犯人だということを物語っていた。
ラッセルが、彼女の娘への面会にわざわざ立ち会ったのも、彼女から証言を引き出す機会を得るためだったのだ。
「お母様、嘘でしょう……?」
牢の中で母とラッセルの会話を聞いていたカルラも、驚きに目を瞠りながら青ざめている。
「彼女を捕らえろ」
ラッセルの言葉に、控えていた兵士たちがすぐに彼女の両側から取り押さえた。混乱しながら、カルラの母が喚き散らす。
「目障りだったのよ。あの女も、その娘のアマリリスも!」
連行されて行く母の背中を、カルラは呆然と見送っていた。
***
「無事にシュヴァール王国との和睦が結ばれて、よかったですね」
にこにこと笑うロルフに、ヴィクターも頷いた。
「その通りですね。それに、シュヴァール王国の国王陛下が、我が国を攻めた非を認めてくださったお蔭で、信じられないほどの好条件で和睦が調いましたし」
シュヴァール王国の国王は、道路整備や治水事業といった、ライズ王国でも隅々までは行き渡っていなかった公共事業に、技術的にも金銭的にも手厚く支援することを約束していた。大昔にそうであったように、まるで一つの国であるかのように手を携えて、両国の繁栄を目指していくことを、国王は明言していたのだ。
「円滑に和睦交渉が進められたのは、シュヴァール王国の国民の支持が得られたことも大きいでしょう。アマリリス、これも貴女がラッセル様の依頼に真摯に応えたお蔭です。今や、貴女の人気は大変なものだそうですよ」
ヴィクターの言葉に、アマリリスは微笑んだ。
「ヴィクター様と一緒だったからこそ、あれだけ多くの魔物たちに対処できたのだと思います。ラッセル様も、改めてヴィクター様の魔法に目を瞠っていらっしゃいましたし」
彼はじっとアマリリスを見つめると、穏やかな顔で言った。
「貴女の祈りによって、精霊が私にも力を貸してくださっているからではないでしょうか。貴女が側にいると、身体の奥底から自然と新しい力が湧き上がってくるような、そんな感覚があるのです」
ロルフが、並んでいる二人に向かって笑いかける。
「師匠もきっと、精霊に好かれているんですよ」
アマリリスもにっこりと頷いた。
「ふふ。私もそう思います」
三人が和やかに談笑していると、ヴィクターの元に一通の手紙がひらりと舞い降りた。宛名はヴィクター、差出人はラッセルだ。
「ラッセル様からですね」
彼が開いた便箋には、アマリリスの義母が、アマリリスの実母の命を奪った罪で投獄されたことが記されていた。
アマリリスが実家で虐待されていたことと、ロルフが気付いた、アマリリスの実母の毒殺の可能性は、ヴィクターからラッセルに共有されていた。独自に調査を進めた彼は、犯人がアマリリスの義母に違いないと突き止めた上で、最後に彼女から言質を取ったのだ。
アマリリスの義母が牢から出て来ることは一生ないだろうと、手紙はそう締めくくられていた。
また、カルラは、牢から出るとしても、それは監視付きで魔物討伐の前線に立つ場合だろうとも書かれていた。
「どうなさったのですか、何かありましたか?」
深刻な表情で文面に目を落としていたヴィクターに、アマリリスが尋ねる。彼は、気遣わしげにアマリリスを見つめると、少し躊躇ってから、その便箋を彼女に手渡した。
「アマリリス。貴女の母君の死の真相です」
「えっ……?」
「貴女が真実を知っても、貴女を傷付けることになってしまうのではないかと、お伝えすべきかどうか迷いましたが。全てが明らかになった今、貴女には知る権利があります。ロルフが気付き、ラッセル様が突き止めてくださったのです」
思いもよらぬ言葉に、震える手で便箋を受け取ったアマリリスが、ラッセルの報告に目を走らせる。
「お母様……。もし、私が気付けていたなら。一番側にいた私が、お母様を守れていたら……」
便箋を読み終えたアマリリスの目から、涙が溢れ落ちる。顔色悪くベッドに臥せりながら、少しずつ生気を失っていった母の様子を、アマリリスは遠く思い出していた。
ヴィクターが、彼女の肩を労るように抱き寄せる。
「何も知らなかった幼い貴女には、どうしようもありませんでした。……ただ、貴女の母君を陥れた彼女も、貴女を謀った妹も、然るべき報いを受けることは間違いありません」
ロルフも、眉尻を下げてアマリリスを見つめた。
「アマリリスさんの母君は、きっと今、天の上からアマリリスさんの幸せを願っているよ」
まだ涙の止まらぬまま頷いたアマリリスの胸元には、ロルフが直したロケットと、三人揃いのペンダントが揺れていた。