友の依頼
ヴィクターによる魔法の稽古を終えて、アマリリスとロルフは師と並んで一息吐いていた。
「アマリリスさん、聖女の杖があっても魔法の稽古はするんですね?」
ロルフの問いに、アマリリスが頷く。
「はい。以前のように、また杖を奪われることがないとも限りませんし、ヴィクター様に魔法を教えていただくようになってから、聖女の杖を使う時の威力も増しているようなので」
ヴィクターもアマリリスを見つめて微笑んだ。
「努力家ですね、アマリリスは。二人も良い弟子に恵まれて、私は幸せです」
「僕も、アマリリスさんと一緒に稽古をつけてもらえるようになって、前よりもっと稽古に身が入るようになった気がします。ところで……」
ロルフが楽しげに二人を見つめる。
「師匠とアマリリスさんは、いつ結婚式を挙げるんですか?」
ヴィクターとアマリリスは、思わず顔を見合わせた。二人の頬は、どちらもほんのりと色付いている。
一つ咳払いしてから、ヴィクターが続けた。
「少し落ち着いてからと思っていましたが、アマリリスの希望に合わせます」
「希望、ですか……」
ヴィクターからのプロポーズを受けたアマリリスではあったけれど、彼との婚約だけでも天にも昇りそうなほど幸せで、まだ結婚は先の話かと思っていたのだ。
アマリリスが言葉を続ける前に、ロルフが明るく口を挟んだ。
「早ければ早いほどいいんじゃないかな? 師匠もアマリリスさんも、いつになったら自分の気持ちに素直になるんだろうって、僕としてはむずむずしてましたから」
「ロルフ君、前から気付いて……?」
恥ずかしそうにロルフを見つめたアマリリスに、彼はにこっと笑った。
「うん。僕じゃなくても、一緒に過ごしていればきっと、二人が惹かれ合ってることには自然と気付いたと思いますけどね。まあ、両想いの二人に、僕からそんなことを言うのも無粋ですから」
熱の集まった両頬を、アマリリスが思わず両手で押さえる。ヴィクターは軽く苦笑した。
「ロルフ、アマリリスをあまり困らせないであげてください」
「ごめんなさい、つい。でも、師匠が結婚する相手がアマリリスさんで、僕も本当に嬉しいです」
顔中にロルフが大きな笑みを浮かべた時、風魔法を纏った一枚の手紙が、ひらりとヴィクターの手元に運ばれてきた。
手紙の差出人を確認したヴィクターが、驚いたように呟く。
「おや、ラッセル様からですね」
アマリリスが不思議そうに目を瞬いた。ラッセルがネイトと共に、和睦交渉のためにライズ王国を訪れたのは、ほんの数日前だ。
「つい最近お会いしたばかりだというのに、どうなさったのでしょう?」
手紙の封を切ったヴィクターの横で、ロルフが緊張気味に顔を強張らせている。
開いた便箋に目を走らせる前に、ヴィクターはロルフの表情を気遣わしげに見つめた。
「ロルフ、この手紙から何か感じるのですね?」
「はい。殺意とか敵意とか、そういうものとは違いますが……差し迫った思いをひしひしと感じます」
ヴィクターは手早く文面に目を通すと、ふっと息を吐いた。
「アマリリス、これは私たち二人宛てに来たものです。貴女の意見を聞かせてもらえますか?」
彼から手渡された便箋に視線を落としたアマリリスの表情が、みるみるうちに青ざめる。
「大変だわ……」
「何が書いてあったの?」
ロルフに便箋を見せながら、彼女は続けた。
「シュヴァール王国に出ている魔物の被害が、日に日に深刻になっているようです。以前は魔物など出なかった辺境の町や村、さらには大きな町や王都にまで、魔物が姿を現していると。……とりわけ、多くの貧しい民が傷付いているようです」
力のない人々の血が流れているにもかかわらず、守備の兵を割くのは王都を中心とした大規模な町ばかりであり、一部の民が見殺し同然にされていると、ラッセルは悲痛な思いを綴っていた。
(国王様は、そんな状況を放っておくような方ではなかったのに……)
貧富にかかわらず、平等に民の平和と幸せを守ることに力を尽くしていたシュヴァール王国国王の穏やかな顔が、アマリリスの目に浮かぶ。
「これを書いたラッセル様の思いは、この文面通りなんだと思う」
眉尻を下げたロルフに、ヴィクターも厳しい顔で頷いた。
「ラッセル様は裏表のない、真っ直ぐな方ですからね。我々を謀るような方でもありませんし、ロルフの言う通りなのでしょう。……それにしても、国内の窮状を、ついこの間攻めた国にいる私たちに漏らすとは、相当に酷い状況なのですね」
「きっと、内容からしても、ネイト王太子には知らせずにこの手紙を出したんだろうね。あの王太子は、弱味を見せるようなことをする人じゃないもの」
アマリリスは、便箋の最後に書かれた文章をじっと見つめていた。
『和睦交渉が決裂し、一時休戦中に過ぎない貴国のあなたたちに、このような依頼をすることを心苦しく思います。ですが、民の命を守るために、どうか力を貸してはいただけないでしょうか』
懐かしいかつての師の筆跡と、そこに滲む必死の思いに、アマリリスは居ても立ってもいられないような気持ちでいた。
「ヴィクター様、私、シュヴァール王国に行ってもよろしいでしょうか。この力を、少しでも民のために活かせるのなら本望です」
アマリリスの表情を見て、ヴィクターがそっと彼女の肩に手を置いた。
「きっと、そういうところが、貴女が精霊に選ばれた所以なのでしょうね」
微笑んだヴィクターが、再び便箋に視線を落とす。
「ルキウス王太子殿下に状況を伝える必要はありますが、ラッセル様の元に一緒に行きましょう。貴女を一人でシュヴァール王国に行かせる訳にはいきませんし、友からの頼みに私も応えたいと思います」
「ヴィクター様まで巻き込んでしまって申し訳ありませんが、ありがとうございます」
安堵を滲ませて笑うアマリリスの身体を、彼はそのまま柔らかく抱き寄せた。
「貴女のためなら、できる限りのことをするのは当然です」
ヴィクターの言葉も瞳も、これまで以上に優しく甘くなっているようで、アマリリスの頬はさらに染まっていた。
「……ただ、そうすると、貴女と式を挙げられるのは、シュヴァール王国から帰ってからということになりますね」
小さく溜息を吐いた彼に、アマリリスははにかみながら微笑んだ。
「では、ライズ王国に戻ったら、すぐに式の準備をしませんか?」
「ええ、それは良い動機付けになりますね。さっさと魔物たちを片付けてきましょう」
笑みを返したヴィクターは、ロルフを見つめた。
「すみませんが、ロルフはこの国に残ってもらっても? シュヴァール王国との緊張状態に異変が生じたり、国内に魔物の被害が増えたりしたら、すぐに戻りますから」
ロルフの敏感な能力は、情報の分析に適任だった。彼は真剣な顔で頷いた。
「わかりました。何かあれば、すぐに師匠たちに連絡します」
ヴィクターがぽんと彼の頭を撫でる。
「頼みましたよ、ロルフ。ルキウス王太子殿下に、何か情報があれば君に共有するよう伝えておきます。シュヴァール王国で何かあれば、私もすぐに連絡します」
「はい。師匠もアマリリスさんも、十分に気をつけてくださいね」
ロルフに見送られて、ヴィクターとアマリリスはルキウスに会うために王宮へと向かった。
***
ヴィクターからの報告に、ルキウスは渋い顔で耳を傾けていた。
「シュヴァール王国に魔物の被害を防ぎに行きたい、か。我が国の主力とも言える君たちを、和睦も結べずに終わった隣国に派遣するなんて、敵に塩を送るようなものだ。本来なら、この状況を逆手に取りたいところだが……」
ルキウスが難色を示すだろうことは想像していたアマリリスは、緊張しながら彼の言葉を聞いていた。
彼はアマリリスを見つめた。
「アマリリス様のお蔭で、我が国の兵士たちにほとんど被害を出すことなく、一時休戦にまで辿り着けたことも事実です。一刻を争うからこそ、そのような依頼が来たのでしょうし、貴女を俺が止めようとしても、止められるものでもないでしょう」
意外にも柔らかくなったルキウスの表情を目にして、彼女は目を瞬いた。ヴィクターが彼に尋ねる。
「では、認めてくださるのですか?」
「認めるというより、反対できないと言った方が正確だろうな。俺が反対することで、アマリリス様がこの国を去ることを選びでもしたら、それこそ一大事だ。但し、もし我が国に危機が迫ったら、その時は至急戻ってもらいたい」
「はい、それは承知しております」
ルキウスは、頷いたヴィクターとアマリリスに温かな瞳を向けた。
「アマリリス様はやはり聖女なのだと、そう感じました。人の命は、失われたら二度と戻らない。俺も、一人でも多くの人命が救われるよう、そして貴女たちが無事に戻るように、幸運を祈っています」
「ありがとうございます、ルキウス王太子殿下」
ほっと安堵を滲ませたアマリリスは、ヴィクターと微笑みを交わした。