告白
ネイトとラッセルの乗った馬車が隣国へと戻って行く様子を眺めていた、ルキウス、ヴィクターとアマリリスの元に、ロルフが急ぎ足でやって来た。
小さくなる馬車を見つめていたロルフに、ルキウスが尋ねる。
「何か気になることはあったか、ロルフ?」
難しい顔をしながら、彼は頷いた。
「二人とも、特にあの王太子殿下からは、焦りと余裕のなさを感じます。……無事に和睦は結べたのでしょうか?」
ルキウスは厳しい顔で答えた。
「いや、和睦までは辿り着かなかったが、一時休戦は調った。和睦の条件に、アマリリス様の返還を持ち出されてな」
「ええっ!?」
目を白黒させたロルフが、不安げにアマリリスを見つめる。
「アマリリスさん、シュヴァール王国に帰ったりしないですよね……?」
微笑みながら、アマリリスはロルフを見つめ返した。
「大丈夫です。ヴィクター様が引き留めてくださったので」
ヴィクターの言葉を思い出し、彼女の頬がかあっと染まる。ルキウスもまじまじとヴィクターを見つめた。
「まさか、これまで女性の影が一切なかったヴィクターが、急にあんなことを言い出すなんて思わなかった」
「……?」
不思議そうに小首を傾げたロルフに、ヴィクターが笑う。
「私の強引なプロポーズを、アマリリスが受けてくれたのです」
「……!? それってどういう……」
元々大きい目をまん丸く見開いたロルフは、穴が空きそうなほど師の顔を見つめた。
「言葉通りの意味ですよ」
「いったいぜんたい、師匠はどうして和睦交渉の場でプロポーズを? でも、壁越しにちょっとカオスな感じがしたのは、それだったのかな……」
そう呟いたロルフは、ルキウスに視線を戻した。
「あの王太子殿下は、一時休戦できたことには胸を撫で下ろしているようですね」
意外そうに、ルキウスは馬車が去って行った方向を見つめた。
「彼の口ぶりからは、我が国に百歩譲って、一時休戦をしてやるという感じだったのだがな。……では、噂は本当だったのか」
「噂とは?」
ヴィクターが尋ねると、ルキウスは腕組みをしながら口を開いた。
「シュヴァール王国で、最近になって魔物の被害が急増しているらしい。それ自体は喜ばしいことではないが、我が国にとっては有利に働いたようだな」
「魔物の被害、ですか……」
アマリリスが心配そうに眉尻を下げる。
「それも、アマリリスを連れ戻したいという動機の一つだったのかもしれませんね。状況的に、聖女の力は喉から手が出るほど欲しいはずですから」
ヴィクターはぽんとアマリリスの頭を撫でた。
「心配いりませんよ。貴女が無理に国に戻らなくても、シュヴァール王国に手を貸す方法はあるはずです」
「はい」
ヴィクター、アマリリスとロルフの三人に、ルキウスは感謝を込めた笑みを浮かべた。
「ありがとう。お蔭で、とりあえずはシュヴァール王国と休戦することができた。休戦と言っても薄氷を踏むようなものだろうが、まずは一安心といったところだ」
「そうですね。また、新しい情報が入ったら教えていただけますか?」
「ああ、もちろんだ」
頷いたルキウスに一礼をして、三人は彼の前を辞した。
***
屋敷に帰ると、アマリリスは紅茶を淹れてから、頭の中にずっと疑問符を浮かべている様子だったロルフに、交渉の場で話した内容を共有していた。
「なるほど、そんなことがあったんですね。師匠も、相変わらずだなあ。……ただ、今回は妙手だったと思いますが」
ちらりとヴィクターを見てから、紅茶のカップを置いたロルフがアマリリスに微笑む。
「アマリリスさん、僕以上に驚いていますよね? 混乱している部分もあるでしょうし。でも、アマリリスさんなら、自分が我慢すれば丸く収まるとか思いかねないので、向こうの王太子の言いなりにならなくて良かったです」
鋭いロルフの言葉に、アマリリスはどきりとしながらも彼に笑みを返した。
「ヴィクター様が助け船を出してくださったお蔭です」
ロルフはアマリリスとヴィクターを交互に見てから、ふふっと楽しげに笑った。
「じゃあ、僕は先に部屋に戻りますね。後は二人で、ごゆっくり」
扉の閉まる音がして、ヴィクターと二人きりになったアマリリスは、隣の椅子に座る彼にどぎまぎと口を開いた。
「あの、ヴィクター様。ヴィクター様は、私がライズ王国に留まることができるように、あんな風に言ってくださったのですよね……?」
「そう見えましたか?」
「はい。突然のことでしたし、私を庇ってくださったのかと」
アマリリスの瞳を、ヴィクターがじっと覗き込む。時に悪戯っぽい色が覗く、彼の青緑色の瞳だったけれど、今の彼の瞳は真剣そのものだった。
「あれは私の願望です。貴女を驚かせてしまったことはわかっていますが」
彼の頬が珍しく染まっていることに気付いて、アマリリスの胸が大きく跳ねる。
「では、あれは本当に……?」
「ええ。それを知って、貴女の答えは変わりますか?」
「変わるはずがありません。ヴィクター様は、ずっと私の憧れでしたから。……でも、私のような者がヴィクター様の隣にいることが、許されるのでしょうか」
アマリリスはぎこちなく目を伏せた。
「私なんて、精霊の加護がなければ、人より優れているところなんて何もありません。人格的にも魔法の才能にも優れたヴィクター様と釣り合うとは、とても思えないのです」
ヴィクターは柔らかな笑みを浮かべると、彼女の髪を撫でた。
「私が側にいて欲しいと思う女性は、アマリリスだけです。貴女ほど心が美しく素晴らしい女性を、私はほかに知りません。でも、それ以上に、ただ貴女のことが好きなのですよ。それだけでは足りませんか?」
思いがけない言葉に、アマリリスの目が大きく瞠られる。
「本当ですか? ヴィクター様は、私が弟子だから優しくしてくださっているのだろうと、そう思って……」
「貴女が弟子だからこそ、無理に好意を押し付けてはいけないと、自分を抑えようとはしていたのですがね。長い年月を経ても忘れられずにいた貴女に会えて、つい想いが溢れてしまった部分もあるようです」
「……長い年月、ですか?」
きょとんとしたアマリリスに、彼は頷いた。
「ええ。森で迷っている貴女を見つけたあの日から、アマリリスのことがずっと忘れられませんでした」
「まさか、ヴィクター様は、あの時の……」
森の中で泣いていた自分に手を差し伸べてくれた、美しい湖の精霊だと思っていた少年の面影が、深く澄んだ湖の色を瞳に湛えるヴィクターの顔に重なる。彼にもらった美しいアマリリスの花と、自分を抱き上げてくれた彼の優しい腕が、懐かしく思い出された。
「そうです。貴女はまるで、森に現れた妖精のようでした。アマリリスの花を探していると聞いて、見つけた花を貴女に渡した時の、輝くような笑顔が忘れられなくて」
「どうして、ヴィクター様はあの時、あの場所に?」
「貴女が迷い込んだのは、両国にまたがる森だったのです。私は当時、あの森に程近い家に両親と暮らしていましてね。その後、両親は魔物に襲われて他界しましたが、怖いもの知らずだった私は、時に魔物が出るというあの森にも、よく足を踏み入れていたのです」
ふっと遠い瞳をしてから、ヴィクターは続けた。
「あれほど心が動いたことは初めてで、悲しげに泣いていた貴女を守りたくて、許されるならあのまま攫ってしまいたいくらいでした。でも、貴女は決して私が望んではいけない人だと、あの時の私にはわかっていました」
「……どういうことですか?」
「精霊が放つ光が、貴女の周りを美しく舞う様子が見えたのです。いずれ貴女が聖女と呼ばれ、シュヴァール王国を背負って立つ方になるのだろうと、私には想像がついていました。そんな貴女に手を伸ばしてはならないと、そう理解していたのです。ただ……」
彼は小さく唇を噛んだ。
「シュヴァール王国で、貴女があれほど虐げられていたなんて、思いもよりませんでした。貴女を魔物の巣窟前で見つけたあの時、私は、誰に非難されても構わないから、今後は貴女を私の手で守りたいと、そう思ったのです。貴女が許してくださるのなら、ですが」
彼は椅子から立ち上がると、改めてアマリリスの前に跪き、その手を取ってそっと口付けた。
「これからもずっと、アマリリスには私の隣にいて欲しいのです。一番近くで貴女を守ることを、私に許してはいただけませんか?」
アマリリスの目から、すうっと喜びの涙が流れ、頬を伝う。
「私こそ、よろしくお願いします、ヴィクター様」
彼女の返事に微笑んだヴィクターは、立ち上がってアマリリスの涙を指先で優しく拭うと、その跡に優しく唇を落とした。
そのまま彼の腕に力強く抱き締められて、アマリリスはひたひたと胸に幸せが満ちるのを感じていた。




