秘めた想い
王宮からの迎えの馬車に、ヴィクターとロルフと共に乗り込んだアマリリスは、馬車の窓から外の景色を眺めていた。
三人の横には、数日分の荷物が入った鞄がまとめられている。
「リドナイトの精製と、それを使った武器や防具作りを行っているという場所は、シュヴァール王国との国境からもあまり遠くない所なのですね」
「そうですね。そもそもリドナイトが採れた場所から近い精製所を使っているので、必然的にそうなるという部分もあるのかもしれませんが」
ロルフが、斜めがけにした小さな鞄の中をごそごそと確認している。
「師匠。魔力回復用の薬も、作っただけ持ってきましたよ」
「ありがとう、ロルフ」
その言葉に驚いて、アマリリスがロルフを見つめる。
「ロルフ君は、魔力回復薬を作れるのですか?」
「うん! 特殊な薬草を煎じて作るんですよ」
「では、ロルフ君の部屋から漂ってきたあの匂いは、薬草を煎じている匂いだったのですね」
アマリリスが来てから一週間あまりというもの、屋敷全体の掃除や片付けにかかりきりになっていたのだけれど、その時に、ロルフの部屋の中から時に漂ってくる不思議な香りが気になっていたのだ。
「そうですね。ほかにも、毒や薬になる植物の研究なんかもしているので、僕の部屋からはちょっと変わった匂いがすることもあるかもしれません」
「そう言えば、シュヴァール王国の王宮に来ていた時も、毒見役というお話でしたものね」
可愛らしい少年が毒見役と聞いて、つい心配になったことをアマリリスは思い出していた。ヴィクターが頷く。
「ロルフは飲食物を口にしなくても、匂いだけで大抵危険を判別できますし、人の感情にも敏感ですから、ルキウス王太子殿下にも信頼されているのですよ」
「ロルフ君、多才ですね……!」
感心しているアマリリスの前で、照れたようにロルフが鼻の下を擦った。
「いや、それほどでも……。でも、興味があれば、今度アマリリスさんも薬の調合を見てみますか?」
「はい、是非見てみたいです」
二人の会話を、ヴィクターは穏やかな表情で聞いていた。
「まだシュヴァール王国の動きがない今のうちに、できるだけの対策をしているのですよ。薬の用意も、これから行く武器や防具作りも然りです。……それに、今向かっている目的地は、アマリリス様が馬車から降ろされた、あの魔物の巣窟からもそう距離はないので、何かあった場合に備えているというのもあります」
アマリリスの表情が、甦った魔物の恐怖に微かに曇った。慌ててヴィクターが続ける。
「すみません、思い出させてしまいましたか?」
「いえ、今はヴィクター様が一緒にいてくださいますし、不安はありませんから」
「そうだよ、師匠は強いからね!」
ヴィクターがほっと表情を緩めた時、馬車は少しずつ速度を緩めて止まった。
「着いたみたいですね」
荷物を手に三人が馬車から降りると、無骨な石造りの建物が目の前に見えた。建物の門扉が開いて、数人の男女が駆け足でやって来る。
「ヴィクター様! お待ちしておりました」
「ご無沙汰しております、ヴィクター様」
魔術師と思しき笑顔の人々に囲まれるヴィクターを、アマリリスはロルフと一歩下がった場所から見つめていた。
ヴィクターと共に案内されて進んだ建物の奥でも、彼が姿を現した途端、彼の周囲には人の輪ができていた。
(こんなに多くの人に慕われていらっしゃるのね、ヴィクター様は)
ロルフから、多くの人にヴィクターが尊敬されていると聞いたことが、改めて思い出される。
アマリリスの視線の先では、幾人かの美しい女性も、我先にと争うように、頬を紅潮させてヴィクターに話しかけていた。
つきりと胸が痛むのを感じて、アマリリスは思わず目を逸らした。
(どうして、こんな気持ちになるのかしら)
知らず知らずのうちに小さく息を吐いたアマリリスに気付いたのか、ロルフは苦笑した。
「まあ、いつものことだから、あんまり気にしないで。師匠は、あんなに優秀で美男子なのにまだ婚約もしていないから、特に女性陣が放っておいてくれないんだよねえ。ここからでも、師匠が困った顔してるのがわかるけど……」
ちょうどその時、奥の部屋から出てきた、額に汗を浮かべた一人の男性が、汗を拭いながらアマリリスとロルフの元に近付いて来た。
「ロルフ君、久し振りだね。こちらの方は?」
「アマリリスさんです。師匠に弟子入りしたばかりなんですよ」
「ええっ!?」
目を大きく瞠った彼に、アマリリスは微笑んだ。
「はじめまして、アマリリスと申します」
「こんにちは。俺はリカルドと言って、ここの責任者をしています。少し手が離せなくて、遅くなってすみません」
アマリリスよりも一回りほど年上と思われるリカルドは、まじまじと彼女を見つめた。
「まさか、ヴィクター様が新しい弟子を取られていたなんて驚きました。いったいどうしたら、ヴィクター様に弟子入りを認めてもらえるのですか?」
「それは……」
興味津々といった様子でアマリリスを見つめる彼に、彼女は困惑気味に眉尻を下げていた。彼は察したように柔らかな笑みを浮かべた。
「すみません、お会いしたばかりでこんなことを聞いてしまって。こちらには、ヴィクター様とロルフ君と一緒に手伝いにいらしてくださったのですか?」
「はい、その通りです」
「それは助かります。人手が足りていませんでしたから」
にっこりと笑うリカルドは、栗色の髪に紫の瞳をした爽やかな男性だった。彼とロルフと談笑していたアマリリスの元に、ヴィクターが戻ってきた。
「すみません、少し捕まってしまって」
「いえ。さすがヴィクター様は人望があるのだなと、そう思っていました」
「師匠が人と会う時は、いつもこんな感じですもんね」
ヴィクターは困ったように笑ってから、アマリリスを見つめた。
「アマリリス、貴女を紹介させてください。リカルド様、ロルフ、少し彼女を借りますね」
彼に促されるまま人々の前に進み出たアマリリスの隣で、ヴィクターが口を開いた。
「彼女はアマリリス。私の新しい弟子です」
ざわり、と人々に動揺が走る。嫉妬の籠った幾つもの視線を、アマリリスは感じざるを得なかった。
見掛けない顔だな、と呟く声も聞こえる。ヴィクターは、了承を得るようにアマリリスを見つめ、彼女が頷くのを確認してから、彼らに向かって続けた。
「アマリリスは、事情があってシュヴァール王国から来ました。ルキウス王太子殿下も、それをご存知です」
アマリリスには、さらにざわめきが大きくなったように思われた。今にも崩れそうな両国の緊張関係を知っている者なら当然の反応だと思いながら、肩身狭く感じていた彼女の肩を、ヴィクターは励ますようにそっと抱いた。
「彼女が信頼できる人物であることは、私が保証します。それに、彼女は殿下の依頼を快諾して、我々に力を貸すためにここに来てくれました」
ヴィクターに視線を向けられて、アマリリスは彼らに向かって口を開いた。
「皆様、どうぞよろしくお願いいたします」
彼女が一礼するのを待ってから、ヴィクターはリカルドを見つめた。
「リドナイト製の武器と防具は、どのくらい完成しているのですか?」
「魔法まで込め終わったものは、まだ指折り数える程度です。その手前の、武器と防具まで加工できたものは少しずつ増えていて、魔法を込めるための人材を、今は慌ててかき集めているところです」
「なるほど。早速ですが、対象の武器と防具のある場所を教えていただいても?」
「はい。ただいまご案内します」
持ち場を離れていたと思われる、魔術師らしき数人も、リカルドとヴィクターの後に続くように移動を始めた。敵意とは言わないまでも、どことなく疑念に満ちた空気を感じていたアマリリスに、彼女の隣を歩いていたヴィクターは、気遣わしげに囁いた。
「私は、貴女の側にできるだけいます。けれど、何か気になることがあったなら、遠慮なく私に言ってください」
「ありがとうございます」
アマリリスは、ヴィクターに向かってあえて明るく笑ってみせた。ロルフも、視線で彼女の味方だと伝えてくれているのがわかる。
(ヴィクター様とロルフ君がいてくれるなら、私にはそれで十分だわ。それに、私にできることをするだけだもの)
常にアマリリスを慮ってくれるヴィクターの存在が、彼女の中では日に日に大きくなっていた。けれど、彼への仄かな憧れは、無意識のうちに胸の奥に閉じ込めていた。
(こんな私を助けて、弟子にしてくださったヴィクター様に、決してご迷惑をかけないようにしなくては)
距離はこんなにも近いのに、どこまでも遠い存在のように思えるヴィクターの隣を、アマリリスは静かに歩いていた。
本年もお世話になりまして、どうもありがとうございました。
どうぞ皆様、よいお年をお迎えくださいませ!