ルキウスの依頼
ライズ王国の王宮は、ヴィクターの屋敷の目と鼻の先だ。身支度を整え直したヴィクターとロルフ、そしてアマリリスの三人は、間近に聳える王宮へと徒歩で向かう。
ヴィクターの顔を見て、門番はすぐに通してくれた。勝手知ったように王宮の廊下を歩いて行くヴィクターとロルフの後をついて行くと、アマリリスは立派なドアの前へと行き着いた。
ドアをノックしたヴィクターの耳に、部屋の中から返事が届く。彼がドアを開けると、アマリリスの目に、ライズ王国の王太子であるルキウスの姿が入った。珍しい瑠璃色の髪に金色の瞳をした、端整な容姿の持ち主だ。
(ルキウス様、お久し振りだわ)
前に彼と会ったのは、アマリリスがシュヴァール王国の王宮のパーティーで彼に挨拶をした時だった。ルキウスと目が合うのと同時に、アマリリスの姿を認めた彼の目が驚きに見開かれるのがわかる。彼はがたっと音を立てて椅子から立ち上がった。
「アマリリス様が、どうしてここに? ……ヴィクター。君がシュヴァール王国から保護したというのは、まさか……」
「ええ。見ての通り、アマリリス様です」
「……シュヴァール王国で、ネイト王太子がアマリリス様との婚約を破棄して、追放したという噂は本当だったのか」
そう呟くように言ったルキウスに一礼したアマリリスが、静かに口を開く。
「はい、その通りでございます」
鋭い瞳で腕組みをした彼を見つめて、アマリリスが苦々しく思う。
(ライズ王国にも、もうその話は届いているのね。それならきっと、悪女とされた私の悪評も届いているはずだわ)
妹を手に掛けようとした偽聖女だと、そんな噂までも届いているのだろうと思いながら、アマリリスは目を伏せた。
思案気に彼女を見つめながら、ルキウスはヴィクターに尋ねた。
「国境沿いで彼女が魔物に襲われかけていたところを保護したと、そういう話だったな?」
「はい。彼女は後ろ手で縛られた状態で、魔物の巣窟前に放り出されていました。しかも、魔物をけしかけたような爆発音まで聞こえましたからね」
そう言うヴィクターの瞳に、隠し切れない怒りの色を感じて、アマリリスは胸の奥が熱くなった。どんな状況になったとしても、彼は確かに自分の味方だと、そう感じられたからだ。
ルキウスは次にロルフに視線を移した。
「ロルフ、君はどう思う?」
ロルフはアマリリスを庇うように彼女の前に立った。
「アマリリスさんは、婚約破棄されるような悪いことなんて何もしていません。原因があるとすれば、ネイト王太子がこのライズ王国に攻め入るために、聖女の力を貸すのを拒んだことだけです」
「ほう。……すまないが、アマリリス様の口から、これまでの経緯を説明してもらえないか?」
ルキウスに見つめられて頷いたアマリリスは、これまでに自分の身に起こったことを端的に話した。黙ったまま彼女の言葉に耳を傾けていたルキウスは、アマリリスが話し終えると一つ頷いた。
「なるほどな。それで、ヴィクターに助けられて、彼とロルフのところに滞在していると。……どうだろう、この王宮に居を移すつもりはないか? 身の安全は保証する」
アマリリスの瞳が揺れる。
(私を直接の監視下に置きたいと、そういうことなのかしら)
敵国となる可能性が高い隣国から来た、それも元王太子の婚約者だ。自分の言葉をそのまま信じてもらえるとは彼女も思ってはいなかったし、疑われても仕方ないと感じていた。
けれど、その時ヴィクターが横から口を挟んだ。
「それは認められませんね」
「なぜだ?」
「アマリリスはもう、私の弟子ですから」
「何だって!?」
彼の目が信じられないといった様子で瞠られる。
「あれだけ、ロルフ以外の者の弟子入りを断ってきた君が?」
「ええ。まあ、そういうことなので、アマリリスのことは諦めてください。その代わり、彼女が我々の味方であるということは、私が保証しますから」
しばらく口を噤んでから、ルキウスはアマリリスを見つめた。
「俺は、貴女がしてくれた説明や、ヴィクターとロルフの言葉を疑っているという訳ではない。もしも貴女に悪意があるのなら、ロルフがとっくに気付いているだろうし、人を見る目に関しては、ヴィクターは誰より鋭い目を持っているからな。……だが、俺の立場上、貴女をそのまま受け入れるというのも難しいのだ。状況が状況だけにな」
「はい、存じております」
頷いた彼女に向かって、ルキウスは続けた。
「もし貴女が本当にこの国に味方してくれるというのなら、一つ頼みたいことがある」
「それは、何でしょうか?」
「最近我が国で掘り出された稀少鉱物のリドナイトの、武器や防具への加工を早急に進めているのだ。そして、リドナイトは魔法への耐性が高い鉱石なのだが、魔法を込めることもできるという変わった特徴がある」
「魔法を込められる、ですか。つまり……」
「ああ。最後に出来上がった武器と防具に魔法を込める段階で、君の力を借りたい」
ルキウスの言葉を、アマリリスは反芻していた。
(私の魔法を、ライズ王国のために使うことを確認できるなら、ルキウス様の信頼も得られるし、彼自身も周りを説得しやすいと、そういうことかしら)
気遣わしげに彼女を見つめるヴィクターに微笑んでから、彼女はルキウスに向かって口を開いた。
「承知いたしました。ただ、一つ条件があります」
「それは何だ?」
「防具でしたら、防御魔法を込めるお手伝いをさせていただきましょう。ですが、申し訳ありませんが、武器作りはお手伝いいたしかねます」
「理由を問うても?」
片眉を微かに上げたルキウスに、アマリリスは続けた。
「私には、そもそも攻撃魔法にあまり適性がないのですが。何より、私は今でも、シュヴァール王国とライズ王国との戦は望んでおりません。できることなら、民が傷付く戦は避けたいのです」
「ほう、そうか」
「ただ、シュヴァール王国が攻め入ってきたのなら、ライズ王国の民を守るのは必然。そのためになら、私にできることがあれば、喜んでお力になります」
ルキウスの瞳に、ふっと温かな色が浮かぶ。
「承知した。ありがとう、アマリリス様」
「よいのですか、アマリリス?」
ヴィクターの言葉に、彼女は躊躇いなく頷いた。
「はい。……ルキウス様、よろしくお願いいたします」
「期待しているよ。また詳細は追って連絡する」
最後にルキウスに一礼した彼女は、ヴィクターとロルフと共に彼の前を辞した。
屋敷に戻る道すがら、ヴィクターはアマリリスに申し訳なさそうに口を開いた。
「アマリリスまで我が国の事情に巻き込むことになってしまい、すみません」
「いえ、そんなことはありません」
難しい顔をしていた彼に向かって、アマリリスは首を横に振ると微笑んだ。
「それに、せっかくヴィクター様に教えていただいた魔法を、民を守るために使えるのなら本望ですから」
「そう言ってもらえると、私も嬉しいのですが。ただ、あまり無理はしないでくださいね。それに、できる限り、私も貴女と一緒に行きますから」
「僕も!」
ロルフも勢いよく手を上げた。
「お二人とも……よろしいのですか?」
「もちろん!」
「ロルフの言う通りです。それに、こんなことに巻き込んでしまったのは、私が貴女をルキウス王太子殿下に会わせてしまったせいでもありますから」
アマリリスは、二人ににっこりと笑いかけた。
「ありがとうございます。それに、ヴィクター様は、これまでも私のことを庇ってくださっていたのですよね。こんな私を弟子にしてくださった上に、そこまでしてくださって、本当に感謝しています」
「いえ、そのくらいは当然ですよ。大切な貴女のためですから」
(……きっと、ヴィクター様の言葉には、深い意味はないのでしょうけれど)
ヴィクターの言葉に、つい動揺してしまったアマリリスは、頬にかあっと血が集まるのを感じていた。
***
一方、シュヴァール王国では、ネイトが遅々とした戦の準備に苛立っていた。
(くそっ。父上の反対がなければ、もっと円滑に進むのに)
父王からのネイトへの権限の委譲は、彼の身体が弱かったこともあり、徐々に進められてはいたけれど、未だに父王の権限は残っている。
どうすべきかを考えながら、彼は王宮の中庭で、ベンチの隣に腰掛けているカルラと、彼女の手の中にある聖女の杖を見つめた。
「カルラ、その聖女の杖はどうだ?」
「ふふ。見てください、ネイト様」
彼女が軽やかに魔法を唱えると、杖から天に届くほどの鋭い稲妻が走った。ネイトの目が輝く。
「素晴らしい攻撃魔法だな」
「このくらい、造作もありませんわ」
稲妻の後に残る残像を楽しむように、カルラは天を見上げてから、手の中にある聖女の杖をきゅっと握った。
(この杖、素晴らしいわ。こんなものをこれまでお姉様が持っていたなんて、宝の持ち腐れというほかないわね)
竜を模した美しい杖を見つめて、カルラの顔に満足気な表情が浮かぶ。
(私がやったことは、やっぱり間違ってはいなかったわ。皆、あんなに簡単に騙されるなんて、馬鹿みたい)
きっかけは、祝福の儀の際、カルラが聖女像を前に跪いた時のことだった。彼女を前にして、聖女像は微かな光を帯びたものの、姉のアマリリスの時ほどではなかった。それに納得がいかなかったカルラは、跪いて俯きながら小声で魔法を唱え、聖女像に光魔法を纏わせて輝かせたのだ。
祝福の儀では、畏敬の念を持って聖女像の前に跪くことが求められ、邪な気持ちを抱いて祝福の儀に臨むと天罰が下ると言われている。カルラは畏れ多くも、そんな神聖な場を逆手に取っていた。
そもそも、聖女像が輝いたからと言って、名誉以上にも以下にもならない。不正を働く動機が乏しい上に、通常は魔法学校の成績上位者にしか起こらないことであり、アマリリスのようなケースは例外中の例外だった。カルラは学校の成績も優秀だった上に、聖女認定されたアマリリスの妹だということで、疑われる可能性が低いだろうと見越していたのだ。
その成功に味を占めたカルラは、聖女の杖が輝いた時も同様に、あたかも杖が自ら発光したように見せかけたのだった。それを自然に見せられるだけの技術を持っており、かつ神をも恐れぬカルラだからこそできた所業だったとも言える。聖女像やその杖の神聖さを尊ぶという感覚を、カルラは持ち合わせてはいなかった。
笑みを溢したネイトが、カルラの身体を抱き寄せる。
「君がいれば、勝利は間違いないだろう。よろしく頼むぞ」
「承知しておりますわ」
彼の腕の中で、カルラは隠し切れず口角を上げていた。




