死に神と解呪
あれ? 今まで歩いていた所より、空気がぴりぴりしている気がする。
気配などにはうといマーメイルにも、それがわかった。明らかに、何かがおかしい。
森の中の風景としては、代わり映えしないのに。
「糸はこのまま真っ直ぐだけど」
「ああ。糸が見えなくても、封印が近くにあるのが感じられる」
「ピ……ドレイクの魔力が封印されてるっていうブローチ? わかるの?」
「言ってただろ。封じきれないって。時間が経って、それが外へ染み出してるんだ」
ようやく近くまで来た、ということらしい。マーメイルは失せ物のある方向はわかるのだが、場所を特定できないのが弱点だ。
「それじゃあ、この妙な空気ってそのせいなの?」
「……いや、それは遠因だな」
ドレイクの言葉が終わるか終わらないうちに、何かが近付いて来るのがマーメイルにも感じられた。
何だろうとドレイクに聞いてみる間もなく、この空気を作っていたものが現れる。
「小人? でも、何だか様子が変だわ」
現れたのは、黒小人達だ。
小鬼と大きさはほとんど変わらない。マーメイルのひざ辺りまでしかないサイズだ。
小人はいくつかの種族がいるが、目の前にいるのは黒い三角帽子に褐色の肌をしている。よりによって、小人の中でも性格が一番悪い、と噂される種族だ。
通常であっても遭いたくない種族ではあるが、その目が正気を失っているように見える。その様子に、マーメイルは思わず自分の肩を抱いた。
「やっぱりブローチはこの近くだ。あいつらは俺の魔力にあてられて、混乱状態になっている。いつも以上に性格が腹黒くなってるぞ」
目の光が尋常ではない。やたらギラギラして、血走っている。何かに操られているようにも見えた。
腹黒いと言うより、この様子だとかなり凶暴で危険ではないのか。そういうのに限って、小鬼と同じで、小さいが数は多いのだ。
「ああ、ここにいたんですね、ドレイク」
突然、第三者の声が聞こえ、ただでさえ緊張状態だったマーメイルは大きく肩を振るわせた。
振り返ると、黒マントに身を包んだ長身の青年が立っている。くせのない銀色の長い髪に、切れ長の金の瞳。とんでもない美形だ。
それより、いつの間に来たのか、全然わからなかった。
「何の用だ、ヴェスカ」
「え? 知り合い?」
マーメイルが口にした疑問に、答えが返ることはなかった。名前を呼び合っているんだからわかるだろう、ということか。
「じき、お父上が戻られます」
「えっ……予定より早いじゃないか」
「はい。ですから、戻っていただかないと。今回はタイムアップにして、次回に持ち越しましょう」
「ふざけるな。もうすぐ終わるんだ。すぐそこに俺の紋章があるってわかってるんだから、あと少し待て」
「だったら、早くしてください。ドレイクなら、私の予想以上に早くできると思っていたのに」
「想定外のことがあるのは、いつものことだ。それも予定に入れておけ」
短い会話だが、横で聞いているマーメイルにはさっぱり内容がわからない。早くできる、とは何のことだろう。
魔女はぽかんとしているが、黒小人はぽかんとしてはくれなかった。
チャンスと思ったのかわからないが、奇声を発して襲ってくる。小鬼と違い、爪も歯も鋭くないはずだが、噛みつかれたり引っ掻かれたりすれば当然痛い。
だが、黒小人の手が、マーメイル達に届くことはなかった。ドレイクが自分達を中心にして外側へ向けて風を出し、軽い小人はあっさりと飛ばされたのだ。
「ヴェスカ、こいつに黒小人を近付けさせるな」
「お断りします」
銀髪青年にドレイクが偉そうに命令するので、マーメイルは彼のしもべかと思ったのだが……明らかにそういう態度ではない。
「お前……」
こんなにあっさり断られるとは思わなかったのだろう。ドレイクが青年を睨む。
「彼女が誰か存じ上げませんが、ご自分で連れていらしたのでしょう? それなら、最後までご自分の責任で行動してください」
「頭の固い奴だな。どけっ、お前ら」
ドレイクはさらに強い風を出し、近付く小人を遠くへ吹き飛ばす。
ダメージの少ない小人がここへ戻るにも多少の時間がかかると見越し、その隙にとドレイクはブローチがあると思われる方へ突っ走った。
もうマーメイルの術は、必要なさそうだ。
「あ、あの……あなたは?」
急な展開に混乱しつつ、マーメイルは青年に尋ねた。
ただ、何から尋ねたらいいのか、何をどう尋ねたらいいのか悩む。なので、質問が大雑把だ。
「死に神です」
青年はマーメイルの質問をどう取ったのか、種族を答えた。名前はさっきドレイクが口にしたからいいだろう、と思ったのだろうか。
「そ、そうなんだ。死に神って、もっとおじいさんばかりかと」
「あなたの知識は偏りすぎです」
「あ、ごめんなさい」
死に神の知り合いはいないので、詳しいことはあまり知らない。
ただ、マーメイルが聞きたいのは、彼の種族のことではないのだ。
「ドレイクとはどういう……」
「幼い頃から一緒にいます。立場としては、悪友ですね」
その話は、ドレイクから聞いた気がする。ドレイクが話していたのは、彼のことだったのだろう。お互い「悪友」と認識しているのだ。
悪魔の友達が死に神なんて、冗談みたいね。死に神だから、悪魔寄りになるんだろうけど。
「あの、ヴェスカさん、でいいんですよね」
「はい」
「ドレイクはなぜ、呪いをかけられてるの?」
「彼は話さなかったのですか?」
その言い方だと、ヴェスカもドレイクの呪いについて知っているっぽい。
「うまくはぐらかされたと言うか、邪魔が入ったと言うか……」
結局、聞きたいことの半分も聞けてないような気がする。邪魔が入ったのはドレイクのせいではないし、後でしっかり聞くのを忘れていた自分も悪いのだが……。
「ドレイクが話さなかったのなら、私もお答えいたしかねます」
やはりヴェスカは知っているのだ。
しかし、マーメイルがヴェスカから聞き出すことは……たぶん、無理。
今会ったばかりだが、ちょっとやそっとでは彼から情報を引き出せそうにない、と感じられるのだ。
ふいにヴェスカは、手を横に振った。
何かと思えば、ドレイクの風に吹き飛ばされずに済んだ黒小人が、マーメイルに襲いかかろうとしていたのだ。黒小人はヴェスカの力で飛ばされ、近くの木に激突する。
「あ、ありがとう」
「私の近くに来たので、身の程を教えたまでです」
ドレイクに言われたからマーメイルを助けたのではない、と言いたいらしい。
だが、小人との距離的に言っても、ヴェスカよりマーメイルの方がずっと近かった。彼が何もしなければ、明らかにマーメイルは腕に噛みつかれていただろう。
まあ、そういうことにしておいてあげましょう。
素直とは言えない死に神の言葉に、マーメイルは心の中で笑った。
一方、ドレイクは走るに従って、自分の力を強く感じ取っていた。力を封印したものは、もうすぐそこだ。
飛ばし切れなかった黒小人は、力を使うのも面倒になって体当たりで飛ばして行く。
やがて、金色に光る物が目に入った。捜していたブローチだ。
そのブローチから、自分の魔力があふれ出しているのがドレイクの目に見える。その近くにいる黒小人の目から、正気が消えていくのも。
「死にたくなかったら、どきやがれっ」
ドレイクはブローチに飛びかかった。
子犬の前脚がブローチに触れた途端、黒い煙が勢いよく吹き出す。
同時に、マーメイルの胸元から出ていた棒のような銀の糸が消えた。
「な、何?」
黒妖犬の子犬が向かった先から突然煙が立ち上り、マーメイルはドレイクに何かあったのでは、と不安にかられた。近くに罠があったりしたのでは、と。
「封印が解けました」
「え、あれで?」
ヴェスカの方を見て、それからまた向き直ると、煙の中にそれまでなかった影が見えた。
小さな子犬でも、もちろん黒小人でもない。煙は見ている間にその影の中へ一気に吸い込まれ、影の持ち主が現れる。
「あれ……誰?」
「さっきまで子犬だった方です」
そんなことはマーメイルもわかっているつもりだが、聞かずにいられなかったのだ。
少しはね気味の肩まである黒い髪に、目尻を彩るように浮かぶ赤い三日月のような紋様。背中に大きな黒い翼を持った、長身の美形。
黒にも見える濃い青の瞳が、こちらへ向けられた。
「よっしゃー、復活!」
軽く伸びをしながらそう言った青年の声は、確かにドレイクのものだ。
封じられていた力をドレイクが全て取り戻したためか、周囲にいる黒小人の目が正気に戻っていく。
「本当に……ピースケなの?」
「ピースケ?」
ドレイクより先に、ヴェスカの方がその名前に反応する。ドレイクは全く気にしていない様子だ。
「ああ、本物だぞ。ったく、足が短いのは本当に面倒だな。一歩が全然違う。やっぱり本来の身体は楽だぜ」
嬉しそうに笑うドレイクに、マーメイルはどきりとなる。まさか、ここまで化けるとは思わなかった。
何なのよ、これ。本当にピースケなの?
かっこいいにも程がある。それに、艶っぽい。男であんなに艶っぽいなんて反則だ。魔女である自分の立場がない。
が、本気で怒る気にもなれない程、本性を現した、いや、取り戻したドレイクは美しかった。
「早く戻りましょう。時間がありません」
「ああ、わかった」
「ちょっと待って。あたしをここに置いて行かないわよね。あたしだけじゃ、森から出られないわ」
「自分の家に糸をつなぐって言ってただろ」
「森を出る前に喰われるって言ったのは、ピースケでしょ」
ブローチがある所まで案内するのが、マーメイルの仕事。
その後は現地解散、みたいなことをドレイクが話していたが、マーメイルはあえてスルーしていた。今、ドレイクにスルーされたら、マーメイルは二度と家に帰れない。
「そうだった。そういう点は物覚えがいいんだな、お前は」
ドレイクはヴェスカの方を見た。
「そういう訳だから、俺はこいつを送ってから帰る。親父にはうまく言って、ごまかしておいてくれ」
「あの方をごまかせると、まさか本気でお考えですか」
「参謀候補だろ。それくらい、何とかしてみろよ」
「相手が悪すぎます」
悪魔の父というのは、そんなにすごい存在なのだろうか。
「どこまで食い下がれるか、いい訓練になるぜ」
ヴェスカは小さくため息をつく。死に神の美しい顔に、憂いの表情が浮かんだ。
「道草せずにお戻りください」
「わかってる。頼むぜ」
ヴェスカの背に、その髪と同じ銀色の翼が広がった。金の瞳がちらりとマーメイルへ向けられたが、特に何も言わずに飛び立つ。
ひゃああ、恨み言の一つも言われるのかと思った。
死に神に劣等感がある訳ではないが、ドレイクに劣らず美形の死に神に見据えられると、それだけで何となく怖い。不気味な顔も怖いが、美しい方がもっと怖いような気がする。
「帰るぞ」
「うん。え……ええっ」
浮遊感があり、気付けばマーメイルはドレイクに抱き上げられていた。黒い翼が、一気にマーメイルを森から空へと連れて行く。
荷物のように肩に担がれるのはいやだが……お姫様だっこなんて恥ずかしい。
マーメイルは、自分の頬が紅潮するのがいやでもわかった。整ったドレイクの顔が、すぐ近くにある。近すぎる。
「森に一番近い村でいいのか」
子犬の時は違和感があった低音ボイスも、今の姿なら見事に合っている。心なしか、さらにいい声になっている気が……。
「うん……」
まさか、こういう形で送ってもらうことになるとは。てっきり、元来た道か近道を通って帰ると思っていたのに。
「ね、ねぇ……呪いが解けたなら、教えてくれてもいいでしょ。どうして呪いをかけられたのか」
知りたかったことではあるが、何も言わないで飛ばれるのも緊張してしまう。とにかく、何か話していないとマーメイルは落ち着かなかった。
「ヴェスカに聞いても、ピースケが話してないなら話せないって言うし。あれ? ピースケが呪いをかけられてることを知ってるのは、かけた相手だけって言ってたわよね。ヴェスカがそれを知ってるってことは……」
マーメイルは深く考えずにヴェスカに尋ね、当たり前のように彼は「答えられない」と断った。
「ああ、あいつの術だ」
あっさりドレイクが認め、マーメイルは目を丸くする。
「幼なじみがかけたってこと? どうしてぇ? 友達なんでしょ。それに、かけた方もかけられた方も、何でもないって顔してるし」
「お互い、納得の上での術だったからな」
何、これ。どういう展開? 確かに、目の前で術をかけられたって話はしていたけど、納得の上って、何なのよ。
マーメイルの頭の中を、疑問符が大量に飛び交う。
「罰ゲームだったんだ」
「はあ~っ?」