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誰も知らない

「きゃっ」

 歩き出してから、まだそんなに時間が経っていない。

 なのに、マーメイルはまた悲鳴を上げる羽目になった。

 持っていた袋を、急にすごい力で持ち上げられたのだ。

 採取した薬草を入れるために、森へ来る時はいつも持っている袋。肩から紐がずり落ちて袋そのものが落ちないよう、マーメイルはいつもたすきがけにしている。

 なので、袋を持ち上げられたらその紐に引っ掛かり、マーメイルの身体も不安定な形で無理矢理持ち上げられることになるのだ。

 荷物を奪われる心配は少ないが、今の場合は己の身を危険にさらしている。高い位置で紐が切れたり、身体が抜けたりしてしまったら……えらいことになる。

 袋そのものは丈夫だが、それは植物の余計な効果で穴があいたりしないようにするため。紐はそこまで丈夫に作っていないのだ。

「な、何なのぉ?」

 もしかしてまた蜘蛛女が現れたのか……と思ったが、違う。

 マーメイルが袋を掴まれている方を見ると、やたらと腕の長い猿が袋を掴んでいたのだ。

 猿は、マーメイルとそんなに変わらないであろう大きさ。茶色の毛並みで、顔つきも普通の獣と変わらない。だが、腕の長さが異常なのだ。

 自分の身体の五倍はありそうな腕は、よく見ると関節が三つもある。その長さのおかげで、木の上からでも地面にあるものを拾えるのだ。

 で、今の場合はマーメイルを拾おうとしている。

「これにあんたのエサになるような物は入ってないわ。早く放してよっ」

 袋に入っているのは、薬草ばかり。キノコも入っているが、それは昨夜手に入れた毒キノコ。いくら魔界の森に棲む猿でも、あれを食べれば無事ではいられないはず。

「袋ではなく、お前がうまそうに見えたんじゃないのか?」

 マーメイルは猿の目的は袋だと思っているのに、ドレイクにそんなことを言われた。猿の顔は肉食のようには見えないが、こんな森にいるのだから……。

 いやな可能性に、マーメイルはぞっとなった。

「冗談じゃないわ。あたしはエサじゃないんだからねっ」

 ゆらゆら揺れながら、マーメイルは必死に抵抗しようとする。だが、痛いくらいに手を伸ばしても、袋を持つ猿の手に届かない。揺れて不安定だし、体勢が悪すぎるのだ。

「そんなのを喰うと、腹をこわすぞ」

 失礼な言葉の後で、猿の顔に火の玉が当たった。驚いた猿は、持っていた袋を離す。

 同時に、マーメイルが地面へ落ちた。マーメイルが揺れて抵抗していたので、まだ高い位置まで持ち上げられていなかったらしい。おかげで、ケガをする程の高さにはならずに済んでいた。

「いったぁ……」

 マーメイルの悲鳴など気にせず、猿は自分に攻撃してきたドレイクへその長い腕を伸ばしてくる。邪魔をしやがって、というところだろう。

 もちろん、そう簡単に捕まるドレイクではない。

 器用に猿の攻撃をよけると、その長い腕を伝って猿の方へと駆け上がって行く。驚いた猿がドレイクを捕まえようとするが、長い腕がかえって(あだ)となり、自分の身体のあちこちに腕が当たった。

 ドレイクは猿の尻の方へ回ると、そこに向けて火を吐く。猿の大きな悲鳴が響き渡った。

 もう袋の強奪どころではない。尻を押さえながら、猿は慌てて逃げて行った。

 猿のいた枝から、ドレイクはくるくると回転しながら着地する。犬なのに、ねこみたいな軽やかさだ。

「まさに、尻に火が点いた状態だな」

「ちょっと、ピースケ。あたしを食べたら腹をこわすって何よ」

 けらけら笑っているドレイクに、マーメイルが文句を言う。

 よく喰われそうになっている弱者が「あたしを食べてもおいしくない」などと言ったりするが、他者から「腹を壊す」と言われては気分が悪い。

「何だ、喰ってほしかったのか?」

「そんな訳ないでしょっ! お尻、打ったじゃない」

「自分で受け身くらいとれ。そんな細かいところまで、いちいち面倒はみられないからな。だいたい、そんなに高い所じゃなかっただろ」

 マーメイルの抗議など、ドレイクはとりつく島もない。

「喰ってほしかったのなら、元に戻った時に俺が喰ってやる。尻がどうこう言うなら、見てやろうか。それくらいなら、今でもできるぞ」

「な、な、何言い出すのよっ、ピースケ」

 びっくりしたマーメイルは、近くの木まで後ずさる。

 いつもはあんまり意識してなかったけど、ピースケって本当は子犬じゃない……わよね。声の低さや話し方を聞いてる限り、きっとあたしより年上だろうし。喰うって、もしかして骨までばりばり食べるって意味じゃなく、別の意味で使った……とか?

 実は子どもではない男性にいきなり驚くようなことを言われ、マーメイルは真っ赤になる。

 その様子を見ていたドレイクは、ぷっと吹き出した。

「それだけ動けるなら、どうってことはないだろ。行くぞ」

 あっさり言われ、置いて行かれるのを見て、からかわれたのだと気付く。

 どきどきしてしまった自分が恥ずかしいし、悔しい。ドレイクと一緒に行動するようになって、何度この感情を味わっただろう。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、ピースケ」

「お前、寝たらそれまでのことを全部忘れるタイプか?」

「な、何がよ」

 ドレイクに追い付き、マーメイルは袋をかけ直しながら足下を歩く子犬を見る。

「俺の名前、ちゃんと言っただろ」

「えっと、ドレイク、でしょ。いきなりでびっくりしたけど、ちゃんと覚えてるわよ」

 痛みで混乱して言ってしまった……訳ではなかったらしい。彼もちゃんと覚えているようだし、やはりちゃんと教えてくれていたのだ。

「目を覚ましてから、一度もその名で呼んでないぞ」

「そう……だった?」

 マーメイルの中で「ピースケ」が定着してしまったので、本当の名前を聞いても口からはどうしても馴染みの名前が出てしまうのだ。

「ドレイクは、いいおうちの坊ちゃんなの?」

「……まぁ、そんなところだ」

「じゃあ、みんな捜してるんじゃない? 侍従とか何とかが」

 残念ながら、こういうことには縁がないのでマーメイルにはわからない。聞いた限りの話では、貴族やら何やらの家では乳母や執事なんて呼ばれる職業の誰かが、彼らのそばにいるものではないのだろうか。

「俺がこうなったことを知っているのは、俺の姿を変えた奴だけだ」

「え? じゃあ、誰もドレイクを捜してくれてないかも知れないの? お坊ちゃんに何かあったら大変じゃない。姿がどうとか以前に、いなくなったことでまず騒ぎになったりしないの?」

「どうかな」

「どうかなって」

 絶対にまずいと思うのだが。

 マーメイルがさらに尋ねようとすると、何かがたてた物音に(さえぎ)られた。

「もうっ。あたしが何か聞こうとしたら、何か出て来る! わざと?」

 質問しようとすると、邪魔をされる。ドレイクが悪魔と知って何か言おうとした時も、黒トカゲが出て来て……何を言おうとしたのか忘れた。

 きっとこの後も、今聞こうとしたことを忘れて別の話になってしまうのだ。

「そういう場所なんだから、仕方ないと思うぞ」

「え……何、あれ?」

 進行方向に現れたのは、形としては鹿だった。

 頭に枝分かれした立派な二本の角があり、首から背中にかけても……同じような角がある。頭の二本を一対と数えるなら、全部で六対ある。

「姿は鹿だけど、大きさだけなら馬以上はあるじゃない」

「そうだな。一体だけなら、まだ楽な方だろ」

 小鬼がわらわらと出て来たことを思えば、一体という数は確かに楽だ。しかし、この大きさを見ていたら「楽」という言葉は絶対に合わない。

「角、ありすぎだわ」

「それはあいつの責任ではないと思うぞ。そういう種族だし、むしろそれが自慢のはずだ」

 種族によって、何が大切かは変わってくる。同族から見れば十二本も角があってすごい、となるのだろうが、マーメイルから見ればひたすら異様なだけだ。

 どうやら、通りすがりではなさそうな雰囲気。姿勢を低くし、こちらに飛びかかる気満々な様子に、マーメイルは動くこともできない。

 ここで動けば、それをきっかけにして襲われる気がする。いや、気がするのではなく、絶対そうなる。

 鹿って草食と思ってたけど、違う場合もあるのかしら。

「それだけ角があると、重いだろ。軽くしてやるよ」

 鹿が地面を蹴るより先に、ドレイクが風を飛ばす。鋭い刃となった風は、一気に鹿の角を落とした。

 背中にあった三対の角が地面に落ちた途端、鹿の金切り声が周囲に響く。あまりの大音量に、マーメイルは思わず耳をふさいだ。

 もう、どいつもこいつも、悲鳴が大きすぎっ。

 角は爪や髪と同じようなものだから、根元を傷付けるなどして余程切り方が悪くなければ血も痛みもないはずだ。それなのに、これだけの悲鳴を上げるということは、角そのものに神経でも通っていたのだろうか。

 耳をふさぎ、しゃがみ込みながらマーメイルがそんなことを考えていると、鹿はその場から走り出した。

 呆然としている間に、完全にその姿も気配も消える。戻って来る様子はない。

「あいつら、角の数で権力争いするからな。一気に減らされて、ショック状態ってところだろ」

 だとしたら、今のは「ひどいっ。なんてことをっ」などと思いながら、泣いて走り去った図、だったのだろうか。

「もし今のが、群れのボスとかだったら?」

「角がまた生えてくるまで、どこかに隠れるしかないだろうな。あの姿を下の奴に見付かったら、すぐにボスの座から陥落(かんらく)だ」

「ちょっとかわいそう」

「俺達を喰おうとした奴だぞ。頭の角を落とさなかったんだから、まだまだ生ぬるいくらいだ」

 や、やっぱり喰われそうだったの? 森の奥って、どれだけ危険なのよ。

 マーメイルが青くなっている間に、ドレイクは地面に落ちた角へと近付く。六本あった角の一本をくわえると、マーメイルの元へ戻って来た。

「鹿の角ってのは、何かの薬になるらしいな。俺は詳しいことはわからないが、そう聞いた」

「うん、色々と。すごく重宝するの。……持って帰れって?」

「全部は持てないだろ。一本くらいなら、その袋にも入るんじゃないか?」

「うん。これだけ太いと、かなりレア素材で……」

 角はマーメイルの腕より太くて長い。身体が大きかったので、角もそれに見合って大きいのだ。そして、結構重い。

 がんばっても袋には半分しか入らないが、それを見たドレイクが風の刃で半分に切ってくれた。

「ものすごいお土産ができちゃった」

 普段入るエリアでは、絶対手に入らない素材。マーメイルが知らない薬も、この角からはできるはずだ。

 今日もいつもと同じ薬草が採れたら十分、と思っていたマーメイルだが、思いがけない収穫である。

 その角に気を取られ、さっき聞きかけていたこともすっかり忘れてしまった。

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