おちびちゃんと魔女の仕事
自分の状況を理解するより一瞬早く、マーメイルの身体は宙へ引き上げられていた。
その直後にスプリングのきいたソファへ放り投げられたような感覚があったが、そのまま身体は動かなくなる。
何かにくっついて、身体を起こすどころか手足がほとんど動かない。まともに動くのは、目と口くらいだ。
「うっそぉ。これって、クモの巣? 大きすぎでしょ」
何とか首を動かして見回すと、ケンタウロスを複数捕らえてもまだ余裕がありそうな、巨大蜘蛛の巣に捕らえられていた。一気に引き上げられたから、かなり高い位置にあるようだ。
そして、この巣の作者がすぐそこにいる。
「あぁら、蛾男でも捕って喰おうかと思ったら、ずいぶんかわいいお嬢ちゃんが捕れたこと。ふふ、若い女の子なんて、久しぶりだわぁ」
マーメイルの三倍はありそうな身体に、若い女の顔が付いた巨大蜘蛛だ。
長く薄い金髪はマーメイルと同じくゆるいウェーブがかかっているが、一緒にしたくない。細い金の瞳は、マーメイルを喰う気満々だ。
獣人……獣のくくりには入らないだろうけど、近いよね。でも、こういうタイプ、あたしは無理っ。
黒く丸々した蜘蛛の身体にその細面は、どこか作り物めいた感じがする。顔が細いと言っても、実際の大きさはマーメイルの顔の二倍近い。
この森にいる種族はだいたい把握しているつもりだが、現地で本物の「会わないに超したことはない」もしくは「会うとまずい」種族に出会うのは初めてだ。
この種族は巣に捕らえた物はほぼ例外なく喰う、と本に出ていた気がする。好き嫌いがないなんて、捕まった方にすれば最悪の情報だ。
マーメイルは慌てて逃げようと動くが、巣の粘着性がそれを許してくれない。
「うー……と、取れない……」
「んふ、逃げようとしても無駄よ。あなたはもう、私に喰われる運命なの」
「いやよっ。そんな運命、受け入れないわっ」
マーメイルが叫んでも、巨大な蜘蛛女は笑うだけ。
声が高く、恐怖と同時にいらっとする。喰う喰われるの関係でなくても、絶対友達になりたくないタイプだ。
「そいつを離せ」
冷静な声がして、蜘蛛女は驚いて振り返る。
「ピースケ……」
え……どうして?
どうやってか、ピースケが巣まで上がって来ていた。しかも、なぜか巣のべたべたに脚を取られることなく、普通に歩いている。
「あら、かわいい。本当、食べちゃいたいくらいだわ」
別の状況なら冗談で通るセリフも、今は笑える要素ゼロだ。
この蜘蛛女なら、ピースケを頭からかぶりつけるだろう。いや、一飲みだ。それだけサイズの差がとんでもない。確かに「かわいく」見えるだろう。
「そいつはまだ仕事中だ。喰うなら、それが完了してからにしろ」
ちょっとぉっ。後でなら、あたしは喰われてもいいってことっ?
「まぁ。お仕事なんて、おちびちゃんが固いこと言って。それなら、私のお仕事は……あなた達を喰うことかしらっ」
そう言うと、猛スピードで蜘蛛女がピースケに襲いかかる。
「ピースケ!」
次の瞬間、蜘蛛女の脚に捕らえられたピースケが……いない。
てっきり捕まったかと思ったのに、現実ではピースケは軽々と蜘蛛女の身体を踏み台にして飛び跳ねていた。
やはり、巣のべたべたに脚を取られることもなく。何かしらの魔法を使っているようには見えないのに。肉球に秘密でもあるのだろうか。
「この……お待ちなさいっ。さっさと私に喰われるのよ」
「やなこった。そうなったら、どれだけの女が泣くかわからないぜ」
へー、ピースケってそんなにモテるんだぁ。そう言えば、さっき大勢の魔女と会ったことがある、みたいな話をしてたもんねぇ。元の姿の時は、酒池肉林とか? いいご身分よねぇ。
そんな場合ではないが、マーメイルのピースケを見る目が冷たくなる。
「そういう訳だから、泣くのはお前だけにしてもらうぞ」
「私を泣かせるって? 面白い冗談ねぇ、おちびちゃん。あなたに私を泣かせられるのかしら」
「……二度もおちびちゃんと言ったな」
「あらぁ、どこか間違っているかしら? おちびちゃんにおちびちゃんと言って。どう見ても、おちびちゃんは小さくてかわいいわよ。私、あなたみたいなおちびちゃん、好きよ。小食にちょうどよくて」
蜘蛛女がわざと「おちびちゃん」と繰り返す。マーメイルは、その時のピースケをちらりと見た。
あ……今、何となくピースケがキレたような気がする。確かに小さいけど、それは「今」だけであって、連呼しない方がいいんじゃないかなぁ。
マーメイルがそう思っている間にも、蜘蛛女は続ける。
「おちびちゃんは小さくて軽いから、糸にはあまりくっつかないかも知れないけれど、調子にのらない方がよくてよ。そのうちおちびちゃんも動けなくなるわ。私の糸は強力だから、おちびちゃんやそのお嬢ちゃんくらいの力では取れないわよ」
「その前に、お前の口を動かなくしてやる」
ピースケの小さな口から、火の玉が吐き出された。その口に見合ったサイズの火の玉は、進むにつれてピースケの身体より大きくなる。巣に触れると、一気に燃え広がった。
それを見た蜘蛛女が、金切り声をあげる。
「いやああっ。私の巣が!」
叫んだのは、蜘蛛女だけではない。マーメイルも、動けないなりにじたばたしながら大声を出した。
「ちょっと、ピースケ! あたしの所にまで火が来るじゃない」
火は糸を伝い、ものすごい勢いで広がりつつある。糸が燃えやすい素材なのか、ピースケの力がすごいのか。マーメイルのいる所へも、容赦なく火の手が伸びていた。
「魔女なら、自力でどうにかしろよな」
「ムチャ言わないでよっ。動けないのに、自力でどうにかできるはずないでしょ。火をつけたのはピースケなんだから、ちゃんと責任取ってよねっ」
動けても、マーメイルにこの事態を対処できるかどうか……。
「ったく、世話の焼ける奴……」
そう言いながら、ピースケがマーメイルの方を見る。
途端に、風が見えない刃となってマーメイルの周囲を切った。蜘蛛の巣からマーメイルだけが切り抜かれた形だ。
しかし、支える物が何もないため、マーメイルはそのまま地面へと落下する。
マーメイルは蜘蛛女に負けず、大きな悲鳴を上げた。周囲が切られただけで身体が自由になった訳ではないので、マーメイルは受け身すら取れない。
取れたところで、巣はかなり高所にあったので、マーメイルの運動能力くらいでは役に立たないだろう。
いくら魔女でも、頭がつぶれたら生きてられないわよぉ。
そう思ったが、いつまで経ってもマーメイルが地面に叩き付けられることはなかった。
「え……あれ?」
不思議に思って見回すと、近くの木からツルが伸び、それが彼女の身体を受け止めていたのだ。
「助かったぁ……」
マーメイルは一気に脱力する。あのままなら、絶対に重傷だ。いや、もっとひどいかも。両親や兄弟姉妹に居場所を知られることなく、こんな森の中で死ぬのかと思った。
「あ、ピースケは」
マーメイルの耳に、ひときわ大きな悲鳴が聞こえた。
振り仰ぐと、さっきの蜘蛛女が炎に包まれている。
逃げなかったのか、逃げられなかったのか、どっちかしら。んー……たぶん、ピースケを怒らせたから、逃がしてもらえなかったんだろうなぁ。あれだけ「おちびちゃん」を繰り返したから。それにしても、ピースケって本当に魔力が高いのね。
やがて、焼けた巣とともに、蜘蛛女が地面へ落下する。マーメイルのそばへ落ちたが、その時には蜘蛛の身体がほぼ炭になっていたので、何の被害もなかった。
「お前、森へ入るなら、ああいう奴らの対処法ってのも知っているんじゃないのか」
軽い着地音とともに、ピースケがそばへ降りて来た。
「いつもはこんな奥まで入らないもん。どんな種族がいるかは知っていても、どうすれば逃げられるかまでは……」
対処法がわからないので、蜘蛛の巣からは助けてもらえても、マーメイルはいまだに蜘蛛の糸に絡まれて身動きできない状態だ。
「よくそれで、俺の失せ物探しをしてやる、なんて言ったな。お前が向かっていた方角は、さらに森の奥へ入ることになるんだぞ」
「え、そうなの? 方向については、あんまり考えてなかったけど」
糸が伸びる方をたどれば、ピースケの失せ物が見付かる。
単純なマーメイルは、それしか考えてなかった。
「お前、もうちょっと考えて行動しろよな。俺がお前を利用するだけして、後は放っておいたら帰れないんじゃないのか」
「そうなったら、同じ術で自分の家に糸をつなぐわ。そうすれば森の外へ」
「それまでに、今みたいな奴らに喰われるぞ。お前なら、ほぼ確実に」
「あ……」
ただ、糸を見ていればいい、という訳にはいかない。糸をたどって、移動しなければならないのだ。
あきれながら、ピースケはまだマーメイルの身体に付いているねばねばの糸を焼き切ってくれた。ようやく身体が自由になる。もちろん、火傷などはない。
「それは……ピースケ、さっき言ってたじゃない。あたしの仕事はまだ完了してないって。これが仕事なら、最後まで見届けなきゃ」
ピースケは現地解散した時の話をしたつもりだが、マーメイルはスルーしようとして微妙に話をすり替えている。
「とにかく、ピースケのブローチが見付かるまでは、あたしの存在は絶対に必要でしょ。さ、出発しましょ」
今更「ここから戻れ」と言われても、マーメイルだって困るのだ。失せ物を見付けた後、ピースケに森の外へ連れて行ってもらわなければ。
そうするためにも、まずは失せ物がある場所まで一緒に行くことが前提となる。とにかく、余計なことは考えない。
「ねぇ。どうしてピースケは、さっき巣の上を普通に歩けたの? あんなねばねばなのに」
ふとさっきのことを思い出して、ピースケに尋ねてみる。
「ねばねばしているのは、横の糸だけだ。縦糸に粘着性はない。蜘蛛自身だって、自分の巣に脚を取られていたら獲物にありつけないだろ」
「そっか。へー、ピースケって物知り。それに、強いのね。……あれ? ねぇ、魔力を封じられてるんじゃなかったの? さっき、攻撃してたわよね。よく考えたら、この糸もピースケの魔力を反映している訳で……」
当たり前のように、ピースケが出した火の玉を見ていた。だが、本当は「どうして火が出せるの?」と思わなければいけないのだ。
術で見える糸の件についても、気付くのが遅いマーメイルである。
「全てじゃない。最小限に攻撃できる程度には、魔力も残ってる」
さっきの火の玉を思い出す限り、とても「最小限」には思えなかった。あれが最小限なら、本来使える力はどれだけのものなのだろう。この小さな身体には、どれだけの魔力が詰まっているのか。いや、小さくされる前の身体には……。
ピースケが自分のことを話さないのは、その辺りに理由があるのかも知れない。