クラスメイトのシャーロットさんは日本生まれ日本育ちなので、「I LOVE YOU」が通じない
長い金髪をなびかせながら、彼女は隣の席に着く。
「おはよう」と俺・押見和文が挨拶をすると、彼女は青い瞳をこちらに向けながらこう返してきた。
「ハロー」
おおよそ日本人離れした容姿の彼女だから、寧ろ「ハロー」という挨拶はしっくりくるもので。しかし彼女・シャーロットのことをよく知っている俺からしたら、逆に違和感しかない挨拶だった。
「ブフッ」
つい吹き出してしまうと、シャーロットは俺を睨み付けてくる。
「何で笑うのよ?」
「だって、お前が「ハロー」って。……あと正しくは、「ハロー」じゃなくて「Hello」な」
「細かな発音の違いなんて、どうでも良いでしょ!」
「良くないぞ、帰国子女」
そう言うと、シャーロットは押し黙る。
彼女は海外で十数年間過ごしてきた帰国子女ということになっているので、俺の指摘に反論が出来る筈もないのだ。
まぁ、海外で過ごしたことも帰国子女であること事実じゃないんだけど。
ほとんどのクラスメイトが勘違いしているのだが、実際のところシャーロットは帰国子女ではない。
よくその見た目ゆえに勘違いされるが、彼女はハーフというだけで、根っからの日本人だ。
それでは、どうしてシャーロットは皆に帰国子女だと勘違いされているのか? それはもう、自業自得としか言いようがない。
シャーロットが転校してきた直後のことなった。「どこから来たの?」という質問に、彼女は「寒いところから」と答えた。
具体的な地名を言わなかった為、クラスメイトたちは「シャーロットはカナダやアラスカから来たのだろう」と勘違いした。実際は、東北である。
俺が「シャーロットは日本育ちだ」という事実を知ったのは、彼女が東北弁で電話しているところを偶然目撃してしまったからだ。
「んだんだ」とか、帰国子女が言わないだろ、普通。
勘違いは、やがて嘘に変わる。
「シャーロットさんって、帰国子女なんだよね? 英語話せるんだ、カッコ良いー!」と持て囃されたシャーロットは、調子に乗って「まぁ?」と鼻を高くする。
その嘘は、とうとう弁明することの出来ないくらい大きく膨れ上がってしまい……結果シャーロットは、ろくに英語を話せないくせに、今なお帰国子女を演じざるを得なくなってしまったのだ。
「ったく。素直に「ごめんなさい。英語喋れないんです」と謝れば済む話じゃねーか」
「それは嫌。私のロッキー山脈より高いプライドが許さないわ」
そんなところでアメリカ人ですよアピールしてくんじゃねーよ。生粋の日本人なのだから、そこは富士山にしとけ。
「それに」。シャーロットはニンマリとした笑みを、俺に向ける。
「他ならぬあなたが、私をサポートしてくれるんでしょう?」
「……わかってるよ」
シャーロットは周囲の期待に応えるべく、帰国子女を演じている。俺はそれを、陰ながらサポートしていた。
なぜそんなことをしているのかって? 理由は簡単だ。惚れた弱みである。
◇
シャーロットが転校してきた日のことを、俺は鮮明に覚えている。
「シャーロットです。これからよろしくお願いします」
どこか言いにくそうにしていたのは、今にして思えば訛りが抜けきっていなかったからなのだろう。決して日本語に不慣れだったというわけではない。
担任に促され、シャーロットは俺の隣の席まで移動する。
座る直前、俺の目を見ながら一言、
「これから、よろしくね」
そんな風に笑いかけられたら、一目惚れしないわけがないだろう。
この胸の高鳴りは、美少女に話しかけられたせいだ。だから気の迷いなのだ。
しかしそんな俺の予想を否定するかのように、翌日もそのまま翌日もシャーロットを前にした俺は緊張しっぱなしなのだった。
二週間後。
……認めよう。俺はシャーロットが好きなのだ。彼女と付き合いたいと思っているのだ。
自覚した俺は、意を決して告白しようとしていた。
放課後、ふと教室を覗くと、中にはシャーロットだけしかいなかった。
告白するには、絶好の機会である。
そう考えた俺は、彼女に「好きだ」と伝えるべく一歩前に踏み出す……のは少し待って。一応、告白の練習をしておくか。
「えーと、「好きです」。……いや、違うな。シャーロットは帰国子女だから、ここは英語で「I love you」って言うべきか」
一頻り練習をして、今度こそ教室に入ろうと思ったその時……俺は聞いてしまったのだ。
「……んだんだ。そっちはまだ寒いべ? 体に気をつけてな」
……ん?
聞き違いだろうか? おおよそ帰国子女が言わないだろうセリフが、今聞こえたような……?
あれは英語じゃない。日本語だ。
ネイティブじゃない。訛りだ。
つまり……
「シャーロット、お前……帰国子女じゃなかったのか!?」
「!?」
俺は思わず姿を現して、叫んでしまった。
シャーロットは「しまった」と言わんばかりの表情をする。
「押見くん……どうしてここに? いや、そんなことよりも。今のを聞いていたの?」
「……偶然な」
告白しようと思っていたなどと、言える状況じゃなかった。
「そう……。聞かれちゃったのなら、仕方ないわ」
そう言って目を伏せたかと思うと、シャーロットは突然俺の胸ぐらを掴んできた。
「おい、シャーロット!? 何するんだよ!?」
「ここで見聞きした事は、他言無用よ。良いわね」
お願いではなく、最早脅迫だった。
「何で誰にも話しちゃいけないんだ?」
「私は英語ペラペラの帰国子女ってことになっているの。そうやってチヤホヤされたいの」
正直、くだらない意地だと思った。だけどシャーロットは、そのくだらない意地を真剣に張っている。
そんな彼女を瞳に、俺は吸い寄せられてしまって。
俺は大きく一度、溜息を吐く。
やっぱりこの感情は、勘違いでも気の迷いでもなさそうだ。
そして彼女が帰国子女だから、惚れたわけでもない。彼女がシャーロットだから、惚れたのだ。
こうして俺はシャーロットの秘密を共有し、その秘密を守る為にサポートすることになったのだ。
◇
二学期に入ると、高校生活の一大イベント・学園祭が近づいてくる。
学園祭では各クラスがそれぞれ催し物をする。学級会での話し合いの結果、俺たちのクラスは劇をやることになった。
舞台は現代の日本。
昭和時代のアメリカからタイムスリップしてきた少女が、令和の日本で生活する少年に恋をするというストーリーだ。
主人公である少女は、時代や文化、言語の違いに苦労しながらも、それでも愛を貫いていく。……といった設定らしい。
主役は言うまでもなく、シャーロットだ。寧ろシャーロットがいるからこそ、この脚本が書かれたとも言える。
そして主役に抜擢されたシャーロットはというと……冷や汗ダラダラだった。
それもそうだろう。彼女は東北弁こそペラペラでも、英語はほとんど喋れないのだから。
因みに少女と恋に落ちる少年役には、俺が選ばれた。
これはシャーロットの推薦だ。「彼は日本語がペラペラだから」などという当たり前の理由を口にしていたが、本音は自分がボロを出さないようにサポートしろということだろう。
別に、構わないけど。
練習期間はあっという間に過ぎ去り、やってきた学園祭当日。
「目立つのは慣れているけれど、劇となるとやっぱり緊張するわね」
言いながら、シャーロットは深呼吸をする。
「緊張しているなら、手のひらに「人」って字を書いたらどうだ? ……あっ、お前の場合「human」か」
「何よ、それ? バカじゃないの」
俺の冗談に、シャーロットは笑って返す。……多少は緊張もほぐれたようだ。
シャーロットは英語を話せない。だけど、話せないからと努力しないわけじゃない。
台本に書かれている英語くらいなら、昨日の予行練習でもスラスラ話せていたし、そんなに心配しなくても大丈夫だろう。
劇が開演した。
観衆の前でも一切物怖じせず、シャーロットは堂々と演技を続ける。皮肉なことに、英語は苦手でも演じるのは得意なのだ。
大盛り上がりで物語は佳境に入り、そしてやって来たラストシーン。
一番の見せ場で……事故は起こった。
シャーロットが、英語の発音を間違えてしまったのだ。
これだけ大勢の観衆がいるんだ。少なくとも半分くらいは、彼女の間違いに気付いただろう。
そしてその間違いは、帰国子女ならばまず間違えないものだった。
『ザワザワ』
観衆たちが騒つく。
そんな状態になって、シャーロットはようやく自分のミスに気が付いた。
どうしよう。シャーロットの目が、俺にそう訴えかける。
これまで皆に嘘をついてきた自分が悪いんだろう? 自業自得だ。
……なんて、切り捨てられるわけないよな。
彼女は帰国子女じゃない。でも英語が喋れないなりに、努力している。
その努力は、きちんと評価されるべきだ。
台本にはないのだけど、俺は次の自分のセリフを英語に訳した。
そして、わざと発音を間違えた。……シャーロットの間違えたのと、同じ単語を。
結果クラスメイトたちはそれをアドリブだと考えて、観衆たちも演出の一部だと錯覚した。
結果帰国子女だというシャーロットの嘘は見抜かれることなく、劇はハッピーエンドを迎えたのだった。
劇が終わるやいなや、俺は舞台裏でシャーロットに呼び止められる。
「ねぇ、押見くん。今日はその……ありがとう」
シャーロットが素直にお礼を言うなんて、珍しいこともあるものだ。
「気にするな。お前を助けるのは、俺の役目だ」
「一つ聞きたいんだけど……どうして私を、助けてくれるの?」
「それは……脅されたから」
「脅されたって、見捨てることも出来たじゃない」
確かに。
脅されたからなんて、口実に過ぎないな。本当の理由は、別にある。
「シャーロット。……I love you」
「……私は日本人だから、英語じゃわからない」
わからないって……日本人でも、「I love you」くらいわかるだろう?
しかしシャーロットがわからないと言うならば、それまでだ。どんな言葉も、伝わらなければ意味がない。
俺は日本人らしく、もう一度彼女に告白するのだった。
「月が綺麗ですね」