5話
これから後書きには、設定だけ作って本編で説明しなさそうなことをたまに書くと思うので、興味ある人は気にかけていただけると幸いです。
剣を引き抜き、構える。
その一連の動作の、なんと滑らかで美しいことか。長年積み重ねてきた所作には、時に感動して咽び泣きたくなる衝動を覚える。
今は別の意味で泣きたいが。
「…待ってくれ魔王、ユイもだ。僕たちは戦いに来たんじゃない、まずは話を聞こう。」
冒険者は冒険に出た時点ですでに覚悟を済ませている。これはあまりにも規格外ではあるが、予想の範疇には収まっている。
魔王の顔が強張る。構えた剣に力を加え、美麗な剣身が震える。
話し合う気などない、言外にそう聞こえた。
「ヤシラは戦力外です。二人で討伐します。」
「馬鹿っ、討伐してみろ。魔族との条約はどうなる!?」
「では、三人で死にましょう。…ああ、その後にカイも殺されるから四人ですね。」
魔王から目を外すことなく背中越しにつらつらと語るユイの声に感情は含まれておらず、冒険者として、魔術師としての彼女からの言葉であると遅まきに理解した。
疲れていたため気を抜きすぎていたのか。…考えたくもないが、魔術臓器のコンディションが関係しているのか。
「話し合いは十分ですかな?そちらの国との条約ゆえ、あなた方を皆殺しする無礼をお許しを。」
「とんだ無礼だな…ああ、くそっ。こんなことなら早めにメンテナンスしておけばよかったよ!」
魔王の剣先が煌めく。
おそらく魔術など使っていない、ただ魔力で体を強化しただけの刺突一閃。
それなのに、僕自身に死の恐怖を体に刻み込むには十分すぎるほどの威力を内包していた。
しかし、僕たちは抗うすべを持たない猿ではない。
僕たちは、運命を捻じ曲げる冒険者である。
立ち上がった瞬間にはすでに僕の魔術は起動準備に入っていた。
両の手を打ち付け、パンッ、と快活な音を鳴らし、そして唱える。
「黒闇天!」
刹那にして現れたドーム状をした青白い壁が僕とユイを包む。
それには母のような包容力はなくとも、魔王の一閃を退けるには十分な代物であった。
「ほぅ、運命操作の類の魔術かね!完成系とやるのは初めてだ!」
感心したように、歓喜したように、愉悦を感じるように魔王は叫ぶ。心底うれしいのだろう、精悍な顔立ちが狂気に歪む。
しかしその余裕を赦すほど戦闘モードのユイは優しくない。
いつの間にドームから飛び出していたのか、魔王の死角から彼女が最も得意とする攻撃で襲い掛かる。
「ハアアアッ!」
彼女の持つ莫大な魔力を右腕に集中させ、光を超える速度で振り下ろす斬撃。
ユイが踏み込んだ地面は数十センチは抉れており、まるで怪物の足跡のようだ。
「威力と速度は十分。しかし経験不足。」
死角からの攻撃を警戒していたのか、見るも止まらぬ速度で右腕が煌めく。
腹の底に響くほどの激しい金属音。互いに弾き合った剣先は空中を仰ぎ___
「そうかしら?」
いつからか、ユイの剣を持っていない左手の人差し指がターゲットをロックオンするように、魔王を向いていた。
魔王は尚も…いや、さらにその顔に狂喜を深め笑う、笑う、笑う。
彼女が得意とする初見殺しにして最大の技。
弾かれる前提のマックスパワーの大振り、そして隙を見せぬ二段構えの魔術砲撃である。
「 Burst!」
指向性に特化した彼女の魔術が、魔王に到達し爆ぜる。
そして世界は瞬く間に紅に塗り替わる。
次いで、ユイの体が一際紅く光り自身に付与していた魔力強化が一瞬途切れる。膨大な魔力を使用したため体を循環していた魔力の供給が途切れたからだ。
パンッ!
1秒、時間にしてその程度の隙しか彼女にはなかったはずだ。しかしその時間で、その四肢は微かに血に濡れていた。一筋滴る血は柔肌を汚し、纏う衣服もろとも微かに切れ込みが入っていた。
無防備な体制でモロに爆撃を喰らったかに思えた魔王が、剣戟を終えた体制をしている。
「…青年、今のをカバーするのか。」
僕は彼女の攻撃が終わった瞬間、すでに掌を叩き詠唱していた。運命を固定しても咄嗟の強度ではカバーしきれなかった事実に背筋が凍る。
魔術を行使しなかったら、間違いなくユイの四肢は落とされていただろう。
やはり魔王は魔術を使った形跡はなく、それ故に反応が遅れてしまった。
「そうか…その歳で戦士なのか、君たちは。非礼を詫び、対応を改めるとしよう。貴様らは勇者率いる戦士隊で間違いないな?」
脅威、と認められたのだろうか。
先ほど言葉の節々から感じた侮りの気配は鳴りを潜め、微かな敬意すら感じられた。
僕とユイは距離を取り、彼の間合いの外に出る。
「違うね、僕が勇者を率いる戦隊だ。」
適当に返答し、呼吸を整える。
運命操作はかなりの魔力を喰らうが、世界に目をつけられる程ではない。この調子ならメンテナンスなしであと数回は魔術を使えるはずだ。
しかし、横目で見たユイは少し血の気が引いていた。いくら死地を潜り抜けようと、死の恐怖から逃れることは出来ない。
「ユイ、まだ動けるか。」
「馬鹿にしないで!カイにあんな啖呵切って、簡単に負けるわけないでしょ…!」
気合い十分と、ユイの体からは再び紅い魔力が迸る。嵐のように激しい魔力の奔流は不定形に飛び散り、焦がすような気迫を感じる。
「いやはや、荷台にも勇者がいなかったものでね。率いているんじゃないのかね?」
隻腕で剣を左から右へと振り払う。
癖なのだろうか、それは剣についた血を落とす動作に酷使していた。剣と、死闘と向き合った膨大な時間がそこにはあった。
「…魔王様は随分とせっかちなんだな。演劇は幕が閉じるまで見ないのか?」
「見るに値する劇だったのなら最後まで見よう。しかし金は払っても時間まで払う相手かは見定めるものだ、覚えておくといい。」
未だ余裕の態度を崩さない彼は、軍服についた埃を振り払う。その洗練された立ち居振る舞いは貴族を想わせる。
そこで、ふと一つの疑問が生じる。
通常魔族は皮膚が青紫に染まっている。また、体の外には外付けの魔術臓器である何かしらの特徴(例を挙げるならツノやシッポ)があるはずだ。
しかし魔王を自称するやたらゴツい老人は、体型こそ常人のそれとは若干のかけ離れているが、筋肉質の一言で説明出来る程度。なんなら皮膚も僕たち人間と同じ肌色をしている。
「あんた、本当に魔王か?あまり魔族には見えないが。」
年相応に深くシワの刻まれた目を見開き、好々爺のような口ぶりで話した。
「いいや、私は歴とした人間だよ。ただ、魔王と呼ばれているだけの、ね。」
【 魔族 】
魔族と呼ばれる種族は霊長に分類されていない。人間が生存に特化した生命体なら、魔族は魔術に特化した生命体である。
筋肉繊維を魔術式で編んでいるためデザインこそ人型だが、中身は複数の魔術によって自己保管し合う半永久機関である。
また皮膚が青紫に見える理由は、人間が魔術式を可視化することが不可能なため「魔術に最も近い色」で認識しているからである。本来の色はたとえ魔術師だとしても容易には見れない。
基本的に魔術式に意思は生じないはずだが、相互補完の制御には意思が必要だと魔術式が判断し作り出した仮初の人格こそが魔族の正体である。その為本能に従順なことが特徴の一つとして挙げられる。