竹内街道を二上山から
それからまた国道166号線を歩いて行った。
このあたりでは竹内街道は、山の間を走る、ただの国道だった。
途中、右側の歩道に沿って高い場所を歩けるようになっていて、やっと現れた「ちょっと変わったもの」に興味をひかれ、何だろうと上っていってみた。右手(南)には奥に箱ケ原林道なる道が続いていた。林道からは万葉の森の施設のあたりに戻る道や、小野妹子の墓近くの科長神社方面に行ける道とつながっているようだった。
そのまま166号線に戻る下りの道には、「開削碑」や「鶯の関趾」と書かれた碑があった。
ここが元々の竹内街道で、その横に166号線が開削されたのだって。元はもっと急な峠だったけれど、その横に道を深く掘って166号線が通されたんだな。
奈良と大阪の県境で、かつては「鶯の関」とも呼ばれたらしい。ここからは奈良県葛城郡竹内。ということはここが竹内峠かな。
記紀に記載されている、「推古天皇の時、官道をひらいた」とされる道が今の竹内街道だという説が本当なら、戻ってきた遣唐使などもここを通って飛鳥に向かっていたのかな。本当かな? 山越えするし、遠すぎる。
石川沿いにあって低地の近つ飛鳥で十分じゃないかなあ、と思った。帰ってきた遣唐使や渡来客に会う時には、近つ飛鳥あたりにしておいて、一部の人だけが特別に遠つ飛鳥に招かれて行ったのじゃないかなあ。
しばらく行くと、左手に「竹内街道入口」の案内が現れた。右手には「竹内街道(階段)」。
右手には階段があって、下の道に降りていけるようになっていた。左手はスロープで、ここも同じ道につながっていた。166号線の下に旧道があって、この先はこの道を進んでいくみたい。
166号線は緩やかに下るけれど、元々の竹内街道は峠を越えた後、ここで一気に坂を下ったんだな。
下の道に下りると、谷あいの田舎道という感じだった。川沿いの道で、素敵なところもあった。道が舗装されているのが雰囲気にそぐわなかったけれど、かつては素敵な山道だったのだろうな。
途中、何度か道が分岐したけれど、左の道を選ぶと、166号線から離れずに進んでいけて、ここが竹内街道。
下りの道がけっこう続いた。途中に竹内街道の案内は見当たらなくて、知らないと、ただの山の中の道にしか思えないだろう。
山桜が咲いていた。向こうの山の白いおぼろな花も山桜だろうな。
右手に池(上池)が現れて、そのまま進むと、166号線に合流した。車の通りが多いのに歩道は狭かった。岩角地蔵とあるお地蔵が石の祠の中にいた。
166号線が大きくカーブを描くところで道が分かれて、カラー舗装された道が現れた。カラー舗装の道に入って行くと、竹内の集落だった。
道がカーブを描くのは左手に山があるからで、その山に向かい合う右手に竹内の集落があった。山には少し高い位置に神社が見えた。
竹内の集落から上れる参道の階段があったけれど、今や間を166号線が通り、しかもちょうどカーブしていて見通しは悪く、横断歩道はない。
菅原神社かな? 竹内で出会ったおじいさんは「お宮さん」と呼んでいた。参る人なんているんだろうか? 166号線を直に渡るのは危険極まりないし、その先の階段もすごく急だし、壊れかけのところもあった。竹内の集落は老人が多いみたいだし、こんなところ危なっかしくて、遠くから遥拝するだけにしておいたほうがいい。
わたしたちは166号線を横切って階段を上って行ってみた。征露記念碑なんかがあるところからして古そうだった。鳥居なども元々は赤かったと思われるのだけれど、すっかり色が落ちてしまっていた。拝殿の向こうに社務所っぽい建物や拝遥所があるという初めてのパターン。なんらかの理由で本来の境内が狭くなってしまって、いろいろなものを拝殿の中におさめちゃったのかな。
竹内の集落に入ると、まだ道は下っていった。そこに、さすがに古い大きなおうちが建ち並んでいた。細かい格子の家が多いように思った。
茅葺きの家も普通にあった。孝徳天皇陵近くで見た山本家住宅と同じ様式のようだったから、茅葺き大和棟っていうやつかな? 他にも同じような姿ではあるのだけれど、茅があるべきところにブリキ様のものが張られているおうちもあった。珍しい名前の表札もあって、阿古さんが目にとまった。
排水溝で水がざあざあいっていて、急な坂を排水も急流になって流れていっているのだろうな。マンホールの蓋には「たいま」とあって、描かれているのは、牡丹の花と當麻寺かな?
街道沿いを外れても、古い古い家はいっぱいあると見えて、けれど寄り道はせずに、カラー舗装された道だけを歩いていった。古いものを見て歩くと、きりがなさそうだったから。
ただ、左側の細い道に「瓦堂池・當麻寺」と案内が出ているところには入っていってみた。道を下った向こうの方(北)に竹林と車道が見えていた。竹林の向こうに池と、もっとずっと向こうに姿は見えなかったけれど、當麻寺があるようだった。
そして後で知ったことには、どうやらこの竹林のあたりが「史跡の丘」だったらしかった。「史跡の丘」というネーミングで整備された、竹内古墳群だったみたい。
キトラ山という山(二上山の一部)を中心にした、5世紀末から6世紀末にかけての古墳群だって。1つの前方後円墳と、あとはほぼ円墳からなっている。
キトラ山では弥生式土器も見つかっているらしい。瓦堂池という名前がどんな由来で名付けられたか気になったけれど、それは分からなかった。
街道に戻って、続きの道を下っていった。右手に法善寺が見えた。
それから「芭蕉の綿弓塚」なるところ。松尾芭蕉がこの地を訪れ、句を詠んだことがあるらしい。竹内には芭蕉の門人が住んでいて、一緒に當麻寺に参ったりもしたのだって。芭蕉の死後110年余り経って、それを記念してつくられた塚らしかった。
普通の旧家だったと思われるところにあり、井戸なんかも残しつつ、そこに公衆トイレなどを設置、建物も開放されて、ゆっくり休憩できるようになっていた。素敵なところなのに全く混んでいない。竹内地区の名所の案内板もあって、それによると近くには鍋塚古墳(竹内古墳群の古墳の1つ)があって、地元ではナガスネヒコの墓と言い伝えられているらしかった。
古墳時代中期初頭(5世紀初め)頃の円墳だそうで、ナガスネヒコの墓ではありえないし、交通の要所だった竹内峠を掌握した豪族の墓だと考えられているそうだ。竹内には当時、物流倉庫もあったとみられるのだって。
万歳山城についても触れられていた。交通の要所とあって、山城もあったんだな。
少し休憩したあと、街道の続きを歩いた。
地蔵がいて、「右 大峯山 はせ寺」とあった。信号を渡って、まだ道は下っていく。ここは竹内の集落の外れって感じだった。振り返ると山々の連なりが見えた。
竹内の集落の旧家の表札にいくつかあった阿古さんの会社があって、阿古某さんの後援会のポスターも貼られていた。よく見るパターンだな。地方でよく見る名前、その名のついた会社、その名の書かれた政治家のポスター。
新しい道標が現れて、長尾街道との交差点のようだった。もうすぐ長尾神社で竹内街道と長尾街道は一緒にゴールするけれど、その前にここで交差するんだな。
しばらくすると右手に森が現れて、そこに入っていく小道も見えた。つき当たりまで行くと、右手に鳥居。長尾神社と、その神域の森だった。鳥居の下には、狛犬ではなくカエルがいた。
東を向いて建つ拝殿に向かって参道があり、振り返ると後ろ(東)にも参道は続いていて、ずっと遠くに赤い鳥居が見えた。そのもっと先には大和高田の竜王社があって、長尾神社と竜王社は向かい合って建っているのだって。また、長尾神社が竜の尾で、三輪明神が竜の頭だというふうにも言われているそうだ。
初耳のことばかりで、「竜王社」とか「三輪明神」(大神神社のことかな?)とかよく分からなかった。
他にも説明によると、長尾神社は交通の要所にあって、竹内街道、長尾街道の他、伊勢街道(伊勢神宮は長尾神社の真東にあるらしい)、長谷街道、吉野や壺阪への道、初瀬街道(横大路)にも通じているとか、なんとか。
伊勢街道、長谷街道はどちらも途中までは横大路と同じ道で、横大路から更に東に続くのが初瀬街道みたい。
壬申の乱で勝った天武天皇が、勝利を感謝して、葛下郡を長尾神社に献じたといわれているそうだ。
壬申の乱は天智天皇亡き後、その息子と弟が争った内乱ね。
大化の改新を行った中大兄皇子は即位して天智天皇になった。その死後、息子の大友皇子が即位するはずが、天智天皇の弟の大海人皇子が挙兵。後の天武天皇、妻はウノノサララ(後の持統天皇)という人ね。
戦いのある日、高安城(山城)から大海人皇子軍が西を見やれば、大津道、丹比道をやってくる大友皇子の軍勢が見えたのだって。それぞれ今の長尾街道、竹内街道だろうとされている。
壬申の乱の後、勝った天武天皇が長尾神社に葛下郡を与えたということは、このあたりに元々いた有力者は大友皇子側についていたのかな? それで大海人皇子が勝利してこの土地は大海人皇子のものになり、自分に味方していた長尾氏に与えた、とかかなあ??
長尾神社は元は長尾氏の氏神だったともいわれているらしく、けれど詳細は不明。長尾氏は、坂上田村麻呂と同じ東漢氏の一族とされているそうだ。
応神天皇のときに渡来してきた王仁博士の子孫や、一緒に来た人々の子孫が西文氏になったみたいに、同じく応神天皇のときに渡来してきた阿知使主の子孫や、一緒に来た人々の子孫は東漢氏になった。
アチノオミは後漢の王の末裔らしい。
東漢氏の出自を自称していたという坂上田村麻呂(桓武天皇の時の征夷大将軍)は金色の髭をもっていたとも言われるのだって。秦の始皇帝は金髪で青い目だったという噂もあるみたいだし、中国もかなり国際色豊かだったのかな。
長尾神社で竹内街道は終わり。
ここから更に横大路も歩いてもいいなと思っていたのだけれど、暑くて疲れたし、帰ることにした。内容の濃い散歩で、もうおなかいっぱいだった。
磐城駅(近鉄南大阪線)がすぐ近かったけれど、なんとなく、そう遠くもない1つ手前の当麻寺駅から帰ることにした。
久しぶりにレンゲ畑などを見つつ歩いて当麻寺駅へ。電車は当麻寺、二上神社口、二上山、上ノ太子駅と走っていった。途中、屯鶴峯の案内が電車から見えていた。電車の走るトンネルの上にあるのかな? どんづるぼう、ちょっと気になるところだ。




