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4 デイヴィット・ラングレー公爵令息は気づかない

「この馬鹿者がっ!」


 数か月ぶりに帰還した父親のブラッド・ラングレーを出迎えた直後、渾身の力で頬を殴られ、デイヴィットの体は後ろに吹っ飛ばされた。

 馬鹿をやった自覚はある。デイヴィットはノロノロと体を起こし、言い訳をせずに黙って頭を下げた。


「申し訳ございませんでした」


「謝って済むものか。危うく砦が陥落するところだったのだぞ。国を危機に陥れたのだ。ラングレー公爵家の取り潰しは覚悟せねばなるまい」


 冷淡に告げられ、事の重大さを理解したデイヴィットは言葉を失った。


 デイヴィットは風魔法の使い手だ。魔法を駆使し情報伝達を瞬時に行なう『魔法便』のやり取りを担う部隊で副官をしている。

 どんなに強い軍隊でも上からの命令が届かなければ()()()()()。直接戦闘に関わることはないが軍の要であり、デイヴィットの所属する伝令部隊は魔法持ちしか入隊できない花形だ。

 

 将来を嘱望されたこの男が、その「意味がない」ことを仕出かしたのはつい最近のことだった。

 北の辺境からの援軍要請を無断で留め置いたのだ。

 至急処理すべき緊急を意味する金の封書を後回しにして、職務室の裏手のベンチに腰を下ろしたのは疲れたからではない。頭の中を整理したかったからだ。

 今振り返っても、魔が差したとしか言いようがない。

 

 およそ一年前、平民の聖女が誕生して、近衞騎士団長である父が警護の任に当たることになった。

 まずそこで疑問が湧いた。王都の治安維持と王宮警護が主な任務である近衛の、しかも団長がやるべき仕事なのか? 

 さらに後見人まで買って出る親切心。

 実の親だからこそ訊かなくてもわかる。父はその聖女に惚れているのだと。

 二十も年の離れた年若い悪女に騙されているのではないか。

 なんとなく父親を取られたような子供っぽい気分にもなっていた。

 そして他にも聖女はいるのに、実力を理由に彼女ばかりが多用されるのは、平民だからではないのか? 

 その()()の悪女に巻き込まれるように、()()の父が危険地帯を渡り歩いていることは、どこか釈然としなかった。


 この援軍要請を処理すれば、十中八九あの聖女が派遣され、またもや父の命が危険に晒される。

 その思いが戦場を知らない甘やかされた公爵令息の判断を鈍らせた。


「デイヴィット殿、その封書をこちらへ。そして至急、ドーソン医師の所へ行ってください。業務の引継ぎは不要です」


 どのくらい時間が経ったのか。王弟の腹心ガネルにそっと声を掛けられ、デイヴィットは事の発覚を悟った。

 ドーソン医師にしばらく公爵邸から出ないように指示され、軍規を破った以上、処分が決まるまで謹慎するつもりで部屋に留まっていた。


 あれから三日と経っていない。失態を犯した息子のために急ぎ不眠不休で戻って来た父親は、長い沈黙の後に付け足した。


「本来であればな」


 デイヴィットは驚いて顔を上げる。


「王弟殿下が取り計らって下さった」


 そう言って父は一枚の診断書の写しを取り出した。

 あの日、王都から返信が来ないことを訝しんだ砦から問い合わせがあったことで、緊急案件が未処理であることが露見した。その後、王弟がすぐさまガネルに指示して表沙汰にせず内々で収めるよう動いたのだ。

 デイビットは魔力回路の異常で体調が悪くなり、ずっとドーソン医師の元にいたことになっていた。


「ドーソン医師も事が明るみに出れば処罰を受けることを覚悟で、それを書いてくださった。ヘイマー侯爵の口添えがあったのだ。エミリア嬢に感謝せねばな。お前と添い遂げたいと願ったから、二人が動いて下さったのだ。大切にしなさい」


 エミリアはヘイマー侯爵の令嬢であり、ドーソン医師の姪で、デイヴィットの婚約者である。デイヴィットは胸の奥が温まるのを感じた。


「必ず大切にします」


 エミリアを生涯大切にしようとデイヴィットは心に誓った。

 数か月後に結婚した二人は仲が良く幸せだった。

 ただし、父の怒りは相当なもので「これ以上の失態は許されぬ。公爵位に足る成果を見せよ」と爵位を譲られるのは当面見送られることになった。それ以外は概ね順調で、デイヴィットは満足していた。


 翌年、公爵邸に平民の元聖女リーシェがやって来た。

 引退時に結婚するという慣例を破り、独身のままの彼女を後見人の父が引き取ったのだ。

 そんな特例を生じさせたことを我が儘だと感じた。デイヴィットとエミリアは、父を誑し込んだ、まだ見ぬ悪女に警戒の色を隠せなかった。

「どんな人なのかしら、不安だわ」と落ち着かない様子のエミリアに、「大丈夫だ。好き勝手はさせないさ」とデイヴィットは請け合った。


「リーシェと申します。平民ゆえ不慣れなことも多く、公爵家の皆様にはご不快かと存じますが、どうぞ良しなに」


 勝利の女神ともてはやされ、さぞかし高慢な女なのだろうと身構えたが、予想に反して謙虚なリーシェに、デイヴィットは出鼻を挫かれた。


「リーシェ、そう畏まらないでくれ。ここはもう君の家だ」


 父に気遣われて控えめに微笑む元聖女は、デイヴィットの想像とは全然違う。

 細い体、憂いのある伏し目がちの緑色の瞳に庇護欲をそそられる。執事のバルトに付き添われ、部屋へと案内される姿は、降っては消える淡雪のように儚げだ。


「彼女の前で北の砦の話は絶対にしないように。屋敷の者にも徹底させなさい」


 リーシェが席を外した後、父から申し渡された。


「あの時、リーシェ様は聖女としてご活躍されたのですよね?」


 腑に落ちない様子でエミリアが問う。国を救ったのならば自慢したいほどの栄誉であるはずだ。


「あの戦いで彼女の大切な人が命を落としたのだよ。急いで駆け付けたが、間に合わなかった」


 間に合わなかった――この一言がデイヴィットの心に一点の染みを落とした。自分のせいで今も苦しんでいるのだと、リーシェに対する哀れみが芽生えた。

 エミリアと幸せな暮らしを送るなかで、忘れかけていた己の過ちを思い出す。

  

「ま、なるべく彼女の好きにさせてやって欲しい。頼んだよ」


 軽い調子で女主人に笑いかけると、父はリーシェを追いかけて出て行った。


 その晩、デイヴィットが何の気なしにリーシェの部屋の方へ歩いていくと、扉の向こう側から嗚咽が漏れ聞こえてきた。

 音をたてないようにそっと中を窺うと、父の胸の中で泣いている元聖女の姿があった。

 その光景が目に焼き付いて離れない。

 自分ばかりが幸せになっている罪悪感。この時、ほんの少しエミリアと距離が生まれた。


「それは公爵家として相応しくないわ」


 リーシェの好物は、バターとアプリコットジャムを塗ったライ麦パンだ。

 しかし庶民の食べ物である黒パンを購入する行為を、公爵家として品がないとエミリアは渋い顔をした。そのジャムが平民街で手に入る安物であることにも。


「いいじゃないか、それくらい」


 なるべく好きにさせてやって欲しいと父に言われたこともあり、公爵家としてダメならばとデイヴィットは仕事帰りに街に寄って、ライ麦パンとアプリコットジャムを買い求めた。そうすることで、少しだが罪滅ぼしをしている気分にもなった。


 また、平民のリーシェは侍女に身の回りの世話をされることに慣れておらず、ほとんどを自身でこなしていた。

 これにもエミリアはいい顔をしなかった。侯爵令嬢であった彼女にしてみれば、入浴や着替えのために侍女に裸体を晒して世話されることは、ごく普通の日常だったのだ。


 エミリアが公爵家の女主人として正しくあろうと努力しているのはわかっていたが、デイビットはリーシェを庇うことが多くなっていった。


 いいじゃないか、そのくらい――。

 

 この小さな許容の積み重ねが、妻の立場と心を徐々にすり減らしていることに気づかぬまま。


 心の距離は広がってゆく。


 夜勤の前に妻の茶会に顔を出すと決まってリーシェはいない。ある時は体調不良で、またある時は所用で出かけていると言い訳されれば、仲間外れにしているのだと嫌でも察する。そしてまたリーシェを庇う。

 勝利の女神が茶会に出れば「北の砦」の話題を避けては通れない。屋敷内では徹底できてもご婦人方には通用しない。これがエミリアの優しさであることに、鈍い夫は気づかなかった。

 

 その日も「体調不良」だと茶会の席でリーシェの欠席理由を伝えられ、心配になったデイヴィットは彼女の部屋へ向かった。

 多忙であまり屋敷に帰って来れない父に代わり、自分が気遣う必要があると心の中で言い訳をして。


「体調が悪いと聞いたのだが」


 服は着ていたものの、洗ったばかりの髪にタオルをかけた状態のまま扉を開けたリーシェを見て、デイヴィットは慌てた。

 専属侍女がいないことを失念していた。先触れを出すか、侍女を連れてくるべきだったと反省する。

 エミリアなら、このような恰好を人前に晒すなんてと、しかめっ面だろう。


「大丈夫ですよ」


 至って健康そうな姿に胸をなでおろし、すぐに戻ろうとしたが、どうにも濡れた髪が気になってしょうがない。

 風魔法で髪を乾かすことを申し出ると、リーシェもそれならばと受け入れてくれたので、デイヴィットはマナーに則り部屋の扉を開けたまま入室する。

 髪を乾かしている間、リーシェは蓋の開いた瓶からトロリとした金色の蜜を指先で掬って、柔らかそうな唇の上に塗り込めていた。

 

「それは――蜂蜜?」


「ええ。昔から使っていてクリームより慣れているものですから」

 

 蜜で濡れて甘そうだと感じながらも、デイヴィットはその指先から目が離せなかった。

 窓から差し込む光に反射するように彼女の口元が艶めいた。

 デイビットの心臓がドクンと大きな音を立て始める。


 いったいどうしたというのだ。


 デイヴィットは懸命に心を落ち着かせ、髪が乾くと暇を告げて足早に出口へと向かう。扉を閉めようと振り返ると、見送りのためすぐ目の前にリーシェがやって来ていた。

 一瞬、理性が飛ぶ。

「ありがとう」と礼を言って、扉に手を伸ばしたリーシェの手首をデイヴィットは咄嗟に掴んでいた。


 指先に口づける。

 甘い。

 蜜を舐めとるように唇でたどる。

 丁寧にゆっくりと。

 

 彼女の指がビクッと跳ねて、デイヴィットは我に返った。


「すみませんっ」


 呆然とするリーシェから走って逃げだす。

 デイヴィットは廊下を曲がると足を止め、自分の唇に手を当てた。

 いったい何をやっているんだ。


 己の愚かさで不幸にしてしまったあの人への、この甘く燻る気持ちに名前があるというのなら、きっとそれは恋だ。

 

 決して叶うことのない――――。


 デイビットには、これが許されない想いである事も、苦い痛みの正体もわかっていた。

 ようやく気づいた時には、もう失っていた。

 恋に鈍感な男は、一部始終を妻に見られていたことにも気づかなかった。


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