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3 ブラッド・ラングレー公爵の初恋

 近衞騎士団長ブラッド・ラングレーは、この国に四つしかない公爵家の嫡男として生まれた。

 国王と王弟を幼馴染に持ち、十九歳で親の決めた相手と結婚してすぐ男児を儲け、その翌年、爵位を継いだ。

 いわば高貴なる選ばれし者の一人であり、品行方正な貴族の鑑である。

 残念ながら妻はもう儚くなってしまったが、跡継ぎが健康に育ったので再婚せずにこの年まできた。多忙で時間もなかったし、面倒臭くもあった。

 だから、大司教から国王へ、国王から近衞騎士団長ブラッドへ「辺境近くの村で平民の聖女が現れた」との吉報が伝えられ、聖女保護の勅命を受けた時はさしたる動揺もなかった。

 聖女の地位を慮れば王家の誰かが向かうのが望ましいが、一触即発の辺境ゆえに軍職で親戚筋の自分が選ばれたのだな、と冷静に考えただけだ。


 しかし初めてリーシェを見た瞬間、ブラッドは恋に落ちた。

 ハニーブロンドの長い髪に緑色の瞳。簡素なワンピースから覗く鎖骨には、小さなムーンストーンのネックレスが揺れていて、華美ではないがよく似合っている。

 ポツンと一人佇むみ、両肩は心許なげに小刻みに震え、痛々しかった。


 守ってやりたいと思ったのだ。生まれて初めて誰かを。

 もちろん亡き妻や子供に対して愛情はあったが、それはどちらかというと家族としての義務であった。

 これほどまでに熱い情熱と固い決意を伴って湧き出る感情を、ブラッドは知らなかった。


「ラングレー公爵閣下」


 ブラッドが公爵であることを知るや否や畏まるリーシェに「ブラッドと呼んで欲しい」と告げると、部下のヒースが目を丸くした。

 色恋に興味がないかと思いきや、団長も男だったんですね、と。

「馬鹿な。娘と言っても通じる年の差だぞ」と否定したものの、耳が朱に染まっていた。


 自分たちの目を盗んでリーシェが恋人の元へ向かったときは慌てた。

 聞けば明日結婚の予定で、王都行きに前向きでなかったため、逃げ出さないようにずっと監視を付けていたという。


 聖女は純潔でなければ、力を失うと言われている。

 逆に言えば、聖女が教会から出る際に婚姻が慣例なのは、力を失わせるためでもあるのだ。そうしないと国の警護対象から外れるにあたり、他国から狙われる危険性があるだからだ。

 それに、貴族女性の結婚適齢期は十八から二十歳。れっきとした家柄の令嬢をいつまでも教会に縛り付け、嫁き遅れには出来ない。


 服を着たまま恋人と抱き合うリーシェを見て、まだ純潔を奪われていない事への安堵と、リーシェを腕に抱いている目の前の男への嫉妬が渦巻いて、ブラッドは平静を装うのに苦労した。


「――我々は早急に去らねばならない」


 半分本当で半分嘘だ。夜通し駆けてきたのだから、兵を休ませる時間くらいあってしかるべきだ。通常ならばそうした。

 だがブラッドは翌日、半日かけてサシェの街までリーシェを連れてきた。

 彼女をあの青年の近くに置いておきたくなかったのだ。

 身の回りのものを買いそろえ、聖女に相応しい上質の品に一新した。これからは貴族との付き合いも多くなる。それに見合う品物が必要だったし、以前の生活を一刻も早く忘れて欲しいという願いもあった。

 リーシェが平民であったため、ブラッドは自ら後見人に名乗り出た。公爵の後見があれば、教会内で冷遇されることはないと思ったからだ。


 彼女は私が必ず守ります――――この言葉に嘘はなかった。


 リーシェは、聖女としての頭角をめきめきと現した。魔力量は他の聖女より遙かに多く、広範囲にいる複数の味方を同時に全回復させる『広域回復魔法』まで使えたのだ。

 一言で治癒魔法と言っても、その程度は個人の力量による。

 切り傷を治すのが精いっぱいの者もいれば、瀕死の怪我人を瞬時に癒す者まで千差万別だ。その中でも『広域回復魔法』は最上級魔法に位置し、その使い手は記録を見る限り、過去八十年以上現れていない。

 彼女は聖女の逸材であり、その力は重宝され戦場を転々とした。ブラッドは国王からリーシェ警護の任を無理矢理もぎ取り、行動を共にした。彼女を守りたかったのだ。


 しかし、それがいけなかったのかもしれない。

 激戦地にブラッドを送りたくない誰かが、援軍要請を保留にしたため、北の辺境への出兵が遅れてしまったのだ。

 度々小競り合いが起きていた場所だが、今回は規模が大きかった。


「アラン!」


 急いで駆けつけ、砦が視界に入ったと同時にリーシェは、味方にめがけて回復魔法を放った。

 アランが軍にいることを知らせてはいなかったが、徴兵されている可能性を案じたのか、彼女は恋人があそこにいると確信しているかのように焦っていた。

 その時、砦は陥落寸前で、遠距離にもかかわらずあそこで魔法を放ち、味方全員を全回復させなかったら持ちこたえられなかったということを、ブラッドは戦いが決着してから知った。

 ブラッドたちの軍は大勝し、この戦いをもって両国の勝敗の行方が決した。ギリギリで辺境を、国を救ったリーシェは勝利の女神と呼ばれ讃えられたが、その目は虚ろだった。

 アランは死んだ。彼女は間に合わなかったのだ。


 ブラッドの気持ちは複雑だった。妻を亡くした彼はその悲しみがよく理解できる一方で、恋敵がいなくなってホッとしてもいた。


「最低だな、俺は」


 騎士の風上にもおけないとブラッドは独り言ちた。


「アラン……アラン……アラン………………」


 ブラッドは泣き濡れるリーシェをそっと抱き寄せた。

 急遽、帰還命令が出たため、恋人の亡骸に縋ることも葬儀の参列もさせてやれなかった。

 彼に出来たのは、ただ彼女に自分の胸を貸すことだけだ。

 

 幸いその後は平和な日が続き、ブラッドは少しずつリーシェとの距離を縮めていった。

 彼女に会うたび、胸が躍った。

 初めて重ねた唇、共に過ごした夜。

 年甲斐もなく、まるで少年のように心ときめかせていた。

 

 しかし聖女の任期が終了する段になって、困ったことに彼女はどの縁談にも首を縦に振らなかった。

 降るように届く釣り書きの中にはブラッドの名前もある。もう()()()()だったため、当然自分を選んでくれるものと思っていたのに。


「誰とも結婚したくないの」


 リーシェの言葉に、ブラッドは彼女にはまだ時間が必要なのだと感じた。

 結婚は慣例であって、規則ではない。彼女には、もはや聖女の力はなく、身の安全は公爵家で守ることが出来る。

 ブラッドは教会と王家を説得して、後見人のままリーシェの身柄を公爵家に引き取ることにした。

 昨年、息子が結婚し、家政は既に彼の妻が取り仕切っている。あと数年で爵位を譲る予定だ。それまで彼女と穏やかに過ごせればよいと思っていた。


「リーシェを働きに出すつもりはないかい?」


 屋敷でリーシェと暮らし始めて三か月が過ぎた頃、唐突に王弟から提案がなされた。彼の隣にはリーシェと同郷だという恋人のマノンが座っていた。

 ブラッドが戦場を転々としている間、いつの間にか王弟はマノンに骨抜きになっていて、彼女にこのサロンを持たせていた。


「藪から棒に何です? 王宮に出仕させろとでも?」


「アハハ、まさか。マノンがここで雇いたいというのだよ」


「リーシェは元聖女だ。働く必要などないだろう」


 ブラッドは怪訝そうに眉を寄せると、マノンが呆れた様子でため息を吐いた。


「お金じゃなく、リーシェのためですよ。閣下は多忙で家を空けることが多く、残るは気位の高い息子夫婦では、居候として肩身が狭いでしょう。それにトラブルの元です」


「何が言いたい?」


 息子夫婦に問題があるとは思えず、ブラッドは率直に言葉を返した。


「ご子息から見ればリーシェは赤の他人です。しかも独身で若く美しい。そんな女がフラフラしていて、奥方が平気な顔をしていられるとでも? 茶会で話題に上らないとでも?」


「何か噂になっているのか?」


「人は面白おかしく話すものです。事実かどうかは関係なくね。たとえば、ご子息が平民の元聖女にご執心だとか、彼女のために自ら街でアプリコットジャムを買って帰るとか、屋敷で二人きりになりたがるだとか……」


「馬鹿な!」


 ついカッとなって声を荒げる。マノンはすまし顔で後を続けた。


「事実かどうかは関係ないと申し上げたでしょう。憶測を呼ぶ環境が問題なのです。貴族社会の腹黒さは、私より閣下の方がよくおわかりのはず。リーシェだけでなく、これ以上、奥方の顔を潰すような噂は看過できません」

 

 もっともらしい言い分に、なるほどと思う。ならば別邸にリーシェを移そうかと考えるがマノンは渋い顔をする。


「今のリーシェに屋敷に一人はよくないですよ。あの子には何もないもの。だからこそ閣下も本邸に置いたのでしょう? でもここなら私がいるし、いい気晴らしになります。本気で働かせようと思っているわけではないのです。気の向いたときに顔を出してくれればそれで」


 サロンの奥隣に、王弟個人の持ち物である高級アパートメントがあるので、そこに住まわせてはどうかという。住民の身元は確かでマノンもいる、警護も問題ない、と。


「マノンの望みを叶えてやっては貰えないだろうか。私はこれまで君の力になってきたつもりだよ? 彼女の後見人の件も、教会を出るときだって尽力したし、あの北の辺境での()()もなかったことにした」


 王弟にここまで言われては断れない。リーシェの件で多くの口利きをして貰ったことは事実だ。当人に聞いてみると「是非に」という返答だったので、マノンの望み通りになった。


 あまり気は進まなかったが、今となってはこれでよかったとブラッドは思う。

 働き出してからの彼女は少しずつ元気になっていき、時折、顔を出すアパートメントはこじんまりとしていて、リーシェとの距離が近かった。


 手を伸ばせば、すぐ抱きしめられるほど――。



 ふと夜中に目を覚ますと、腕の中にいたはずのリーシェがいない。

 微かな歌声に誘われて窓辺に目をやると、彼女は夜空を見上げていた。

 青い満月(ブルームーン)

 そうだ。あの日もこんな夜だった。

 彼女は、まだ忘れてはいないのだ。

 ブラッドは薄目を開けてリーシェの切なげな横顔を、長い間、眺めていた。


 何処からか青い蝶がひらひらと飛んできて、カーテンの端にとまった。

 リーシェが窓を少し開けて外に出してやると、ひやりと夜風が吹き込んだ。

 そしてまた同じ姿勢に戻ろうとするので、ブラッドはベッドから抜け出し後ろからリーシェを包み込む。


「ほら、風邪を引いてしまうよ」


 彼女を布団の中に戻すと、あやすように髪を撫でる。しばらくしてリーシェの寝息が聞こえてくる。


 死んだ男になど勝てやしないのだ。

 それでもいつか振り向いてくれる日がやって来て欲しいと願う。

 せめてこんな時間が、一日でも長く続いてくれたら。

 

 ブラッドは胸に鈍い痛みを覚えながら、眠るリーシェの頬にキスをした。

 

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