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2 アランの最愛の人

 空気が澄んだ北の村の孤児院で、アランは育った。

 気がつけば隣にはいつもリーシェがいた。

 二人はずっと一緒だった。幼い頃は兄弟のように、その後は恋人として。

 親はおらず金銭にも決して恵まれているとはいえない環境の中で、それでも心が満たされていたのは彼女がいたからだ。

 そのたった一つの愛がいかに幸せで贅沢なものであったのか、アランは失って初めて気づいた。

 裏切ったわけじゃない。離れたかったわけでもない。そりゃ男だからカワイイ子を見つければドキドキもするけれど、リーシェは特別だ。

 生まれる前から一緒にいたような、もう一人の自分のような、そんな感覚。


 あれは、引き裂かれたのだ――――。


 敵兵を目前に、自分の命がここで尽きるという絶望的な状況の今この時になって、ようやくアランはそのことに思い至った。


 フワリフワリと青い蝶が舞う。

 羽根の瞬きに目を奪われているうちに、はっきりと()()()の顔が脳裏に浮かび確信する。


「やられたな」


 我ながら鈍いとアランはため息を吐くが、今さらどうすることも出来ない。

 きっと、どんな選択をしても、最後はここへ辿り着くのだ。

 

 

 二人の結婚を明日に控えた青い満月と光輝燦然(こうきさんぜん)たる星々が美しい夜に、リーシェが人目を忍んでやって来た。

 本来であれば女性の人生のなかで、一番喜びに満ち溢れているはずの時である。

 リーシェの切羽詰まった様子に不穏な空気を感じ取り、アランは彼女を抱きしめた。


「どうした? 昨日から連絡が取れなかったが、何かあったのか」


 リーシェとは毎日のように顔を合わせていたが、明日の結婚式に向けて準備があるのだろうとアランは軽く考え、気にしていなかった。女性はいろいろと大変だからな、と納得していたのだ。

 しかし自分の腕の中で震えるリーシェを見て、やはり会いに行くべきだったと後悔した。


「聖女なんだって。私が聖女なんだって言うのよ。あり得ないわ」


「何だって?!」


 アランは驚愕した。それが本当ならば、リーシェが二十歳になるまでの二年間、身柄を教会に拘束される。もちろん結婚は中止だ。

 平民の彼女が? とにわかに信じがたいことではあったが、嘘を吐く人間ではないことは誰よりもよく知っていた。

 自然とリーシェを抱く腕に力が込もる。


「一昨日、魔力検査に行ったの。聖女だって言われて……結婚するから見逃してほしいって頼んだら、逃亡の恐れがあると疑われてずっと監視がついてたの。少し前に王都から騎士たちが到着してゴタついていたから、隙を突いてやっと抜け出して来たのよ」 

 

 どうしよう、とリーシェは泣きながら訴える。アランはリーシェの背中を落ち着かせるように撫でながら、「大丈夫だ。大丈夫……」と言い聞かせた。


「明日がダメでも、オレは必ずリーシェと結婚する。二年くらい余裕で待てるし、リーシェが王都へ行くならオレも行く。だから泣くな」


「なんだか不安だわ」


 リーシェが顔を曇らせるので、てっきり恋人の浮気を心配をしているのかと思えば、首を横に振る。


「違う、違うの。騎士の人が出発は明朝だって言うの。荷造りも必要ないって。聖女なんだから、これからはもっと上等な品を持つべきだとも言われた。私、怖いの。ここでの生活をすべてなかったことにされそうな気がして」


「考えすぎだよ」


 そう口にしたものの、到着したばかりで明朝とは性急すぎる。

 リーシェもそう思っているのか表情は冴えない。(おもむろ)につけていたムーンストーンのネックレスを外すとアランの手の中に押し付けてきた。

 取り上げられたくないから預かっていて欲しい、と。

 以前、アランがリーシェにプレゼントしたものである。自分が買える精いっぱいであったが、貴族からすればオモチャのようなものだろう。

 聖女に似つかわしくないと判断されたら、手元に戻ってこないかもしれないと彼女は危惧しているのだ。

 

「私にはアランだけ。あなたしかいないの。憶えていてね」


「オレにもリーシェだけだよ。心配するな、二年なんてすぐだ」


 リーシェに口づける。彼女の唇はいつも甘い。リップクリームの代わりに蜂蜜を塗っているのだ。

 アランがリーシェの唇を貪ると、彼女も恍惚の表情を浮かべ自らの舌を絡ませた。


 その刹那、ドン、ドン、ドンと扉が叩かれ、ハッとする。二人は時間切れであることを悟った。


「聖女様、黙って出て行かれては困ります。婚約者殿には我々から説明すると申し上げたはず」


 謙遜して聖女様などと様付けで呼んではいるが、その必要もないほど高貴な身分であることが一目でわかる風格の騎士が静かに告げた。その声には怒りも苛立ちも感じないが、有無を言わさぬ威厳があった。


「朝には出発するって聞きました。その前に一目会いたかったんです」


 女の涙に弱いのか、リーシェの泣き顔に騎士は一瞬たじろいだ。しかし後ろを振り向くと、無情にもリーシェを送り届けるよう若い部下に命じる。


「二年後、もう一度プロポーズする。約束だよ」


 アランは彼女の耳元に囁き、抱きしめていた腕を解いた。王都から派遣された騎士に逆らうのは得策ではない。今ここで自分たちが何を言おうと、運命は変わらないのだ。リーシェもそれはわかっているはずだ。


「約束よ」


 騎士に連れられて家を出る間際、彼女は振り返ってアランを見つめると唇を動かした。


 パタンと戸が閉まり、上官である騎士が残った。男の体は鍛え上げられ若々しく見えるが、落ち着いた雰囲気から察するに、おそらく三十代後半だろう。


「近衛騎士団長ブラッド・ラングレーと申します。先ほどの部下は騎兵隊長のヒースです。リーシェ殿の護衛の命を受け、急ぎやって参りました」


 礼儀正しい挨拶に、アランは危うく声を漏らしそうになった。

 騎士団長自ら、しかも隊長までもということは、リーシェ一人のために、少なくとも一個隊以上の兵を率いてこの地にやって来たことになる。

 しかもこの国で、近衞騎士団長であり、公爵位を持つ彼を動かす命令を下せるのは国王のみ。

 アランの驚きが顔に出たのか、ブラッド・ラングレーは頷いた。


「この村は辺境に近い。聖女発見の情報が敵国に洩れれば狙われる可能性があるため、我々は早急に去らねばならない」


 わかりますね? と言いたげに顔を向けて彼は続けた。


「あなたの不安はわかります。そして不満も。しかし、理解してもらわねばならなりません。彼女の身の安全のためにも」


 リーシェのためと言われてしまえば、反論の余地はない。アランは黙るしかなかった。

 離れ離れになる前に、もう少し時間が欲しかった。せめて一日だけでも一緒に過ごしたかった。そんな自分の望みが、とんでもなく我が儘で幼稚なことのように思え、穴があったら入りたい気分になる。

 しかしそんな羞恥心よりも、アランには心配すべきことがあった。


「やはり戦が近いのでしょうか。リーシェは戦場に行くことになりそうですか?」


 リーシェは平民だ。身分の低い者から順に戦地へ、しかも激戦地に派遣されたとしても不思議ではない。貴族ばかりの聖女たちの中で、リーシェがどのような扱いをされるかわからない。


「……その可能性は高いでしょう。隣国との緊張は日に日に高まっている。しかし、彼女は私が必ず守ります。必ずね」


 その口調は心配するなと言っているようにも、自ら立てた誓いのようにも受け取れたが、この時のアランには深く考えている余裕などなかった。

 この男の「守る」という言葉を信じるしかなかったのだ。



「とんでもないことになっちゃったわね」


 出立の朝、最愛の人を遠巻きに見送ることしか出来ない自分にもどかしさを感じていると、後ろから声が掛かった。

 酒場で働くマノンだ。同じ孤児院の出身で、アランとリーシェにとって姉のような存在だった。

 黒髪に橙を含んだ金の瞳、蠱惑的な美貌の彼女は、貴族や豪商など、金も地位もある男たちからの誘いを何人も断り続けている。普通の若い女なら妻か愛人にでもなって、とっくに王都で暮らしているだろう。


「私、王都に行くことにしたわ。リーシェがいたから、この村にいたようなものだし」


 先ほどまで働いていたとわかる酒臭い息を吐きながら、マノンはまるで隣町に買い物にでも行くかのように話す。

 王都は遠い。騎士たちは遠征用の軍馬を乗り換え、休みなしで丸二日かけてやって来たのだ。道中、治安も悪い。女一人で無事に辿り着けるとは思えなかった。


「酔っぱらってんの?」


 アランが呆れると、おでこを指ではじかれた。


「昨夜、いや、もう今日かしら? 店に来てた騎士を一人、誑かしたわ。私を連れて行ってくれるそうよ。名のある伯爵家の三男だから、住む場所には困らないと思うわ」


 ああ、そうだ。こういうことを朝飯前にやってのける女なのだと、アランは思い出した。

 鄙びた村の孤児院の物資が比較的豊かなのは、マノンの()()のお陰だった。

 リーシェが好む焼いたパンにバターとアプリコットジャムをのせる欲張りな食べ方も、水仕事で手が荒れないようにクリームを塗ることが出来たのも、絵本や新刊の書物がたくさん差し入れられていたのも。


「リーシェたちはサシェの街まで馬で行って、そこから数日、宿で準備してから馬車で王都へ向かうらしいから、追いつけるかもね。何かあったら知らせるわ」


 マノンはウィンクすると大急ぎで家に荷物を取りに走って行った。その後アランの元には、無事に王都に着いたこと、リーシェにはまだ会えていないことが記された手紙が届いた。


 結局アランはリーシェを追って王都に行くことはなかった。その前に、北の辺境が騒がしくなったからである。

 もしかしたら、リーシェが辺境にやってくるかもしれない。そう考えたアランは辺境伯の軍に入隊することにしたのだ。

 アランは体が丈夫だったし、昔から頭よりも体を動かす方が得意だった。



 リーシェと会えなくなって一年。

 何度も小競り合いが続き、これまで大した怪我もなくやり過ごして来たアランだったが、どうやらここまでらしいと覚悟した。

 連絡の行き違いで援軍の到着が遅れているのだ。あと小半時、圧倒的不利の状態でこの場を戦い抜かねばならない。

 気合を入れて剣を振るうが、敵の数が多すぎる。粘りに粘った末、胸を貫かれてアランは倒れた。

 こと切れる寸前のこんな時でも、走馬灯の中にリーシェの姿を探してしまう。

 

 幼い日のリーシェ。

 泣き虫のリーシェ。

 笑っているリーシェ。

 蜂蜜のような金髪(ハニーブロンド)とエメラルドグリーンの瞳。

 抱きしめた時のアプリコットの甘酸っぱい香り。

 甘い唇。

 青い満月(ブルームーン)

 

 愛してるよ、リーシェ。


 もう言葉を紡ぐ力も残っていない。


 ムーンストーンのネックレスを返してやれなかった。

 それだけがアランの心残りであった。


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