10 暗黒の王の葛藤
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ぐしゃり。
自ら放った青い蝶を娘のリーシェに握りつぶされ、そこで映像が途切れた。
「世界」を消滅させる大魔法「大破界」の立体魔法陣が展開され、術の成就が確実であるその時に。
「げっ!」
みっともない声を上げたのは、すべての「世界」を統べる至高の存在であり、創造主でもある暗黒の王である。
時に原初の神、破壊神、冥界の王、生と死を司る神などと呼ばれるこの男は、人々から悪魔のように恐れられてはいるが、闇は悪しきものではない。
なぜなら光は闇の中に存在するものだからだ。たとえば夜空に輝く星のように。
「世界」もまた同じだ。
人間の世界、魔法のある世界、獣人の世界、魔人の世界、鳥人の世界……これら無数の世界は、闇に浮かぶ光の玉のようなものだ。
暗黒の王はいつだって世界を優しく包み込んでいる。
しかし今、彼の世界が一つ壊された。
「マノン、マノンはおるかっ?」
玉座で叫ぶが、辺りはシーンと静まり返っている。暗黒の王は仕方あるまいと暫し待つ。
ややあって、マノンがゆっくりと姿を現した。
艶やかな黒髪、黄金色の瞳、赤い唇、妖艶な微笑み。王弟の愛人の姿とただ一つ違うのは背中に黒い翼が生えていることだけだ。
マノンは優雅な所作で跪いた。
「お呼びでしょうか。ご主人様」
「戻ったか、マノン。リーシェが世界を一つ壊しおった。おまえは知っていたであろう? なぜ黙って見ておった」
イライラと問いただす暗黒の王に、マノンはフッと侮蔑の笑みを漏らした。
「我が主よ、お忘れですか? リーシェ様守護の任を命ぜられたとき『いついかなる時でも我が娘を守り、全世界を敵に回しても常に味方でいるように』と仰せられたことを。私はそれを忠実に遂行したまでのこと」
「うむ、そうであるか。い、いや、なにも世界まで滅ぼさなくともいいではないか」
「主よ、あなたがお悪いのですよ。何ですかあれは。魔女が聖女になれるわけないでしょう? なのにそんなトンデモ設定を加えるからあんなことに」
「ぐぅ……」
暗黒の王は痛いところを突かれて押し黙った。
天体にも寿命があるように、神族である暗黒の王にも寿命がある。だが、それは果てしなく長い。人の一生など、彼にとっては星の瞬きほどの短い時間だ。
ゆえに気まぐれに下界に降りて過ごすこともある。
いつものようにぶらっと出かけた人間界の一つで、暗黒の王は魔女キルケートに出会い恋に落ちた。そうしてリーシェが生まれたのだ。
魔女は人間と違い、記憶を持ったまま転生を繰り返し長い時を生きる。結婚せず、気に入った男から子種を貰って子を産むのも、時には複数の男と寝て魔力を吸い取るのも魔女の特性である。
「私は魔女であることに誇りがあるの。結婚はしないし、神界では暮らせないわ」
つんとしたキルケ―トの態度がまた可愛くて、彼女の助手として生涯を傍らで過ごした。
彼女を手伝って禁呪「大破界」を構築したのは、ほんのついでだ。娘のリーシェにその魔法を教えたのも。まさか、憶えていたとは。
「リーシェ様を完全に怒らせましたね。『お父様とはもう一生口を利きません』とおっしゃっています」
「な、何だって!」
マノンの報告に暗黒の王は青くなった。彼は子供たちの中でも末娘のリーシェを溺愛しているのだ。一生だなんて長すぎる、とても耐えられそうにない。
呆然とする主を見かねたのか、マノンは助言する。
「もうアラン殿との仲をお認めになってはいかがですか」
「い、いや、でも……」
「既に五回の転生でアラン殿と添い遂げ、婚姻の神のお墨付きも出ています。主もご覧になりましたでしょう? アラン殿が亡くなったとき、リーシェ様が嘆き悲しんでいるのを」
部下に諭され、暗黒の王はしゅんとなる。
そうなのだ。リーシェはその後、三年もの時間をかけてあの膨大な魔力を捻出し、一分の隙も無い美しい魔法陣を描き切ってみせた。それほどの愛と執念。
「そろそろ子離れなさいませんと、取り返しがつきませんわよ」
「わかっておる……」
一度目の人生で、リーシェが父親の暗黒の王の元へアランを連れてやってきた。
「この方と添い遂げたい」というので一緒にしてやった。
だが二度目の人生でもリーシェはアランを求め、アランもリーシェを求めた。
そして「結婚をしたい」と願うので、試練を与えることにしたのだった。
彼らの言う結婚とは、下界の結婚のことではない。輪廻を越えた神界での結びつきのことだ。
神族には結婚の習慣がない。寿命が長すぎるので、互いに縛られない自由な関係を好む。
ただ、ごく稀に魂を求めあう運命の相手と出会うことがある。その場合、婚姻の神に認められると、結婚の証として神の祝福を授かることが出来るのだ。
暗黒の王は、たかが一度や二度添い遂げたくらいでは、運命の相手かどうか見極められないだろうと説いて転生を繰り返させた。神界では一度結婚をしてしまうと離婚が出来ないからだ。
前世の記憶があるのは魔女の血を受け継ぐリーシェだけ。アランにはない。
片方に記憶がなければ、そう何度も添い遂げられまいと高を括っていたが、二人は毎回、結ばれる運命をたどった。
五度目の転生の時に婚姻の神の許しが出た。
「ここまで添い遂げたならもうよいでしょう」
そう女神が言うのを子離れできない父親が、未練がましくもう一度だけと最後の転生に送り出した。非処女の娘に聖女の力を付与するという、あの世界の理を無視したやってはならない意地悪をして。
そのせいで本来の運命が歪められ、二人を引き裂く結果となってしまったのだ。
しかしそれでも暗黒の王は釈然としない。
アランのことを「どこの馬の骨ともわからない奴」と言えればよかったのだが、そこは創造主たるものピンときてしまう。
「マノンよ、アランはお前の息子であろう?」
主の問いにマノンは微笑む。
「さすが我が主、ご存知でしたか。もしや私の子であることが反対の理由ですか?」
「そりゃ、親としては気になるだろう。娘が魅惑に堕ちているのではないかとな」
マノンは淫魔である。彼女を見た者すべてに魅惑が発動され、人々は自分に都合よくマノンを解釈する。
ある人には美しく、ある者には妖艶に、ある時は弱々しく、またある時は聖母のように慈悲深く。そして彼女が望めば、その男たちは愛の奴隷となり下がる。
孤児院に寄付をした金持ち達も、マノンを王都に連れて行った騎士も、王弟もそうやって堕ちていった。
魅了魔法が相手を夢中にさせるだけなのに対して、魅惑は虜にしたうえで心を操り惑わす。質が悪いのはそれが魔法ではなく、彼女の本質であることだ。
マノンの息子ならば、その本質を受け継いでいてもおかしくはない。
「ご冗談を。神族至高のあなた様の子であるリーシェ様に魅惑が効かないことぐらいご存知でしょう? さらにリーシェ様には、いくつかの加護をお与えになっているはず。可愛い娘が悪い男に誑かされたような物言いはいかがなものかと」
「う……む」
たしかにリーシェには加護を与えた。呪い返しの加護、人から好意を得やすくなる寵愛の加護、食べるものに困らない実りの加護、毒と洗脳無効の加護………。
魔女とのハーフであるリーシェは母親の血を濃く受け継ぎ、これと言った神格を持たない。いくら加護を与えても足りないくらいだと、暗黒の王は親バカぶりを発揮したのだ。
「それに息子の父親は人間です。神族と魔女のハーフとでは、どちらの力が上か比べるべくもないでしょう」
淫魔が気に入って子まで成した男だ。ただの人間ではあるまいと暗黒の王は思ったが、さしたる問題はないので、そこには触れずに受け流した。
足掻くほどこちらの旗色が悪くなり、どうやら年貢の納め時らしいと観念して沙汰を言い渡す。
「わかった。リーシェとアランの結婚を認めよう。神界に二人の住む神殿を作る間、再構築したあの世界にもう一度だけ転生させるものとする」
「え~、またですか」
呆れ返るマノンは「神殿なんてちゃちゃっと作れるでしょう?」と目で訴えているが、花嫁の父は譲るつもりはない。
「そう言うな。最後に親子水入らずで過ごしたいのだ。そろそろキルケートにも会いたいしな」
暗黒の王は目を細めると玉座から立ちあがった。そして黒目黒髪の威風堂々とした風貌から金髪翠眼の美しい青年に姿を変えると、スーッとその場から掻き消えた。
あの世界はすぐに再構築され、今、止まった時間を再生し始めた。人々はまるで何事もなかったかのように平穏そのものだ。
王都で一番大きな薬商には、やり手の主人とその妻である薬師のキルケートがいる。彼らの薬は好評で王宮からも注文がひっきりなしだ。
「ではキルケート、王宮のドーソン医師へ薬を届けてくるよ」
主人は幼子を抱くキルケートに「行ってきます」とキスをする。幼子はすやすやと眠っていた。
ゆっくりと唇が離れると、キルケートは正気を取り戻したかのようにハッとして主人を見上げた。
その顔は胡散臭そうに眉をひそめている。
「またアナタなの?!」
「やあ、気づいてくれて嬉しいよ」
魔女キルケートは呆れたように天を仰いだ。またと言われるのも仕方がない。暗黒の王は彼女が転生する度に、こうして人生を共にしているのだ。
「ちょっと! なんで知らないうちに結婚して子までいるの? 私は結婚しないって言ってたのに」
ぷうと頬を膨らませるキルケートを愛おしく感じながら、かいつまんで事情を説明する。
「それじゃあ、まだリーシェとアランは結婚してなかったの? 呆れた。あれから何百年経ってると思ってるのよ。怒って世界を破壊される訳よね。私だったらもっと早くにやってるわ。でも、凄いわね。たったの三年であの魔法陣を仕上げるなんて!」
「ああ、さすが私たちの娘だ」
そう言いながら、暗黒の王はまだ幼子であるリーシェの頭を撫でた。今はまだ無垢だが、あと数年もすれば過去世を思い出すだろう。
「そういう事ならしょうがないわね。娘の嫁入り前に家族団らんの時を楽しみましょ。でも今回だけよ? 私は誰とも結婚なんかしないんだから」
「でも家族なんだろ?」
暗黒の王が指摘すると、魔女キルケートは顔を赤らめ、しまった! という顔になった。
本当に意地っ張りな女だ。でもそこが可愛い。何度生涯を共にしても、全く飽きない。
物事には必ず始まりと終わりがある。
転生を繰り返す魔女の輪廻も例外ではなく、いずれ終わりがやって来る。
この調子だと、その前にキルケートを神界へ連れていけそうだ。
暗黒の王は確かな手ごたえを感じ、期待に胸を膨らませて過去に幾度となく繰り返した魔女との人生を再びスタートさせるのであった。




