1 私 ~プロローグ
全11話でさらっと終わります。
どうぞよろしくお願いします。
夜空が好きだ。
青い満月と幾千万の星の瞬きが美しいから。
何年たっても何処にいても何一つとして変わらない、かつてあの人と見た同じ星々を、今も私は王都のアパートメントの窓から眺めている。
もう、あの人はいない。先の戦争が彼の命を奪った。
私は聖女だったのに、結婚の約束をした恋人を癒すことも出来ず、葬式に参列することすら叶わなかった。
なぜこんなことになったのか。他に道はなかったのか。
考えても考えてもどうにもならない、思考の沼にはまり動けなくなる。
そもそもがおかしいのだ。
北のはずれの小さな村の、孤児院で育った平凡な娘が聖女だなんて。
判明したのが、結婚の三日前だなんて。
本当にどうかしている。
この世界には魔法というものが存在している。けれど、魔法を使える者は少なく、そのほとんどは王族や貴族である。
魔力は遺伝による影響が大きいので、血統を重んじ政略結婚を繰り返す彼らに魔法持ちが多いのは当然のことであろう。
その中でも治癒魔法を持つ者は稀で、この国で十人にも満たない。
そして不思議なことに治癒魔法が発現するのは、十代の未婚女性に限られ、純潔を失うとその力も消滅した。
彼女たちは聖女と呼ばれ、本人の意思にかかわらず王都の教会に集められ、管理される。戦時に従軍し、兵たちの傷を癒すヒーラーの役目を担うためだ。
そして彼女たちは二十歳になるとその任を終え結婚する。子を生み、その血を次代に繋げることを望まれているのだ。
聖女の地位は高く、下位貴族であっても高位貴族からの縁談は引く手数多だ。
つまり聖女のほぼ全員が貴族なのだ。平民はこの国の歴史上、数人だけ。
なのになんで私が聖女なの?
この国では十八歳の成人までに、教会で魔力検査を受けることが国民の義務として定められている。
魔法持ちは王宮での地位や縁談に優位になるため、貴族は概ね十歳頃までに魔力検査を受ける。が、平民の場合は魔法が発現することなどほぼないので、のんびりだ。誕生日が近くなると、皆思い出したように検査を受けにいく。
私もそうだった。法的に婚姻が可能になる十八歳の三日前、まさにギリギリのタイミングで教会に赴いた。
「おおっ………金色に輝いている! 聖女だ……聖女様だっ!」
私が水晶玉に手をかざすと治癒魔法の発現を表す金光が煌々と輝き、神父たちがどよめいた。
そんな馬鹿なと愕然としつつ、結婚を控えているから内密にしてくれないかと掛け合ったが「規則だから」とにべもなく断わられ、彼らはすぐに魔法便を用いて王都の大司教へ報告した。
平民の聖女は何十年ぶりで、魔力量も多く聖女の資質として申し分ない。隣国とのきな臭い噂もある。見逃されるはずはなかった。
そして三日後、あの人と結婚するはずだった日に王都から騎士団が迎えにやって来て、私は慌ただしく村を後にすることとなった。
自分のものを何一つ、あの人との思い出の品はおろか、ハンカチ一枚持ってゆくことも許されずに。
しばらく隣国との小競り合いが続き、ようやく終結した直後に届いた悪い知らせの後は、もう、何も残っていない。心はあの人に捧げた。あとは記憶とこの抜け殻の身体だけ。
それもこれもあの男のせいだ。
あの人のいないこの世界なんて、壊れてしまえばいいのに。
ふいに青い蝶が横切り、私は我に返った。
ああ、もうこんな時間。行かなくては――――。
酔ってしまいそうな月光が心地良くて名残惜しいが、あまり遅刻するわけにもいかない。
私は重い腰を上げ、窓を閉めるとカーテンを引いた。もう一度、鏡で全身のチェックをして問題がない事を確かめてから、ゆっくりと近くにあるサロンへと向かう。
「ずいぶんとゆっくりだったわね。もう少ししたら、誰かに呼びに行かせるところだったわ」
女主人であるマノンねえさんは苦笑しているが、怒っているわけではない。私が抜け殻であることを知っているので、心配しているのだ。
聖女でなくなってから一年、慣例通りに結婚することを良しとしなかった私は、マノンねえさんに拾われてこのサロンで働いている。
さしずめ夜の蝶と言ったところか。
ここは男たちの社交場だ。女たちが酌をしながら話し相手をし、時には色を含んだ瞳で恋の駆け引きを楽しむような、そんな場所だ。
当初、元聖女が酒の席に着くというので、物珍しさから多くの客が押し寄せた。しかしこの頃は以前のような落ち着きを取り戻しつつある。
「だいぶ稼がせてもらったから」とマノンねえさんは、あまり煩いことは言わず自由にさせてくれる。
それは私が元聖女として生涯にわたり生活と地位を保障され、公爵家の後見を得ているからでもある。
働く必要のない私が、なぜここにいるかといえば、このサロンがたまたま旧知の仲であるマノンねえさんが主人であることと、そのパトロンが王弟だったことから「屋敷に閉じこもっているよりはマシだろう」と王弟が渋る後見人を説得したのである。要は気晴らしだ。
平民出身の聖女の立ち位置は微妙だ。国から授与された高位の身分があるのに、生まれつきの貴族たちからは『平民の』という枕詞を付けられ、貴族の聖女たちよりも軽んじられる。皆、私のことを持てあましているのだ。
『平民の』と見下すくせに、高貴な人たちと同じ完璧な立ち振る舞いを期待するのだから呆れてしまう。
正直、私を雇ってくれたマノンねえさんには感謝している。公爵邸の生活は息苦しいし、このサロンは客層が良い。
「遅くなってごめんなさい。月が綺麗だったものだから」
私が答えると、マノンねえさんは今思い出したというような表情になった。
「そういえば、今夜はブルームーンね」
ロマンチックよね、と妖艶な笑みを浮かべて彼女は私の髪を撫でる。
知っているのだ。私があの人を思い出しているということを。
マノンねえさんの手は柔らかく、優しい。彼女の手が動くたびにバニラのような甘い香りが鼻をくすぐる。
この人がいてくれてよかった。その存在に慰められながら、私は今日も男たちに酌をする。
男たちは単純だ、とマノンねえさんは言う。
いかに賢く地位が高くとも、誘惑に抗えず簡単にその身を堕とす。
すべてを失うと知っていても、つかの間で消える運命だとしても、人は己の欲に忠実だ、と。
男たちは可愛い、とマノンねえさんは言う。
どれだけ屈強であっても、ひとたび魅入れば簡単に跪く。
君を守るよ……そう胸を張るくせに、子どものように甘え、癒しを求める、と。
「耳が痛いね。確かに私は妻を愛している。失えば後悔するだろう。わかってはいるのさ。だけど、私はマノンに首ったけだ」
お忍びでやって来た王弟は、マノンねえさんを見つめ微笑する。カランと音をたて、グラスに入った琥珀色の酒を一口含む。
「それがいつか終わる恋だとしても、その先にたとえ身の破滅が待っていようと、君と離れ離れになることなど想像できない愚かな男だよ、私は」
そんなあなたが好きなのだと、マノンねえさんは王弟の腕に寄り添う。中年に差し掛かり酸いも甘いも嚙分けたはずの男は、愛おしそうにねえさんの黒髪にキスを落としている。
王弟は、ふと思いついたように私に声を掛けた。
「リーシェ、君は結婚はしないのかい? あれからもう二年近く経つ、そろそろ考えてもいいのではないか?」
未だにたくさんの縁談があり、断るのが大変だと王弟はこぼした。私の後見人が門前払いにするため、親しい間柄である彼に話がいくらしい。
「誰とも結婚する気はありません」
もうではなく、まだなのだ。
私が素っ気なく答えると、彼は「そうか」の一言で済ませた。
「リーシェには、まだ時間が必要なのよ」
すかさずマノンねえさんが庇う。
彼女には敵わない。柔らかく強かで、あっという間に遊び人と噂の王弟を虜にした。彼の第二夫人の誘いをあっさり断り、このサロンの女主人におさまった。
彼女は男を、道を自分で選ぶ。昔からそうだった。たくさんの男がマノンねえさんに夢中になるが、誰も彼女を手に入れたことがない。
私も自分で選ぶつもりだ。そして、もう誰にも何も奪わせない。
王弟はしばらく酒を味わった後、「では、今宵は存分に甘えさせて貰おうか」とマノンねえさんの肩を抱き、夜の街へと消えていった。
二人を見送り、私は空を見上げた。
「アラン…………」
恋しい人の名前を呼ぶ。
待っていて、アラン。
私の永遠の恋人。
青い満月の光が、妖しく夜空を照らしていた。
読んでいただき、ありがとうございます。