表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/10

グラーヴェ夫妻はすれ違えない

宣伝欄


●2025年10月1日全編書き下ろし7巻&8巻発売

◇予約ページ◇https://tobooks.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=3106846

◆攻略対象異常公式アカウント◆https://twitter.com/ijou_sugiru?s=20/

 初めてその人に会ったとき、私は十五歳で、彼は二十歳。


 国を守るため戦い、そしてその準備をする場所で出会ったその人は、それはそれは目立っていた。


「今日からこの騎士団をまとめることになりましたセレナード・グラーヴェです」


 はっきりとした朱色の髪に、繊細なメタルフレーム。鮮やかな黄金色ながら、怜悧さも強さも感じさせる瞳は吸い込まれそうで、夢を見ているように美しい。女子も男子もないまぜに集められた訓練場で、あまりに神聖に、浮世離れしたその人に、誰もが息をのんでいた。


 人が騎士団に志願する理由は、お金に困っている、家族を守りたい、勉強したくない等様々だ。私は下の妹弟が多く、さらに絶対医者になりたいなんて言われたことで、最も給金の高い騎士団を目指したに過ぎなかった。


 しかしそんな不純な動機に、またひとつ不純が重なった次第である。


「最も重要なことをひとつ、訓練、戦に関わること以外で私に話しかけないで頂きたい」


 しかし、夢は覚めるのだ。


 寝起きの覚醒はゆっくりと言えど、意識ははっきりして眠りから遠ざかるように、憧憬は薄れていった。


 騎士団を辞めたい、と彼の下へとついた人間が減っていくのと、比例して。


「騎士団の基本戦術は当然剣です。素早く振るうため、剣は従来より200倍重い特殊仕様を用意しました」


「まだ意識がある者が多いので外周300追加。最後になった者はさらに追加で500周」


「休暇明けは身体が鈍り、辛くなるので特別メニューを用意しました」


 他の部隊と比べるまでもなく勝手に過酷にされていく訓練は、少しでもメニューを嫌がる素振りを見せれば、倍に増えた。


 ちょっとでも機嫌を損ねれば、どんどん走らされるし、どんどん訓練に放り投げられるのだ。


 実際に敵と戦うようになれば、当然彼の無茶苦茶も増した。


「危機的状況ですけれど、攻撃が当たらなければいいだけです。一人につき、200人倒しなさい。以上」


「武器を運んでいた隊がやられました。武器補充はありません。しかし撤退しても後ろからやられるだけ。農具が借りれました。これで戦ってください、以上」


「他の部隊がやられました。崖を下って奇襲を図りましょう。崖から落ちて死ぬ? 死なないように落ちればいいだけです、以上」


 無茶苦茶な命令に従い、日々「今日が命日」と思いながらも月日は流れ、私は二十歳に、彼が二十五歳になり、戦は終わった。


◇◇◇


「グラーヴェ団長、今まで頂いた勲章、どうして一つもつけなかったんですか」


「全部必要ありません。こんなものあって何になるというのでしょう? くだらない、全部焼却炉に入れてしまいなさい」


 終戦、そしてこれからの平和を祈る式典を終え、みな故郷に帰ることを喜んでいるというのに、執務室で後片付けをするグラーヴェ団長は、つまらなそうに勲章を私へ放ってくる。


 団長は、本来もっと上の階級を国から与えられている。しかし自分が前線に出たほうが戦が早く終わると、国が与えようとした階級を蹴り続けていた。


 私は、投げられた勲章を手にしながら、グラーヴェ団長に目を向ける。


 騎士であることを抜きにしても体躯がよく、すらっと見えるのにしなやかな筋肉で覆われ、背も抜群に高い。


 男女問わず、特に女性が惹かれる端麗な姿だ。しかし、職場でも、休暇中ばったり会っても、相手がどんなに位が高くとも──にこりとも笑わない。


 近寄りがたいその雰囲気は全方位に発せられていて、出自問わず誰に対しても平等に傲慢だった。


 さらに不用意に前を通れば嫌味まで飛んでくるものだから、分かりやすく避けられ、言伝はすべて私に回されていた。


 グラーヴェ団長は国が秘密裏に開発した兵器で、その態度と強すぎる攻撃力は整備士のうっかりと言えば、100人中100人が頷くだろう。


 実際、新入りにそう言うと本気で信じるし、二年目の人間は爆笑する。そして私がそう発言するのを、「ふざけないでください」と、団長が私に外周を命じるのがセットだ。


 皆で願いが叶うと噂の泉へ行った時だって、皆が「お金がほしい」「結婚したい」「平和!」と叫ぶ中、ただ沈黙していた。


「そういえば、総統の護衛の話を蹴ったって本当ですか?」


 私はグラーヴェ団長に勲章を押し付けながら問いかける。彼は勲章を受け取ることなく、「くだらないからです。私には他に、やるべきことがありますから」と、興味なさげに私を見下ろしてきた。


「でも、相手は総統ですよ……? 良かったんですか? そ、それに断っていいものではないはずでは……?」


「あまりに煩いようなら殺すと言ったら、謝罪を受けましたよ」


 私は団長の言葉に絶句した。そんなことを総統に言うなんてありえない。しかし、彼は物差しが狂っており、さらに我が強く、ありえないことを言って実行し続けているのもまた事実だ。


 一分の間に100人倒せば、この戦いに勝つことができるなんて宣い、敵に囲まれているにも関わらず一人も自決をさせず、最後まで馬車馬のように働かせたりする。


 彼は一分で200人の敵を制圧し、部隊は全員生存した。


 敵に追われている最中、氷点下を大幅に下回る川を下ると言い出し、「凍る前に渡ればどうということはない」なんて平然と私を川へ落としたこともある。ただ、私は今生きているし、あの時川を下っていなければ死んでいた。


 どんどん考えていくと、私は幾度となくグラーヴェ団長に救われているのでは……と、彼への感謝がいっぱいになってくる。そして複雑な胸の痛みに苛まれるのだ。そしてミスをして、団長に外周を命じられ、もやもやする。この繰り返しだ。この五年、ずっと。


「あの、団長……」


「なんです」


 しかし、恐怖の訓練も無茶苦茶な争いも、この呪いのような憧憬も、すべて今日弔う。


 国同士が話し合いをした結果、騎士団も解散させる運びとなった。例に漏れずグラーヴェ団長が勝手に直属として統率する我々の部隊も、本日解散の運びとなったのだ。


「お元気で」


 よって彼とも、この胸に巣食う想いとも、お別れである。


 5年前に患った病と言われるそれは、私の心に未だ根を張っている。遠目から見ているから踏ん切りがつかないのかと、あえてそばへ行ったり、茶化すことだってあった。


 いっそ、告白でもしてみようか。そうして完全に、失った思い出にするのもいいかもしれない。


 これから先、どうやって生きていくかあまり考えてないけど、少しずつ自分の心と折り合いをつけていくことにしよう。


「待ちなさい」


 しかし、一歩勇気を踏み出す前に、私はグラーヴェ団長に呼ばれてしまった。


 今までは「お前は屈伸運動500回追加だ」とか、「お前は山向こうの部隊を弓で射れ」と言葉が続けられていたけど、今日はいったい何の命令だろう。


 グラーヴェ団長は真面目な顔つきで、これから単独で進行でも命じるかのように、私に近づいてくる。


「わ」


「はい?」


 突然、驚かせに来たのだろうか。なんだろう、戦が終わって浮かれている? 初めて見る歯切れの悪そうな態度につい首をかしげると、グラーヴェ団長が私の手首を掴んだ。


「お」


 わお? 一体なんだろう。勢いがすごかったから、強く握りしめているように錯覚したけど、私を掴む手はやけに優しい。そして、ひどく熱っぽくて、汗に濡れていた。今まで団長が汗をかいているところなんて見たことないし、あまりに異質で困惑する。


「お、れ、わ、わたし、おれ、おれ、おれお」


「だ、団長落ち着いてください」


「私、は、貴女を愛しています。あ、貴女が良ければ、私と、結婚し、し、てい、いただけますか」


「え」


 彼は私に指輪を渡してきた。武器の手渡しは三秒以内に速やかにという彼の規則上、反射的にぱっと受け取ってしまう。すると彼は大きく目を見開き、目を潤ませた。


「絶対に……っ幸せに、しますから……!」


「え」


 彼は指輪を私の手から取り、今度は左の薬指に嵌めてきた。


「2分……待ちます。嫌なら外しなさい。今なら外したことに、罰則も処分もつけません」


 私は左の薬指を見つめた。これを外さなければ、私は彼と結婚ができる……? いや、結婚ってそういうものだっけ……?


「私も、グラーヴェ団長のことが好きです。なので、外したくないです」


「本当に?」


「はい」


「なら、もう、絶対に離しませんから……」


 グラーヴェ団長はぎゅっと私を抱きしめた。まるで人間のような笑みを、それも確実に精神が病んでいらっしゃる笑みを浮かべ、私の両頬に触れてきた。


「ずっと、一緒に生きてくれますか?」


 声色が、完全にいつもの「これから敵の本拠地へ向かいます、準備はよろしいですか?」だ。そのせいで私は「はいっ」と、即座に返事をしてしまう。


 私は彼に、淡い想いを抱いていた。それはもう、認めるしかない。けれど、初恋が叶うといっても──これはあまりに、凶暴すぎるのではないだろうか。


◇◇◇


 戦が終わり、国中が浮かれた空気とともに夕焼けに包まれる中──


「君に婚約者がいたら殺す気だったから。余計な血を流さず済んで良かったです。君も流石に婚約者を殺されたら、私を怖がるでしょうし」


 私は、甘い口説き文句と共に脅迫を受けていた。


 隣にいるのは元上司で、今日から婚約者になったグラーヴェ団長だ。あれからとりあえず途中まで一緒に帰ることになり、さらに国中お祭り状態のため馬車が通る道は軒並み歩道扱いとなり、我々は歩きで帰ることとなってしまった。


「私のこと、いつから好きだったんですか?」


 暮れ行く日に照らされながら、私はグラーヴェ団長に問いかける。こういうことは、最初に聞いておいた方がいいだろう。長引かせると聞きづらくなるし、普通にすっきりしない。


「ずいぶん直球ですね」


 黙々と歩いていた彼は、照れた様子で頬を染めた。なにこの表情、見たことがない。一瞬夕焼けが悪さをしているのかと疑ったけれど、視線も彷徨っていた。


「聞いたら駄目でしたか」


「最初は、ふざける君に煩わしさしか抱きませんでした。でも、私の周りをちょこまか動きまわる君が可愛く見えて……今思うと、初めて出会った頃から好きだったのかもしれない」


 いつもグラーヴェ団長は、私を射殺すように見る。その次に出る言葉は、「やめなさい」「ふざけるな」「くだらないですね」「ふん」で、ふんが一番多い。


 怒るときすら淡々と言葉を並べるのに、今日の彼は、忙しいし、よく口ごもる。


「私に対して異常にメニューを増やしていたのは、茶化した報復じゃなかったんですか」


「強くなってほしかったんです。正直もっとふざけてしまえと思っていました。でも君は訓練中ふざけないから、苛立ちを覚えていたくらいです」


「苛立ち」


「だから訓練場での移動中はチャンスでしたよ。でもそれだけでは足りないと思い、連帯責任での追加訓練を思いついたときは、つい浮かれて君以外の人間を過労死させかけてしまった」


 照れ顔で言っているけれど、他の隊員からしたらいい迷惑だろう。実際、団長のもとで働くことは、この巣食うような恋心に呪われてのことだ。団長が好きではなかったら、たぶん後ろから刺している。


「私は君にだけは死んでほしくなかったんです」


 そう言われると、過去に腕立て伏せ1500回を命じられた時、「彼は一年に一回電気で充電しないと機能停止するなんて新入りに言わなきゃ良かった」と簡単に考えて行っていた自分が恥ずかしい。


「ごめんなさい。私は、あなたに好かれているなんて思いもしませんでした」


「でしょうね、私は普段から、自分以外の人間は下等な生物だと思っていました。でも、部下には平等に接しなくてはいけない。だから君のことも、見下すよう努めていたので」


 この人に命を預けていた隊員が聞いたら、化けて出るような言葉だ。とはいえ、この人の命令を聞いていた隊員はみんな生きている。私含めて。


 どう返事をすべきか悩んでいると、その空気を感じ取ってか、「でも」と、団長は続けた。


「毎夜君を想っていましたよ」


「いかがわしい意味で?」


「……半分くらいは」


 団長に顔を真っ赤にして目を逸らされ、私は頭を下げた。うっかり遊び心が出てしまったけど、もう絶対しない。今までは「ふざけるな」という罰則が対だったけど、それがない今気恥ずかしい。過ちを後悔していると、彼は改まった様子で私を見つめた。


「変わり映えしない、何故自分が戦っているのかもわからない世界の中で、君の冗談や、のんびりした態度、馬鹿らしい言動は救いでした」


「団長……」


「生きて戦いの終わりを迎えた以上、一緒に生きて、一緒に死にたいです」


 そう言われると、誰より平和のために武功を上げ続けてきた彼の願いを、叶えなければという気持ちになった。


「その願い、私が叶えます。他にも色々、こうしてほしいとかあれば、それも全部」


 というか、一人で100人倒して来いとか、腹筋1000回、失神するまでスクワットするより平和的で、簡単にできることだ。よかった。これからの結婚生活、馬車馬のように家事をさせられ、彼の基準を満たせなければ永遠に腹筋と腕立て伏せをさせられるのは嫌だなと疑っていた。申し訳ない。


「……手でも繋ぎませんか?」


 真っ赤な顔で言われ、私は早速、グラーヴェ団長に手を伸ばした。


 彼は私の手を握り、そのままゆるゆると動き、夕焼けの影を確かめるように歩いていく。


 ただ歩いているだけなのに、彼は微笑んでいた。耳まで赤い。


 今まで、彼が赤くなるといえば返り血だけだった。だからなのか、彼のことがひどく可愛く見えてしまった。


「ではこのまま、貴女の屋敷で顔合わせをして、婚姻の書類を提出、私の家で事後報告をして、そのまま新居に行きますよ」


 でも、やっぱり可愛くないかもしれない。


 だって予定の組み方が、常軌を逸している。


 完全に、過去の地獄のような時間割による訓練の名残が出ている。


 結婚のあれこれが一日で終わるはずがない。


 しかし、それは今日突然屋敷に来ていればということが前提としてある。どうやらグラーヴェ団長は、私に内密の状態で、戦いが終われば告白するから、もしそこで私が承諾すれば、結婚させてほしいと一年も前に私の両親へ伝えていたらしい。


 その後、爆速で婚姻に関する書類を提出され、即座に受理され夫婦となった。


 家名に思い入れがあったわけではないし、確かに彼へ気持ちはあれど、準備万端過ぎて引いた。


 かといって、私はこの結婚生活が円満に続くと思ってはいないのだ。


 私の両親は結婚を認めていたけど、問題は彼の両親である。


 私は騎士団に志願し、婚姻する機会を自分から捨てた。平和を夢見て、戦いの世界に身を投じたのだ。この黒い髪だって酷く短いし、母譲りのアイスブルーの瞳が記憶したのは、教養ではなく血と鉛や、争いの炎だ。


 彼の家が、大切な息子が戦を終わらせ帰ってきたとき、荒んだ彼の心を救うため、止まり木になれるような妻を用意しているほうが、しっくりくる。


 さらに彼は、半ば強行突破の形で婚姻届けを提出していた。ということは、何かそうしなければいけない理由があると私は確信していた。でも──、


「息子がごめんなさい……」


 私が顔を見せるなり、水でもかけられるかもしれない。私の予想に反して、広間で私を迎えた彼のご両親は、申し訳なさそうにするばかりだ。


「こちらこそ、突然お伺いしてしまい、申し訳ございません」


「いいの。私、貴方が猿ぐつわもされず、袋に入ることなく自分から歩いてきたことに、本当に、心から安心しているから……元気そうで何よりよ……本当に……そのまま元気でいて……」


 グラーヴェ団長は、そんな強行をするということを自分の両親にちらつかせていた?


 おそるおそる彼に目をむけると、今まさに自分のことを話されているにも関わらず、他人事のような顔をしていたのだった。


◇◇


 突然のご挨拶も終わり、私はグラーヴェ団長に「見せたいものがある」と誘われ、彼の部屋へと向かうこととなった。終始顔色の悪かったご両親と別れ、彼はすぐに私の右手に自分の指を差し込むと、ぎゅっと握る。


「手が繋ぎたかったんですか?」


「ええ。昨日手を握って、ふわふわでしたから。君の手は常時握っていたい。人の心を安静にする作用があります」


「ふわふわ」


 私の手は訓練や戦の痕で、ふわふわには思えない。


 しかし彼がそう言うのなら、そうなんだろう。挨拶を一日に短縮したり、婚姻の受理をさせるなど、この人は正気ではない。


 何だかいたずら心が芽生えてきて、ぎゅっと握ってみたり、指の間に自分の指をいれて絡ませてみたり、思い切り離してみる。


「離さないでください。ちゃんと握りなさい」


 命令口調のわりに、言ってることが子供みたいだ。


「こうですか」


「一番具合がいいですね。離れない感じがする」


 それなら、ちゃんと彼の命令に従おう。リズムをつけてみたりして、彼が口元を押さえたり、照れたりするのがあまりに面白くて繰り返していると、「着きました」と、木造りの扉の前に到着した。


 彼には今まで、部下を自分の屋敷に招待している気配がなかったから、どこかへ潜入するわけでもないのに緊張する。


「失礼します」


 恐る恐る部屋へ入ると、中はなんてことない部屋だった。


 ダブルベッドに、机に、それらを挟むように椅子が二つ可愛らしく並んでいる。本棚に、雑貨棚。ワインボトルなんかも飾られていて、普通の部屋だった。


「君と住んでいる想定の部屋です」


 聞きなれない言語に脳が処理できず、思考を停止させたまま、私は聞き返した。


「え?」


「君と住んでいる想像をして、過ごす部屋です」


 私はしばらく二人掛けのソファを見つめ、その横の扉へ目を向けた。入ってきた扉とは別のもので、用途が分からない。


「この部屋出口二つあるんですか?」


「あれは別室ですよ」


 今いる部屋が妄想の部屋だとすると、もうひとつはグラーヴェ団長のただの書斎、つまり正気の部屋ということになる。そこが普段彼が暮らしている場所ということだ。


「好きに見て構いません」


「わかりました」


 軽い気持ちでドアノブに手を回し、入ってすぐに足を止めた。その瞬間、後ろから手をぎゅっと握られ、顔がひきつる。


 彼は後ろ手で扉を閉めたらしく、やけに大きく扉の閉まる音が聞こえた。更にと、鍵の閉まった音も続く。


「ここは私の使う部屋です」


 彼の部屋の壁には、壁の左右に拡大した私の顔写真がはられていた。


 隠し撮りではなく、部隊で一年に一度撮影する集合写真の、私だけを切り取ったものが。壁一面に一枚を拡大で張り付けているから、だいぶ怖い。


 更に床には、手錠や鎖、枷が並んでいる。一応痛い痛くないを調べていてくれたのか、壁には使用感の一覧表があって、痛い枷と痛くない枷を確認した形跡が見られた。


「これは、言う通りにしないとこうしてやるからな、みたいな意味合いで私に見せてますか」


「本当は見せる気はなかったんです。私の愛が伝わってない気がしましたから。これほど好きだということを分かってもらいたくて」


 なるほど。確かに私は、グラーヴェ団長が私をどれくらい好きか分かっていなかった。これは分かりやすい。分かりやすく、彼がどうかしていることも理解できた。


「この枷の用途は」


「君は戦で他人を庇おうとする。だからここから出られないようにしようと購入しました」


「そんなことありましたっけ」


「矢から12回、銃から2回、剣3回、爆破7回、うち致命傷9回、約40名を君は庇った。すべて記憶していますよ、君がどんな風にどんな人間を庇ったのかも含めて」


 狂気を存分に流し込んだような瞳に、私は頭を下げた。


 それはもう、ご両親があんな状態になるわけだ。私も今、麻袋とかに詰め込まれずに済んで良かったと思うし、ご両親どころか他の人間と会えるのは、二、三年後だろうなと覚悟する。申し訳ない。


「ごめんなさい」


「いいえ? もう二度と間違いを犯さなければいいだけです。それにしても、私の部屋に君がいるなんて不思議ですね。いい部屋がもっといい部屋になりました」


 彼は自画自賛しながら淡々と辺りを見渡している。他には、執務机と、椅子しかない。あとはまるで聖夜を祝うような贈り物の群れが四隅に犇きあっていた。


 すると、グラーヴェ団長は私の手を引いて、包装されたボックスを指す。


「今まで渡せなかった君へのプレゼントです。ドレスもありますよ」


「あ……ありがとうございます」


 プレゼントを貰えることももちろん嬉しいけど、さっきから気になっていた箱の中身が分かってよかった。よかった、生首じゃなくて。団長が国を守る以外の理由で人を殺さずに済んで。


「君だけにドレスを贈るのは不平等ですが、部下全員にドレスを贈るわけにもいきませんでしたから」


「確かに、着る人もいるでしょうけど、同じくらい着ない人もいますからね」


 そう答えると、グラーヴェ団長は「好きです」と私の頬に触れてくる。彼の情緒がさっぱり分からない。


 そして、彼は私を見つめているのかもしれないけど、私は彼だけじゃなく、部屋に並べられた私にも見られている気がする。


「……屋敷に帰ったときは、この部屋で寝ているんですか」


「ええ。君の視線を感じながら」


  彼はこてんと首を、隣に立つ私の頭に乗せてきた。それ、酒場の踊り子が金蔓を見つけたときにするやつ。


 でも、彼は愛情表現でしているのだろうと、私も恐る恐るその広い肩に自分の頭を乗せてみた。


 普通こういうのは、花畑とか、湖とか、景色のいいところで行うことなのだろう。でも私たちを取り囲んでいるのは、拡大された私の顔写真が二枚。


「もう戦わなくていい。君に愛を捧げることだけに集中出来るなんて、夢のようです。怠惰に暮らしたい」


 グラーヴェ団長と、怠惰。対極にいて、お互い磁石のように反発しあう存在ではないのだろうか。


 団長の怠惰っていったい何だろう。甘いお菓子を食べる、とか……? 寝坊する、とか……?


「たとえば?」


「君を膝の上に乗せて、私の右手は君に菓子を食べさせ、左手は本のページをめくることだけに動かす」


「水分補給と、レコードの曲の入れ替えは任せてください」


 そう言って、ふと気づいた。彼は今日新しい家で住むなどと言い出したけど、荷物はどうするんだろう。


「引っ越しってどうなってますか」


「ああ。結婚に承諾頂いたので、貴女の荷物は今まさに私たちの新しい家へと運ばれています」


「ありがとうございます。私の憂鬱が完全解消です」


 隊の待機場所を移動することはままあったけれど、好きなことではなかった。自分の顔に囲まれて少しげんなりしてたけど、元気出てきた。


「私がほとんど決めてますが、君はそれでよろしいのですか?」


 グラーヴェ団長が、思い出したかのように問いかけてくる。


「はい。嫌なものは嫌と言えるのが取り柄なので」


「それは心強い」


 彼は微睡んでいるのか、眠たげな声色だ。頭の上で寝られたら困るななんて思いつつ、私はしばらく頭を貸してあげたのだった。


 グラーヴェ団長は、あまり物を選ばない。


 私たち騎士団員は大体同じ寮で暮らしていて、家族よりもずっと長く一緒にいた。だからお互いの癖や挙動はよく知っている。


 あの人は、食事は寮でとるけど、メインが選べたとしても「在庫が余りそうなもので」と、寮母思いなんだか思考を放棄したのか分からない選び方をしていた。支給される筆記具だって、「団長どっちがいいですか?」と聞いても、「残ったもので」と、書類から目を離すことはなかった。


 「好きな色とか物はないんですか?」と聞いたこともあったけど、長い沈黙の末に「物はないですね」と首を横に振られ、何も選ばないのは優しさ故という幻想は打ち砕かれた。


 そんなグラーヴェ団長との出来事を急に思い出した私は、彼の屋敷で挨拶を済ませ新しい家へ向かう途中、これから住まう新居がとてつもなく恐ろしくなった。


 今まで家具にも屋敷にも興味がなかった人なのだ。私の顔だけをはりつけた部屋を「良い」と言う。人間の顔を張り付けるにも、人探し風とか、一枚一枚張った後にメモ書きをして、重要参考人風とか、復讐鬼風とかいくらでもやりようがあるのに、彼はただ拡大して貼り付けていた。常識もセンスもない。


 お手洗いが無かったとか、ドアがぶつかり合う家をオーダーして、大工も「彼がそう言うなら……」と、欠陥設計を放置していたらどうしよう。


 本当に台所はついているだろうか?


 階段ばっかりある部屋があったらどうしよう。


「グラーヴェ団長、新しい家って台所あります?」

「ありますよ。なければ料理ができないでしょう?」

「お手洗いは」

「ありますよ。無くてどうするんですか」


 馬車の中で手をつなぎ、新しい家の内部を確認していく。彼は指を絡めることをを覚えたらしく、私の手をぎゅっぎゅしていた。ちょっと離そうとすると、思い切り握られて面白い。


 それにしても、台所とお手洗いがあるなら安心だ。もう他には何も望まない。階段だらけの部屋だって、武器庫があったっていい。安心していると、彼は「寄りかかりなさい」と、ぼそりとつぶやく。


「別に足とか腕とか撃たれてないですけど」


「常々、普通の時に寄りかかってほしいと思っていました。嫌じゃないならしなさい」


「分かりました」


 私は彼の肩に寄りかかる。そしてぼんやりと、過去に想いを馳せたのだった。


◇◇◇


「グラーヴェ団長」


「黙りなさい」


 方々が燃える山岳の中、銃声が行きかう戦場で、団長は撥ねつけるように私を見下ろす。彼は銃を持って周囲を警戒しながらも、私を背負っていた。


「もう私死ぬので、置いていってください」


「やめなさい。まだ戦えるでしょう」


 誰もが勝てると言った戦だった。


 グラーヴェ団長は「警戒を怠るな」と警戒していて、私も警戒を怠ると彼から威嚇されるため、気を引き締めていたつもりだった。


 しかし、わが騎士団が圧倒的に有利と思われた戦は、共同戦線を組んだ友好国の裏切りにより、戦況は一変した。


 部隊どころか我が騎士団自体が壊滅的で、支援もなければ武器の補充もない。我が国の最高戦力であるグラーヴェ団長を殺すわけにはいかないと、私が殿しんがりを務めていたのに、なぜか最も命の優先順位の高いはずの彼は、最も危険な私の隣にいた。


 味方が倒れ、生死も分からない生き地獄の中、私は胸と足に矢を受け、腕だって皮一枚繋がっている程度だ。胸だって心臓をぎりぎり外したものの、即死を免れただけにすぎない。


「もう、私は長くありません。置いて行ってください」


「甘ったれないでください。自分より弱い部下ばかり庇うからそうなるんですよ、反省しなさい」


「弱いじゃありません。彼らは若い。可能性があります。その可能性を信じたまでです」


「その結果がこれですか。抱えてあげますから、しっかり歩きなさい」


「もう、無理です。団長は撤退してください」


「うるさい。君の意見などどうでもいい。命令を下すのは私です。君は生きて、明日休み、明後日から敵を倒す任務があります」


 彼は、私をずるずる引きずっていく。後ろから聞こえる敵の部隊の声が、どんどん大きくなってくる。


「団長」


「なんです」


「さよならですよ」


 私は隠していた煙幕を放ってから、自分を抱えていた彼の背中を思い切り蹴り飛ばした。


 敵国の声がする方向へ、駆けていく。敵の隊の紋章が見えて、口角が上がった。無駄死になんて、まっぴらごめんだ。


 そして私は、敵陣へ飛び出したのだった。


◇◇◇


「起きなさい」


 声をかけられ、咄嗟に手元の銃へと手を伸ばそうとして──もう戦は終わったのだと安心した。手が震えていた私に、グラーヴェ団長は眉間にしわをよせた。


「どんな夢を見ていたんですか。うなされてましたよ」


「団長が化け物みたいな速度で私の首を掴み、医療班へ飛んだ時のことです」


「あの時……」


 彼はしばらく考え込んだ後、まるで戦時のような冷やかな目を向けてきた。


「私は君さえ生きてくれればと思っていたのに、部下を何度も庇って怒りを覚えた時のことですね。そして、君にだけは生きることを諦めてほしくなかったのに、敵を道連れにしに走って、どうしてやろうかと思っていた時です。思い出したら怒りが再燃しました」


「どうしてやるつもりだったんですか」


「前を走っていた味方を斬り、言うことを聞かないならまた一人ずつ殺していく、君が言うことを聞かなければ、生き残っている奴も死にますと脅迫するつもりでした。しかしその前に君が煙幕を放った」


「怖い。夜眠れなくなりそう」


「安心なさい。今日から一緒に寝るんです。たっぷりと子守唄を歌ってあげますよ」


「鎮魂歌になってしまうような……というか、団長の生活の中に、歌の概念があるんですね……」


 長い間戦場にいたし、彼が物騒な思考を素で持っていたことも分かっていたけど、中々に恐ろしい。


 変な性癖をお持ちだったらどうしよう。私の写真を部屋に飾っている時点で、感性は死んでいると確定しているのに。これからについて思案していると、グラーヴェ団長はきょろきょろ辺りを確認した。


「着きましたね」


 送迎の馬車が止まる前に、彼は立ち上がろうとする。「戦じゃないんですよ」と止めようとすれば、身体の大きい彼が動いたからか、車体が揺れた。


「おっと危ない」


 私は全体重をかけて彼を支えようとした。かなりの体格差があるから、ただ支えるだけだと押し倒されてしまう。しかしそれがいけなかったのか、彼の顔が眼前に近づいた。


 思えば、結婚したというのに手を繋いだくらいしかしていない。


 今口づけをするのかと思考停止すれば、彼は顔を真っ赤にして下がり、思い切り私から離れた。


「っ!」


「口づけしないんですか。劇みたいなタイミングでしたけど」


 尋ねると、グラーヴェ団長は口をぱくぱくさせた。


「そ、そういうのは、事故でしたくない……ちゃんとしたいっ………」


「乙女ですね」


 呟くと、彼はばつが悪そうに頬を赤らめ、きゅっとこちらを睨んだ。なんだか、遊び人に弄ばれた少女みたいな顔をしている。


 その様子を眺めて、胸のあたりが詰まり、ふつふつと煮えるような感覚が広がっていく。


 さっき口づけをしていたら、彼はどうなっていたんだろう。


 彼とは苦楽を共にしてきたし、狂っているとは思うけど、夫婦として暮らしていくことに嫌悪や気持ち悪さはなかった。


 最も落ち着くであろう我が家という場所が、訓練場に変わるかもしれない恐怖だけだ。


 でも、今の私の気持ちは、少し違っている。自分によって彼の反応が変わっていく姿を、もっと見てみたいと思っているような……。


「団長より、私のほうが、特殊な性癖を持っていたのでは……」


「なんです?」


「いや、何でもないです」


 まずい。彼が頭がおかしすぎるから、自分が普通だと思い込んでいただけで、私も彼によって常人から外れた存在になってしまっていたのかもしれない。私はもうこれ以上自身の性癖が歪まぬよう、祈りながら馬車を降りたのだった。


「君、もう自分の足で歩く必要無いんじゃないですか?」


 新居に着いて早々、私の足は引っこ抜かれる危機に陥った。


 新居に到着して早々の狂言に愕然としていると、彼は何故か腰を低くした。抜刀する様子もないし、私の足に触れもしない。奇妙な沈黙だけが流れていると、「姫抱きさせなさい」と、唇を尖らせてきた。


「姫抱き」


「君が前、同期に押し付けられていた恋愛小説の表紙にあったでしょう。二人きりの移動時は、あれがしたい」


「筋力が衰えるのも、重く思われるのも嫌なので、玄関までなら」


 彼は「では」と、私を姫抱きした。


 分厚い胸板に触れて、顔もぐっと近くなる。血生臭くない彼の香りでいっぱいになって、どきどきしてきた。


 手を握られたときも思ったけど、私はグラーヴェ団長に触ることが好きかもしれない。


 気を確かにしていないと、これから一生一緒に暮らすわけだし、抱き着いていないと死ぬみたいな、中毒患者にさせられたらどうしよう。


 今まで、真面目な同期がお酒にのまれていくのを何人も見てきた。


 常時彼に触らないと正気で居られなくなったら……。


「やっぱり今日はなしです」


 しかし、グラーヴェ団長は私をすぐに降ろしてしまった。どうしようとは思っていたけど、残念な気持ちも出てきてしまう。私が彼を姫抱きにすることは許されるだろうか?


「何が駄目だったんですか」


「太ももに手がいく」


 そういって、グラーヴェ団長は自分の左手を見つめている。手はぷるぷると震え、まるで麻痺毒にでもあったようだ。


「太ももに触るの嫌ですか」


「君の身体ならどこも好きですけど」


「じゃあ良くないですか。私も好きですよ」


「は? な、なんだと?」


 彼は驚いた。私が触られるの大好きな変態みたいじゃないかと、私は「違います」と冷静に否定する。


「私は団長に触るのと触られるのが好きなだけです。他の人間なら切り殺してます」


「なんて破廉恥なことを言うんですか君は……!」


 団長は「心臓がもたない……!」と頭を抱える。怒られるのかと思いきや、顔を覆いつつ、ちらっと顔を上げて私を見て、また顔を覆うこと繰り返している。


「えっと、早速新しい家をご案内していただいても……?」


 このままだと埒が明かない気がして、私は団長に声をかけた。


「そっ、そうですね。そうしましょう」


 彼は門を開ける。真っ白な壁に、薄っすらとした桃色の屋根の可愛らしい三角屋根の屋敷だ。しかし、二人暮らしにしては大きい


 寮では寮母さんが料理を作っていたけれど、寮母さんが休みの休日は非番の人間が交代で料理を担当していたし、掃除も当番制だった。私は家事に困ることもないし、苦でもない。それに、戦が終わったということで仕事がない。報奨金はその都度貰ったものの、所詮戦時。使う場所もないし、私は他の団員と違って貢ぐ人間もいなければ、酒も嗜む程度で、趣味もなかった。


「他にも誰か住むんですか?」


「私と君だけですが何か?」


「広くないですか? 夫婦の寝室に、お手洗い、お風呂、書斎、広間、客間と考えても、計算が合わないのですが」


「客に来てほしくないから客間はなし。ただ君を閉じ込める部屋が五つ。一室だけだと気が狂うと思い、日替わりです。そこから案内しましょうか」


 そういって、彼は玄関扉の見える道を外れる。一緒に屋敷の裏手に回ると、可愛らしい家の雰囲気を破壊するような鉄造りの扉とともに、武骨な南京錠が見えた。


「一週間って、七日じゃないんですか」


「七日間ずっと起きているわけでもないでしょう」


「たしかに。半日ずっと寝てたりしますもんね」


「え……」


 彼は顔を真っ赤にした。私から一歩離れて、じっと見てくる。徐に狼の真似をして威嚇すると、身体をびくつかせた。どうしよう、彼の新しい反応が楽しくて仕方がない。


「あまりいじめないでくれませんか……」


 一方彼は脱力した様子で鍵を取り出し、ちょこちょこと手を動かしている。さっきのこともあるし、なんだか、いままで彼が武器や剣を持っているのを見てきたせいか、小さいものを持っているとほのぼのとした気持ちになってしまう。


「ここですよ、脱出は不可能だと思ってください」


 南京錠を開け、武器庫のような薄暗い廊下を抜けて辿り着いたのは、窓のない一室だった。


 多様な書籍が並んだ本棚に、レコードが飾られた硝子棚、そして二人用の寝台がある。小さな台所もついていて、囚人を入れておく場所には思えない。


「私をこの中に入れておくんですか」


 問いかけると、団長はすっと冷えた眼差しを向けてきた。


「ええ。君が他の誰かを好きだなと思ったら入れます。その誰かと会えないようにします。そして私も入ります」


「普通、捕らえた人間は隔離しておくべきでは」


「私は君と離れないし、離れることも許しません」


 その言葉に、ときめいてしまった。駄目だもう、グラーヴェ団長が何をしても可愛く見えるし、命令口調にすらにやにやしてしまう。


「じゃあ、別にこの家の中で二人でいても変わらなくないですか」


「……そうですね」


「あと問題が二つ」


 これは、重要な問題だ。私の言葉を、彼は固唾を飲んで待っているけど、そこまでされると引いてしまうし、申し訳ない気持ちになる。


「私が他の誰かを好きになることは無いことと、逆に私もここでグラーヴェ団長に好き勝手出来るのではと思い至りました」


「……ここから出ましょう。普通に、玄関から入り直します」


 彼は、ちらっと私を見て、両手で口元を抑えていた。


 戸惑いの顔をしている。こんな部屋を作っておいて、人をけだものを見るような態度をとるのはやめてほしい。それに私は彼の顔写真を部屋に貼り付けたり、周りの人間を殺すことなんて仄めかさない。


 なのに彼はじろじろ見てきて、悔しくなった私は思い切りその手を握ったのだった。


「これから永遠に二人きりですよ」


 月が浮かぶ窓辺を背に、グラーヴェ団長は腕を組んでこちらに視線を投げかける。


「結婚しましたからね」


 私はその隣で、頷く。


 新居の探検もそこそこに、彼の作る料理を食べた私は、彼の家庭菜園計画を聞いたり、この地区に関する情報を聞いていた。車でだいぶ寝たせいでどこに到着したかも分かっていなかったけど、海の近い農村地らしい。


 会社の発展を築き上げた経営者などが癒しや余生を終えるために暮らし、安らかに死んでいくそうだ。


「明日はご近所さんに挨拶ですか?」


「ええ。一応、最初だけは、こちら側から挨拶をしたという事実が必要ですからね」


 グラーヴェ団長は追々ご近所さんを殺す気なのだろうか。


 明日殺そうとしていたら止めればいいかとぼんやりしていれば、彼はカレンダーを指してこちらに振り返る。今日は月のはじめ、そして月の最後には、怨敵が死んだかのようなおぞましいぐるぐるの印があった。


「結婚式は、約一か月後です」


「あのぐるぐる、誰か殺しに行く日じゃなかったんですね」


「はい。君の花嫁姿は私だけのものであるべきですが、君の両親の手前もある。なにより祝いです。ただ準備はすでに終わっています。君は当日私に化粧をされ、着替えさせられ、抱えられているだけでいいんです」


「何から何までありがとうございます」


「ただひとつお願いが」


 団長のお願い? いったいなんだろう。今まで狂った命令しか聞いてこなかったけど、結婚式に関することなら平和的だろう。


「結婚式のとき、君の花嫁衣装を見る人間を殺さないよう、前後三日くらいは君と私を手錠でつなぎたいのですが」


 そうでもなかったかもしれない。


「まぁ、いいですよ」


 私が返事をすると、彼はぱっと顔を明るくした。


「本当に?」


「はい。私寝相悪いですけどそれでもいいなら」


「知ってますよ。遠征で君の隣で寝ることが多くありましたが、何度毛布をかけたかわからない」


「ごめんなさい……」


 それは本当に、申し訳ない。蹴ったかもしれない。絶対蹴ってる。小さい頃から、姉兄弟妹父母から親戚のおじさんおばさんまで、私は寝ている間、まわりの人間を平等に蹴っていたのだから。


「そういえば、今夜一緒に寝ますか?」


 私は大きく伸びをしながら、グラーヴェ団長に問いかけた。


「君がいいのならな」


「蹴ったらごめんなさい」


「一晩中抱きしめているから、蹴れないでしょう」


 今のはかっこいい。彼へ顔を向けると、まっすぐ私を見つめている。思い切ってキスをしてみると、彼は目を見開き、崩れ落ちた。


 そして顔を真っ赤にし、涙目で抗議をしてきた。


「きっ君は手慣れてる! さっきの破廉恥発言から思っていたが手慣れてませんか? ち、地下に閉じこもってもらいますよ、鎖とかつけて」


「手慣れてないですよ。すみません、なんか自分でも、こう、ちょっと衝動的になってしまうというか。新しい表情が見たくなって悪さしてしまうだけです」


「その言葉、信じますよ」


「はい! 私の目を見てください」


 信じてもらおうと顔を近づけると、「見られるわけないでしょう!」と、彼は顔を手で覆った。


「君のせいで、私はどんどん愚かになります……」


 そうして私の顔を見ないように抵抗しているのか、そのまま俯いた。肩のあたりを指でつつくと、魚みたいに肩がはねた。それから微動だにしない。だんだん申し訳ない気持ちになって、私は膝を抱える彼に近づき、頭を下げる。


「勝手にごめんなさい。もうあの、嫌がることはしませんので、許してください」


「嫌とは言ってません」


 あまりにもすぐ返事が返ってきて、私は「え?」と、戸惑いゆえに聞き返してしまう。すると、彼は顔を上げぬままぶつぶつと話を始めた。


「恥ずかしいしか言ってませんけど。べ、べつに嫌がってないですし」


 ぶすっと、ふて腐れるような声に、どう声をかけていいか分からなくなる。


「ぐ、グラーヴェ団長?」


「そもそも、車の中で、そういうのは事故ではしたくないと言いましたけど、事故で、は、と、言いましたけど」


「えっと、事故でなければ大丈夫という……?」


「私はずっと、同意を提示してますけど」


「え、なら、どうして顔を上げないんですか……」


 たぶんグラーヴェ団長は、別にさっきのは許してると言いたいのかもしれない。でもその割に、全然顔を上げてくれない。ただ、隠れてない耳は真っ赤になってるから、なにか感情は現れているのだろうけど。


「分かりませんか……?」


 いつもより高圧さが薄れた、震え声の問いかけだ。


「はい」


「もうキスしないと君が言って、私が顔をあげたら君が無理やり私にキスしてくるのを大いに期待していたんですけど」


 ぼそっといじけるような声に、昔の記憶がよみがえる。


 「もう戦になんて行きたくない!」と我儘を言う隊員を、「今ここにで留まれば死にますよ。我儘ばかり言うんじゃない」と引きずっていた彼はどこへ行った……? 死んだ……?


 しかし彼自身も自覚もしているらしく、「私はどんどん我儘になる」と、弱弱しく声を震わせる。


「君じゃなかったら、私はそもそもキスなんてされない……! なんで、なんで分かってくれない……!」


 しかし、憤りも滲ませてきた。我儘すぎる。


「も、もうキスはしないので……顔を上げてください」


「それは本気で? どっちの意味で?」


 戦時ではどんな状況でも、たとえ味方にスパイがいても自分を貫いていた彼が、疑心暗鬼に陥っている。


「あんまり信じてほしくないキスしないほうです。衝動的なので」


「ふむ」


 彼はずる……ずる……とゆっくり顔を上げる。そして、私の様子を窺ってきた。かと思えば、「何かしたいと思ったのは私が初めてというのは本当ですか?」と、念押ししてくる。


「そうですよ、全部」


 彼はその言葉に、すすすすす……と立ち上がり、じっと見下ろしてきた。


「じゃあ、あれですか、私が好きだから、衝動的になってしまうと?」


「はい」


「ふん。けだものめ」


 彼は勝ち誇りながら、口角を上げる。彼が元気になってよかったけど、終戦からあまりに彼の印象が目まぐるしく変わるから、複雑な気持ちだ。時計を見ると、そろそろ夜も深まってきていた。


「じゃあ、お風呂でも入りますか」


 声をかけると、グラーヴェ団長はぴくりと耳を動かした。


「それは一緒に?」


「まぁ、せっかくですし」


 返事をすると、「まぁ、構いませんよ?」と、彼はいつもの神経質そうな表情に戻った。


 グラーヴェ団長の恥ずかしがる基準と、いかがわしいの部類分けが本当にわからない。


 私は首を傾げながら、彼とともにお風呂へ向かっていったのだった。



 新婚で、初めて一緒に眠り、迎える朝について想像したことは、今まで一度もなかった。自分とは無縁だと思っていたから、特にこういうのがいい! みたいな希望も特になかったし、夏の地獄の訓練メニューみたいな寝ているときに水をぶっかけられる以外なら何でもいい。


「好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ」


 でも、朝からこんな呪詛寝言を聞かされると思わなかった。


 寝るときうつ伏せ派だったのがいけなかったのか、彼は私の背中の上に乗り上げている。


 彼は言ったことは守る人間だけど、こんなところまで絶対離さないの約束が適合するなんて。


 このまま二度寝しようか迷うものの、もう昼も過ぎだ。こんなに寝たのは何年ぶりだろう。欠伸をしていると、グラーヴェ団長は人の背中に頭をこすりつけながら目を覚ました。


「おはようございまーす」


 声をかけると、「あー」と、間延びしたかすれ声が聞こえてきた。


「ん……? あ、わ、悪い、のしかかっていましたね」


 彼はしゅばっと私の上からどく。無意識だったのだろう。「タオルケットはどこだ……?」と探している。嫌な予感がしてベッドの下に目を向けると、タオルケットが落ちていた。確実に蹴り落としている。


「おはようございます、グラーヴェ団長、私に蹴られてませんか?」


「おはよう。君は……ああ、一生懸命タオルケットを蹴っていて……それで、風邪を引いてはいけないと……私が上から押さえようと……すみません。故意に君を下敷きにしていたみたいです」


「いえ、団長は何も悪くないです。私こそ、寝てる間に団長を袋叩きにしてなくて良かったくらいで……」


 本当に、ぼこぼこにしなくて良かった。安心していると、彼は「団長か……」と何故か元気をなくした。


「もう。名前では呼んでくれないのですね」


 ぼんやりした眼差しではあるものの、圧を感じる。私は少し頬に熱が集まっていくのを感じながら、「セレナードさん」と、改めて彼の名前を呼んだ。


 しかし、呼ぶことを所望したセレナードさんはといえば、耳まで赤くして顔を覆っている。


「争いが終わって本当に良かったです。君に名前を呼んでもらえる」


「そんなこと言われると、グラーヴェ団長と呼んでいた頃が申し訳なく思います」


「まあ、戦いが終わるまでに名前で呼ばれれば、訓練場外周り600周を命じていましたから」


「容赦がない」


「仕方ないでしょう? いくら愛しているといえど、エコ贔屓はできません」


「なるほど」


 頷きながら、私は今半裸であることを思い出し、着替え始める。セレナードさんも「はっ!」なんてわかりやすく顔を赤くして、着替え始めた。


「すみません。服を着ていなかったことを失念していました」


 あせあせとセレナードさんは着替えている。鍛え抜かれた腹筋が眩しい。じっと見つめながら「別に、これからも起こることだと思いますので」と付け足せば、彼は止まった。


「え……」


 セレナードさんはまた口元を抑え、すす……と引いてくる。しかし、「確かに……」と、また寄ってきた。


「朝ごはん、何が食べたいですか」


 問いかけると、彼は首を横に振る。


「私が作ります。君はゆっくりしていなさい」


「じゃあお手伝いさせてください」


 着替え終わって、伸びをする。


「では、カノン。顔を洗って歯を磨きますよ」


 そして手を繋いで、私たちは寝室を出たのだった。


◆◆◆SIDE:Serenade◆◆◆


 眩むような朝日を浴びながら、愛おしい妻、カノンの手を握って、洗面台へと向かっていく。


 まさか、こんなにもすんなり結婚できるなんて。


 拍子抜けする反面、今の幸せに泣きそうになる。隣を歩く彼女に目を向ければ、口に手をあて欠伸をしていた。寝着からのぞく首筋は華奢で、今握っている手も折れそうなほど細い。


 どんなに訓練をさせ鍛錬を重ねさせても、体質なのかカノンはずっと華奢で、彼女を見るたびに次の戦では死んでしまうんじゃないかと恐怖した。


 いっそ足でも折って、戦に出れないよう負傷させてしまおうかと何度も思った。でも、やめて、彼女が危険な目に遭うたびに後悔をして、死なないようにと訓練をつければ彼女は強くなって、ずっと私は頭を抱えていた。


「カノン」


「はい?」


「ずっと好きです。カノンだけを、私は愛しています」


 そう言って、唇を重ねる。


 すべてくだらないものに見え、お世辞にも褒められた態度ではない、でもそれを改善する気もおきなかった私に、彼女は自分から近づいてきた。


 はじめは煩わしかった。ほっといてほしいと思ったし、彼女の言うことすべてがくだらないと思っていた。


 でも、その全てを守りたいと願い、だんだんと、独り占めしたいと祈った。


 カノンが好きで、ずっとそばにいたくて、でも私に好かれるところなんて見当たらない。少しでも彼女に優しくしてしまったら、騎士団の均衡を崩してしまう。


 今まで人一倍規則を重んじ、規則を利用する形で彼女に特別メニューを与え続けたのだ。きちんと腕力も脚力もバランスよくつき、誰にも殺されないように。


 けれど、戦が終わってじっくり仲を深めている間に、彼女が他の男と結婚するなんて考えられなかった。だからかなり強引な手段をとったのに、彼女は私を好きだと言う。


 この上なく、嬉しかった。体が散り散りに張り裂けて、死んでしまいそうなくらい幸せだった。


 今までずっと、私は自分の気持ちに嘘をついて、カノンへただの騎士と同じ態度をとっていた。


 でも、もう嘘をつきたくなくて、もしかしたらこの想いを受け入れてくれるかもと期待もして、つい、思いの丈すべてを伝えてしまう。


 好きだ。苦しいほどに。涙が出そうになるし、昨晩は思い余って彼女を抱きしめながら泣いた。情けない姿しか見せてないのに、彼女は俺を好きだと言ってくれた。


「私も、好きです。セレナードさん」


 ぎゅっと抱きしめられて、もっと強く、壊れるほどに抱きしめてほしいと欲張りになってしまう。好きで、好きで、好きにされたい。何もかも、カノンによって変えられて、つくりかえられたい。


「良かった……」


 本当に。あの時ちゃんと告白して、良かった。閉じ込めたり、無理矢理麻袋に入れて閉じ込めないで。


 だってこんなにも、幸せだ。










評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ