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運命の恋人は期限付き  作者: 小鳩子鈴
カーテンコール
89/96

幼なじみの恋事情(下)

(時系列は80話「交差する想い」のあと)


 2話同時更新2/2


 フィオナがいないクレイバーン領にも季節は巡る。

 春バラがほころび始めた領主館の庭には、ノーマンとクレイバーン男爵、令嬢のセシリア。そしてもう一人――農作業用の服とつば広帽子がやけに似合う、王弟グレンヴィル公爵の姿があった。


 最初こそジャイルズと一緒に訪れた王弟だが、男爵とは年齢も近く園芸の話も合う。その後は単身でふらりとクレイバーン領に現れるようになった。

 継承権を放棄したとはいえ王族の一人であり、国の重要人物であることに変わりはない。

 見かねた王太子に諌められて従者を同行するようにはなったものの、手土産の苗や鉢を片手に予告なく来るのは相変わらずである。


 愛娘さえ絡まなければ、クレイバーン男爵の順応力は高い。

 訪問の回数が片手を過ぎる前に領地の屋敷には王弟の部屋が用意され、長靴などが常備となった。

 とはいえ、王都でのクレイバーン男爵家の地位が上がるようなことはなく、相変わらず立身出世には無縁で無頓着なのだが。


「おじさま、このバラは軒下で育てるの?」

「クロチルドは雨に弱いからね。ご覧、花弁がとても薄くて枚数が多いだろう。濡れると、つぼみのまま固まって開かなくなってしまうんだ」


 始めは挨拶一つにも緊張していたセシリアも、穏やかな気質の王弟に請われ慣らされ、今では身内同然に接している。

 だが親しげな会話の中で、それとなく宮廷作法や社交のしきたりを教えられたりと、セシリアの成人準備は本人がそうと知らないうちに着々と進んでいた。


「グレンヴィル公が好まれる花は、なかなか手強いものが多いですなあ」

「はは、しかし咲いたところを見れば、育てる苦労なんてあってないようなものだよ」

「それは確かに」


 クレイバーン男爵も加わり、新しい鉢を覗き込んでバラ談義に花が咲く。

 園芸だけでなく、今では連れ立って釣りに行ったりもするが、領民たちもすっかり慣れて騒ぎもしない。そんな特別視されない環境が心地よいと王弟は満足げだ。


「セシリア、そろそろ向こうで休もう」

「ノーマンお兄様」

「おお、そうだな。そうしなさいセシリア」

「ここを済ませたら男爵と私も休憩にするから」

「お父様、おじさま。はい、分かりました」


 ここしばらく大きな不調はないが、日に当たりすぎると体力が持たない。

 楽しさについ時間を忘れそうになるセシリアに声をかけて、飲み物を用意してある木陰のベンチへと連れて行った。


 ピッチャーには冷えたレモン水。お互いの分を用意するとこくりと飲み、青空に息を吐く。

 水滴のついたグラス越しに、発熱のせいではなく、健康的に上気したセシリアの顔をそっと眺めた。


「疲れてない?」

「うん、平気」


 白いを通り越して青白いほどだった肌に、自然な血色が乗っていることにノーマンはほっとする。

 相変わらず線は細いものの、触れたら壊れそうな脆さは感じなくなってきた。

 身体が丈夫になってきたことも確かだが、なにより違うのは、瞳の奥に芯を感じるようになったところだ。

 全面的に支えにしていたフィオナの不在が、セシリアの内面も成長させたのだろう。


 旅立つフィオナが一番気に病んだのはセシリアのことだった。

 最終的に心を決めたのはもちろんフィオナ自身だが、泣いて笑って姉の背中を押したのは仲の良い妹だ。


 ――あの二度目の話し合いからこれまで、セシリアとの結婚についてどちらの父も一切触れてこない。

 本当に、すっかり任せられていた。


「どうしたの? ノーマンお兄様が疲れた?」


 ぼんやりとそんなことを思うノーマンを、セシリアが見上げてくる。

 さっきまで被っていた帽子で少し乱れた明るい金色の髪が、風にさらりと揺れた。


(やっぱり、うん)


 来月王都に行けば、セシリアも成人の披露目を迎える。

 それを思うと胸のあたりが落ち着かない。焦りにも似たこの感覚が何かなんて、もう分かっている。

 手に持ったグラスをガーデンテーブルに戻して、ノーマンはそっと息を整えた。


「……セシリアにお願いがあるんだ」

「お願い?」


 まっすぐにこちらを見るセシリアが、可愛いと思う。

 その「可愛い」は、これまでと違う形の「可愛い」だ。


「僕のこと、『お兄様』じゃなくてノーマンって呼んでくれないかな」

「……!」

「妹としては、もう見られそうにないから」


 そう言うと、前に風邪を引いたときのようにセシリアは顔を赤くした。

 きっと自分の顔も赤くなっているだろうことは、鏡を見なくても分かるけれど。


「え……あ、の……っ」

「すぐじゃなくていいんだ。王都に行って、セシリアが社交界に出て、いろんな人に会って……その後でも僕と一緒にいたいって思ってもらえたら、その時に」


 ずっと家にいるしかなかったセシリアの世界は、とても狭い。

 外を知らないまま囲ってしまうことが可能だとしても、ノーマンはそうしたくはなかった。


 嫌われていないと知っている。むしろ、好意と呼べるものを向けてくれているとさえ思う。

 それでもセシリアに選んでほしかった。ほかの誰でもない、自分を。

 フィオナたちがそうしたように。


「セシリアが王都でもよそ見しないように、僕も頑張るから」

「が、がんばるって」

「大好きだよ」

「!!」


 落としそうになったグラスを受け止めて、代わりに震える手を握る。

 脆い身体を持って生まれた、心の強い女の子。その細い手を宝物のようにそっと包み込んだ。


「僕の想いは迷惑?」


 頬を染めたセシリアは涙が零れそうな瞳を瞬かせて、何度も首を横に振る。

 今はそれだけで胸が満たされた。

 とはいえ、あんまり無垢な表情を向けてこられると、それ以上にこう、なにかが込み上げてきそうになる。


 王都ではオルガやベネット夫人だけでなく、コレット侯爵夫人までがセシリアの社交デビューのバックアップを申し出てくれている。

 体調との兼ね合いで出席予定のパーティーは僅かだが、そんなセシリアがどれだけの注目を集めるのか予想もつかない。


(本気で頑張らないとな)


 きっと大勢の男性の目を奪うことになるだろう。

 それでも他の誰にも渡したくはない。


「とりあえず、セシリアと話したければ僕を倒してからにしてもらわないとね」

「な、なにそれ」


 わざとおどけて言うと、ほっとしたようにセシリアも笑って空気がほどけた。

 繋いだままの片手を下ろした二人の周りを、風が通っていく。

 あとから向かうと言ったクレイバーン男爵と王弟は別の花壇の前で楽し気に話していて、まだやって来そうもなかった。


 ふと、セシリアが青く茂る垣根の向こうへ目をやる。ルドルフがいる時計工房があるほうだ。


「ルドルフが気になる?」

「あ、うん。喜んでるだろうなぁって」


 今回の訪問に、王弟は従者の代わりにデニスを連れてきた。

 贋作事件に関わってしまったルドルフは、反省文の意味合いで近況報告を義務付けられており、デニスはその手紙の提出相手である。

 クレイバーン男爵が面談をしているから、本来デニスにその必要はないのだが、こうして時々顔を見に来る。

 今頃はきっと、新しくできた友人を紹介したり、住環境確認の名目でまた領内のあちこちを歩いたりしているのだろう。


「何しに来たー、とか言いながら毎回嬉しそうだもんね」

「ね。だから、それはいいんだけど……」

「ああ、ローウェル卿?」


 ノーマンの言葉に、セシリアは表情を曇らせる。

 実はジャイルズも来ている。彼の手元に残された、フィオナの懐中時計のメンテナンスのためだ。

 王都には伯爵家御用達の工房もある。だが、最初に修復したスタンリーに今後も任せたいと、律儀にジャイルズ自身が出向いてきたのだった。


「大丈夫だよ。スタンリーはぶっきらぼうだけど、さすがに貴族相手に突っかかったりしないから」


 スタンリーは元々、王都の有名時計工房で働いていた職人だ。後継者の椅子を巡る争いに嫌気がさしてそこを辞め、クレイバーン領で自分の工房を持ったという経緯がある。

 強面で無骨な人物だが腕は一流だし、ルドルフが弟子になってからは少しだけ口数も増えた。


「し、心配はしてないの」


 否定するわりに、セシリアの声は浮かない。

 少し屈んで顔を覗き込むと、明るい琥珀の瞳が戸惑いに揺れる。

 憂いがあるなら晴らしてあげたい。話しにくいのは内容か、それとも……。


「僕には言いにくい?」


 それは嫌だな、と率直に思ってしまった。

 誰に何を話すのか、決めるのはセシリアだけれども。そんな思いが顔に出ていたかもしれない。セシリアは慌てて「違う」と手を振った。


「……ローウェル卿って……わたし、ちょっと怖くて」

「えっ」


 非常に言いにくそうにするセシリアに耳を寄せると、消え入りそうな声が意外なことを伝えてきた。


「かっこいい、じゃなくて、怖い?」

「……うん」


 ジャイルズは誰もが認める美形だ。特に若い女性には大変人気があり、あの容姿に見惚れる令嬢が後を絶たないのだが。


「あの方、お姉様と一緒のときは大丈夫だったけど……」

「あー、そっかぁ」


 その一方で冷徹貴公子の呼び名通り、常に冷静沈着で滅多に感情を表に出さない人だ。

 中でも、寄ってくる令嬢たちへは決して隙を見せず、笑いかけることなど皆無と言っていい。


 だが、フィオナといるときの彼は別人のようだった。

 降って湧いたような関係でも家格差があっても、噂が真実味を帯びたのは、ひとえにあの変貌があったから。

 完全に以前の彼に戻ったわけではないし、セシリアにはかなり気を使って接しているようにノーマンの目には映る。

 しかし、今のジャイルズにあの頃の柔らかさはないのも事実だ。


「親切にしてくれているのは分かるの。でも、なんだか苦手で……そんなふうに思う自分が、嫌だなって……」


 そう言って、セシリアは申し訳なさそうに項垂れた。

 セシリアは対人経験が圧倒的に少ない。外面や建前といったものに免疫がないぶん敏感で、無意識のうちにそれらを警戒する傾向がある。

 一方で、他人と一定の距離を固持し内心をあからさまにしないジャイルズの態度は貴族として当たり前で、むしろ推奨されるものだ。


 どちらが悪いわけでもない。

 しかし、好きな女性の妹に怖がられるのも、そのことで自己嫌悪するのも、気の毒な話である。


(それこそ、いろんな人と会えば違ってくるとは思うけど……)


「ええとね、セシリア。……あ、この歌」


 どう話そうか考えていると、風に乗って歌声が届く。興が乗ったらしい王弟と男爵が、バラの前で歌っていた。

 

「セシリアが好きなアリアだね」


 バラの名前が、歌劇のヒロインの名前に当てられていた。その流れで歌い出したのだろう。

 クレイバーン男爵は歌が好きだが、園芸も音楽も、床に就くことが多い妻や娘を楽しませようとした結果の趣味である。

 義父になる人の、そんな人柄が好ましいとノーマンは思う。


「セシリアも歌ってよ」

「えっ」

「だめ?」

「……ううん」


 とりあえず、憂い顔は一度お終いにしてほしい。

 ノーマンの頼みに、はにかみながらセシリアは声を合わせる。歌詞の内容は悲恋だが、明るい日差しの下では美しい旋律がただ心地よい。

 先ほどの答えを探しながら歌声に耳を澄ましていると――突然、背後の茂みがガサリと音を立てて割れた。


「!?」


 驚いて立ち上がり振り返ると、駆け込んで来たジャイルズが息を切らせて立っていた。誰かを探した視線が、目を丸くして歌を止めたセシリアを、次に隣のノーマンを認めて。

 ……そうと分からないように、肩を落とした。


「……すまない、驚かせた」

「いえ、お戻りでしたか。どうしました?」


 取り乱したところなど、初めて見たかもしれない。玄関から通路を通ってではなく現れたこともだ。


「歌が……いや。なんでもない」


 呼吸を整えつつ言いかけて止めたジャイルズに、もしかして、とノーマンとセシリアが顔を見合わせる。

 先に口を開いたのは珍しく、セシリアだった。


「あの……わたし、お姉様と声は似ていて」


 外見はそこまででもないが、セシリアとフィオナは声が似ている。

 特に歌うとそっくりで、ハンスでも時に聞き間違えるほどだ。


「このアリアはお姉様によく歌ってもらいました」

「……そうだな。子守唄にしたと言っていた」


 同意して、ジャイルズは詰めていた息を小さく吐いた。

 いないと頭では分かっていても、似た声を耳にして走らずにはいられなかったのだろう。

 そうして、改めて確認した不在に落胆しているのが隠せていない。

 王都での彼からしたら、無防備すぎる姿だ。


(本当は、すぐにでも会いに行きたいだろうな)


 ――私室に掛かるベニヒワの絵。主語を省いた、()()の近況を伝え合う家族の会話。早春に行ったブルーベルの群生地。

 フィオナの痕跡に触れるときの灰碧の瞳を見れば、そこにどんな感情があるかなんて聞くまでもない。


 流れ行く歌を追うように空に目を凝らすジャイルズはこの夏、近隣国を回る外交に出る。今年のシーズンはほとんど国外で過ごすという。

 レジナルドの気ままな旅先のどこかと運よく交わって、二人が再会できればいいとノーマンは思う。 


「この歌、去年の当たり演目でしたね。歌劇場で観たそうですが」

「ああ。だが二度目のときは眠――、……っ!?」


 ジャイルズは言葉の途中で、はっとして急に固まった。

 不明瞭に呟かれた言葉の後半は聞き取れなかったが――なにか、思い出したのだろうか。


「ローウェル卿?」


 ノーマンが声を掛けると、我に返って慌てて片手で口元を覆い、くるりと反対を向いてしまった。

 見間違いでなければ背を向ける直前、端正な顔が赤く染まっていた気がする。


「……失礼する」

「あ、はい」


 誤魔化すように咳払いをして、早足で屋敷へ去る背中に余裕がない。いつもの近寄りがたい感じもなくて、呆気に取られているセシリアとまた目が合った。


「今みたいなローウェル卿も、怖い?」


 さすがに印象が違ったらしく、セシリアはふるふると首を振った。

 そして少しだけためらって、思い切ったように口を開く。


「で、でも、わたしは、ノーマン……お兄様のほうが、か、かっこいいと思う……!」

「そっ、そう。えっと、ありがとう」


(なんだこれ、すっごく可愛いんだけど……!)


 思わず、離し損ねていた手をぎゅっと握り直してしまった。

 それを拒むどころか耳の先までぜんぶ赤くされてしまうから、色々と自分の中が騒がしい。


(あー……社交シーズンが終わるまで待つとか、言わなければよかったかな)


 揃って赤い顔をして言葉少なに手を繋ぐ二人と、失くしていた記憶が突然蘇って動揺するジャイルズの耳には、王弟たちが歌うアリアが響いていた。





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