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侯爵夫人の内緒話

 食事を下げに来たメイドにいくつか指示をしてフィオナの部屋を出ると、いくらも進まないうちにヘイワード侯爵夫人に捕まった。


「あら、ジャイルズ。もうお出かけ? うふふ、行ってきますのキスはした?」

「大叔母様……」


 侯爵夫人の軽口に、ジャイルズは大げさに呆れてみせる。

 フィオナは昼食の後に眠ったと伝えると、夫人は安心したようにほうと息を吐いた。


「そう、よかったわ。いくらかお食事ができたのね」

「眠ったばかりですので」

「顔だけ眺めていくわ。大事なお嬢さんをお預かりしているのだもの、具合を確認するくらいはいいでしょう?」

「起こさないとお約束していただければ」

「はいはい。それでねジャイルズ、あなたに手紙よ」


 今届いたばかりだと渡されたそれは、バンクロフト伯爵――ジャイルズの父からのものだった。

 渡された封筒をしげしげと眺めて顔を顰めたジャイルズに、侯爵夫人は想像通りという眼差しを向ける。


「わたくしはあなたがこの家にいるの大歓迎だけど、一度ご実家にも顔を出したら?」

「報告はしています」

「そうね。でも、お父様は直接あなたから話を聞きたいのではなくって?」

「……では、時間ができたら」

「ええ、早いうちに時間を作って会っていらっしゃい。ついでに、なかなか頷いてくれない女性にプロポーズするコツも聞いてくるといいわ」

「?!」


 思いもよらない提案に不意を突かれ噎せてしまったジャイルズに、夫人は訳知り顔で朗らかに微笑んでみせた。


「あらあら。いつも澄ましてばかりの、あなたのそんな顔を見られるなんて!」


 長生きはするものだ、などと無邪気に手を叩いて喜んでいるが、ジャイルズはそれどころではない。

 辺りをさっと見回して人がいないことを確かめると、廊下の壁際に寄り声を潜める。


「っ、どういうことですか」

「うふふ、ここだけの話だけど、あなたの父親も苦労したのよねえ。お父様とお母様がどこで出会ったか知ってる?」

「それは……普通に紹介では?」


 幼い頃からの婚約者同士ではないことは知っていたが、両親の具体的な馴れ初めなど聞いたことがない。

 一般的には親戚や知人からの紹介や、パーティーなどで既知になった相手と家格や条件が合えば婚姻を結ぶことが多いから、両親もそうだと思っていた。

 ジャイルズの返事に、夫人は頷く。


「紹介といえば紹介ね。お母様の婚約パーティーに招待されて、そこで会ったの」

「……は?」

「本当はあなたのお祖父様がお祝いに行くはずだったのだけど。体調を崩されて、お父様が名代として出席して。そこで恋に落ちたのよね」

「待ってください。その言い方では、母は別の男性と婚約していたと聞こえるのですが」

「そうよ。身分と顔の良い、ろくでもない男と無理矢理ね。だから、あなたのお父様がやっつけてくれて胸がすいたわあ」


 ――なんだそれは。

 うっとりとした顔で頬に手を当てて、夫人は懐かしそうに当時を振り返る。


「家と両親を人質に脅されて婚約させられていたの。それでまあ、お父様が相手の家の不正を暴いたりして、ね?」

「ね、じゃないですよ!」


(あの父が、他人の婚約者を? しかもそのために不正を暴く?)


 自分以上に業務一辺倒の冷徹伯爵である。声を上げて笑ったところを見た記憶もない父親に、そんな情熱的な一面があるとはにわかに信じられない。


「あなたのお父様ね、不正は暴けても女心はちっとも分かっていないから。お母様が心を許すまでかなり掛かったわね。苦労していたわあ」


 ほほほ、と笑う夫人をジャイルズは食い入るように見つめる。


「……信じられません。第一、そのようなことを聞いたこともありません」

「バンクロフト伯爵は昔も今も、ゴシップが嫌いだもの。そんな彼のロマンスを息子の耳に入れる命知らずな人がいるかしら?」


 わざわざ筆頭伯爵に睨まれる真似はしないだろう。そこは納得できる。

 まったく予想外の話だが、言われてみれば思い当たる節がないでもない――両親は特別に仲が良いということもなく一定の距離感を保っているが、そこに政略結婚にありがちな冷淡さはない。


 それに、煩わしいことばかり図々しく押しつけてくる親戚が多い中で、最も大きな顔をしておかしくないはずの母親の実家は常に一歩引いている。

 祖父母は孫であるジャイルズやミランダに対しても、まず伯爵家への恩や感謝を口にすることの方が多いのだ。


(バンクロフト伯爵家の身代がそうさせるのかと思っていたが……)


「あなたがフィオナさんを初めて連れてきたときにね、わたくし、あなたの両親が重なって見えたのよ」

「そう、ですか」

「ほーんと、あなたたち父子って顔だけでなくそっくりなのだから。……あの例の画商のこととは別に、なにか事情があるのでしょう?」


 侯爵夫人のいたわるような視線はジャイルズと、フィオナが眠る部屋の扉へ向けられる。


「こういったことはデリケートな問題ですからね、外野は大人しくしていますけれど。わたくしはフィオナさんを気に入っていますよ」

「大叔母様」

「それに加えて、わたくしはいつでも名付け子(ジャイルズ)の幸せを願っているの。だから二人が納得するようになさいな。わかった?」

「……はい」

「ふふふ、固いわねえ!」


 ぽんぽんと腕を叩くと、夫人は軽い足取りでフィオナの部屋へ向う。

 少しだけその場に立ち尽くしたジャイルズは一旦今の話を脇に追いやり、自分が使っている部屋へと戻った。


 居室前の廊下では使用人が待機しており、客人が来ていることを告げられる。


「よっ、邪魔しているぞ――って、どうした?」

「リックか」


 この後の議会の事前打ち合わせに来たのだろう。

 アポイントメントはないが予想できたリチャードの来訪に、一瞬父が来たのかと身構えたジャイルズは気が抜けた顔をした。


「狐につままれたような顔だな。もしかして彼女になにか?」

「いや、大丈夫だ。熱も下がってきたし」

「そうか、よかったじゃないか」

「ああ。お前の花火に感心していた」

「それは光栄。デニスたちのほうが功労賞だけどな」


 あの日、ゴードンとキャロラインが通じていたことをルドルフから聞いたデニスとレジナルドが、馬を飛ばして離宮へ報告に来てくれていた。

 しかし、招待客でないために門で止められ押し問答をしているところに、花火の仕掛けをしに外に走ったリチャードが行き合ったのだ。


 フィオナとゴードンがいる棟へは、正面のエントランスを入って離宮の中を通るより、湖を渡ったほうが速い。

 建物裏にある使用人出入り口が最短ルートだと教えられた二人が舟を漕いでいるときに、フィオナたちが二階から落ちてきたのだった。


「そういえば、彼女の叔父君とは話せたか?」

「いや、まだだ」

「ははっ、手強いな!」


 舟を下りたレジナルドの腕の中に、ずぶ濡れでぐったりと目を閉じたままのフィオナを見た時。全速力で駆けつけた湖畔で、ジャイルズは荒らげた息がそのまま止まるかと思った。

 よほど酷い顔をしていたのだろう。ジャイルズに浴びせるはずだった罵声を途中で呑み込んで、レジナルドは迅速な手当を要求するにとどめた。


 そして無事を確認した後、クレイバーン家にとって返したレジナルドはフィオナの父を連れて戻ってきたのだった。

 それ以降、何度か姿を見つけては話をしようと試みるが、するりと躱されている。

 気まぐれな猫のようだと評される画家は、相手が誰でも平等につかみ所をみせない。


「ジルが持っているそれ、手紙?」

「ああ、そういえば」


 父からだと言えば、促されて今し方受け取った封筒を開けてみる。

 出てきたのは宝飾店からの修理完了を告げる書面だった。


「……早いな。ネックレスとクラバットピンが直ったそうだ」

「おっ、よかったな。壊れたままだと気にするだろ、あの子。しかしネックレスはともかく、あのピンも直ったのか」

「職人技だな」


 ゴードンに閉められた扉の前で、鍵が届くのを悠長に待ってなどいられなかった。

 舞踏会に工具の持ち合わせなどなく、代用できそうなのは胸元のピンだけ。

 通常より少し長さのあるものだったことが幸いしてどうにか使えたが、さすがに強度は満足ではない。

 鍵が開いた時には石も外れかけてすっかり変形していたそれを、惜しいとも思わず投げ捨てて中に飛び込んだのだ。


 事件を思い出させるようなものはいっそ処分しようかとも思った。

 しかし、フィオナが知れば気に病むから、と修理に出すのを勧めたのは、目の前のリチャードだ。


(……事件とフィオナのことで話がある、ということか)


 実家にはほかにも手紙が届いているだろうに、わざわざ自筆で宛名を書いてこの一枚を転送してきた父の含意にジャイルズは頭を巡らす。


「リック。議会が終わったら一度家に戻る。今夜の監査官との調整は任せていいか」

「わかった。じゃあ、デニスでも連れて行くよ」

「頼む」


 封筒を見つめ思案したままのジャイルズの言葉に、リチャードは軽く頷いた。






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