第12話 サミュエル軍撤退
ハンスタントン城を攻め落とすことが出来ず、撤退を強いられていたミネバ公爵率いる一軍は、サミュエル連邦とウェスタディア帝国の国境に位置するウィルナ城へと向かっていた。その一方で、サミュエル連邦の元帥モーリスは、ようやくプレストン城から消えた一軍の動向を知ることができた。
「申し上げます。ウェスタディア帝国の別動隊はウスター城を落とし、ハンスタントン城へ迫ったとのことです」
側近のマルコス中将が連れてきた伝令兵がモーリスに戦況を伝える。それとほぼ同時に、ウェスタディア軍の撃退に成功したという知らせがハンスタントン城からもたらされた。
「我が軍は諜報に力を入れる必要がありそうですね・・・」
「申し訳ございません。早急に改善いたします」
報告を受けて、モーリスが嘆息する。そこにはなぜもっと早くこの情報を掴めなかったのかという意味が込められていた。情報の収集にあたっていたマルコスはバツが悪そうである。なお、先鋒のリエラは相変わらずプレストン城の前に布陣したままである。プレストン城に籠るノイエ侯爵は防御に徹していたため、手を出せずにいた。
「ウスター城を失ってしまったのは痛手ですが、ハンスタントン城を守りきれたことは幸いです。これより軍議をおこないます。諸官を集めてください」
モーリスは軍議の開催を宣言するとともに、周辺の地図を準備させる。地図が広げられると、石をパチパチと置いて戦況の整理を始める。そうしている間に、ぞろぞろと士官たちが集まる。
「元帥閣下、全員到着いたしました」
「わかりました。それでは軍議をおこないましょう。現在の戦況はマルコス中将からお願いします」
モーリスの指名を受けたマルコスが説明を始める。ウェスタディア帝国の一軍がウスター城を落としたこと、ウォレスの活躍でハンスタントン城を守りきれたことである。地図を指し示しつつ、状況を整理する。
「以上が、現在の戦況となります」
それに加えてマルコスは兵糧を浪費する余裕がないこと、シャルナーク王国攻撃からの連戦で兵士たちの士気の低下が心配であることを諸官に共有する。
「さて、わたくしとしてはプレストン城を放棄し、ウスター城の奪還を考えますが、皆さんはどうでしょうか?」
モーリスの提案に各々が思案する。そんな中、一人の士官が意見を述べる。
「元帥閣下、撤退中のウェスタディア軍を叩くのはいかがでしょう。ウォレス少将閣下の活躍によって敵の士気は下がっているはずです」
士官の意見に他の士官が反論する。
「いや、私は反対だ。いくらハンスタントン城を攻略できなかったとはいえ、ウェスタディア軍は大軍だ。そのうえ、わずか10日で撤退したというのも気になる。おそらく余力を持って撤退を決断したのだろう」
「それではプレストン城を攻略するというのはどうだ?」
「先ほどの中将閣下のお話を聞いていなかったのか。リブル川で多少の損害を出しているだろうが、敵は大軍だぞ?俺たちが数倍の兵を擁しているならいざ知らず、大差ない状況でどう攻め落とせっていうんだ。それなら元帥閣下の言う通りウスター城を狙った方がいいだろう」
モーリスとソレルとの違いはどこにあるのだろうか。それはモーリスを相手に誰もが遠慮なく意見をぶつけられることである。同じように誰でも発言できる軍議であっても、ソレルは粗暴な面があったため、多くの士官は委縮して発言できなかったのである。それとは対照的にモーリスは士官たちの議論を黙って見守っている。軍議で発言している者の多くは士官の中でも低位の尉官クラスの者であった。
「中将閣下はどうお考えでしょうか?」
士官の一人に意見を乞われたマルコスが口を開く。
「私も元帥閣下のお考えに賛成です。ウスター城には多くの兵が残されていないことでしょう。そこを一気呵成に攻め落とせば、兵を損なわず、さらには兵糧の温存も可能でしょう」
マルコスの意見に多くの士官が頷く。
「やはりここは元帥閣下の作戦でいくべきなのでは?」
「そうだ」
「それがいい」
軍議の結果、モーリスの作戦を採用することで決まった。人によってはとんだ茶番だというかもしれない。しかし、上官から一方的に命令されて従う場合と比べて、作戦の意思決定の過程に自分がいたという事実は、軍の結束を高めるうえで有効であった。
「それでは次に、ウスター城の攻略について意見はありますか?」
モーリスがウスター城の攻略に関する作戦の協議に入る。今回は暫定的な作戦である。現地で状況を確認したうえで、改めて作戦を考える必要があるからだ。
「ここは正攻法をとるべきだ!」
「兵数の勝る我らなら一息につぶせましょう!」
「しかし、それでは犠牲が大きすぎるのではないか?」
「ならば貴様はどのような意見があるといういうのだ」
「それは・・・」
「やはりないではないか!元帥閣下、ここは包囲したうえで城攻めするべきです!」
議論の行く末を見守っていたモーリスは手で場を制する。モーリスが動いたことにより、場は一気に静まり返る。
「皆さんのいうことはどれも正しいです。しかし、これだけは覚えておいてください。戦うということはもっとも愚かなことなのです。戦わずして勝つ。これは古来より最上の勝ち方として兵法に伝わっています。我が国はシャルナーク王国とツイハーク王国との戦いで多くの兵と資源を失いました。いまは国力の回復に努めるべきなのです。ここは戦わずしてウスター城を占領するべきでしょう」
「それでは元帥閣下、どのようにして攻め落とされるというのですか?」
士官の質問を受け、モーリスはマルコスを見る。
「マルコス中将、準備はできましたか」
「はっ、使える状態でウェスタディア軍の装備を200ほど準備しました」
「それだけあれば十分です。わたくしは偽報を用いてウスター城の攻略を考えております。詳細は明かせませんが、勇敢な方が必要となります。志願される方はいらっしゃいますか?」
モーリスはリブル川の戦いで死傷したウェスタディア軍の装備を接収し、マルコスに命じて準備させていた。モーリスはそれを用いてウェスタディア軍の残党を装い、ウスター城へ入城しようと考えていた。モーリスの問いかけに多くの士官が黙り込む中、一人の士官が名乗りをあげる。
「元帥閣下、ここはぜひお任せください」
「わかりました。それではあなたにお任せします。詳細は後ほどお話しします。それでは、軍議を終えます。全軍はプレストン城から撤退し、ウスター城へ向かうように。これをリエラ大将にもお伝えください」
「「「ははっ」」」
こうしてサミュエル軍はプレストン城からの撤退が決まった。リブル川を渡河し、プレストン城の前に陣取るリエラ大将のもとにも撤退を指示する伝令が訪れていた。
「ウェスタディア軍があたしらの背後を襲ってきたらどうするんだい」
「はっ、元帥閣下は万に一つもあり得ないとお考えですが、そのような時は・・・ゴニョゴニョ」
リエラはモーリスの命令を伝えに来た兵士に当然の懸念を伝える。リエラ自身、目の前に獲物があるのになぜ撤退するのか不満だが、そこはモーリスに考えがあってのことだと納得している。伝令兵は質問を受けて対応策を小声で耳打ちする。
「さすがモーリスだね。わかったよ。そん時は指示通りに動こうじゃないか」
「ご賢察感謝いたします」
「みんな聞いたかいっ!撤退だよ!」
「「「おおぉぉー!」」」
リエラ率いる一軍は再びリブル川の渡河を開始した。プレストン城に籠るノイエ侯爵はその状況をすぐに知ることとなった。
「申し上げます。サミュエル軍が撤退を開始しました」
「なんだと!?」
椅子に座るノイエは撤退の報告を聞いて飛び上がるように立ち上がる。
「これは追撃のチャンスでは?」
ノイエの側近が追撃を主張する。リブル川で手痛い目に遭ったことの意趣返しである。好戦的な側近とは異なり、ノイエは消極的であった。
「お前はバーナード様からの知らせを忘れたのかっ!」
数日前、ウェスタディア帝国の首都アルナイルにいる宰相のバーナードからモーリスへの警戒を促す文書が来ていた。バーナードはシャルナーク王国に潜入する工作員からの報告を受け、モーリスが油断ならない相手だということを文書にしていたのである。なお、宰相のバーナード公爵はノイエの上司であり派閥の代表である。
「はっ、失礼しました」
「分かればいいのだ。追撃がうまくいけばいいが、もし失敗してプレストン城を失ってみろ?リブル川の敗戦とは比べ物にならない失態になる」
ヘイデン大公とバーナードとの間の派閥争いの最中に、自分の失敗でバーナードの顔を汚すことだけは避けなくてはならない。リブル川での敗戦は、モーリスのことを知らなかったからと申し開きができる。しかし、欲を出してプレストン城を失ったとなれば、その責任はとてつもなく重い。ノイエは防御を固めるように指示を出す。モーリスの読み通り、ウェスタディア軍が城から出撃することはなかった。リエラはリブル川を渡り、無事に本隊との合流を果たした。サミュエル軍の新たな攻略目標はウスター城である。




