第6話 財務部への課題
シャルナーク王国の上層部は、ジークの示した戦略マップを熟読することで、国の将来をある程度考えるようになった。シャルナーク王国の戦略マップには、ジークとナルディアの両国王の考え方が反映されているからだ。このビジョンを達成するにはどうすればいいか、この戦略目標を達成するにはどうすればいいか。各部を統括する長官は自分の頭で考え、創意工夫する必要があった。まさに、自律型組織(誰かの指示を待つまでもなく、それぞれが自分の意志で動く組織)としての国家の第一歩を踏み出したところである。
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「先生、今後の財政予想を持ってきました」
ムネノリが俺のもとに新しい書類を持ってきた。今後のシャルナーク王国の財政見通しである。
「お、さっそく出来上がったか!悪いね」
「いえ、先生のお役に立てれば何よりです」
ムネノリは長官に任命されたこともあり、以前よりかは人と話すようになっているが、やはり相変わらず静かだ。寡黙といえるほどではなくなったが、静かな方だろう。
俺は資料をパラパラとめくっていく。その資料の出来を見て思うのだが、やはりムネノリは官吏に向いている。言い方を変えれば官僚向けの人材だ。俺が家族同然に面倒を見ているハンゾウ、キキョウ、ムネノリの兄妹がそれぞれ異なる適性を持っていたのはうれしい限りだ。
「うん、とてもよくできていると思うよ」
ムネノリの表情が目に見えて明るくなる。
「本当ですか!ありがとうございます」
書類を一通り読んだところで、質問に入る。
「それで、今後はどういう見通しになりそうなんだ?」
質問の答えはこの書類に書かれている。ただ、俺はムネノリがどこまで考えているのかを知りたくて質問してみた。
「えっと、今回のサミュエル連邦の攻撃によって、ヘルブラント城で蓄えられていた財産や労働力を失うことになりました。ですが、領土全体ですと、先生がベオルグ公国のパトリシア城までを占領してくださったため、大幅に領土が増加しました。長い目で見ると、浪費さえしなければ国力の増大は可能です」
ムネノリの説明はもっともだ。将来展望について、俺から補足することはあまりなさそうだ。
「では短期的な視点でみるとどうなる?」
「短期的には、資金繰りが課題かもしれません。ヘルブラント城に蓄えていた財産が全て奪われてしまったので・・・」
ムネノリは当面の資金繰りが問題だと指摘しているが、どのような問題があるのだろうか。その点をさらに掘り下げることにする。
「具体的な問題点は?」
「えーと、復興のための資金だと思います。ヘルブラント城の復興にはたくさんのお金が必要になりますし、その人手を国中から集めなければなりません。それに、パトリシア城の人口が少ないことも心配しています。ヘルブラント城とパトリシア城で本来得られたはずの収入が得られず、それどころか復興のためのお金をほかの城から補填することになりますし」
ヘルブラント城の現状に対する説明は不要だろうが、パトリシア城もまた深刻な状況だ。もともとはベオルグ公国の首都としてベオルグ公国内で最も栄えていた城だったが、サミュエル連邦のマクナイトによる遠征と同時期に、ほとんどの市民が殺されてしまったのだ。それでなくてもサミュエル連邦の経済制裁で内戦に近い状態だったため、復興が必要という意味では、なかなか深刻だった。
「うん、その通りだ。俺が遠征している間もちゃんと仕事してたんだな。偉いぞ」
俺はムネノリの頭を撫でる。
「先生、僕はもう子どもじゃないです!」
「おっと、それは悪かったな。ついつい癖で」
ムネノリは口では嫌がっているけど、表情を見る限りまんざらでもなさそうだ。そろそろ恥ずかしくなる年頃なのかもしれない。
「にしてもごめんな。いきなり財務長官なんていう大役を任せてしまって」
俺としてはもっとじっくり勉強させてから財務長官、すなわち財務大臣に相当する役職に就けてあげたかった。ところがどっこい、サミュエル軍によって国政レベルの財務人材はごっそり持ってかれてしまった。その任に堪えられる人材となると、俺とナルディアの英才教育?を受けたムネノリがうってつけだった。
「いえ・・・。僕も先生と一緒にナミュール城のお仕事はしていたので、その仕事の規模が大きくなっただけです」
「それはそうだが・・・。城一つの財政と国家の財政はいろいろと別物だとおもうけどなぁ・・・。まあ、それなら何よりだ」
俺自身、この世界ではまだ若いが、転生前の年齢を考えるとそろそろ50歳になってもおかしくない。こうして若者が育っていくのを見ると、何とも頼もしく感じる。
「あ、そうそう、今年からはちゃんと複式簿記で決算書を作ってね」
俺が内務長官時代に提案した政策の中に帳簿の作成がある。この帳簿は複式簿記の原理で作成するよう指示していた。帳簿に関する基本的な概念を記載したガイドラインのようなものもその時に作っている。当時の財務長官がさぼっていなければ、それなりに普及しているはずだ。国家の運営体制が新しくなったタイミングに合わせて仕事の内容も一新することにした。
「わかりました。財務部の状態を考えると、今年から決算書を作成できると思います」
「お、ということは俺の渡した書類はちゃんと役に立ったんだな」
前任の財務長官がちゃんと仕事をしていたようで何よりだ。もしこれをヘルブラント城にいる人材だけに限って教えていたらどうしようかと思っていた。ヘルブラント城にいた財務部の人材は全てサミュエル軍に連行されたか殺されてしまったから。ちなみに現在の財務部は各城に散らばっていた財務担当者をかき集めて構成している。各城の財務に精通する人材は減ってしまうが、いかんせん国家の存続に関わる事態である。多少の不利益は我慢してもらうほかない。
「みんな先生の書かれた知識がすごいといっていました。貸借均等の原則?という考え方も画期的だと思います」
「おーそれはうれしいね。だけどちょっと惜しい。正確には貸借一致の原則だな」
貸借一致の原則が出てくるところを見ると、みんなそれなりに勉強しているんことがわかって一安心だ。もっとも、この考え方は俺が作り出したものではないんだけどね。ただ、俺が思っていた以上に理解が進んでいた。俺としては理解度を試すためにちょっとした問題を出したくなる。そうだ、いっそのこと財務部への課題にしてしまおうか。そう思い立った俺は紙に問題を書き、ムネノリに差し出す。
「はい、これを明後日までに解いて俺のところに持ってきてね」
「久しぶりの宿題ですね!」
おおう、なぜか課題を渡されたムネノリは嬉しそうだ。少しは嫌がる素振りを見せるかと思ったけど、全然そんなことはなかった。このままだと一人で問題を解いてしまいそうなので釘を刺しておく。
「これはムネノリを含めた財務部に対する課題だ。必ず全員で考えて解答するように」
「わかりました。さっそくみんなと考えたいと思います」
お辞儀をしてムネノリは俺の執務室を後にする。後で聞いたことだが、国王直々に課題を出されたということで、財務部の職員は尋常じゃない緊張感に包まれたらしい。そういえば俺って、国王だったわ。転生前のような、経理部の先輩が後輩に課題を出すような感覚だった。
その翌日の夕方、ムネノリが課題の解答を俺のところに持ってきた。期限の前日に持ってくるということは、本当に俺の部屋を出てから課題を検討していたのもしれない。なぜならそんな簡単な問題を出していないからだ。基礎ができている人ならすぐ解いてしまう問題だけども。
《問1》
我が国はサミュエル軍の侵攻により、多大な損害を被ってしまった。この場合の会計処理はどのようにおこなうべきだろうか。損益計算書の観点から答えてください。
《財務部の解答》
この度の我が国が被った損害は、平常時に想定されたものではなく、また、その金額が多額であることから特別損失として処理するべきと愚考します。
財務部の解答を読んだ俺は思わず苦笑いしてしまう。愚考しますって表現をなかなか目にしないからだ。自分のことをそこまで卑下しなくても・・・と思うが、国王相手だとそんなものかもしれない。
問題の方については、特に問題なしだ。満点といってもいい。それでは次の問題に移るとしよう。
《問2》
我が国はサミュエル軍の侵攻により、多大な損害を被ってしまった。この場合の会計処理はどのようにおこなうべきだろうか。貸借対照表の観点から答えてください。
《財務部の解答》
この度の我が国が被った損害は、金貨などの流動資産、建物などの固定資産に分類することができると思われます。そのため、両者の損害を適切に判定したうえで、資産の減少として処理するべきと愚考します。
この問題の解答も特に問題なさそうだ。出題者の俺としては指摘することがなくて残念だが、それだけ我が国の財務部は優秀なのだろう。
「どれも正解だ。少しは間違ってくれてもいいんだが、我が国の財務部は優秀なようだな」
「先生の教育の賜物です」
ムネノリはそう言って謙遜しているが、どちらかという俺ではなく前任の財務長官が教育熱心だったのかもしれない。俺自身はそこまで指導していない。ひとまず、財務部は特に何も問題なさそうだ。シャルナーク王国の勘定奉行としてしっかり頑張ってもらいたい。
ちなみこれは後で知ったことだが、サミュエル連邦ではとっくに複式簿記が使われているそうだ。おまけに財務の知識に精通した人がいる商店は損益計算書や貸借対照表まで作っているらしい。うちの国を訪れたウェスタディア帝国出身の行商人がそう言っていた。
「こないな複雑な帳簿、どうやって読んでいいのかさっぱりですわ」
なんてことをその行商人は話していたが、サミュエル連邦恐るべしである。これもまたサイオンジとかいう人のしわざだろうか。サイオンジさんって実は経理部出身だったり?なんて想像を巡らせるも真相は歴史のベールに包まれていた。




