第1話 ウェスタディア帝国
これはシャルナーク王国の王都ヘルブラントが包囲されている頃の出来事である。
「ほぅ・・・サミュエル連邦が領土を拡げ、この国に迫る勢い、か。無視できないな」
「陛下、サミュエル連邦は大半の兵力をシャルナーク王国遠征に費やしているようです」
陛下と呼ばれる男は、大陸最大の版図を持つウェスタディア帝国の皇帝、ネルブライトその人である。この当時のウェスタディア帝国の認識では、サミュエル連邦が旧ベオルグ公国領を併合したところで終わっている。城の数でいえば、サミュエル連邦とウェスタディア帝国は41個で並んでいるのである(第二章第8話の勢力図)。もしシャルナーク王国攻めが成功し、サミュエル連邦の領土がさらに広がることになれば、ウェスタディア帝国が長年培った威信に傷がついてしまう。それだけは断じて許してはならないのである。
臣下の筆頭と思われる老齢な男が話している最中、突如として宮殿の扉が開かれる。
ガラガラガラ
聖職者服に身を包んだ老人が入ってくる。その老人は、ウェスタディア帝国皇帝ネルブライトのもとへまっすぐ進む。皇帝を除く臣下が頭を下げ、その前を通り過ぎる。
「陛下、ご機嫌麗しゅうございます」
「これはこれは猊下、わざわざ起こしいただけるとは、一体どのような用で?」
ネルブライトと猊下と呼ばれる男が笑顔で挨拶を交わす。周囲の人々はその笑顔に畏怖さえ感じていた。猊下とは枢機卿の敬称であり、この男の名はネテロ枢機卿である。
「聞けば、サミュエル連邦がシャルナーク王国を攻めているとか。皇帝陛下はこの機会をどのようにお考えでしょうか」
「まずは聖下のお考えを伺いましょう」
聖下とは、ウェスタディア帝国の国教であるヴェルト教、教皇の敬称である。ウェスタディア帝国はヴェルト教と密接に結びついており、教皇の権威は皇帝に勝るとも劣らない。ヴェルト教は主神ヴェルトを崇拝する一神教であり、現在の教皇はリーグルワーズである。
「聖下は異端者の一掃を望まれております。かの国がこのウェスタディア帝国に迫る領土を持つなど、到底容認できないのです」
ウェスタディア帝国の国民は全て敬虔なヴェルト教徒であると言っても過言ではない。過去に教会を疎んじた皇帝は、反逆者としてギロチン台で処刑されている。ウェスタディア皇帝が持つ権力を考えると、教会は皇帝と同等かそれ以上の力を持つ目の上のたん瘤に等しい存在であった。
その一方、サミュエル連邦は宗教の自由という独自の道を進んでいる。大陸の半分を得たシャルナーク王国を衰退させるため、ウェスタディア帝国はサミュエル連邦の独立を支援していた。しかし、ウェスタディア帝国への恩を仇で返す形で、サミュエル連邦は宗教の自由という相容れない政治思想を掲げた。ウェスタディア帝国はサミュエル連邦を滅ぼすべく複数回遠征するも、サミュエル公やイリス率いる一軍に負け続け、サミュエル連邦には手を出さず、内政に専念していたというわけだ。
また、サミュエル連邦の在りようは、ウェスタディア帝国のみならずヴェルト教にとって容認できるものではない。国民の全てがヴェルト様を信仰し、思考停止のまま教会に従ってくれなければ権勢が削がれてしまう。それは特権階級として甘い蜜を享受する教皇を始めとした教会の上層部は好ましくない。そこで教皇は、サミュエル連邦がシャルナーク王国にかかりっきりの今が攻める好機と考えていた。
「朕も同じ考えです。それでは30万の兵で攻めることにしましょう」
「聖下もお喜びになられることでしょう。それでは失礼いたします」
ネテロ枢機卿は満足そうに宮殿を後にする。その後ろ姿を見送るネルブライトの目は険しかった。
(朕は何をするにもリーグルワーズの顔色を見なければならない。これのどこが皇帝だというのだ)
ネルブライトは傀儡に等しい自分に苛立ちを感じていた。しかし、臣下の前ではそれをおくびにも出さない。
「そのお役目はミネバ公爵にお任せになるのがよろしいかと思われます」
ネテロ枢機卿の登場で話を遮られた男は、再び話を進める。この老人こそ、ネルブライトの側近にして実質№2のヘイデン大公である。なお、大公とは公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵という爵位が設けられているなか、公爵以上皇帝以下に位置付けられている。
「ミネバ公爵はどうだ」
ネルブライトはミネバ公爵と呼ばれる女性に目を向ける。
「大公のお顔を潰すわけには参りません。ぜひ喜んで務めさせていただきますわ」
ミネバ公爵は最敬礼をもって、承諾の意思を示す。
「宰相はどう思う」
ネルブライトは宰相の地位にあるバーナード公爵に問いかける。
「妥当な人選でしょう。副将としてノイエ侯爵をお付けください」
ネルブライトは頷いて返答とした。
「朕の名をもって、ミネバ公爵およびノイエ侯爵の両名にサミュエル連邦の討伐を命じる」
ネルブライトは立ち上がり、手を前に出し、号令する。
「「「かしこまりました」」」
その場に集まる全員が最敬礼で皇帝の命令を受け取る。
なお、ウェスタディア帝国軍の軍隊は、各貴族の私兵から成り立っている。領土に比例して動員する兵力が増加するというわけだ。
皇帝の命を受けたミネバ公爵とノイエ侯爵は、それぞれ自領から私兵を率いてくる。2人の爵位は上位だが、それでも30万もの兵は用意できない。そのため、他の貴族の動員を促し、それでも足りない分は傭兵団を雇うことにより兵力を整えるのである。
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「聞いたか!傭兵団を募ってるってよ」
「本当か!?それなら俺たちもいっちょ参加しようじゃないか」
ウェスタディア帝国の首都アルナイルは大戦の噂で持ちきりだった。当然その話はサミュエル連邦の間諜によってサミュエル連邦の元帥シリウスを始めとした上層部にもたらされる。
「報告は以上です」
「わかりました」
シリウスにウェスタディア帝国の動きが報告がされる。
「ウェスタディア帝国が動きましたか・・・。所詮は自領にしか興味ないものと思っていましたが、甘く見ていましたね」
「総統閣下、シャルナーク討伐は一旦中止にする必要があるのでは」
副総統カインツは意見する。
「それはなりません。シャルナーク王国の息の根を止めるために35万もの兵を派遣したのです。せっかくディーンさんが内応に応じたのですから、この機を逃してはなりません」
平常時におけるサミュエル連邦の総兵力は約40万である。そのうちの35万がシャルナーク王国に派遣されているということから、本国の守備が疎かになっているのは当然といえよう。
「しかし、それではどう対処いたしましょう」
「プレストン城に2万で籠城してもらいましょう」
プレストン城はウェスタディア帝国に最も近い城である。
「捨て石になさるということですか?」
「ソレルさんかモーリスさんが戻ってくるまでの辛抱です」
元帥ソレルはコートウェイク高地でシャルナーク軍と対峙している。それに対して大将モーリスは、シャルナーク王国の王都ヘルブラントの攻撃任務に従事している。
「わかりました。それではプレストン城に兵を派遣します」
カインツは早速兵の手配に向かう。プレストン城が耐えてくれれば上々、もしだめでも時間稼ぎになる。
対ウェスタディア帝国への対応を決めた数日後、吉報と凶報がほぼ同時にサミュエル連邦の首都ミスリアへもたらされた。吉報は、ヘルブラントの占領およびシャルナーク王国の国王ティアネスの戦死である。それとは反対に、元帥ソレルの戦死とコートウェイク高地での敗北が凶報として伝わってきた。
「モーリスさん天晴れです」
シリウスはモーリスの働きに殊の外喜びを表現する。
「ヘルブラントにある財の全て及び捕虜を徴収したとのことです」
「そうですか!それはそれは何よりです。これでシャルナーク王国は壊滅したも同然でしょう。早急にウェスタディア帝国を撃退し次第、シャルナーク王国に引導を渡すとしましょう」
シリウスのモーリスに対する賞賛とは裏腹に、ソレルに対する言葉はなかった。期待値こそ高くなかったが、それでも元帥である。元帥の連敗など恥でしかない。そんな元帥にかける言葉をシリウスは持ち合わせていなかった。
その報告から数日後、モーリス率いる一軍がミスリアに戻ってきた。
「モーリスさん、この度はお疲れ様でした」
「ディーンさん、サラマンカ城とヘルブラント城を一日で陥落できたのはあなたのおかげと聞いています。今後も大将の名に恥じぬ働きをお願いしますね」
帰還したモーリスとディーンは総統室でシリウスと対面する。サミュエル軍がヘルブラントまで気づかれずに進軍できたのは、ディーンによる働きが大きかった。サラマンカ城は、ディーンが一軍を率いてヘルブラントへ向かうという理由で堂々と入城し、占領した。なぜならサミュエル軍の姿はなく、サラマンカ城の守将は味方のディーンを疑うこと無く引き入れたのである。
その後、サミュエル軍を先行させ、ヘルブラントでは援軍という体で入城、占領したという経緯だ。シャルナーク王国では将軍の一人でしかなかったディーンに目をつけ、シリウスが大将としての招聘を確約したのである。このように、シリウスは裏工作を得意とする総統であった。
「戻ってきたところ申し訳ないのですが、ウェスタディア帝国が攻撃してくるという報告があります。さっそく向かってもらえますか」
「あの帝国が久々に攻めてくるというのですか・・・承知いたしました。わたくしにお任せ下さい」
シリウスの言葉にモーリスは即答する。
「実に頼もしい!元帥としてぜひ頑張ってください。期待していますよ」
ソレルの死により、モーリスは元帥に昇格した。シャルナーク王国を壊滅的な状態に追い込んだ戦功は飛びぬけており、異を唱えられる人は誰もいなかった。これにより、サミュエル連邦の上層部はほとんどがシリウス派の人間で占められることとなった。
「はっ、お任せください」
さっそく、新元帥モーリスは15万の兵を率いて、プレストン城へと向かった。それに対して、大将ディーンは対シャルナーク王国の備えとしてサラマンカに入城する。プレストン城にモーリス率いるサミュエル軍15万が到着する頃、プレストン城はミネバ公爵率いるウェスタディア軍20万の猛攻にさらされていた。
かつて大陸を治めていた最古の国家ウェスタディア帝国。サミュエル公と勇者サイオンジの興した半近代国家サミュエル連邦。両者は長い停戦期間を経て、このプレストン城でぶつかろうとしていた。




