第20話 アスタリア女王の苦悩
ベオルグ公国と隣接するツイハーク王国の国境には多くの流民が押しかけていた。その証拠に、ベオルグ公国に面するティエドール城の外には多くの流民が城に入れて欲しいと待機していた。
ツイハーク王国の女王、アスタリアのもとには切迫した前線からの情報がもたらされていた。
「参りました。まさかサミュエル連邦がここまで強引とは・・・」
アスタリアはため息をつく。先日までの平穏が嘘かのように連日話し合いがおこなわれた。一方は受け入れを主張し、もう一方は受け入れを反対するという議論は平行線をたどっている。受け入れ側の主張は、労働力の確保、人道的支援を根拠にした意見である。反対側の主張は、治安の悪化と財政上の理由を根拠にした意見である。この問題はあまりにも複雑であるため、容易に結論を下せずにいた。仮に流民を労働力として受け入れたとして、彼らがこの国に適合すればいいものの文化の不一致等で失業する可能性もある。失業してしまった場合、いったい誰が彼らの面倒を見るというのか。可哀想だからという理由だけで、受け入れを許可することは不可能なのである。
「セオドール、兵糧はどれほどの余裕があるのかしら」
アスタリアはセオドールと呼ばれる男に声をかける。彼はこのツイハーク王国の丞相であり、アスタリアの最側近だ。
「民を飢えさせないだけの蓄えはございます。ですが、現在は他国との戦いがいつ起きてもおかしくありません。軍に回す兵糧を考えると流民の受け入れは困難でしょう」
セオドールは一切の躊躇なく答える。この国の現実が見えている人には、とても流民を受け入れる余裕などないとわかりきっているのである。
「ミシェル、あなたはどうかしら」
アスタリアは先日サミュエル連邦から帰ってきたばかりのミシェルに意見を聞く。
ちなみにミシェルはアスタリアの実妹である。
「救いたいと思う姉さんの気持ちはわかるわ。でも、私も厳しいと思う。だって、もし受け入れたらシリウスの思う壺ってことよ?」
シリウスの狙いとは何か。直接的な狙いは手を下さずにゲオルグ公国を瓦解させることである。それに対して、間接的な狙いは近隣諸国の衰退を促すことである。流民を受け入れれば受け入れた分だけ食料や財政的負担が増加する。もちろん、国民としてちゃんと義務を果たす者もいるはずだが。反対に、もし流民を受け入れなければ、彼らは行き場を失い山賊にでもなるかもしれない。城外の田畑を荒らす可能性もある。どちらを選んでも、何らかの損害がもたらされるのである。
「やはりサミュエル連邦の狙いはこのツイハークの弱体化ということですか」
「女王陛下」
「セオドール、なにか?」
「もし流民が我が国に入ってきた場合、真っ先に何をすると思われますか」
アスタリアは真意を測りかねるという表情でセオドールを見る。それに対してミシェルははっとした表情で顔をあげる。
「セオドール、もしかして両替に行くってこと?」
「はい、妹君のおっしゃる通りです」
アスタリアも事の大きさに気づいたのかはっとした表情になる。
「ということは、我が国の通貨が狙いということですか?」
セオドールは2人に向けて通貨を使った策略であることを説明する。ベオルグ公国では無価値に等しくなったサミュエルドルだが、ツイハーク王国とサミュエル連邦の国境は閉ざされていない。つまり両替商がサミュエルドルを安く買い叩き、それを持ってサミュエル連邦へ向かい儲けるということも可能なのである。流民は無価値であったサミュエルドルに変わってウェスタディア金貨といった我が国で流通する通貨を手に入れることができる。一見すると、流民が不利であるものの両者に利益があるように見える。しかし、もしサミュエル連邦がサミュエルドルに変わる通貨を使い始めたらどうなるだろうか。サミュエル連邦内であれば、サミュエルドルを新たな通貨に交換するだけで済み、他国の保有するサミュエルドルはまさしく紙切れと化す。また、サミュエル連邦は、紙切れとなった紙幣の量だけ得をすることになる。その紙幣を担保していた分の金が浮くのである。サミュエル連邦は、国家そのものに対する信用も発行貨幣に対する信用を無くすことになるが、この戦乱の世にあって信用を気にする必要はない。貨幣を信用できないという理由で他国が交易を拒むなら、その国を滅ぼしてしまえばいい。それだけの力を持つ大国だからこそ可能な大胆な策なのである。
「っ・・・」
アスタリアは絶句する。ツイハーク王国単体ではサミュエル連邦に対抗する力はない。隣国のベオルグ公国がサミュエル連邦の領土となるのも時間の問題である。ゲリラの鎮圧などサミュエル連邦にとっては些事だからだ。もしゲリラが激しく抵抗するようなら皆殺しにして自国民を住ませればいい。その程度の話なのである。
「女王陛下、受け入れるという選択肢は存在しないとお考え下さい。賛成派の方々も自国を危険にさらしてまで受け入れようとはしないでしょう」
「わらわには・・・拒むしかないというのですね」
セオドールは何か言いにくそうな表情をしていた。それを察したアスタリアは顔を真っ青にするのであった。
「セオドール・・・殺せというの?」
「女王陛下のお手は煩わせません」
アスタリア女王は国民の希望でなければならない。その一心で汚れ仕事ともいうべき政策はセオドールの名をもっておこなわれてきた。
「わかりました。ですが、条件があります」
「なんなりと」
「我が国に近寄る者だけにしてください」
「承知いたしました。それでは、ティエドール城の外にいる流民に対し退去を促し、それでも応じないものを対処したいと思います」
「また嫌な仕事を命じてしまいますね・・・」
アスタリアは、セオドールが心配で堪らなかった。いつもいつも辛い仕事を押し付けてはいないかと。セオドールはそんな心優しい女王を知っているからこそ、自らが影になろうと働いているのであった。
「お気になさらないでください。女王陛下は太陽でなくてはなりません。私にお任せを」
そう言い残し、セオドールは王宮を後にした。
「姉さん、大丈夫?」
「ええ、これもわらわの務めですから」
「嘘はだめよ?あんな心優しい姉さんが罪もない人々を殺して傷つかないわけないもの」
ミシェルは王座に座るアスタリアの肩に手を置く。
「ミシェルには敵わないわね」
深刻な顔をしていたアスタリアに笑顔が少し戻る。
「そうそう、サミュエル連邦でね、思わぬ出会いがあったの」
ミシェルはジークとナルディアとの出来事を楽しそうに話す。妹が楽しそうに話す様子をアスタリアは温かい目で見つめていた。
「そう、そんなことがあったのね。あなたがサミュエル連邦を見に行きたいと言い出したのにも驚いたけど、シャルナーク王国にも同じ人がいたなんてね」
アスタリアはクスクスと笑う。
「そうでしょ?この出会いはきっと神様のお導きよ。それで姉さん、いい?」
「もちろんですよ。誰か、筆と紙を持ってきて」
侍女が筆と紙を持ってくる。アスタリアはそれを受け取るとシャルナーク王国の国王ティアネスに向けてサラサラと書状を書き始める。書状は今回のサミュエル連邦の仕打ちを非難し、友好を深めたいという内容である。
「セオドールが戻ったら、わらわからこの事を話しておきます。ミシェル、シャルナーク王国へ行きたいのでしょ?」
アスタリアに見透かされたミシェルは舌を少しペロっと出し、そのままアスタリアに抱きつく。
「さすが姉さんね、ありがとう!」
アスタリアは妹の髪を優しくなでる。
「気を付けるのよ」
「もう、姉さんは私を子ども扱いして・・・はーい」
こうして、ミシェルは国使としてシャルナーク王国へ赴くこととなった。ミシェルはジークとナルディアが住む国はどんな国なのか想いを馳せつつ、シャルナーク王国へ向かう船に乗り込んだ。




