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今日はここで眠ることにしよう。
その夜のことだった。
ファルに包まれて眠っていた俺は、ふとした物音で目を覚ました。
ファルの体毛の隙間からこっそりと周りを見渡す。
明かりといえば、雲間から時折姿を見せる三日月と、岩に張り付いたヒカリゴケくらいである。
しかし俺は見た。それ以外のたくさんの光を。
それは目だった。一つや二つでは無い。俺とファルを取り囲むように、周り中にそれは蠢いていた。
その正体はオオカミの魔物。
フェンサーウルフ。
当然図鑑で調査済み。
群で行動する夜行性の魔物。ランクはB。
1匹では敵わない相手でも、数の暴力で打ち倒し、自らの糧とする。非常に攻撃的、かつ仲間意識が強い魔物。群の中の一匹を攻撃しようものなら、その群から一生追い回されることになる。一度狙われると非常に厄介な魔物。
俺はファルとそっと意思疎通を行う。
ファルは野生で育っていないため、すこし危機管理がなっていない。
現に敵に取り囲まれてもスヤスヤと眠っている。
俺は半ば強引にファルを起こす。
ファルはすこし驚いたようにピクリと体を動かした。しかしさすがは知能の高いセイントバード。すぐに今の状況を察したようだ。
物音を立てないようにしながら、ファルはこっそりと羽を伸ばし始める。俺はそれに合わせて必要な荷物を手早くまとめ、それを背負ってファルの足にしがみついた。
今にもフェンサーウルフが飛びかかってきそうだ。額を冷たい汗が流れる。
そして、ついに決心を決めたかのようにファルが羽を大きく羽ばたく。
突然の羽音にフェンサーウルフたちの何匹かは警戒して大きく吠えた。
しかしリーダーらしき1匹がひときわ大きく吠えると、群全体が急に静まり返った。
だがその直後、いきなり牙を剥いて群の中の1匹がこちらに飛びかかってきた。
もう準備はいいだろう。
「いけ!!ファル!!!」
掛け声とほぼ同時、ファルの体が浮きあがる。噛みつかれる一歩手前で、なんとかファルと一緒に飛び上がることに成功した。
そのままできる限り上空へ舞い上がる。なんとか窮地を脱したようだ。俺は深いため息をつきながら、額の汗を拭った。
フェンサーウルフの群れが完全に見えなくなったあたりで、ゆっくりと高度を下げ始める。
ファルが余裕で身を隠せるくらい大きなサイズの洞窟を発見したので、そこへと降り立った。
慎重に洞窟の中へと入っていった。
洞窟は想像よりも長く続いており、異常なほどに規模が大きかった。
精神的にどっと疲れた俺とファルは、できる限り奥の方まで入り込んだ。洞窟の中には何もいなかったようだ。安心し、ほっと胸を撫で下ろした。そして先ほど眠りを中断されたのもあり、睡魔が襲ってきた。なので俺達は眠る態勢に入ろうとした。
その時だった。
それは寒気。それは悪寒。それは予感。
なんでもいい。
とにかくそこには何かが、いた。
とてつもない何かが。
ゆっくりと、後ろを振り返った。
さっきまでは何も見えなかったはずのそこには、体全体がぼんやりと白く光り、目を赤く光らせた生物が一匹。
間違いない。
俺が見間違えるはずがない。
こいつこそ、紛れも無い、、、
ーーーーー神竜だ。
あまりにも不運。
あまりにも理不尽。
なんの準備も出来ていない。
警戒もしていなかったその場所に、
よりによって今ここに、それはいた。
神竜がどれほど規格外な存在なのか知っている。『図鑑』を待っている俺だからこそ知っている。
完全に詰み。ゲームオーバーだった。
それでも、、、
1パーセント、0.1パーセントを追い求めて、俺とファルはそこから逃げ出す算段を考える。
ゆっくりと、後ずさる。
時間が異様に長く感じる。
1秒1秒が、心臓の音が、ずっしりと重い。
今この瞬間に、命を壊されても不思議では無い。神竜とはそれほどまでに手に負えない。従魔もいない、下準備も出来ていない、そんな状態でこちらが出来ることなど何も無い。ただただ神様に祈りながら後ずさりするだけだ。
しかし、その極限状態でも俺は気付いてしまった。毎日毎日図鑑とにらめっこしてきた俺だから分かったことだ。
先ほどからこちらを警戒するようにして、ひっそりと動かない神竜。
この神竜、手負いだ。それもかなり大きな。
そして俺は、自分でも驚くような行動に出た。
「おい、怪我をしているのか?」
言葉など通じる訳も無い。
本当に意味不明。ロジック破綻な行動。
でも俺は気付いたら話しかけていたのだ。
神竜という、規格外な存在に。
俺の声が洞窟にこだまし、再び静けさが訪れる。
その瞬間だった。
脳に直接響き渡るようにして、女の子のような高い声が聞こえた。
「たすけ、て、。」
俺は自然と理解していた。
これが神竜から発されたメッセージであるということを。
「分かった。今助けてやる。」
気付けば俺はそう口にしていた。
背負っていた荷物を降ろし、中から薬草を取り出した。
これはもともとは、ファルが怪我をした時のために持ってきていたもの。
人間にはほとんど効かないが、多くの魔物にとっては特効薬となる、そんな薬草だ。
そして光源となるヒカリゴケを辺りに散らした。
そのまま薬草の調合を始める。
最初、図鑑を見ながら何度も何度も作り、失敗を繰り返していた頃が懐かしい。
今では一度も図鑑を参照せずとも、薬を調合することが出来るようになっていた。
使用用途に応じて調合の仕方が変わるので、さまざまな素材を持ってきていた。
今回は争いで出来た傷を治すためのもの。
竜が争った形跡と、竜の血痕。あの血の主は、おそらく目の前の神竜のものだろう。
俺は完成した薬を持って、ゆっくりと神竜に近づいていった。
「傷の部分をこちらに向けてくれ。」
俺にはもう、恐怖は無かった。